猫人の村へ
ゴオオオオ……
日の落ちかかった御珠城址公園。
人気の無い薄暗い自由広場の草原。
その一角に、とつぜん風が巻いた。
「うううう……!」
「小僧、起きんか、小僧!」
竜巻と暗雲とともに広場に降り立ったの者。
それは輝く体毛に覆われた金色の獣人。
右腕には疲れきったシュンが抱えられている。
校庭の戦いで、レイカを稲妻で焼きバルグルに雷光の一撃を見舞った者。
竜巻と共にシュンと逃走した、ヤギョウだった。
ドサリ。
霜巨人本来の姿になったヤギョウの右脇から、シュンの体が草原に転がる。
と同時に、シュンの身長の3倍はありそうだったヤギョウの体が急速に縮んでいき、黄金の輝きも徐々にそのまぶしさを減じて行った。
再び、タヌキの姿に戻ったのだ。
「ぐ……! ヤギョウ……助けてくれたのか……」
「ああ。出来れば獣王を倒したかったが、わしの剣では、やはり及ばなかった……! この世界では4度が限度……この身の内に魔気が満ちるまで、もう剣は振れぬ……!」
苦しげな声を上げながら、どうにかその場から立ち上がるシュン。
ヤギョウは悔しそうにそう答えた。
「レイカ……あいつ、死んだのか……」
タヌキを見下ろし、複雑な表情でシュンはそう呟いた。
あの時、何の躊躇も無くシュンを殺そうとしたレイカ。
ヤギョウの稲妻に撃たれ、燃え落ちたレイカ。
結局シュンは、クラスメートの夜白レイカの事を何1つ理解できなかった。
その行動も、言葉も、目的も……。
いや、理解できないのはシュンだけではないだろう。
「うむ、手応えはあった。出来れば、捕えて目論見を履かせたかったが、そんな余裕はなかったでな……」
レイカを滅ぼしたヤギョウ自身もまた、どこか納得のいかない様子だった。
「小僧。姫様の魔気が、こちら側から消えた……」
「メイの!?」
そして、レイカの話をふっきる様にヤギョウはメイの行方をシュンに告げた。
「ああ、おそらくはあの翼人と共に再び魔影世界に……。探さねばならぬ。小僧、お前も来るんじゃ……」
「いや、ヤギョウ……」
シュンにそう告げて歩き出そうとするヤギョウだったが、シュンは苦しそうな顏で首を振った。
「メイの事は、シーナに任せた、メイにはリートが一緒だ。それに『あっち側』には親父もいる。きっと力になってくれるさ。俺は……」
シュンは意を決して顏を上げた。
「俺はこっちに残る! 学校に戻らないと。みんなを助けて、ハルさんたちと協力して今度こそあいつを……バルグルを倒す!」
シュンの意志は固かった。
学校での惨劇が、シュンの脳裏にまざまざと甦る。
ラインハルト、ホタル、母親のナユタ、それにコウやルナ……クラスメートや教師たちは無事だろうか。
メイのためにも、この場にとどまり魔王バルグルを倒すこと。
それが今のシュンには最善の選択のように思えたのだ。
「……わかった」
ヤギョウは渋々といった様子でシュンにうなずいた。
「わしは、いったん魔影世界に戻る。確かめたい事もあるでな。お前はお前の思う道を行け。だが頼む。獣王との戦いは可能な限り避けてくれ、くれぐれも慎重にな……」
「ああ、わかったよヤギョウ」
ヤギョウにそう答え、学校に戻ろうとするシュンだったが、
「小僧!」
ヤギョウが一際声を強めて、シュンを呼んだ。
「うん?」
「今一度、顏を見せろ……目を……見せるんじゃ」
不思議そうに振り返るシュンを、ヤギョウが凝視していた。
「あ、ああ……」
シュンはヤギョウに顏を向け目を開く。
左眼に流れ込んでくる膨大な視覚情報を必死で脳裏から締め出しながら、緑の目でヤギョウを見る。
「何かの……見間違いと思っておった。剣の力によるものかと……! だがその顏、その腕、白銀の鱗、緑の目、そしてさっきの氷……!」
ヤギョウは震えながらシュンを見上げる。
「何故じゃ……何故、お前の身体にまで、魔王シュライエ様の御徴が……!」
タヌキは、何か見たくないものと必死で向き合おうとしているように、腹の底から苦しげな声を漏らした。
「俺の身体に、魔王シュライエの……!?」
シュンは唖然として自身の左眼に手を遣り、白銀の鱗に覆われた前腕を見た。
#
「こ、ここが魔影世界……シュンとメイくんらの言っとった、『獣の谷』!」
「そうよ。あなたたちの街は、どうやら私たちの獣の谷と『重なって』いるのね……」
昼もなお灰暗い森の中だった。
うっそうと茂った巨木を見回しながら、翼の少女リートに先導されたシーナが驚きの声を上げている。
あの男、シュヴェルトが通ってやってきた『接界点』は御珠丘陵地帯の雑木林の中で容易に見つかった。
今、シーナとリートは魔影世界にいるのだ。
「私の鼻はあのトロールほど利かないけど、メイは翼人の笛を持っていた。その波長を辿れば……。追いかけて、メイを取り戻すのよ!」
「ま、任せたわリートくん。ここまで妖気が濃いと、逆にウチの鼻はサッパリや……」
眉をキッと寄せて森の中を進むリート。
シーナは不安そうな顔でそう応じた。
「感じる、近い。あいつら、あの茂の向こう……」
かれこれ1時間は歩いた頃だろうか。
「ん?」
ピタリ。
メイの行方を追うリートの歩みが止まった。
「どうしたんや、リートくん?」
「うそ、どうして? 笛の波長が消えた……!?」
訝し気にリートを見るシーナ。リートは戸惑いの表情で辺りを見回している。
リートの足が速まる。
「なにかおかしい、追いつかないと!」
「待ってやリートくん!」
焦燥の表情で道を駆け出すリートに、シーナは必死で追いすがる。
その時だった。
「ひぎゃあああああ!」
「ウゴー! ガングの旦那!」
道の向こうから悲鳴が聞こえた!
