斬魔の黒剣
「バニシング・バーニング・ホーミング追尾!」
シーナが銀色の錫杖を振って、夜の聖ヶ丘公園を赤々と照らした空中の炎にそう号令した。
「いくぜぇ! 仏恥義理じゃー!」
パチンコ玉くらいの小さな何百もの火球に変じて異腕の男を包囲していたシーナの炎が、一斉に男に襲いかかった。
「くっ!」
男が再び図太い右腕を振り上げる。
鋭い鉤爪を打ちおろして、周囲の炎を切り裂こうとするも……
「無駄や!」
シーナが叫んだ。
ヒュン……ヒュン……ヒュン……ヒュン……
縦横無尽に空中を飛び交う火球が、男の斬撃を右にかわし、左にかわした。
火球が男の正面から、背後から、頭上から、次々と男の身体に命中していく!
「ガァアアアアアア!」
男の身体が真っ赤な炎に覆われていく。男の苦悶の声が夜の公園に響き渡る。
「すげえ! 分裂した!」
「あの子は……いったい?」
シーナの火炎の技に、シュンとメイは再び驚愕する。
「みたか、ウチとメララちゃんの隠し技! 全方位攻撃や!」
燃え立つ紅髪を震わせたシーナが、銀色の錫杖で男を指して叫んだ。
「ふふ……今度こそ勝った!」
炎に包まれた異腕の男を見て、シーナは勝利を確信した。
だが、その時だった。
「グ……ガ……ガ……! 下らん真似を……!」
炎に全身を焼かれながら、それでも男は倒れない。
怒りの呻きを上げながらシーナを睨み、彼女の方に、近づいてくる!
「うそやろ? ウチらの炎が効かない!?」
シーナは愕然として男を見る。
そして、更に奇妙な事が起きた。
ズ……ズ……ズ……
シーナ向かって歩いてくる男の身体が、みるみるうちに膨れていった。
すでに男の纏ったスーツは炎に焼かれ、あたり燃え落ちていた。
その下から露わになった男の胸板が急速にその厚みを増しながら、ゴワゴワとした真っ黒な剛毛に覆われて行く。
男の左腕も、両脚も、同様だった。
まるで巨大な右腕にサイズを合わせるかのようにして、黒毛を生やし、太さを増してゆく。
そして、その顔は、口が耳まで裂けていき、中から覗いているのは真っ赤な舌と、鋭い牙!
「グァアアアアアアア!」
『変身』を果たした男が、夜空を仰いで咆哮した。
その姿は、身長2メートルは優に超えているだろう、まるで二本の脚で立った、巨大な「狼」だった!
「わ……人狼……!?」
シュンも唖然とする。
「あの姿は……獣の谷の魔狼!? だが、しかし……何かおかしい! 二足?」
メイの足元では、タヌキが不可解そうにしきりに首を振っていた。
「埒があかん! メララちゃん、戻りや!」
シーナが狼狽した声で、狼の黒毛を覆った炎に号令をかける。
「姉さん、それがその、身体がいうことを……!」
だが炎から響いてくる、こちらも狼狽した様子の少女の声。
「グワォ……やってくれたな小娘……でもなあ」
狼に変じた男が、しわがれた声でシーナにそう言った。
「言っただろう? こんな火遊びじゃあ、この俺は……」
男の言葉とともに、男の全身を覆った炎が、徐々に徐々に男の右手、鋭い鉤爪の先端に集中して行く。そして、
「焼けないと!」
男の叫びと共に、狼の振った右腕の爪先から炎が噴出して渦を巻き、今度はシーナの方に突進してきた!
「ヒッ!」
シーナの顏が、恐怖で引き攣る。
「イヤ!」
メイは思わず手で顏を覆う。
「姉さん、よけて!」
炎から悲痛な叫びが上がるも、炎の勢いは止まらない。
真っ赤な渦が、シーナの身体に命中して、シーナの身体を焼く!
と思われた、だがその時だ!
