ルナの変身
「ユウコさーーーん!」
都庁舎の上空。光の翼を撓わせたシュンがユウコとバルグルの立つ屋上ヘリポート目がけて突進する。
「来たかシュン!」
バルグルはシュンを見上げて獰猛に笑った。
次の瞬間、ザワザワザワ……。
獣王の銀色の蓬髪がざわめき、波打つと陽光を反射させた幾本もの銀色の刃のようなものに変じた。
ビュン! ビュン! ビュン!
風を切り、バルグルの頭部から空中のシュンに向って発射された獣王の刃!
「やあー!」
シュンが右手の剣を振る。
と同時に、シュンの身体を覆った薔薇の蔓。
蔓は幾筋もの輝く緑の鞭になり、シュンに向って飛んでくる獣王の刃がシュンの身体に到達する前に次々に弾き、打ち払っていった。
「届かないぞバルグル!」
シュンが眼下の獣王を睨んで雄叫び上げる。
だが……
「甘い!」
バルグルがニヤリ。
途端、ギン! ギン! ギン!
シュンが討ち払った銀色の刃が瞬時にして膨れ上がると、そのまま空中で爆ぜた。
「うああああ!」
さながら微細な金属片と化した獣王の刃が、薔薇の鎧の合間を縫ってシュンの全身を貫く。シュンの光の翼を引き千切る。
翼を失い、ヘリポートに向って落下するシュンに、
「どうだ、その刃もまた俺の一部。油断したなシュン!」
バルグルの斧が狙いを定める。
「ぐうう!」
全身を貫く痛みに苦悶の声を上げながら、シュンはどうにか右手の剣を構えなおした。
バルグルの、二の打が来る。
「これで、終わりだ!」
「がああ!」
ヘリポートに激突する寸前のシュンに、バルグルの斧の横薙ぎが来た。
ガキン! 刃のぶつかる音。
シュンの構えた水晶の刀身が、かろうじて獣王の斧を受けた。
ヘリポートの接地面と水平に吹き飛ばされるシュンの身体。
シュンがそのまま屋上の外まではじき出される、と思われた、だがその時!
ザザザザザアアア……
シュンの身体から伸びた無数の蔓が、ヘリポートのコンクリートに食い込み、絡み付いてゆく。
蔓の制動で、どうにかこの場に留まるシュンの身体。
「ユウコさん、逃げて!」
間髪入れず、シュンの身体が跳ね上がる。
自分の身体を検める間もなく、シュンはユウコにそう叫び、次いでバルグルを睨んで刃を構えた。
「シュンくん……駄目だ、彼が居ては……」
ユウコは驚愕の面持ちでシュンを向く。
先ほどバルグルに向けてかざした奇妙な木片を、ユウコはそっと懐にしまった。
「ようシュン。昨日よりも、更に出来るようになったか……だが……」
バルグルがニヤリと笑って、シュンのもとに歩を進める。
「敗けねえよ!」
「バルグル!」
再びバルグルとシュンの刃がぶつかる。
バルグルの斧が青黒い炎を噴き上げ、シュンの剣がその冷たい輝きを増していく。
「バルグル様!」「バルグル様!」
黒犬たちもまたシュンとバルグルのもとに駆け寄ろうとするが、
「兄弟! お前たちは女を見張っていろ。こいつは俺の相手だ!」
黒犬兄弟を制する獣王。
「わ、わかりました!」
ボオオオオオオ……。黒犬たちが炎と黒煙に姿を変じた。
ユウコの周囲に、黒犬の炎の円陣が燃え盛った。
「バルグル! よくも俺たちの学校を! 許さねえ! それに、なんでユウコさんまで……!」
「ふん。『秋尽メイ』のためだ。あの男が俺の思う通りの男なら……絶対に此処に来る! それとシュン……」
刃を挟んで、睨み合うシュンとバルグル。
獣王はシュンの問いにそう答えると、
「お前と、決着を着けるためだ!」
そう叫ぶと、斧を持つ手に一際強く力を込めた。
ゴオオオオ! 斧から噴き上がる炎が更に勢いを増してゆく。
「ぐううう!」
バルグルの斧に押されるシュン。
やはりパワーでは獣王に勝てないのか、だが……
「絶対に……敗けない!」
シュンの目から、戦う意思は消えていない。
シュンの緑の左眼が冷たく輝いた、次の瞬間、
「これは……!」
バルグルが呻く。
ザワザワザワ……シュンの全身から伸び上がった薔薇の蔓が、獣王の斧に絡みつく。
斧から吹き上がる炎を、巻き取り、絡め取り、冷たく輝く奇怪な黒い氷が彼の斧に食い込んでゆく!
