刹那の灰刃
………ジジジ……ジジ……ジジジジ………
「コウ……。お前、無事だったのか! でもその恰好は……!」
「へへ。大したことねえよシュン。それにしても……」
病院の廊下だった。
学校での戦い。バルグルの振った斧による校舎の破壊に巻き込まれたのだろう。今シュンの前に立っているのは、傷を負った親友の時河コウだった。
自販機の前、自由の利く左手でたどたどしく小銭を入れようとしていたコウ。
上半身を包帯で覆われ、右手にギブスを嵌めた彼の姿に、シュンの胸に千切れそうな何かが込み上げて来た。
目頭がジワリと熱くなり、再び流れ出そうになる涙を目の前の親友にだけは見られまいとして、慌てて袖で顔を拭った。
「あの話。本当にホントだったんだな。お前がバケモノと戦ってるって……」
「コウ……。ごめん!」
驚嘆の面持ちでマジマジとシュンを見つめるコウに、シュンは深々と頭を下げた。
「こんなつもりじゃなかったんだ! でも、みんなに怪我させて、傷付けて、戦いに巻きこんじまって、ルナにもお前にもこんな思いを……!」
「やめろよシュン!」
口から溢れる謝罪の言葉と共に、強烈な悔恨の思いがシュンの胸を締め上げたが、コウは困惑した表情でシュンの言葉を制した。
「お前は、みんなを守ろうとしたんだろ。そのために頑張って戦った。そんなこと、見てりゃわかるさ……」
震えるシュンの肩に左手をかけて、コウはシュンにそう語りかけた。
「それに、学校を覆ったアレ、お前の力なんだろ。ニュース見てて気づいたんだ。お前が学校を支えて、みんなの命を救ったんだな……」
「コウ。うぅ……ごめん。ありがとな……!」
堪えきれず、顏を伏せたシュンの目から再び涙があふれてきた。
学校全体を覆って校舎の倒壊を防いだ薔薇の蔓と氷が、死力を尽くしたシュンの業だったことを、親友のコウは解ってくれていたのだ。
「そんなことよりさ、シュン……」
頭を上げ、袖口でクシャクシャと自分の顏を拭うシュンを見つめて、コウの口調が暗くなった。
「あいつと……ルナと連絡が取れないんだ。携帯にも、あいつの家にもさ……」
「ルナが……!?」
コウの発した言葉を聞いて、シュンの全身が総毛だった。
藤枝ルナ。
一瞬シュンの脳裏をよぎるルナの貌。
憎しみに燃えた真っ赤な瞳。
まるで死人のような蒼白の肌。
シュンを刺した短刀。骨片のような爪先から放たれた糸。シュンの腕を引き千切ろうとした、魔物の糸……。
シネ……シネ……シネ……!
耳元でルナの囁き声が聞こえた気がした。
右腕に走る激痛。焼けた鉄棒を押し込まれたような胸部の痛み。全身に広がる痺れ……!
「ぐうう!」
不意に何かを思い出した気がして、シュンは我知らず苦悶の声を上げた。
「シュン。頼みがあるんだ」
苦しげに息をするシュンの異変に気づいていないのだろうか?
コウは、何か切羽詰まったような表情でシュンにそう話しかけてきた。
「ルナの事が気になるんだ。あいつ、昨日からあんなだったろ? お前にこんなこと頼むのは酷いことだってわかってる。でも……!」
シュンを見るコウの目が真剣だった。
「シュン。ルナを許してやってくれ。あいつだって、心の中では解ってるはずなんだ。本当に悪いのは、お前なんかじゃないって……。ただ目の前の誰かが悪いと思いたいだけなんだ……。だから、ルナを探して、あいつを守ってやってくれ……!」
「コウ……!」
今度は、コウの方がシュンに頭を下げた。
シュンは暫し、コウにどう答えてよいかわからずに固まっていたが……
「わかった。コウ」
短い沈黙の後、シュンはコウを向き口を開いた。
「あいつは……ルナのことは俺が探すから。何かあっても、絶対にあいつは守る。だから、お前はその、安心して怪我治してろよ……」
「シュン……。すまない、ありがとな!」
シュンの言葉に、今度はコウの方が涙声になった。
「ルナ……」
コウの肩に手を添えながら、シュンは沈痛な面持ちで廊下の窓から外を眺める。
新宿では獣王バルグルがシュンを待ち構えている。
人質に取られているのはメイの祖母ユウコ。
メイの行方は知れない。そしてシュンを刺したルナもまた……。
問題は山積みで解決できる見通しもまるで立たない。
でも、それでもやらなければ。
自分のこの剣で、この力で、メイを、ルナを、みんなを……
………ジジジ……ジジ……ジジジジ………
#
「………! ………! シュン!」
遠い所から、シュンの名前を呼ぶ声が聞こえる。
あの声は……メイ?