「お姉さま! 危ない!」
炎の発したそれとは違う、澄んだ少女の声が辺りに鳴り渡った。
プシュー……
シーナの腰のあたりから、なにかがほとばしる音。
彼女が腰から下げたペットボトルホルダーの中から、ひとりでに噴出した透明な液体。
その水がシーナの正面を覆った。
そして瞬時に、まるで澄んだ水のカーテンのようなものを形成したのだ。
「ウルルちゃん!」
シーナが、驚きの声を上げた。
次の瞬間、
ジュウウウウウウ……
「うああああ!」
「きゃあああ!」
炎の渦が水の壁に衝突して、苦痛に引き裂かれたような二人の少女の声がした。
公園を、濛々と水蒸気が覆っていく。
水の壁の背後にいたシーナは、全くの無傷だった。
「メララちゃん!」
シーナは必死の表情で周囲を伺う。
「姉さん、マジすんませんした!」
線香花火の玉くらいに縮まっってしまったシーナの炎が、ヘロヘロと彼女のランプに戻って来た。
「ウルルちゃん!」
シーナは腰元のペットボトルを検める。
「お姉さま、お怪我はありませんこと?」
ペットボトルに四分の一くらい残った透明な水から、シーナを気遣う少女の声。
「メララちゃん、ウルルちゃん、痛い思いさせてゴメンな……」
シーナはランプとペットボトルを交互に眺めて、悲痛な表情でそう呟くと、
「やっぱり、言い伝え通り、『コレ』使うしかないか!」
ランプとペットボトルをその場に置くと、背中に負った長い棒状の包みを両手に携えた。
バサリ。
シーナが棒を覆ったボロ布を剥いで中身を取り出す。
「あ、アレは……剣!」
シュンは目を瞠った。
剣だった。
シーナが布から取り出したのは、種類も良く解らない、黒光りする金属のようなもので出来た、刀身が80センチほどもある西洋風の剣だったのだ。
「あいつと……切り合うつもりか? やめろよシーナ!」
「安心しとき彼氏くん。コッチの方もな、腕に覚えありや!」
慌ててシーナを引き留めるシュンだが、紅髪の少女は引かなかった。
「ほう……? 火遊びの次は、チャンバラごっこか?」
立ち込める水蒸気の向こうから、シーナに巨大な影が迫って来る。
先程炎を爪先から逆流させてシーナを焼き払おうとした獣、二足の狼だ。
「ぬかせバケモン! よくもメララちゃんとウルルちゃんに痛いコトしてくれたな。絶対に許さん!」
両手に剣を構えて、シーナは怒った。
「この剣はな、ただの剣やあらへんで。ウチら『夜見の衆』が代々守り受け継いできた魔器……妖怪ハンターの血を継いだモンだけが使える妖刃。現世に在りながら魔を裂き鬼を切る斬魔の剣。その名も……」
狼との間合いをジリジリと詰めながら訳の解らない事を呟くシーナ、黒光りする剣を下段に持っていくと……
「刹那の灰刃!」
タン。そう叫んで、狼むかって跳んだ。
「ガアア!」
狼が吠える。
「シーナ!」
我知らずシュンは叫んだ。
さっき狼の振った鉤爪の鋭利さ。警官を真っ二つに切り裂いた恐ろしさがシュンの脳裏をよぎる。
あんなものと斬りあったら……!?
ガキンッ!
次の瞬間、金属のぶつかり合うような鋭い異音が、夜の公園に鳴り渡った。
空中で、二つの刃が激突していた。
狼の振った鉤爪を、シーナの振った剣が受け止めていた。
タッ!
空中で狼の攻撃を捌いたシーナが、再び地上に着地した。
「鉤爪を……凌いだ!」
タヌキが驚愕。
「フン。ごっつい攻撃やけど、ウチに捌けないスピードやない。次はその毛深い顔、切り落としたる!」
剣を構えなおして狼と間合いを取りながら、不敵にそう言い放つシーナだったが、
「切り落とす? ソイツでか?」
狼が、耳まで裂けた口を歪めて嘲るようにシーナに応えた。
「え……!?」
不審そうに手元の剣に目を遣るシーナ。
そして次の瞬間、信じられないものを見た。
ピシン……ピシン……ピシン……ピシン
彼女が構えた黒銀の剣の刀身に、細かなヒビが走ってゆくと
ギシッ!
なんということだ。
狼の鉤爪を受け止めた剣は、その刀身の丁度真ん中あたりから、砕けて、二つに折れてしまったのだ。
「うそやろ! 『刹那の灰刃』が! 代々伝わる魔器! 一子相伝! 斬魔の妖刀があああああ!」
シーナが悲鳴を上げた。
「お……折れたぁ!?」
シュンもまた愕然。
「死ね!」
ビュン。
絶望に固まるシーナの頭上に狼の鉤爪が降って来た。