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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第10章 在りし日の歌
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消えゆく森で

 ■15年前


 ドオドオドオ……

 鬱蒼と茂った樹木の枝々の間を、氷雨のまじった冷たい夜の風が渡っていた。


「わああ」「バケモノ!」

 森の各所から、恐怖で混乱した人間の悲鳴、逃げ惑う靴音が聞こえて来る。

 そこは奇妙な場所だった。

 その場に生え茂っているのは、黒々とした樹皮を雨水で湿らせたトウヒやモミにも似た樹木なのだが、その森の各所を断ち割って聳えているのは、ガラス張りの外壁の内側から金色の灯で闇を照らし出した何棟もの……高層ビルだった。

 

「ハアハアハア……」

 その森の中、黒く湿った木肌を蒼白い光で照らしながら、苦しげな声を上げて地面に横たわった一人の女がいた。

 女の姿は異様だった。

 スラリと伸びたその手足は、白銀色に輝いた蛇のような微細で美しい鱗に覆われていた。

 鱗に隠された形の良い胸部の中央は、何か刃物を突き立てられたのだろうか。

 銀色の鱗が無残にザックリ割られていて、その創口からは銀色の鱗の輝きとは異なる、緑色の燐光が漏れ出している。

 鱗の及んでいない胸部から上。女の露出した肌と整った貌は、まるで磨き上げられた氷の様な、滑らかな蒼白だった。

 女の瞳はまるでエメラルドのような深みのある緑色。

 女の髪は炎の中心の様な輝く青色。風も無いのに闇夜に揺らめいた半透明のその髪の間を、パチパチと紫色の火花が散っていた。

 そして、女の背中から広がり、まるでマントの様に彼女の全身を覆って行るのは、水晶柱の様な翼支から放たれた紫色の光の被膜のような、優美な6対の翼だった。

 

「ここは……人間世界。墜ちて来たのか……!?」

 ふらついた足取りでその場から立ち上がった女は、不安げな表情で辺りを見回す。

 スウウ……。奇妙な事が起きた。

 女を取り囲んだ周囲の木々。辺りの景色が急速に薄らいで、消えてゆくのだ。

 代わりに周囲に立ち現われてゆく、灰色のアスファルト。先程まで茂っていた樹木とは比較にならない程細々とした街路樹。外灯。信号機。自動販売機……。

 人間世界の街並みだった。


「ぐうう!」

 不意に女が自分の胸を押えて、苦しげに呻いた。

 ボオオオ……。女の身体から、蒼白い炎が噴き上がった。女の全身を舐めてゆく炎が、女の姿を変容させていく。

 揺らめく半透明の髪は艶やかな漆黒に、白銀の鱗は滑らかな乳白色の肌に、氷の様な蒼白の貌には人らしい血の気が通い、6対の翼は全身を覆った雪のような純白のローブに……。

 