あいつ、戻って来たのか。よかった……
闇の中から微かに響く聞き覚えのあるその声に、シュンはボンヤリとそんな事を考えていた。
シュンは何処とも知れない闇の中を漂っているようだった。全身が痺れて、もう何も感じない。
「シュン! シュン! シュン!」
シュンを呼ぶメイの声が、徐々にその大きさを増してゆく。
と同時に、身体から痺れが引いていき、右腕と左胸に徐々に甦って来る……熱さと、痛み!
「うおあ!」
シュンは目を開けた。
空の青と雲の白の眩しさがシュンの視界をつきさして、次の瞬間、
「シュン! 大丈夫!」
空と雲を遮って彼を覗き込んだのは、見覚えのある貌。泣きそうな緑の瞳。
「メイ!」
シュンは彼女の名を呼んだ。
新宿第一都庁舎の屋上、シュンの半身を抱きかかえて彼の名を呼んでいたのは、リートに連れ去られて姿を消していた秋尽メイだったのだ。
夢を見ていた。病院でのコウとの夢。
ルナの毒針に刺されて、どれくらい意識を失っていたのだろう。
全身が熱っぽく、まだ手足に痺れが残っているが、身体は動く。
「戻って来たのか。メイ!」
「うんシュン、シュンも無事でよかった!」
緑の瞳から涙を流しながら、メイがシュンを抱きしめた。
メイの肩を抱くシュンの目からもまた安堵の涙が零れた。
「そ……それよりさメイ……」
「ちょっと……シュン!」
シュンはふらつく足でヘリポートから立ち上がった。
すかさずシュンに肩を貸すメイ。
「あいつは? ルナは? 藤枝ルナは無事なのか?」
ルナとの戦いのすさまじい苦痛が生々しく甦って来る。
シュンを殺そうとして、止めに入ったバルグルと対峙したルナ。シュンの意識はそこで途切れていた。
「うう……シュン。ルナちゃんは……!」
メイは、何か見たくないものを見るように貌をそむけながら、都庁舎屋上の一角を指差した。
「あ……ああ!」
メイの指さす方を向き、シュンは愕然として呻いた。
ヘリポートの上で唸りを上げるているのは傷付いた獣王バルグル。そしてその獣王を見下ろしているのは、シュンがこれまで見たこともない、異様な怪物だったのだ。
#
「許さんぞ……許さんぞ……何故貴様が生きて此処に……!?」
バルグルは傷付いた自身の胸板を押えながら、怒りに燃える目で眼前の怪物を睨み上げていた。
魔物に変じたルナ。そして彼女に止めを刺そうとした寸前、獣王を刺し貫いていたのは、ルナの胸から飛びだした奇怪な灰色の槍だった。
ゾワゾワゾワ……次の瞬間、彼女自身の意志とは無関係に、ルナの半身が膨れ上がった。
その体躯は獣王の身体の更に数倍。全身を覆った真っ黒な剛毛。図太い八本の脚。鋭い爪先。紫の複眼。巨大な黒蜘蛛の頭部から獣王を睥睨する、灰色の奇怪な老人の姿。
バルグル自らが魔影世界で葬ったはずの仇敵。
牙蜘蛛一族の長。魔王マガツの姿だった。
「イヤだ……イヤだ……こんなの……イヤだ……!」
その魔王の蜘蛛の胴体、黒くて毛むくじゃらの頭胸部の片隅に張り付いた、白い半身。
魔王の槍に衣服を裂かれ、剥き出しになったルナの上半身だった。
ルナの下半身、腰からは大蜘蛛の胸部と結びつき、一体化しているようだった。
ルナの色を失った唇からから漏れる譫言のような呟き。両の頬を伝う血の色の涙。
ルナは自身の身体に生じた悪夢のような変化に、呆然自失のようだった。
さらにおぞましい事に、ルナの変貌は進行していた。
ルナの白い裸身が、ゆっくりと、だが確実に蜘蛛の身体の内に沈んでいくのだ。
巨大な黒蜘蛛の肉体が、ルナの身体を取り込んでゆく!
