吸血花流浪
私はあきらめなかった。
あらゆる時代、あらゆる空間に同時に存在することの出来る『時分割』能力。
この、いまや私に残された最後の神性の証『千の異なる顕現』の力を使って、私は世界に働きかけた。
世界を正常な姿に戻そうと尽力した。
二つの世界に綻びを与えた。
影の世界に封じられた、魔なる者、淫猥なる者、禍々しき者達を牢獄より解放して世に放った。
闇よりヒトを誘い、闇に連れ込み、交わいの歓楽を、血を流す悦びを、邪淫の背徳を教えた。
ヒトの世に潜み、艶めいた噂を流した。慕情の種を、羨望の種を、嫉妬の種を、諍いの種を蒔いた。
清浄の世に在ってなお世界の秘密を求めてやまない魔術師や背教者たち。そのような者に、私は私の牙を立て下僕とした。
と同時に、砕けた世界と共に、私の内から失われた『大天使の力』を求め、私は下僕たちを使役し、世界を巡った。
世界を『再定義』する私の『力』は、今や人間世界と影の世界の至る所に四散してしまっていたのだ。
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「これは……モノノケ! なんと禍々しい……!」
御珠山の山腹から天に向かって突き出された異様な腕を仰いで、男は呻く。
まるで天を掴もうとするように、ぐわりとその掌を広げた、黒々と輝く石造りの、巨大な人間の腕。
「あれは『御珠山の鬼』。大昔、この地で暴れ、天の神に砕かれた大鬼の腕です……」
白衣に緋袴を纏った歩き巫女に姿をやつして、私もまた男の傍らから鬼の手を見上げる。
世界と一体化し、世界に標を灯し、そして世界と共に砕けて散った、かつてヒトであったモノの一部……。
『大天使の力』はそのモノの内にあった。
「あの手より爪を抜き、剣に鍛えなさい。一振りで百の騎馬を払う、無敵の神剣となるでしょう……」
朱塗の具足を身に着けて、しころの内から驚きの声を上げるその国の領主の耳元に、私はそう囁いた。
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「これもまた……太古の神の一部だと……」
影の世界の辺境。猛吹雪の吹き荒れた白い闇の果て、私の導きでこの地に達した老錬金術師が戦慄く。
緑色の燐光を瞬かせながら雪原を断ち割って空に向って伸び上がり絡まり合っい、まるで海中のイソギンチャクのように揺らめいた大小無数の乳白色の少女の腕。
「あれは『混世の魔女』。大昔、天地を治めていた大天使より力を奪い、世界に混乱をもたらした邪悪なる者の一部……」
緋衣を吹雪に靡かせ雪原に立ちながら、私もまた男の傍らから少女の手を見上げる。
かつて私から少女が引き千切った私の触腕の一部。今は少女のそれに姿を変えた『大天使の力』……!
「コワシタイ……! ヒキサキタイ……!」
私の内の少女の魂が微かに疼いた。
駄目よ。今はまだ。私は少女にそう囁く。
「あの手より骨を抜き、あなたの業で剣に変成させなさい。この世界の更なる秘密があなたにもたらされるでしょう……」
興奮に肩を震わす錬金術師、私の下僕の耳元に、私はそう囁いた。
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私の働きは項を奏した。
二界の綻びは徐々に広がり、世界はかつての姿に近づいて行った。
二界を巡り私の集めた大天使の力は、徐々にその量を増してゆき、今では輝く二振りの剣として、私の両手の中に在った。
世界を調整する力が私の手に戻る時も近かった。
もうすぐだ。もうすぐだ。
私は人間世界を、徐々に魔と陰の存在に満たされてゆくヒトの世を見回した。
最初は混乱するだろう。
世に魔なる者が溢れて、ヒトとヒトがいがみ合い、かなわぬ慕情に、身の内に生じた淫らな欲望に傷つき涙を流す者が絶えないだろう。
だが、混乱はひと時のこと。ヒトとてそれにもすぐ慣れる。
やがて聖と魔は、陰と陽は、分かち難く一つに結ばれ、ヒトの心に機微と陰影が生じる。
世界はかつての精妙なる均衡とバランスを取り戻して、一なる姿を取り戻すだろう。
だが、そんな私の希望は、すぐに潰えた。
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「なんだ? 何が起こっている!?」
再び世界に生じた異変に、私は戸惑いの声を上げた。
二界に生じた綻びが、急速にふさがってゆく。
私と私の下僕にしか聞こえない軋んだ音をてて、世界が震えた。
「まさか!」
私は感じる。
それまで隣り合っていた人間世界と影の世界が、徐々に離れて、遠ざかってゆくのだ!
