シュヴェルトの仮面
「あ、サーカスのおじちゃん!」
「リートもいる!」
「おじちゃん、おじちゃん。サーカスやって!」
「リート。お話聞かせて!」
シーナとリートを乗せたトロールの引く車を、大きな耳をして毛皮に包まれた何人もの子供たちが取り囲んでいた。
「こ、これがこっちの世界の村……!」
初めて訪れる魔影世界の村の様子を、シーナは唖然とした表情で眺めまわす。
藁葺きの竪穴式住居の立ち並ぶ、猫人の村にやってきたのだ。
「ミッケ。もうサーカスは出来ないの。お話もあとよ。それよりも長老たちに伝えて。この者を、村で弔ってあげてほしいの……」
車から降りたリートが、荷台に寝かされたガングの骸に目をやった。
リートは沈痛な声で猫人の子供の1人にそう告げた。
「うん。わかった呼んでくる!」
猫人の子ミッケがそう答えると、飛び跳ねる毛玉の様に何処かに駆け去ってゆく。
と、その時。
「リート……? それにシーナちゃん!? どうしてまたココに……」
シーナにも聞き覚えのある声が、驚いた様子でリートとシーナの名を呼ぶ。
騒ぎを聞きつけて村の広場にやって来たのは、テンガロンハットを目深にかぶった精悍な顔つきの一人の男。
シュンの父、如月リュウガだった。
「リュウガさん、やっぱりココに……!」
シーナの顏に安堵の色が広がっていく。
「リュウガ、力を貸して欲しいの。メイが攫われた。それに、あなたの世界も大変な事に……」
翼の少女リートが、厳しい表情でリュウガにそう告げた。
#
「ウゴゴ……旦那、ガングの旦那ぁ……」
トロールのザックが、白木の角塔婆を突き立てた簡素な墓標の前で泣いていた。
ザックの後ろにはシーナ、リート、リュウガの3人も粛然としている。
村はずれの墓地だった。
猫人の長老たちと掛けあったリートは、この村にゴブリンのガングを葬る許しを得ていた。
「牙蜘蛛……。最近村のまわりでも、どうも見慣れない連中がコソコソしていると思ったら、そんな奴らが……!」
「そうよリュウガ。あの無法者……牙蜘蛛の連中は何かを狙って、怪盗シュヴェルトを追っていた。でもシュヴェルトは蜘蛛の追跡を逃れて、攫ったメイ連れて何処かに消えてしまった。シュヴェルトをメイまで案内したガングとは色々あったから複雑な気分だけど……。放ってはおけないでしょ?」
「優しいなあ、お前さんは……!」
蒼い眼に悲痛な光を湛えて墓標を見つめるリートに、リュウガは小さく驚きの声を上げた。
「リュウガ、私たちだけではこれ以上シュヴェルトの行方を追えないの。あなたたちの、人間の力でどうにかならない? メイを助けないと……」
「うーん……。そうは言っても、いったいどうすれば……? 向こうに戻って、ハルさんの力を借りるか、それとも……」
「リュウガさんでもやっぱり無理か。それに祖父ちゃん、あれから大丈夫やろか……」
リートの依頼に、難しい顏をして首をひねるリュウガ。
シーナも学校での戦いを思い返し、不安そうに紅髪を震わせる。
「またしても捜査は行き詰まり、か……」
シーナが金色の目を伏せて、小さくそう呟いた、だがその時だった。
「ゴブリン……。死んだのか……!?」
一同の背後から、くぐもった声。
「あ!」
「あなたは!」
振り返ったシーナとリートの目が、驚きに見開かれた。
ボオオオオ……。
一堂から数メートル先に、燃え立つ黒い炎の様な奇妙な揺らぎがあった。
その黒い陽炎の中から現れて、茫然とした様子で彼らを眺めているのは、黒いマントを纏いフードを目深にかぶった銀色の髑髏仮面。
見間違いようがない。
メイを攫った、怪盗シュヴェルトだった。
その仮面の男が右手に携えているのは、握り拳大のビロードの巾着だった。
「シュヴェルト!」
意外な場所での再会に、唖然として一瞬身動きのとれないシーナとリートだったが、次の瞬間。
「仮面の旦那……! 蜘蛛どもと揉めてることをどうして……ウゴーーー!」
シュヴェルトの姿に気づいたザックが、雄叫びを上げて彼に突進していた。
「くっ!」
とっさに身をかわすシュヴェルト。
ズシン。
勢い余ったトロールの身体が、男の背後に在ったケヤキのような巨木に激突する。
「うーん……」
頭をしたたか打ち付けたザックは、そのまま地面に昏倒してしまった。
「そうか、お前たち。牙蜘蛛につかまって……?」
トロールを向いて、くぐもった声でそう呟くシュヴェルト。
シュヴェルトが右手に下げていた袋は、彼の手を離れて地面に転がり、その中身が散らばっていた。
赤や青をした、大小無数の輝く宝石だった。
「こいつがシュヴェルト……なるほど律儀なこっちゃ。2人に『礼金』を渡すために、わざわざここまで……!」
「でも、どうしてココが!?」
シーナが鞭を構えた。
リートがレイピアを抜いた。
「盗人シュヴェルト! なぜ人間を……メイを攫ったの? 何を企んでいる!」
「人間……紅い髪……! そうかお前、比良坂の……。ならば丁度良い」
レイピアを構えてシュヴェルトににじり寄るリートだったが、彼女の問いにシュヴェルトは答えない。
髑髏の仮面は、シーナの方を向いていた。
「あん? なんでウチのことを」
シュヴェルトの言葉に、シーナが戸惑い顏で首を傾げた、次の瞬間。
「グッ!」
リートの苦しげな呻きと共に、彼女の全身が地面にへばりついた!