「やめろ!」
咄嗟の蔓を振り払い、シュンから斧を引こうとするバルグルだったが、既に遅かった。
バキン。次の瞬間、氷に引き裂かれたバルグルの斧が、内側から砕けて粉々に飛び散る。
と同時に、バルグルが斧に込めていた力がその行き場を失い、獣王の蒼黒い炎がシュンとバルグルの両方に叩きつけられた!
「うおおお!」
咄嗟に炎を振り払い、シュンから飛び退るバルグル。
「ぐっ! これは……」
シュンもまた体勢を崩して、その場に片膝を着いた。
渾身の力で放ったシュンの蔓は、シュンも予想できない形で獣王の武器を奪ったのだ。
「俺の斧……『オルカンの破城斧』を砕いた……! シュン。お前の力はやはり……!」
青黒い残り火をチロチロと灯した斧の柄を見つめて、獣王が驚愕の形相でシュンを見る。
「その面。そのナリ。そしてその力は『魔氷』……! シュン、お前はやはり、魔王シュライエの……」
「やめろぉ!」
バルグルの言葉をシュンの叫びが遮った。
シュンの心を、再び得体の知れない恐怖が満たしていた。
「魔王の力ってなんだよ!? シュライエは……メイの母さんのはずだろ? どういうことなんだよ!」
何かに縋るような思いで、シュンはバルグルを睨んで悲鳴にも似た声を上げた。
「いい加減教えろよバルグル!? お前らは、どうしてメイを狙う! メイはもう……こっちの世界の人間だろ!? 理由も分からないまま殺し合うなんて……最低だ!」
胸に溜まった不安や不満を叩きつけるように、シュンは自分の言葉をバルグルにぶつけた。
「シュンくん、いけない……!」
シュンの言葉に何かを感じたのか、ユウコが動揺した表情で彼を向くも、炎の円陣に囲まれたユウコは、それ以上そこから動けなかった。
「あ、『秋尽メイ』……あいつは……」
シュンの気魄に一瞬圧倒されたのか、バルグルがシュンに何かを答えかけた、その時だった。
「……なんだ、この匂い!」
不意に、バルグルの全身が強ばった、獣王の視線がシュンから離れて訝し気に辺りを伺う。
「ぐっ……この感じは……」
剣によって研ぎ澄まされたシュンの感覚も、獣王と同じく何かを感じ取っていた。
ピスン……ピスン……ピスン……
シュンの耳には聞こえた。か細い音と共に、ヘリポートの上空を、都庁舎の周囲を、何かが舞っている……
「何かが……来る!」
この場に近づいて来る、異様な力の気配を察して、シュンの首筋を冷たい汗が伝った。
#
「来たのね……」
東京都庁第二本庁舎の屋上の縁から、人形のような貌をした緋衣の少女のヘリポートの方を仰いでポツリ呟く。
「待っていたわルナちゃん。獣の王バルグルは偉大だが優しすぎる。あなたの力で、存分に舞台を盛り上げてもらわないと……」
屋上の縁から立ち上がり、薄っすらと少女は嗤った。
#
「あれは……糸……!?」
都庁舎の周囲を舞いながら、徐々に徐々にその濃さを増してゆくソレの正体に気づいて、シュンは戸惑いの声を上げた。
常人の目から見れば、それは都庁舎を覆ってゆく白い霞のようにしか見えなかっただろう。だが、シュンの緑の目にははっきりと映っていた。
一本一本は絹糸よりも細い奇妙な白い糸が、都庁の周辺に縦横無尽に張り巡らされてゆくのが。
そして、巡らされた糸を伝い、シュンたちの立つヘリポートに近づいて来る気配の正体に気づき、シュンの表情が凍りついた。
「ルナ!」
シュンは驚愕の呻きを漏らした。
ヘリポートに立つシュンたちを睥睨する少女が居た。
血の気のない、まるで能面のような貌。ボロボロになった聖ヶ丘中学の制服。
ツインテールに結えられた長い黒髪。陽光を反射して輝いた眼鏡の奥からはどんな表情も伺えない。
一見してその少女は、まるで地上250メートルの空中に浮遊しているようだった。
だがシュンには見えた。少女が立っているのは糸だった。どのような方法を使ったのかは分からないが、空中に張り巡らされた微細な糸を伝って、シュンのクラスメート、藤枝ルナがヘリポートの方に歩いて来る!
