さずかりしもの
キョウヤがユウコに、コダマ身の内に自分の子がいると告げたのは、それから三月あとのことだった。
キョウヤとコダマは、その子を産み二人の子として育てる意志をユウコに伝えた。
「そう……。もう心は決まっているのね?」
事の成就に半ば気づいていたのだろうか。
ユウコがそれを否定することはなかった。
「母さん、その……後から伝えるようなことになってしまってすまない……」
「ユウコさん、今まで黙っていてごめんなさい。でも私、どうしてもキョウヤさんとこの子を……」
「コダマさん」
床に目を伏せ、躊躇いがちに自身の意志を伝えようとするコダマの言葉を、ユウコは遮った。
「キョウヤの事を、これからもよろしくお願いします。お腹のその子の事も。ね、今日からは秋尽のコダマさん……」
「ユウコさん!」
戸惑うコダマに、ユウコは深々と頭を下げてそう告げた。
その夜、二人は秋尽の家では祝言を挙げた。
キョウヤとコダマ、そしてユウコと私だけの、ささやかな祝言だった。
キョウヤとコダマは、幸せそうに神酒をかわしていた。
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コダマの経過は順調だった。
日に日に大きくなってゆく腹を、愛おしげに撫でるコダマとキョウヤの姿に、私の胸は微かに疼いた。
今はヒトの姿をしていても、元々コダマの身体は、凍てついた氷の身体。魔王の身体。
ヒトのキョウヤと子を成すことなど、まずありえないことだった。
今、コダマの内で育ち、徐々にヒトの子の姿を成してゆくのは、私がコダマに注いだ、私自身の精髄だった。
魔王たちのソレとは違い、私の精髄『リーリエの胡蝶』自体は何の力も持たない。
だが、あらかじめ私のプログラムした『命令』に従い、コダマの身の内を巡り、彼女と一体化した剣の力を縒り合せることならば……。
仮初のヒトの姿をした魔造生物を、剣の力を満たした『器』としてこの世に成す事ならば。
時が経ち、自分たちの子供の正体を知るだろう二人がどれほど悲しみ取り乱すだろう。
その事に思いを馳せる時、私の心もまた千々に乱れたが、計画は止められない。
運命は既に定められていた。
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やがて、その時が来た。
コダマが臨月を迎え、そして陣痛が始まった。
出産は自宅で行われた。産婆は、心得のあったユウコが務めた。
元気な産声が工房館に響いた。
生まれて来たのは、珠のような女の子だった。
それが、秋尽鳴だった。
「ああコダマ。この貌、君にそっくりだ……」
「メイ。メイ。クリクリした黒い目。キョウヤさんとおんなじね……」
ユウコに産湯をつかわされ、ガーゼのおくるみに包まれたメイを抱きしめて、キョウヤとコダマが喜びの声を上げている。
私がそのように設計したのだ。
貌は魔王シュライエを模した。黒い目は私を模した。
秋尽メイ。
次の接界を迎えるまでの14年間だけ、ヒトたることを許された大天使の剣。
私のモノ。私の道具。
「せめて、それまでは……」
私の内の少女の魂が疼く。
コダマにもキョウヤにも、そしてメイにも幸せでいて欲しかった。
私の胸は再び、大天使の使命とは相反する感情にざわめいていた。
その時だった。
「レイカさん……その、ちょっといいかしら?」
「ユウコさん……?」
キョウヤとコダマにメイを預けて、私の傍らにユウコが立っていた。
「見てもらいたい物があるの。その、此処ではなく、外で……」
ユウコは、キョウヤとコダマの方にしきりに目を遣りながら、何か切羽詰まった様子で私にそう告げた。
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「これを、あの子が……メイちゃんが……!?」
「ええ。生まれたばかりなのに、自分の胸の中に、しっかりと……!」
工房館を出て夜の庭先。ユウコが私の前に差し出したモノに、私は驚きの余り継ぐ言葉がなかった。
ユウコの手の中に在ったのは、丁度小ぶりなニワトリの卵くらいの、銀色に光った小さな球体だった。
「レイカさん。これがあの子と一緒に……コダマさんの中からメイに抱かれて。教えて。これは一体何? 何か知っていることは無い?」
ユウコが私にそう尋ねる。
ヒトからは生まれ得ない奇妙な物体を前にして、ユウコの整った貌が不安に曇っていた。
「これは……まさか……!」
銀色の球をユウコから手渡され、私もまた愕然として息を飲む。
球から放たれているのはヒンヤリとした冷気と、そして接界の過ぎた今では到底考えられないような強烈な……魔気だったのだ。
「ありえない。魔王の……卵!? コダマの子!?」
私の口から、思わずその言葉が漏れてしまった。
「コダマさんの子? 一体、何を言っているの!?」
ユウコの貌がこわばった。
ユウコが私から銀の球を取り戻そうと私に手を伸ばした、その時だった。