「愚かな獣王よ。黒獅子城で我を引き裂き、滅ぼしたつもりでいたのであろう? だが……」
槍を構えた大蜘蛛マガツが、傷ついたバルグルを見下ろし嗤った。
「お前の粗末な頭で我を測れると思うなよ? 我が一族は個にして全。全にして一。我が息子たち……牙蜘蛛の兵士の肉体の全てが我が魂の器となる。三千世界より我が一族の血脈が絶たれぬ限り、この魔王マガツは永遠に不滅なのだ!」
「馬鹿な、牙蜘蛛の全てが……お前の肉体だと……!?」
しわがれたマガツの声に、獣王は驚愕の呻きを漏らした。
純粋な強さでは自身より数段劣ると踏んでいた牙蜘蛛の魔王マガツの身体には、獣王には思いも及ばぬ秘密があったというのだ。
ボオオオ……。獣王の右手から蒼黒い炎が噴き上がり、銀色の蓬髪が再び幾本もの銀色の刃に変じてゆく。だが……
「ぐっ!」
バルグルが苦悶の声を上げてコンクリートに片膝をついた。
右手から噴き上がる炎の勢いが急速に減じてゆく。銀色の刃は脆く崩れ落ち空中に四散する。
「無駄だ。このフリーゲの槍は魔気を吸い命を喰らう。貴様の命運もここまでよ」
勝ち誇ったマガツがしわがれ声で嗤いながらバルグルに槍を振り上げた。
「残念だったなバルグル。吸血鬼に籠絡され二界の王たらんとした愚昧な獣の王よ。だが大接界の果てに世に満ちるのは、この魔王マガツ。我が力、我が一族よ!」
#
「信じられない。人に注がれた自身の『精髄』を介して、魔影世界の隠の洞からこの場に顕現したというのか? 魔王マガツ。一族の全てが彼の『予備』になることは知っていたが、まさかあのような業まで……!」
都庁舎北塔。屋上の縁に立ち南塔での戦いの行方を眺める夜白レイカは、苛立たしげにそう呟いた。
「まずいな……。大接界の後の治世、獣の王になら任せてもよいと思っていたが、戦いを収めるのが『あの者』となると……!」
レイカは形の良い眉をひそめる。彼女の朱をさしたような唇が、厳しく結ばれていた。
「策を講じねば。次に剣を取るのはやはり……」
#
「バルグル! ルナ! くそ! いったいどうすれば……!」
思いもよらぬ方向に転じたルナとバルグルの運命の行方に、シュンは焦燥の声を上げていた。
ルナの身体を襲った恐ろしい変容。現れた謎の怪物。窮地に立つ獣王バルグル。
そしてシュンの緑の瞳にははっきり映っていた。刻一刻、巨大な黒蜘蛛の肉体に取り込まれてゆく、小さなルナの身体を!
「くそ!」
「あ、シュン、だめ!」
ルナの制止も聞かず、我知らずシュンは駆けだしていた。バルグルのもとへ、黒蜘蛛に変じたルナのもとへ。
間に合うだろうか、シュンの力はルナを救えるだろうか。考える前に、すでに身体が動いていたのだ。
その時だ。
「うわあ!」
ボオオオオ……。突如シュンの前に噴き上がった黒煙と真っ赤な炎。熱気に全身を叩かれて、シュンは思わず顔をそむけた。
#
時刻は数瞬遡る。
「ユウコさん!」
「シーナさん!」
炎の輪に変じた黒犬たちに包囲されたユウコに気づいて、シーナは彼女の元に駆けていった。
「寄るな、人間!」
ユウコを取り囲んでいた炎の円陣が一際激しく燃え上がり、仔牛ほどもある三匹の黒犬の姿に変じる。
「くっ! どきや、犬ども! ユウコさんを返せ!」
燃え立つ炎のような紅髪を震わせて、シーナが犬たちに錫杖を構えた、だがその時だった。
「クラーレ、ナーゼ、なんだあれは……!」
「あれは牙蜘蛛マガツ……!」
「大変だ、バルグル様……!」
時を同じくして主君のバルグルを襲った異変に気付いて、黒犬たちが狼狽の次々と声を上げた。
「なんやあれ!」
シーナもまた驚きの声を上げる。
突如現れた巨大な黒蜘蛛。あの強大な獣王バルグルが、槍に刺し貫かれ、膝をついている!
