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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第10章 在りし日の歌
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月夜

「その……なんだ。シュライエ……にも、こっちで暮らすための名前が要ると思うんだ。これから街に出ることも多くなるだろうし……」

 キョウヤが私とシュライエを交互に見回すと、オズオズとそう切り出した。


「名前……私の……?」

「なるほど。確かにシュライエ様にも、私と同じく人間世界の名が在った方が……」

 戸惑った貌で、緑の瞳を見開くシュライエを向き、私もキョウヤに同意した。


「だろう? レイカから聞いている。君にはもう帰る国がないって。だから君には、これからもっと外に出て、こっちの世界のことを見て、こっちの世界のことを知って欲しいんだ。こっちの世界で暮らすため。そのためにも……」

 キョウヤが椅子から立ち上がって、シュライエの方を向いた。


「名前のこと、考えてみて欲しいんだ。俺も君の力になりたい。君が、人間の世界で穏やかに暮らすための……!」

 キョウヤは真剣な顏でそう言うと、シュライエの手を取ろうとした、だがその時、


「ヒグッ!」

 シュライエの身体がこわばった。

 シュライエがキョウヤの手を振り払い、椅子から跳ね上がってテラスを後ずさる。

 彼女の貌が、恐怖と嫌悪に戦慄いていた。


「うわっ! すまない、そんなつもりじゃ……!」

 キョウヤが慌ててシュライエから手を引いて、頭を下げた。

 シュライエの内にはいまだ、人間の男に対する拭い難い恐怖と嫌悪が渦を巻いているようだった。


「ち、違うのキョウヤさん。ごめんなさいつい。せっかくの心遣いを……」

 シュライエもまた慌ててその場を取り繕うように、緑の瞳を泳がせながらキョウヤに詫びる。

 

「いや、悪いのは俺の方だ。もう行くよ。夜まで工房に居る。さっきの話、考えておいてくれ……」

「待って、キョウヤさん」

 すまなそうに私とシュライエに背を向けて、館の地下の工房に向おうとするキョウヤを、シュライエが呼び止めた。


「ずっと……気になっていたの。あの日、どうしてキョウヤさんは私を助けてくれたの? 見も知らない『魔物』の私を……」

「それは……その……似ていたんだ」

 整った貌を不安げに曇らせながらキョユヤの背中に問いかけるシュライエに、キョウヤはそう答えた。


「似ていたって、誰に?」

「俺が、その……昔、初めて好きになった子に……」

 私は内心呆れ果てていた。不思議そうに首を傾げるシュライエに、キョウヤはモジモジしながら、そう答えたのだ。


「わ……私がその、他の(ひと)に似ていたからって……そんな理由で……!?」

 この男は、どこまで人の気持ちに鈍感なのだろう。

 シュライエの白皙の貌が、みるみる真っ赤になっていく。

 シュライエのポニーテールに纏められた漆黒の髪が、ワナワナ震えていた。


「わー! 違う。違うんだ! それは只のきっかけで、今はそうでないというか、今はその人の事なんか覚えてないっていうか、とにかくその時は君の事が放っておけないっていうか、とにかく君の事をその場に置いていけなくて……とにかく今は君が」

「知らない! もういいから工房に行って!」

 シュライエの怒りの理由にようやく気づいたのか、キョウヤが慌ててさっきの言葉を打ち消すが、シュライエは頬を膨らせてキョウヤからそっぽを向くだけ。


「クスッ……」

 二人のやりとりに、私は思わず噴き出していた。


  ###


「なによあの言い草。なによあの言い草! 他の(ひと)に似ていた……! 初恋の人ですって……!」

「シュライエ様。キョウヤさんは、優しくて立派な方です。私たちが人間世界に逃れて最初にあの方に出会えたのは幸運な事でした……」

 キョウヤの言葉にいたくプライドを傷つけられたのか、彼が平謝りしながら工房に消えた後もブツブツとそう呟いくシュライエを、私は笑いながらなだめた。


「わかっている。わかっているわそんな事……!」

 シュライエは頬を紅らめながら、テーブルの上のティーカップに目を落として小さくそう呟くと、


「ねえレイカさん。さっきのキョウヤさんの提案なんだけど……」

 何かに縋るように私の方を向くと、さっきの話を切り出してきた。


「『コダマ』っていう名前。こちらの世界ではおかしくないかしら。あの時あなたが教えてくれた、私の名の意味。山々を渡る木霊っていうのは……?」

「……ええシュライエ様、問題ありません。とても綺麗で、素敵なお名前ですよ。コダマさん(・・)……」

 心許ない表情で私の貌をうかがうシュライエに、私は笑ってそう答えた。


  ###


 それからシュライエは、人間世界での名をコダマと変えた。

 秋尽の工房館への滞在も二月経ち、最初は私たちの素性……特に私の事を厳しい警戒の目で見ていたユウコも、徐々にその緊張を緩めていった。

 記憶の無いコダマ、取り乱したコダマをなだめ共にに世話する内に、私とユウコの間にはある種の連帯感、信頼関係のようなものが生まれていた。

 キョウヤとコダマの距離は徐々に、やがて急速に接近して行った。

 キョウヤと共に過ごす日々は、コダマの内に刻まれた『原初の世界』での拭い難い恐怖と憎悪を少しずつ解かし、洗い流してゆくかのようだった。

 キョウヤはコダマを愛し、コダマはキョウヤを信頼していた。


 惹かれ合うキョウヤとコダマの姿に、私は奇妙な感動を覚えていた。

 そこには人と魔の繋がりがあった。

 無垢なる者と、汚され傷付いた者との交わりがあった。

 互いが互いに無いモノを求め、慰めあっていた。

 キョウヤとコダマはまるで二人で一つの全き者へと変化してゆくようだった。

 僅かばかりの片鱗ではある。完全なものとはとても言えない。

 だが確かに、此処には……秋尽の家には、既に人間世界の大部分から失われて久しい『原初の世界』のヒトの営みが再現されていたのだ。


 かつて私が治めていた世界。陰と陽とが精妙に配された、大天使の世が……!