「あの声!」
リートが声を荒げた。
ゴブリンのガングと、トロールのザックの悲鳴だった。
#
「旦那、旦那、ガングの旦那!」
トロールのザックが、地面に倒れているシルクハットの小男にすがって泣いていた。
冷たい地面に赤黒い血の水溜りが出来ていた。
ゴブリンのガングが、胸から血を流して地面に突っ伏している。
もう、息はしていないようだった。
「しゅう゛ぇるとガ消エタダト? 適当ナコトヌカシヤガッテ……!」
「運ビ屋ガ……我ラヲ舐メテルイノカ……! 我ラカラ黒魔石ヤ流レ銀ヲセシメテオイテ、ロクナ仕事モシナカッタナ!」
「モウイイ、コノ場デ喰ッチマオウ……」
「イヤマテ、マダダ……!」
ガサガサガサガサ……
その、ゴブリンとトロールの周囲を取り囲む、蠢く黒い4つの塊があった。
仔牛ほどもある大きさの、毛むくじゃらの黒い蜘蛛たちだった。
蜘蛛の一匹の脚先から生えた鋭い爪が、赤黒く血で濡れていた。
この爪でゴブリンの胸を刺し貫いたのだろう。
「本当でさあ牙蜘蛛の旦那がた! ついさっき、俺たちとの仕事が終わったら、娘を連れて、まるで煙みたいに……!」
ガングを抱きかかえて、涙目になりながら黒蜘蛛たちにそう訴えかけるザックだったが。
「盗人しゅう゛ぇると……我ラ……イヤ我ラガ父上ノ館カラ貴重ナ魔導書ヲ盗ミトッタ罪人……」
「七年ブリニ、ヨウヤク足取リヲ掴ンダノダ、言エ! 奴ハ何処ニ居ル!」
蜘蛛たちは聞く耳を持たないようだった。
「本当に知らないんでさあ! さっきの仕事だって、商いの最中にたまたま出会って言いつかったんで! 獣の谷の姐さんの匂いを追えばいいって!」
「フン……一匹殺セバ口ヲ割ルカト思ッタガ、モウイイ!」
「喰ッチマエ!」
泣きながら弁明するザックに、蜘蛛たちが銀色の牙をカチカチと鳴らしながら、にじり寄って来た。
その時だった。
「やめなさい!」
バサア!
羽ばたきの音とともに、リートの声。
翼の少女が、蜘蛛とトロールの間に割って入った。
「チッ! 翼人カ……!」
「牙蜘蛛! 獣の谷で、無法は許さない!」
銀色の牙を鳴らしながら忌々しげにうめく蜘蛛の一匹に、シュラン! リートのレイピアが閃いた。
「ジャ――!」
とたん、ヌルヌルとした灰色の体液を噴き上げて、斬り裂かれた蜘蛛の一匹が地面に転がる!
「死ネ!」
だが次の瞬間、残る3匹の口から、まるで細いロープの様な真っ白な糸が噴き出した。
糸はリートの手に、足に、粘つく縛めになって彼女の蜘蛛と彼女を繋いでいく。
「くっ!」
リートに焦りの表情。
だが、その時だった。
「メララちゃん、バースト!」
「わかったっす、姉さん!」
ボオオオオ!