「お助けせねば!」
黒犬たちが一斉に炎と黒煙を噴き上げて、バルグルを襲った黒蜘蛛のもとに駆け出そうとした、その時だった。
「ファング。クラーレ。ナーゼ。お待ちなさい!」
凛としたユウコの一声が、黒犬たちを制した。
「人間が俺たちの名前を……!」
唖然とした黒犬たちの動きが一瞬止まった。
「おさえてるんか!?」
シーナもまたユウコを向いて感嘆の表情。
「どうやら状況が変わったみたいね。あなたたちはあなたたちの主を……バルグルを救いたいのね。ならば……」
ユウコが落ち着き払った表情で犬たちを見回した。
「手助けをするわ。私たちにも助けたい者がいるの。取引をしましょう……」
「人間が手助け……、取引!?」
ユウコの申し出に、犬たちが戸惑いの声を漏らした。
#
「死ね! 獣王!」
牙蜘蛛マガツが、灰色の槍を再びバルグルに突き立てんと振り下ろす。
「終わらねえぞマガツ!」
マガツを睨み上げる獣王の灰色の瞳がギラリと光った。
刹那、獣王の右手を再び包みこんでいた蒼黒い炎。片膝をついたバルグルが大きく上体を捻り、拳を握り、渾身の溜めを作った。その時だ!
「グアウ!」
咆哮と同時に、灰色の老人の乗った巨大な黒蜘蛛の頭部に、真っ赤な火の玉が命中した。
「なに!」
槍を引き、驚愕の呻きを上げるマガツ!
ボッ! ボッ! ボッ!
攻撃は止まない。黒蜘蛛の頭部に、図太い脚に、膨れ上がった腹から次々命中する炎と黒煙の塊!
「兄弟!」
「ちっ! 黒犬どもか……!」
驚きの声を上げるバルグルと、忌々しげに辺りを見回すマガツ。
「バルグル様!」
「クラーレ! ナーゼ!」
矢継ぎ早に黒蜘蛛の身体に命中した炎と黒煙がバルグルの前に集うと、二匹の黒犬の姿を形成する。
「愚かな、犬どもが何匹集まったところで、このマガツに勝てるとでも……」
黒犬たちを見下ろして哄笑を浴びせる牙蜘蛛だったが、
「犬だけじゃないぞ!」
そのマガツの頭上から、そう叫ぶ者がいた。
「あれはファング、そして……」
バルグルの灰色の瞳が驚愕に見開かれた。
「シュン!」
マガツの頭上。黒蜘蛛の巨体の上空まで高々と跳躍していたのは黒犬兄弟の長兄ファングと……その背中にまたがったシュンだった!
「くっ!」
マガツが頭上の犬を睨み、自身の槍を構えなおした、次の瞬間、
「人間、あとは自分で始末をつけな」
ファングは背中のシュンに一言そう唸ると次の瞬間、ゴオオ!
他の兄弟たちと同様、火の玉と黒煙に変じて黒蜘蛛の頭部に乗った灰色の老人に躍りかかった!