「リートくん!」
「リート!」
驚きの声を上げるシーナとリュウガ。
シュヴェルトがいつの間にか左手に持っているのは、黒光りした鋼の球体。
黒犬兄弟を地面に縛り付けた『グラヴィタの鋼玉』を、今度はリートに使ったのだ。
「翼人。命は取らぬが邪魔立ては無用だ。俺はこの娘に用がある。さあ渡せ、お前の剣を……」
リートを横目に、シュヴェルトがゆっくりとシーナの方に歩いて来る。
「剣? なんのこっちゃ?」
意表を突くシュヴェルトの言葉に、金色の目を見開くシーナ。
「とぼけるな、お前はそのためにココにいるのだろう。さあ渡せ、あの剣を、『刹那の灰刃』を……!」
シュラン。
シュヴェルトが苛立った様子で、腰から自分の剣を抜く。
銀色の刀身を輝かせた、一振りの日本刀だ。
「『刹那の灰刃』? ちょい待ち、なんでその名前を!?」
当惑するシーナだったが、抜き放たれたシュヴェルトの刃が、容赦なくシーナに向かって振り下ろされる!
「うおわ!」
とっさに後ずさりして、シュヴェルトの剣をかわすシーナ。
ボオオオオ……。
シーナの持った『乱魔の鞭』から、真っ赤な炎が滾った。
「剣を持っていない!? まさか、なぜ比良坂が!?」
「ふん。なんや目論見があったみたいやけど、アテが外れたな。『刹那の灰刃』は別のモンが持っとる!」
油断なく鞭を構えながら、シーナはシュヴェルトにそう答えた。
「あれは……あの刀は……」
シーナとシュヴェルトの攻防を目前にして、リュウガは驚愕のうめきを漏らしていた。
リュウガの視線の先にあるのは、仮面の男のふるう銀色の日本刀だった。
「く、仕方ない。今一度ヒトの世に……」
くぐもった声でそう呟いたシュヴェルトが、左手の鋼玉を今度はシーナに向けた、だがその時だ。
「ぐああああ!」
「な、なんや!?」
異変が起きた。
シュヴェルトが、鋼玉を取り落し、突然自分の胸を押えて苦悶の声を上げ始めたのだ。
「ぐ……こんな時に……」
1歩、2歩、シーナから後ずさるシュヴェルト。
「なんや知らんけど、チャンス……。メララちゃん、バースト!」
「くっ!」
ボオオ……。シーナが炎の鞭を振る。
跳び退るシュヴェルト。
だが空を切った炎の鞭の先端は、シュヴェルトの頭部をかすっていた。
目深に被ったフードが炎に引き裂かれていた。
銀色の髑髏の仮面に、ななめ一文字に燃え立つ亀裂が走っていた。
そして……カラン。
仮面が割れて、男の顏が露わになった。
「「な……!」」
男の異容に、シーナもリュウガも同時に息を飲んだ。
仮面の下に在ったのは、一見して人間を思わせる輪郭をしていた。
だがよく見れば、それらを構成する要素は、通常に人間から大きくかけ離れた奇怪なものだった。
眼窩にあたる場所にあるのは、大きくて真っ赤に光った、まるで巨大な昆虫の複眼だった。
二つに裂けた顎部から覗いた、これまた昆虫を思わせる鋭い牙。深緑をしたキチン質の表皮。
頭部から伸びた一対の触角。
「虫……!」
「バッタ……!」
呻きを上げるシーナとリュガ。
仮面の下に在ったのは、まさしく巨大なバッタとしか形容しようのない異様な顏だったのだ。
「うぐぐ……」
シュヴェルトがシーナとリュウガに背を向けた。
駆け出すシュヴェルト。
現れたのと同じ場所、燃え立つ黒い陽炎を目指しているのだ。
だがすかさず。
「逃がさん!」
シーナも駆け出す。
シュルン。
シーナが再び鞭を振う。
シュヴェルトが黒い陽炎に飛び込み姿を消そうとした、まさにその瞬間。
シーナの鞭が彼の左腕に巻き付いていた。
だが……
「う、わ、わ!」
シーナが引っ張られる。
小さな彼女の体では、男の動きを阻むことができなかったのだ。
そしてそのまま、
「わー!」
鞭を握ったまま、シーナ身体がシュヴェルトと一緒に陽炎の向こうに消えた。
「シーナちゃん!」
突如の変事に、リュウガも陽炎の方に駆け寄るが、