あの剣(・・・)のせいで、魔王の身体(・・・・・)を保てない……!」

 自身の両手を見つめて、女の整った貌が恐怖に歪んで行った。


「イヤだ、イヤだ。こんなカラダ。こんな場所……。はやく吹雪の国へ……私のお城(・・)へ……!」

 女が混乱した様子で夜空を仰ぎ、ふらふらとした足取りで何処かに向って歩き始めた、その時だった。


 ハサハサハサ……

 掠れた音を立てながら、女の視界にチラチラと黒い影が瞬いた。


「信じられない……! 『裂花の晶剣』を、自身の内に封印してしまうなんて……!」

 女の耳元で、鈴を振るような声。

 次の瞬間、ザザアア……


 女の眼前に飛来した何百頭もの黒翅の蝶。

 そして蝶の形成した黒い影の塊の中から立ち現われた人影があった。

 少女だった。夜風に靡いた長い黒髪。身に纏ったビロードのワンピース。黒珠の瞳。朱をさした様な唇。雪の様な肌。まるで人形の様な貌……。


「お前は……!」

 少女の姿を認めて、女の貌が怒りに歪んだ。


「リーリエ! 闇の森のリーリエ! お前があんな真似を……!」

 両肩を震わせて、女は少女を睨みつける。


「魔王シュライエ。なぜ、そこまでして大接界を防ごうと……。それにその姿。どうやらあなたも……」

「やめろぉ!」

 女に答えず、淡々とした様子でそう続ける少女に、女は堪りかねた様子で掴みかかった。


「教えろ! 接界点の場所を。まだ残っているはずだ! 帰せ! 私を吹雪の国に、みんなの処に……!」

 少女を掴み上げ、怒りに任せてそうまくし立てる女だったが、次の瞬間、


「グッ!」

 女の言葉は少女に遮られた。

 少女に迫った女の貌のその口元に、朱をさした様な少女の唇が重ねられていたのだ。

 ツ……。女の口許から喉元を一筋伝ってゆくのは、甘く腐った果実のような匂いを放った、真っ赤な血。少女の血だった。


「う……ん……ぁ……」

 少女に血を含められた女の全身が、急速に弛緩し、その瞳が散大してゆく。

 少女から貌を離すと同時に、女の身体はまるで糸の切れたマリオネットのように路面に横たわっていた。


「眠るがいい『魔王シュライエ』……。魔影世界最強格を誇った吹雪の女王も、己が世界を追われればかくも脆いか。その名も、原初のもの(・・・・)ではあるまい……?」

 昏倒した女……シュライエの姿を睥睨して、少女は冷たい目でそう呟いた。


「氷の城に閉じこもり、人形のような家臣に傅かれ、他の魔王たちと空虚な権勢を競い合うは、さぞや大切な慰みであったろう。だが……」

 少女の声は冷然。


「もはやお前の望みは叶わぬぞ。大接界は止められない。お前には罰を与えよう。巷間で人に塗れるという罰を……」

 シュライエの頬を撫で、少女は彼女の耳元にそう囁きかけた。


「とは言っても……」

 少女は忌々しげにシュライエの身体をまさぐった。


「この身体。剣の力と完全に一体化している……もう外側から封印を解くことは適わないか……!」

 その時だ。クン、少女がシュライエから貌を上げて、冷たい風の吹き抜く夜の空を仰いだ。


「来たか……」

 ヒイィィィィィン……。

 少女の視線の先には、暗い夜空を切り裂いて地上に向って落下してくる、奇怪な蒼黒い炎の塊があった。

 数瞬の後、ズドン! 凄まじい爆音が辺りの空気を震わせた。

 昏倒したシュライエと少女のすぐ傍に落下した火の玉が、アスファルトを砕き、車道を抉った。、

 

「シュライエ……。なんて姿に……!?」

 車道に穿たれたクレーターの真ん中から立ち現われたのは、銀色の蓬髪を靡かせて、黒銀色の鱗鎧(スケイルメイル)で分厚い胸板を覆った、身長2メートルは超えていそうな壮漢だった。