薄暗い森の中を、真っ赤な炎がはしった。
炎は次々に、蜘蛛たちの放った糸を燃やし空中で溶かしていく。
「ナンダ!」
蜘蛛たちが慌てた様子で、声の元を向く。
蜘蛛たちの背後には、銀色の錫杖を構えて、燃え立つ炎のような紅髪を揺らしたシーナがいた。
シーナが自身の魔器『扇魔の冥杖』を振って、火の精メララの炎を放ったのだ。
「オノレ!」
今度はシーナに飛びかかろうとする蜘蛛たちだったが。
「遅い!」
自由の身になったリートが矢継ぎ早にレイピアを振う。
おぞましい悲鳴とともに、蜘蛛たちの身体が次々に斬り裂かれていった。
「なんや……この気色悪い連中は?」
ジュクジュクと灰色の体液を滴らせながら地面に転がる蜘蛛を見て、シーナがうめく。
「牙蜘蛛一族……! またしてもこの獣の谷に!」
蜘蛛たちの死骸を見回しながら。
リートは美しい顔を忌々しげに歪めて、そう呟いてた。
「ウゴー! リートの姐さん、ガングの旦那がー!」
一命をとりとめたトロールのザックが、変わり果てたガングを抱きしめて慟哭した。
「ザック……」
リートはやるせない顔で、トロールを見つめた。
#
「だから、あんな連中と商売してもロクな事にならないって、あれほど言ったのに……!」
「ウゴゴゴ……だって、だって、ガングの旦那が……!」
ガランガラン……骸になった主人を荷台に乗せて、トロールが車を引いている。
車には、リートとシーナも乗っていた。
「教えて、ザック。あの男……シュヴェルトは一体何処にいったの?」
「ウゴゴ……だから姐さん、本当に知らないんでさあ……」
リートの問いかけに、涙目のガングは戸惑い顏で首を振った。
#
「人間の匂い……。お前たち『人売り』だな?」
「ええまあ、最近は散々ですがね? 旦那はいったい?」
立ち寄った村の酒場で、ガングとザックに声をかけて来たのは、その男……シュヴェルトの方からだった。
シュンたちやリートと別れて、獣の谷の国境から次の興業先を探していた二人に人の匂いを嗅ぎ取ったのか。
仮面の男シュヴェルトは獣の谷での話をガングから根掘り葉掘り聞き出すと、希少な宝石をガングに手渡し彼にある仕事を持ちかけたのだ。
彼らが人間を集めていた接界点まで男を案内すること。
彼らが出会ったという人間の子供を生きて捕まえることが出来れば、更に倍の宝石を渡すと。
こうしてノコノコと獣の谷に戻って来たガングは、いやがるザックをなだめすかして接界点の向こうまで男を案内。
折しも人間世界にやってきていたリートの匂いを追って、メイの元に辿りついたというのだ。
#
「仕事が終わって宝石を頂いたあと、その……シュヴェルトの旦那は、例の『針』を使ったんでさあ。そしたらあの固まった娘と一緒に、あっという間に、煙みたいに消えちまって。まさかあの旦那が、牙蜘蛛に目をつけられてたなんて……!」
「あの『針』……あの宝具ね……」
ザックの話にリートがうめく。
メイの時を凍らせて彼女を彫像のように固めてしまったシュヴェルトが言うところの『時の羅針』。
あの道具にはまだ秘密があるようだ。
「あーあ、捜査は振り出しに戻る、か……。リートくん、どないするん?」
シーナが落胆した表情でリートにそう問う。
「そうね……。いったん猫人の村に行きましょう。あそこには、まだアイツが居る……何か情報が手に入るかも、それに……」
リートは荷台に乗せられたガングの亡骸に目をやって、沈痛な声で答えた。
「この男の弔いも出来るでしょ?」
「猫人の村……リュウガさんのおる村か!」
リートの示した行先に、シーナの声が少し明るくなった。
「さあザック。このまま東へまっすぐに……。ガングを、あなたの主を休ませる場所へ……」
「頼むで、トロールのおっちゃん!」
「ウゴゴ……わかりました、リートの姐さん、紅毛の姐さん……!」
ガランガラン……リートの指図の下。
ザックの引く車は一路、仄暗い森の中を進んで行く。
#
「盗人シュヴェルト……! 聞かねえ名前だな?」
「……バルグル様が獣の谷を去られてから、魔影世界に現れた盗人です!」
「申し訳ありませんバルグル様!」
「その男に、あの娘を!」
月夜の草原だった。
崩れ落ちた集合住宅の瓦礫の前に立ったバルグルは黒犬たちの報告を苦々しげに聞いていた。
人間世界で自身の封じられていた廃墟地、『御珠トロポサイト』に、再び獣王の姿は在った。
「俺たち兄弟、動けるようになってからすぐに獣の谷に戻って、あいつらの匂いを追いました。だけど……」
「匂いが、急に、途切れてしまってそれきり……」
黒犬兄弟が憤懣やるかたない声で、獣王にそう訴える。
「自分を責めるなファング、クラーレ、ナーゼ! お前ら兄弟の鼻で追えないってことは、この世の誰にも追えないってことだ、何か……術を使ったな……?」
銀色の蓬髪を揺らしながら、思案顏のバルグル。
「とにかくおかしな奴で、鋼玉を使って俺たちの重さを変えるし……それに、あの妙な剣。あんな剣、見たことない……!」
「……剣?」
黒犬たちの言葉に、バルグルの灰色の瞳が見開かれた。
「はい、長くて、銀色で、片側にだけ刃のついたおかしな剣で……」
「なるほど……、そういう事か……!」
何かに思いが至ったのか、獣王は月を見上げてうなった。
「兄弟。娘を追うのはいったん後だ。俺はしばらくこの地に留まる。花火を上げるぞ……」
獣王は犬たちを見回し、獰猛な顏でニヤリと笑い、再び夜空を仰いだ。
「いい機会だ。今度こそ決着をつけようぜ。シュン……!」