ボオオオオ……。
時はすでに遅かった。
急速に陽炎の姿が薄らいでゆく。
リュウガが駆けつけた頃には、シュヴェルトがこの場に現れた入り口は、すっかり消えうせていた。
「あの刀……。それに『刹那の灰刃』を……!」
「ううう……リュウガ、シーナが……!」
茫然と何か呟くリュウガ。シュヴェルトの術が解けたリートも、ようやく地面から起き上がった。
#
「リート……。俺は『向こう側』に戻る」
消え失せた陽炎の跡に立ち、リュウガはボソリとリートにそう言った。
「え、人間世界に? でもシーナは、メイも……」
「シーナちゃんの運命は、俺たちの手を離れた。俺たちは俺たちで、出来る事をしよう……」
不安そうにリュウガを見るリート。
リュウガもまた苦渋の表情でそう答えた。
「じゃあ、私も……」
「駄目だ、お前はココに残れ、リート」
「でも、どうして……」
「キナ臭い連中が谷に入りこんでるんだろ? お前は谷に残ってミッケやドーラ……村の連中、谷の奴らを守るんだ。それが、お前の仕事だろ?」
リートにそう答えて、リュウガはニカッと笑った。
「わかった……。その、リュウガも無事でね!」
「ああ、またなリート!」
リートに背を向け、リュウガは村はずれに構えた、自身のテントや野宿道具の一式に歩き始めた。
急いで出支度を整えなければ。
「なぜだ、何があった……?」
村の小道を歩きながら、しきりにブツブツと何かを呟くリュウガの表情は厳しかった。
「あの刀は『鬼哭月』……! ハルさんとユウコさんに会わないと……! いったい何が、どうなってるんだ!?」
#
「ううう……。ココはいったいどこなんや……!?」
頭をふりふり、シーナは冷たい床から身を起した。
シュヴェルトに引っ張られて黒い陽炎に飛び込んだ後。
ものすごい轟音と衝撃に全身を叩かれた気がして、それきり意識を失っていた。
気が付けば、シーナが倒れていたのは無色透明のまるでガラス張りの冷たい床の上だった。
立ち上がって床を見下ろせば、眼下に広がっているもの。
それは一面の暗黒。
そして彼方には宝石をまき散らしたように、白や赤や青をした無数の瞬き。
「宇宙……!?」
シーナは息を飲む。
彼女が覗き込んでいるのは、確かに星空のようにも見える。
「うおわ、こいつ!」
そして、彼女から数メートル離れた場所に倒れ込んでいるも者の姿に気づいて、シーナは悲鳴を上げた。
冷たく透明な床の上にうつぶせに倒れ込んでいるのは、あの虫の顏をした奇怪な男。
シュヴェルトがそこに居たのだ。
「シュヴェルト……死んどるんか……!?」
恐る恐る、黒衣の男に近寄ろうとするシーナ。
だがその時だ。
「お帰りなさいませ、シュヴェルト様! ……あら?」
鈴を振るような少女の声があたりに響いた。
カツン、カツン。
乾いた靴音がこちらに近づいて来る。
「また壊れてしまいましたの? シュヴェルト様。困りましたわー」
倒れたシュヴェルトに顔を向けて何やら溜息をついているのは、まっ黒なエプロンドレスにその身を包んだ、1人の少女だった。
小さな身体。齢もまだ小学校に上がるか上がらないか、それくらいだろう。
つぶらな瞳。
薔薇色の頬。
愛らしい顔。
艶やかな黒髪。
頭の上にあしらわれた、これまた真っ黒で大きなリボンが、まるで蝶の翅かなにかのようにヒラヒラ瞬いてみえる。
「いつものように、しばらくしたら直るかしら……。うん?」
シュヴェルトを覗き込んでいた少女が、今シーナに気づいた様子で、彼女の方を向いた。
「まあ、新しいお客様ですのね」
「き……君は一体、こんな場所で何を!?」
呆気に取られて少女にそう訊きかえすシーナに。
「わたくしはコチョウ。ご主人様がお戻りになるまで、このお城の一切を取り仕切る、『狭間の城』のメイドでございます!」
少女はそう答えてニッコリ笑うと、シーナ向かって優雅にお辞儀をした。