「ルナ……お前、無事だったのか! 何やってるんだよ、こんな所で……!」
カラカラに乾いた喉から絞り出すような声で、シュンは空中のルナにそう呼びかけた。
昨日の夜、短刀でシュンを刺し、そのまま何処かに姿を消したルナが、今、シュンとバルグルとの勝負の場にその姿を現したのだ。
ルナは無言のままだ。
「あの妖気は……! いけない、シュンくん!」
何か異変を察したのか、ユウコがシュンにそう叫んだ。
「あれは人間? だがあの魔気は……一体どういうことだ!?」
バルグルも戸惑いの表情で頭上の少女の姿を仰ぐ。
「眼鏡……もう、要らないみたい……」
「え?」
唐突にルナが発した言葉に、シュンは思わずそう訊き返した。
ス……。シュンには答えないまま、ルナが自身の貌から眼鏡をはずした。
「ああ! ルナ!」
眼鏡をとってシュンを見下ろすルナの貌を見て、シュンは悲鳴を上げた。
ルナの瞳は血の色のような真っ赤に染まっていた。
その赤い目が、怒りと憎しみを滾らせて、シュンを見据えていた。
「あの眼は……あの眼は……!」
絶望に呻くシュン。そんな瞳をしていた男を、シュンは知っていたからだ。
忘れられるはずがない。剣を手にしたシュンが初めて斃した敵。初めて殺した人間。
人狼に変身してシュンとメイを襲った殺人鬼、黒川キリトだ。
「これでよく見える……私が殺す、バケモノの顏を!」
ルナの声は、憎しみに歪んで崩れ落ちつつも、なおも回転を止めない歯車の軋みのようだった。
「何言っているだよルナ。ほら、降りてこいよ、ほら、一緒に帰ろう。学校のみんなも、コウも、待ってるからさ」
震える声でシュンはルナにそう呼びかけるが、
ス……。ルナは自身の右手をシュンの方に差し出した。
「ルナ?」
ピスン……ピスン……ピスン……
ルナの右手、すっかり血の気を失って骨片の様にも見える真っ白な爪先から、掠れた音を立てて何かが飛び出した。
「え……?」
シュンが気付いた時には、ルナの指先から発射されたそれが、シュンの右腕に絡みついていた。
次の瞬間……
「ぎゃああああああああ!」
シュンの絶叫が、辺りの空気を震わせた。
シュンの手首から、上腕から、真っ赤な血が噴き上がっていた。
激痛に耐えきれず、コンクリートの上を転がりまわるシュン。
「シュン! あれはやはり……牙蜘蛛の糸!」
自身を斃しに来た敵を見舞った思わぬ一撃に、バルグルもまた戸惑いの声を上げた。
ルナの指先から放たれてシュンの右手に絡みついたのは、都庁舎周辺に張り巡らされたものと同様の、幾筋もの微細な糸だった。
糸から分泌された、強酸性の劇物が、シュンの皮膚を溶かし、肉に食い込み、血管を切断し、そしていまやシュンの右腕そのものを千切り取ろうとしている!
「まずは右手……その剣も……」
苦痛にのたうつシュンを見下ろし、ルナの赤い眼が至福に潤んでいるようだった。
「くそ! 気に食わねえ!」
バルグルが呻いた。
ザワザワザワ……獣王バルグルの銀色の蓬髪が波立ち鋭い刃に変じると、矢継ぎ早にルナに向けた発射された。
だが……。
「ふ……」
バルグルを一瞥してルナが嗤う。
ルナの左手がバルグルの方を向くと、ピタリ。
ルナに到達する寸前、バルグルの刃が空中で静止すると、シュウシュウと白い煙を上げながら、その場で溶けて崩れてゆく!
「バケモノ……バケモノ……バケモノ……! みんなまとめて、コロシテヤル……!」
ルナが再びシュンの方を向いた。
「くそおルナ、なんでだよぉ!」
血塗れのシュンが、ルナを見あげて再び呻いた。
「あの業はリーリエのもの! 牙蜘蛛の精髄を……人に注いだのか?」
シュンの悲鳴とルナの哄笑を耳にして、何かを確信したバルグル苦々しげにそう呻いた。
「リーリエ……やはり生きている……。だがなんだってあんなマネを……! 気に入らねえ、気に入らねえぞリーリエ!」
バルグルが吠える。獣王は怒りに燃える目で周囲の空を見回しながら、この場にいない少女の名前を忌々しげに何度も呼んだ。




