怪盗シュヴェルト
「翼の姉ちゃん……翼の姉ちゃん……!」
リートが目を覚ますと、目の前には燃え立つ炎のような紅髪を揺らした心配そうなシーナの顏があった。
気を失ってからどれくらい経ったのだろうか。
そこは日が落ちかかって薄暗くなった雑木林の中だった。
へし折られた木々や周囲の地面からは、いまだキナ臭い煙が上がっている。
硫黄の匂いがプンと鼻をつく。
「あなたは……人間の戦士?」
「シーナや。比良坂シーナ。シュンとメイくんの……ダチや!」
気を失ったリートの傷を、シーナは手当てしていたようだ。
引き裂かれた右肩には、白い包帯が巻かれていた。
「シーナ……。あの子が、メイがさらわれてしまった! 魔影世界に戻らないと……行先はきっと……!?」
「落ち着くんや姉ちゃん……いったい何があったんや?」
オロオロした表情でシーナの肩を掴むリートに。
シーナもまたリートの半身を抱きかかえて彼女にそう訊きかえした。
「あの男……『シュヴェルト』が出て来たの……」
リートは目をつむり、悔しげにそう呟いた。
リートの瞼の裏には、つい先ほどの戦いの光景が、まざまざと甦っていた。
#
1時間前
「ほらシュヴェルトの旦那、着きましたぜ!」
「手間かけさせたな、ゴブリン、トロール……」
雑木林に不時着したメイとリート。
2人を追って現れた黒犬の三兄弟。
そんな彼らの前に突然現れたのは、大きな荷車を引いたトロールのザックと、車に乗ったゴブリンのガングだった。
そして……タッ!
ゴブリンの背後の荷台から彼らをねぎらいながら、地面に降り立った影がある。
背丈は人間の大人くらい。
全身を覆った真っ黒なマント。
目深にかぶったこれまた真っ黒なフードのせいで、薄暗い林の中ではその素顔は隠れていてわからない。
「ガング、ザック、どうして……!?」
「なんなんだ、お前ら……!?」
突然やってきた意外な乱入者の姿に唖然とするリート。
黒犬たちも不審そうな声で警戒のうなりを上げている。
「俺はシュヴェルト。その娘を貰っていく……」
「ちょ……何を?」
黒衣の男はくぐもった声でそう答えると、スタスタとメイとリートの方に歩み寄っていく。
淡々とした男の様子に、茫然として固まるメイ。
その時だった。
「こいつが……シュヴェルト!?」
その名を知っているのだろうか。
リートは唖然として息を飲んだ。
「「「待て!」」」
黒犬兄弟が、一斉に男の周囲を取り囲んだ。
「盗人のシュヴェルト! この者は我らの獲物。手出しはさせぬ!」
「丁度いい! 今ここでお縄になれ!」
黒犬たちが男に吼える。
そして。
「ガウッ!」
黒犬の一匹が牙を剥き、黒衣の飛びかかった。
だが次の瞬間……
「ギャアウ!」
黒犬が苦悶の声。
そして見ろ。
いつの間にか男の手のに握られて、空中で静止した黒犬の喉首に深々と突き立てられていたのは……
銀色の刀身を輝かせた、一振りの日本刀だった。
「ファングを! きさま!」
男を囲んだ残りの2匹が怒りの唸りを上げた。
と同時に、ボオオオオ……
奇妙な事が起きた。
男が空中で仕留めたはずの黒犬の体から、真っ赤な炎と黒煙が噴き上がり、辺り一面に硫黄の匂いが立ち込めてゆく。
炎に包まれた黒犬が、自身の前足で刀身から喉首を引き抜くいた。
そして再び男めがけて飛びかかったのだ!