ピシン。
甲高い音と同時に、私の手の内で銀色の球が揺れた。
「「あ……!」」
ユウコも私も、一瞬我を忘れ、私の手の球を見据えた。
ピシン……ピシン……
球体の滑らかな表面に、亀裂が入っていく。
内側から何かに突き崩されるように、球の銀色の外殻がひび割れ、砕け、私の手の内からホロホロとこぼれて落ちてゆく。
そして……
「たあぁ……」
可愛らしい喃語を上げながら球の内から姿を現したのは、奇妙な生きものだった。
「これは……!」
「赤ん坊……!」
銀色の球体……コダマの産んだ『卵』の内に在ったのは、全身を銀色の鱗に覆われた、ヒトとも魔物とも異なる、手の平に収まる程の小さな、赤子だった。
見開かれた緑の瞳。
額からチョコンと生えているのは氷柱のような小さな一本の角。
「信じられない……」
私は手の中の赤子を見据えて再び呻いた。
ありえないはずだった。
一体どれほどの確率なのだろうか、推し量ることすら出来ないが、いまや疑いようが無い。
今、私の手の上からあどけない貌でユウコと私を見回しているのは、コダマとキョウヤの成したヒトと魔王の子、二人の本当の子供だったのだ。
「いけない……」
だが次の瞬間、私は強い動揺と恐怖を覚えていた。
子供から放たれているのは、人間世界に迷い出た他の魔物などとは比較にならない、強烈な魔気だった。
まだ子供の身では、コダマやバルグルのように自身の魔気を御すこともかなうまい。
魔気は他の魔物を、そして人間の戦士、キョウヤ以外の妖怪ハンターを呼び寄せるだろう。
何よりバルグル以外の、他の魔王たちの放った間者がこの館で成された秘密に気づいてしまったら……!
私が最も恐れたのは、この館で成された営みが他の者の手で破壊されてしまうこと。
私の計画に狂いが生じることだった。
「この子は私が、わ、私の手で責任を持って、元の世界に……」
「お待ちなさいレイカさん!」
咄嗟に赤子を抱きかかえて、この場から身を引こうとする私を、ユウコが厳しい口調で制した。
子供の正体に気付いたのだろうか。あるいは私の真意に。
いずれにせよ、この子供を生かしておくわけにはいかなかった。
「レイカさん。その子を私のところまで。私に渡すの。落ちついて、ゆっくりでいい」
「ユウコさん。この子供は、コダマさんの心を乱します。秋尽の家に災いを呼びます。せっかくメイちゃんを授かったのに……」
私を見据えるユウコの目に、疑念と警戒の影が戻っていた。
私は慎重に言葉を選ぶ。ユウコの疑念を、これ以上広げないように。
私の手で確実に、この子の命を絶つために。
「いいんですかユウコさん? コダマさんはヒトとして生きることを決めました。でも出自はどうあれ、この子にそれは無理だわ。お嫁さんを家に迎え入れて、可愛いメイちゃんも授かって、これからという時なのに……」
私はまっすぐユウコを見据える。
「ユウコさん。この事を知っているのはあなたと私、二人だけ。あなたが手を煩わす必要はありません。そう、今なら私だけで全てを……!」
「おだまりなさい!」
言葉を継ぐ私に、ユウコの怒号が叩きつけられた。
ユウコの声は凛然。その目が怒りに燃えていた。
「レイカさん。ならぬものはなりません。この子は私が預かります。コダマさんとキョウヤにも、この事は秘密。だからさあ。この子を渡すの……」
「……っ!」
私は自身の敗北を知った。
この子を手中にしておくにはユウコを殺すしかないが、今の私の力ではそれはかなわない。
仮に出来たとしても、もうこの館に留まることは出来ないだろう。
まだしばらくは此処に留まり、『メイ』を見守る必要がある。
「わかりました……」
私は小さな赤子をユウコに手渡す。
「んんま……」
無邪気な声を立てて、奇妙な赤子はユウコの胸に縋った。
「レイカさん。さっきのあなたの言葉は忘れましょう。咄嗟の事で、気が動転したのよね?」
依然として厳しい目で私を見据えながら、ユウコがそう告げる。
「この事は、キョウヤにもコダマさんにも他言無用。あなたと私だけの秘密です。でないと、もうあなたがこの家に居ることはできません。わかったわね……」
「わかりました……」
ユウコの言葉に、私は再び小さくそう答えた。
「この子の身柄は『彼』に預けましょう。西に住む『あの人』の元ならば……きっと何とかしてくれる……」
小さな銀色の赤子を愛おしげに撫でながら、ユウコは自分に言い聞かすようにそう呟いていた。
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こうしてキョウヤとコダマの本当の子供、『秋尽メイ』とは精髄の異なる奇妙な双子とも言えるその赤子は、私の手を離れた。
その夜の翌日から数日。ユウコは子供と共に館から姿を消し。次に戻って来た時にはユウコの手の中に赤子の姿は無かった。
子供の行方は私にとっても謎だった。
14年後、『あの子』が私の剣を手にするまでは。