「ああ、わかった!」
空中に放り出されたシュンが、黒蜘蛛の毛むくじゃらの胸頭部に着地した。
そして……。
「ルナ!」
「如月……シュン!」
黒蜘蛛の胸部の片隅、黒い剛毛の合間にジワジワと取り込まれてゆくルナに、シュンは自身の左手を差し出した。
「あいつ……あの時と同じだ。女を……仲間を助けるつもりか!?」
自身の黒犬たちと連携して牙蜘蛛に飛びかかったシュンの真意に気づき、バルグルは再び驚嘆の声を上げた。
#
「イチかバチかや……シュン、頼んだで!」
「シュンくん……」
ユウコを非常口まで誘導しながら、シュンの戦いに目を遣るシーナ。
ユウコもまた祈るような表情でシュンの方を見た。
「シュン……どうして、そこまでして……」
ヘリポートに佇むメイが、不安そうな貌でシュンを見つめる。
ルナに手を差し伸べるシュンの姿を映して、メイの緑の瞳が冷たく輝いていた。
#
「さあルナ、行こう。みんなの所に帰るんだ……」
「シュン……。どうしてここまで? それに駄目よ、もう私……」
シュンの呼びかけに気づいて、シュンの姿を認めて、ルナは弱々しくシュンにそう答えた。
ルナの真っ赤な瞳には悔恨の光が宿り、両の頬を止めどなく流れるのは血の色をした涙だった。
すでにルナの身体は、剥き出しになった胸のすぐ下まで黒蜘蛛の肉体に浸食されていた。
あと一分もしないうちに、ルナは完全に蜘蛛の内部に飲み込まれてしまうだろう。
「人間の小僧か……女を助けようというのか?」
矢継ぎ早に飛びかかる黒犬ファングの攻撃を槍で捌きながら、灰色の老人がシュンとルナの方を向いた。
「無駄なことだ人間。ひとたび我が精髄を受け入れた者は、絶対に我が力から逃れることはできぬ。このまま我が肉体の糧となるのだ……!」
牙蜘蛛マガツが嗤う。
だが……
「できるさ……あいつと……コウと約束したんだ。絶対に、ルナを守るって!」
腹の底から絞り出すような声で、シュンは叫んだ。
ズブリ。次の瞬間、シュンの右手の水晶刀が、毛むくじゃらのマガツの胸頭に突き立てられると、
ザワザワザワザワ……
シュンの全身から伸び上がった輝く緑の蔓が、ルナの身体に巻き付いてゆき、次いで、剛毛に覆われたマガツの身体に食い込んでゆく!
「なんだと!」
灰色の老人が狼狽の声を上げた。
#
「発動した。『刹那の灰刃』……!」
都庁舎北塔のレイカが、興奮の面持ちで鈴の音のような声を上げた。
レイカの切れ長の目は大きく見開かれ、黒珠の瞳の奥に映るのは、剣を握ったシュンの姿。
その白磁のような頬が、今はうっすらと薔薇色に染まっていた。
「滅魔の力など剣の添え物。人と魔を分かつ……それこそがあの剣に備わった真なる力。あの忌まわしい『裂界』を引き起こした大天使の剣……!」
レイカの声に滲むのは、怒りと、怨嗟と、そして狂おしい渇望の色。
自身の白魚のような手を見据えて、レイカは呟く
。
「やはり、やはりあの剣は、我が手にこそふさわしい……!」
#
「人と魔を……分かつ剣だと……!?」
時を同じくして、牙蜘蛛マガツもまた焦燥の声を上げていた。
シュンの身体から放たれた蔓が、ルナに巻き付き、マガツに食い込み、ルナの上体を、次いで下半身を……大蜘蛛の身体から引き剥がしてゆくのだ!
「やめよ! 許さぬ!」
灰色の老人が声を荒げた。両の眼下にチカチカと瞬いた虫の複眼のような目が、恐怖の色を湛えていた。
「消えよ人間!」
マガツの上体がシュンの方を向き、灰色の槍をシュンの脇腹に突き立てた。
「グウウ!」
シュンが呻く、口から血が溢れる。
それでも蔓の勢いは止まらない。剣の輝きが増してゆく。
次の瞬間、
「ルナ!」
「シュン!」
シュンの蔓が、ルナの身体を蜘蛛の肉体から完全に引き離した。
勢い余ってマガツの身体から落下するシュンとルナ。
緑に輝く薔薇の蔓に包まれたシュンと、一糸も纏わぬ姿になったルナが、ヘリポートのコンクリートの上に転がった。
「ルナ……! ルナ……! 大丈夫か!?」
「シュンくん! シュンくん! わたし、わたし……ごめんなさい!」
剣の力を使い過ぎたのか、再び動けなくなって弱々しい声を上げるシュンに、ルナは縋りついて泣いた。
真っ赤だったルナの瞳が、今は元の色に戻っていた。頬を伝った血の色を洗い流すように、ルナの目から澄んだ涙が溢れ出していた。
だが、その時だ。
グワリ。シュンとルナの頭上にかざされる黒い影、毛むくじゃらの図太い脚。
「我が肉体を愚弄したな人間……! 許さん!」
牙蜘蛛マガツが怒りに燃える目でシュンとルナを見下ろしていた。
グン。真っ黒な鋭い爪の生えたマガツの脚が、シュンとルナとに振り下ろされた。