「ぬう!」
再び刀を振る黒衣の男。
だが炎と化した黒犬の身体は刀身をすり抜け、そのまま男に突進して行く。
「ちっ!」
マントをはためかせ、男は黒犬をかわした。
と同時に、ボオオオオ……
残り二匹の黒犬からも、一斉に炎が噴き上がる。
「やってくれたな、盗人シュヴェルト!」
「捕えて手柄にしたかったが、もういい。この場で焼き尽くしてやる!」
次々に怒りの声を上げながら、炎と化した3匹の犬が男ににじり寄っていく。
「炎と黒煙に変化する黒犬の業……刀は効かぬか。ならば……」
だが炎の犬を前にしてそう呟く男の声は、さきほどと同じく淡々としていた。
そして次の瞬間、ズドン!
何かを叩きつけるような音と共に、地面が揺れた。
「あれは……!?」
「なにを……」
黒犬と男の戦いを眺めていたメイとリートも、目の前で何が起きているのか理解できなかった。
「グウウウウ……」
犬たちが、苦し気なうめきを漏らしている。
3匹が3匹とも、地面にへばりついていた。
まるで見えない何かに縛り付けられたように、その場から全く動けないようだった。
「これは『グラヴィタの鋼玉』。からくり街のマシーネの館から頂いた骨董品だが……」
事もなげにそう呟く男。
いつの間にか男の左手に在ったのは、ソフトボール程もある黒光りする艶やかな球体だった。
何か、犬たちに術をかけたらしい。
「刃の通じぬ黒犬の戦士も、重さが100倍になれば身動きはできまい。しばらくおとなしくしていろ……」
男は犬たちを一瞥すると、クルリとメイとリートの方を向いた。
「秋尽……メイだな? 間違いない……」
「あなたは一体……!?」
メイにそう問いかけ、戸惑いの声を上げるメイにむかって、ファサ……
メイの顏をよく見るためだろうか?
男が、目深にかぶった黒いフードを取った。
「「あ!」」
メイとリートが驚愕の声。
露わになったフードの内は異様だった。
男の顏を覆っているのは、男の刀同様銀色に輝いた……髑髏の仮面だったのだ。
1歩、2歩、メイとリートに歩みを進める男。
「寄るなシュヴェルト! メイに手を出すな!」
リートがとっさにレイピアを抜いて、男に切りかかろうとしたが、次の瞬間。
「グッ!」
リートがうめいた。
目にも止まらぬ速さだった。
気付けば既に、男の身体はリートの懐に飛び込んでいた。
そして男の握った刀の柄尻が、リートのミゾオチに深々とめり込んでいた。
「う……あ……メイ!」
リートの身体が、そのまま地面に崩れ落ちた。
意識はあるが、痛みでその場から動けないようだ。
「リートさん……よくも!」
メイが緑の瞳を見開いて、男をにらみつけた。
ヒィィィィィィンン……
辺りの気温が、急速に下がって行く。
ピタリ。
メイが男を指差す。
「だめだ、メイ……」
メイに向かって歩みを進めながら、仮面の男は頭を振った。
「その力は、使ってはならない……」
くぐもった声でメイにそう呼びかける男だったが、その声はメイには届いていないようだった。
「砕……」
メイが冷たい表情で、男に向かって自身の氷を放つ。
と思われたが……
「メイ……? メイ……!」
異変に気づいたリートが、メイを見上げて愕然とする。
男をにらみ、男を指さし、それから、メイは微動だにしていなかった。
まばたきもしていない。
息をしているようすもなかった。
メイ自身がそのまま氷漬けになってしまったようだった。
まるで生きた彫像のように!