 やがて、その日が訪れた。


  ###


「こうやって、森の中から月を見ているとね、何だか昔の事を思い出しそうな、そんな気がするの……」

「昔の事? 魔影世界(シャテンラント)の事か? その、どんな場所だったんだ? コダマの国は……?」

 夜のしじまにまぎれて、コダマとキョウヤの声が聞こえた。

 工房館の寝室の窓から明るい満月を仰ぎながら、私は二人の言葉に耳を澄ます。

 秋の夜。マツムシやコオロギの合奏や森を渡る風、落ち葉を踏む音の中から、二人の声を聞き分ける。

 キョウヤとコダマが、屋敷を囲んだ林の中を歩いている。

 キョウヤの母のユウコと、私の目が届かない場所で。

 束の間の、二人きりの逢瀬。


「うん。ボンヤリだけどね。うまく言えないけど、その頃はなんだかずっと……一人きり(・・・・)だったような気がするの……」

「一人きり? レイカや、なんていうか、周りの『家来』は?」

「思い出せない。とても立派なお城に住んでいて、何人も、何百人も周りに居たような気がするけれど……なんていうか、とても広くて、寂しくて……虚しくて……怖くて……!」

 コダマの声がこわばっていた。

 満月が、私が彼女から奪った記憶の断片を甦えらせているのだろうか。

 原初の世界から逃れ、氷の世界に閉じこもり、自身が作り出した城の中で人形のような家臣たちに傅かれていた影の世界の記憶を。


「だから今はね、なんだかおかしな気がするの。こうやって、キョウヤさんやユウコさん。レイカさんにも良くしてもらって。優しくしてもらって……夢を見ているみたいな、そんな気が」

「おかしいことなんかないさ。今は此処がコダマの世界だ。あの家が、コダマの家だ!」

 ポツリと呟くコダマに、キョウヤがそう答える。


「キョウヤさん。私、怖い。今のこの幸せな時間も、キョウヤさんと過ごした時間も、またすぐに、何かのはずみで消えてしまうんじゃないかって。昔の私の記憶みたいに……!」

「そんなことない! そんなことさせない! コダマと俺は、ずっと一緒だ。コダマは……俺が守る!」

 再び不安げに声を震わせるコダマに、キョウヤの語気が強まった。


「コダマには色々、教えられたんだ。これまでの俺にとって、あっち側の、魔影世界の連中は只のバケモノだった。人間に害をなす、殺されて当然の奴らだった。でもそうじゃないって、お前とレイカが教えてくれた……」

 キョウヤはしみじみと、コダマにそう話しかける。


「コダマ……。頼みがあるんだ」

 キョウヤがコダマの手を取った。

 私もまた私の手にキョウヤの温もりを覚えた。


「俺と一緒になってくれ。俺とあの家を、秋尽の家を守ってくれ。いつまでもずっと、一緒にいよう……!」

「キョウヤ……! うれしい。あなたと一緒なら……!」


 トクン……。トクン……。

 コダマの心臓の鼓動が高まってゆく。


 工房館の窓から月を仰いだ私もまた、私の内でさざめくコダマの血潮を感じていた。

 いつか彼女から舐め取った魔王の血が、コダマの昂ぶりに呼応していた。

 見える。黒い枝葉の間から差し込んだ満月の光が、キョウヤとコダマとを銀色に濡らしている。

 キョウヤとコダマが互いの貌を見つめ合う。

 キョウヤがコダマの瞳をのぞく。


「コダマ……コダマ!」

 草木が匂い立った。


「キョウヤ……キョウヤ!」

 キョウヤとコダマが、唇を重ねた。

 キョウヤの逞しい腕が、コダマの身体をかき抱いた。

 コダマの白い指先がもどかしげにキョウヤの髪をまさぐった。

 キョウヤとコダマが、互いの舌先を求めあう。

 キョウヤとコダマの身体が、湿った落ち葉の上で縺れあう。

 キョウヤの手が、コダマの纏ったチェックシャツを開け放った。


「うん……」

 コダマが甘い吐息を漏らす。

 キョウヤの唇が、露わにコダマの豊かな胸を這ってゆく。

 キョウヤのたどたどしい指先が、歓喜と羞恥に打ち震えるコダマの内側を探ってゆく。

 キョウヤに抱かれながら、コダマは月を見る。

 キョウヤを受け入れながら、コダマの瞳に銀色の月が宿る。

 キョウヤがコダマに入って来る。最初はゆっくりと、やがて激しく。何度も。何度も。

 やがて掠れた音を立てて、コダマの内にキョウヤが放たれる。

 コダマの目には冷たい月。コダマの中には火のようなキョウヤ。

 月が落ちて来る。夜が落ちて来る。達する。ああ、また達する。

 そして人と魔が重なり合った。陰と陽とが結ばれた。


「ん……あぁ……!」

 私の内でさざめくコダマの血を反芻して、コダマと共にキョウヤを感じて、私もまた白い月を貌に浴びながら、か細く喜悦の声を漏らしていた。


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