「お待ちしておりましたバルグル……」

 そう言って、男に一礼する少女。

 男は、獣王バルグルだった。


「くっ! リーリエ。剣は、『裂花の晶剣』は……!」

「はいバルグル。剣はまだシュライエ様の内に……」

 苛立たし気に昏倒したシュライエを見下ろすバルグルに、少女もまた厳しい声でそう答えた。


「シュライエ。あと少しという時に……。こうなれば……!」

 バルグルは怒りに燃える目でシュライエを睨み、その右手から再び蒼黒い炎が噴き上がった。


「こいつの内から、無理やりにでも……!」

 バルグルがシュライエを掴み上げ、その胸元に自身の燃える拳を押し当てようとした、その時だった。


「おやめなさいバルグル!」

 凛然と響いた少女の声。


「剣の力はシュライエ様と一体化しています。外から取り戻すことはもはや適わない。それに……」

 少女は、すでに薄らぎ、街路の端々に僅かばかりの名残りを残した黒い森を見回して呟いた。


「既に接界の頂は過ぎました。今シュライエ様を殺めて剣の力を解放しても、もう大接界は果たせません。それどころか……」

 シュライエを見下ろし少女は続ける。


「『大天使の力』は儚く移ろいやすい。解放された力が次に剣の姿を取ってこの世に顕現するまで、あとどれほど待たねばならぬか……それすら定かではないのです……」

「ならば、大接界はもう……」

 少女の言葉に、バルグルは無念の呻きを漏らしたが、


「いいえバルグル。私に考えがあります」

 少女は獣王をまっすぐ見据えて、そう答えた。


 次の瞬間、ハサハサハサ……

 掠れた音を立てて、少女の真っ白な掌の内から、小さな影が瞬いた。


「これなるは我が分身。『リーリエの胡蝶(コチョウ)』」

 掌の上で踊る一頭の黒翅の蝶を見つめながら、少女は妖しく微笑んだ。

 蝶は少女の周囲をひとしきり舞うと、少女の髪にとまり、再び少女の内に溶け込んでいく。


「この蝶を我が精髄としてシュライエ様に注ぎましょう。蝶は魔王の身の内を巡り、剣の力を撚り集め、いずれはシュライエ様の子として、この世に……」

 そう言って少女は、シュライエの上体を抱き上げると、朱をさしたような自身の唇を、シュライエの喉元へと寄せて行った。


「……ぐっ!」

 シュライエに対して少女が次にとった行為に、バルグルは思わず嫌悪の嗚咽を漏らし、重なり合う二人の姿から顏を逸らした。

 シュライエに突き立てられた少女の牙、少女の身の内から魔王に挿し入れられてゆく異物から……。


「これでよい。時が満ちるのは15年後、次なる接界の頂。それまでは……」

 シュライエから貌を上げて、少女はバルグルを向いた。


「バルグルよ。いまさら獣の谷には帰れますまい。あなたは人の世を巡りなさい。いずれはあなたが治める者たちの世です。そして私は……」

 自身の腕の内で眠るシュライエの貌を見据えて、少女は続ける。


「シュライエ様の身体は私が預かりましょう。人の世で、然るべき場所を探しましょう。剣の力を宿した我が分身。魔造生物(ホムンクルス)の器が(かたち)を成すまで……!」

「ふん。リーリエ、信じてもいいんだな……?」

 少女の言葉に、バルグルは複雑な顏でそう呻いた。

 バルグルの頭上に王冠のように頂かれたヘラジカの角が、銀色の蓬髪の内に縮み、消えて行く。

 バルグルの胸元を覆っていた黒銀の鱗鎧は、真っ黒な革製のロングコートへと変貌して行く。

 獣王が人の姿に変じたのだ。

 その時だった。


「なんだ……何か来る! 力持つ者が……!」

 ザワワ! 少女の黒髪がざわめいた。


「人間の……戦士か!?」

 人の姿に変じたバルグルもまた、斧を構えた。


「ここで事を荒立てるのはまずい! バルグルよ。あなたはいったん退きなさい。あとは、この私が!」

 何かを察したのだろうか、少女はバルグルにそう言い放つと、一拍おいて、


「キャアアア……。誰か、誰か、お助けを!」

 絹を裂く様な悲鳴を上げた。


「あれは……!?」

 少女の悲鳴を聞きつけたのか、消えゆく森の幻の向こうから、一人の男が少女とシュライエ、そしてバルグルの方に駆け寄って来る。

 銀色に輝く日本刀を携え、精悍な顏立ちをした眼光鋭い一人の若者だった。


  ###


 これが、私とその男、秋尽キョウヤとの出会いだった。

 魔王シュライエ、後に秋尽コダマと名を変える彼女とキョウヤの出会いもこの時から。

 重なり合った偶然がキョウヤとコダマを惹きよせて、私もまたコダマとともに秋尽の家に身を寄せることになった。


 コダマの内から私の剣を取り戻すための布石。キョウヤとコダマは私の計画の踏み台にすぎない。その筈だった。

 だがキョウヤと彼の母ユウコ、そして私が記憶を奪い去ったコダマと過ごしたあの時間。

 二界を超えて人と魔とが愛し合い重なり合ったあの館での憩いの時は、もう何万サイクルになるのか、それすら定かでない私の彷徨、辛苦に満ちた私自身の旅路の中でも、忘れがたい大事な記憶になっていったのだ。

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