「何をしている? 何を考えているの!?」
二界の狭間に飛びだした私は、狭間に築いた私の水晶の居城、『大天使の城』の尖塔に立って上天を仰いだ。
虚空に向って私は叫んだ。
何者かが、外部から私の世界を再定義しようとしていた。
私の在る階層の更に上層。かつて『外なる者』たちの在った階層から!
「あ……!」
私は気づいた。
崩壊する寸前の世界に目にした奇妙な光景。
標を辿って世界の外側に飛びだそうとしていた、小さなヒトの子の姿。
もう、疑いようがなかった。
かつてヒトであった者。去ってしまった『外なる者』たちに成り代わった新たな『主』が、再び私の世界をメチャメチャにしようとしていた。
許せない!
私は上天を睨む。
背中に生じた黒蝶の翅『大天使の翼』を羽ばたかす。
右手に在るのは『刹那の灰刃』。かつて世界と共に砕けた鬼神の爪より鍛え上げた『断絶の力』。
左手に在るのは『裂花の晶剣』。かつて世界に爪を立てた少女の指先より紡がれた『融合の力』。
「主よ、何故このような事を!?」
かつて世界に穿たれた標を頼りに虚空を上昇しながら、私は新たな『主』に抗議した。
けれども主は答えない。
「天地再創の神よ。再創世者よ!」
なおも私は訴える。
「この世界は清浄なモノばかりで構成されているわけではないわ。不浄なモノ、淫猥なるモノ、条理にそぐわぬモノを嫌って、封じ込めてしまっては、世界はまともに機能しなくなる。やがて均衡を失った二つの世界は、内側から崩壊してしまうわ!」
やがて虚空の果てに見えて来た金色に輝いた光の門、『外界』へ至る神の門に向って、私は何度もそう叫んだ。
だが……!
「クルナ!」
光の門から響いた冷たい拒絶の声、神の声が私にそう告げる。
と同時に、私の周囲に炸裂した幾筋もの金色の稲妻が、私の翼を裂き、緋色の衣を裂いてゆく。
「何故です主よ? 何故私の仕事を……何故私の存在を拒む!?」
右手の剣で妻を切り裂きながら、なおも食い下がる私に……
「何故ですって……?」
新たな主が、はじめて私の問いに答えた。
だが次に主の発した言葉で、私の魂は失意の底に沈んでいった。
「XXXXXX!」
あれから何万サイクルを経た今もなお、私の魂に刻まれたあの言葉、あの屈辱。
次の瞬間、カッ!
光の門から放たれた一際強力な雷が、私の全身を打った。
「あああ!」
私は絶望に叫ぶ。
私の右手が砕け散る。『刹那の灰刃』が虚空に消えてゆく。
私の左手が燃え上がる。『裂花の晶剣』が闇に吸い込まれてゆく。
私の全身を金色の炎、天の火が燃やしてゆく。
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私に私が集まってくる。
まだ27%の私が冷たい肌にそれを感じる。
曠野を吹き荒ぶ砂塵
路地に転げた屍を焼いた灰
暗い波間に燐光を瞬かす夜光虫
かつて私であった私の断片が私に収束してゆく。
無であった私が無を思う何かに退行する。
時が逆さに流れる。
だめよ、もう起きたくない。
私は呟く。
生きることは狂うこと。
現世は絶え間なく血が流れ爛れ続ける混乱と惨苦の踊場。
闇と無と静謐に満たされた『ここ』で無限に広がり漂うことを
どうしてやめねばならぬのか。
起きろ、お前には仕事がある。
出来たばかりの私の耳に、誰かが囁く。
私の内に在る私、私の存在を取り込んだもう一つの存在が私の眠りを妨げる。
私は半透明の瞼を開く。
闇の中で何かが煌いている。
蔓。しじまに輝いた緑色の燦爛。
そうして蔓は見る間に捻じくれ丸まり幾つにも千切れると
細かいビーズのように瞬きながら暗黒に浮ぶ円環を形作る。
円環が、光の門が、ゆっくり開いて行く。
門の向こうから何かが私を覗く。
眼だ。眼だ。緑色に燃え盛った 巨きな 昏い 焔の 眼。
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私が次に目を覚ました時、世界は再び、私が働きかける前の歪で子供じみた姿に立ち戻っていた。
この世界では、かつてヒトの心に渦巻いていた不条理、憎悪、嫉妬、暴力への憧憬。破壊への衝動といった負の感情は全て魔なる者としてヒトの外部に隔てられていた。
ここでは、魔なる者と聖なる者がはっきりと二つに分裂していて、そして、あろうことか前者は、邪なるモノ、卑猥なモノ、下劣なモノは不可触者として、一つ所に閉じ込められて、封印されていたのだ。