「お前の時を凍らせた。これは『時の羅針』。俺が彼の地に身を沈めて7年……ようやく探し当てた魔影世界最強の宝具……!」
そう呟いた男の掌の上で宙に浮き、メイの方を差しているもの。
それは金色に輝いた、まるで羅針盤のない方位磁針の針だった。
「そんな、メイ!」
悲鳴を上げるリートを背中に、仮面の男は彫像のように固まったリートの身体をかつぎ上げた。
「終わった。戻るぞ、ゴブリン、トロール!」
「はー。お見事なモンで、旦那!」
メイを小脇に抱えて、男がガングとザックに号令する。
「ウゴゴ……。リートの姐さん……」
「心配するな。殺しちゃいない。出せ、トロール!」
後ろ髪を引かれるように、不安そうな顏でリートを振り返るザック。
だが男の声に、渋々車を引き始める。
男がメイを荷車に乗せる。
男とメイをゴブリンを乗せて、トロールの引いた車はそのまま林の奥に消えて行った。
#
「間違いない。あいつは怪盗シュヴェルト!」
ようやくダメージから回復したリートが、憤懣やるかたない顔でシーナにうめいた。
荷車が消えてから程なく、黒犬たちを地面に縛り付けていたシュヴェルトの術は解けた。
地面から跳ね上がった犬たちは、怒りの咆哮を上げると、動けぬリートを残して、黒煙とともに消えた。
男を追うのか、それともバルグルの元に戻ったのだろうか?
「神出鬼没、変幻自在で正体不明。魔影世界を股にかけ、魔王の居城にすら難なく忍び込んでは宝物を盗み出す。手練だとは思っていたけど、まさかあんなに強いなんて!」
「『怪盗』……そんなんまでおるんか!?」
リートの説明に、呆れた顔で息を飲むシーナ。
「そうよ。もう何年も姿を見せていなかったのに、まさかあいつまでメイを狙っていたなんて!」
リートはそう答えてシーナの手を取った。
「シーナ……だっけ? 助けてくれてありがとう! お願い、一緒にメイを探して!」
「メイくんを? えーとその……リートくんと一緒に?」
「ええ。あいつらは魔影世界に戻ったはず。今ならまだ間に合うかもしれない!」
真剣な表情でシーナを見つめるリート。
「ううう……」
シーナは迷う。
あれから祖父のラインハルトと、連絡が取れない。
ヘリコプターから飛び降りたホタルの行方も知れない。
学校から上がった爆炎も気になる。シュンは無事だろうか?
それでも……
「シーナ……メイのこと頼む……」
シーナの頭をよぎるのは、シュンが別れ際に彼女に託した、その言葉。
「シュン。信頼してええんやな? こっちは任せてええんやな?」
シーナは口の中で、何度もブツブツそう呟くと……
「わかった、リートくん。メイくん探すで、向こう側まで案内してや!」
リートの肩を叩いて、力強く
「ありがとう、シーナ! きっと『あいつ』も力になってくれるわ、さあ!」
リートの顏が、明るくなった。
#
カツン……カツン……
何処までも何処までも、まるで無限に続いていると思えるような螺旋階段を、1人の男が昇っていく。
そこは奇妙な場所だった。男の踏みしめる階段も、周囲を覆った壁も、一点の傷も曇りも無い、無色透明な輝く水晶製のようだった。
壁の向こうから、階段の足元から透けて見えているのは、一面の暗黒に宝石をまき散らした様な星々の輝き。
男が纏っているのは漆黒のマント、その顏を覆っているのは銀色の髑髏の仮面だった。
男の右腕には、凍れる彫像になったメイが抱きかかえられている。
「メイ……」
男は冷たい表情で固まったままのメイの顏を見て、くぐもった声でそう呟いた。
不意に、螺旋階段が途切れた。男の周囲に在った星空の暗黒が視界から消えた。
階段を昇った先。男が辿り付いたのは、大きな、鏡張りの広間だった。
「おかえりなさいませ、シュヴェルトさま!」
鈴を振るような音色で、そう男をむかえる声。
「まあ、それが新しい宝物ですの?」
「ああ、コチョウ。新しい宝物……そして最後の宝物だ……」
不思議そうな様子で彼に尋ねる少女の声。
黒衣の男シュヴェルトはメイを見下ろし、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。