同時に、この世界のヒトの心からは、微妙な闇も、影も、機微も、淫猥への衝動すら、消え果てていた。
世界は『初期化』されていた。
私の身体もまた二つに引き裂かれ、二界に封じられた。
もはや、時を巡る事すらかなわなかった。
私に残された最後の神性は奪い去られ、私は無力な吸血鬼の少女として、世界への怨嗟と破壊衝動を燃やした少女の魂を抱えたまま、世界をただ彷徨っていた。
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そんな茶番が、もう何万回と繰り返されてきた。
主によって無理矢理な再定義が施されたこの世界の寿命は、せいぜい100サイクルがいいところだった。
裂かれた二界がやがて均衡を失って内側から崩壊を始めるその度に、新たな『主』、『再創世者』の手によって、世界は『初期化』されてしまう。
もう、うんざりだ。
もう、たくさんだ。
私は消えゆく森を、暗い空を見上げてそう呻く。
私にとって幸いだったのは、主に施された『裂界』は完全なもので無かった事だった。
15年に一度、かつての私の居城『狭間の城』を中心にして、世界は二つに重なり合うのだ。
この間に、再び世界に散らばった『大天使の力』を行使して、直接世界を融合してしまえば……!
今度こそ上手くやらねば。
今度こそ、私の力で世界を満たさねば。
私はそう決意して、私の手の中であどけない貌をして眠る女、『魔王シュライエ』の髪を撫でる。
目の前に立つ男。人間の戦士が私とシュライエを驚愕の表情で見下ろしている。
人間に変じたバルグルは、男の足元で地に伏している。
察しの良い獣の王。私に事の成り行きを任せる気でいるのだろう。
「お助け下さい、人間の戦士よ!」
私は切羽詰まった表情で男を見上げる。
「私はリーリエ。吹雪の国を統べる女王、魔王シュライエ様にお仕えする端女にございます。故あって故郷を追われ、人間の国に逃げ延びて来たのです……」
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その男、『秋尽キョウヤ』は私の言葉を信じた。
キョウヤは人間の世に在って影の世界の住人を狩る戦士だった。
私がかつてヒトに与えた知識の一部は、魔を滅する技として彼らの間に流布しているようだった。
なぜ本来なら敵である存在の『魔王』シュライエをキョウヤが匿ったのか。その時の私には少し不思議だったが、その理由は後々解っていった。
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「この人たちは……本当に、大丈夫なの? キョウヤさん……」
私たちが身を寄せた洋館。聖ヶ丘の丘陵地帯に建った秋尽キョウヤの生家で、彼の母ユウコが不安そうに私を見つめる。
「母さん……俺が何とかするから、俺を信じて……!」
客間のソファーに眠るシュライエの身体を横たえて、キョウヤはユウコにそう訴えている。
「お願いです……お慈悲を。主が目を覚ます一夜だけでよいのです……」
キョウヤともども、私もユウコにそう懇願していた、その時だった。
「あ……!」
ユウコが唖然として息を飲んだ。
「目を覚ました……!」
背後のソファーに目を遣って、キョウヤもまた声を上げた!
「シュライエ様!」
私はソファーから上体を起こした女の……シュライエの手を取った。
私の血を含ませたシュライエが、今ようやく目を覚ましたのだ。
「あ、う、あ……此処は……?」
「大丈夫か君、俺は、その……」
緑の目を見開いて、呆然と客間を見回すシュライエにキョウヤがそう声をかけて近づこうとした、だがその時だった。
「人間……男……!」
シュライエの緑の瞳が、恐怖に見開かれてゆく。
次の瞬間、
「いや!」
シュライエの悲鳴が空気を切り裂く。
ソファーから転がり落ちて、四つ這いになりながら、この場から逃げ出そうとするシュライエ。
「おい! ちょっと、落ち着いて!」
「お待ちなさい!」
慌ててシュライエに駆け寄って、ユウコが彼女の肩を抱く。
「あなたは……!」
私の唇から、我知らず飛びだした言葉。
ユウコに抱かれながら、恐怖で混乱した様子でイヤ、イヤと首を振るシュライエの姿を目にして、私の中の何かが疼いた。
それは、かつて私が吸収したあの少女の魂の疼き。
『夜白玲花』の心の痛みだった。




