炎と薔薇
「そんな……みんな……!」
「なんや、何があったんや!」
シーナの操縦するエアバイク、魔進戦馬マツカゼが空中で旋回した。
シーナにつかまり後部座席に座ったシュンは、シーナと共に驚愕の呻きを漏らしていた。
学校から、火の手が上がっていた。
ついさっきまでシュンとシーナが居た場所から。
校舎の窓の各所から煙が上がっている。
壁面がひび割れ、その一部が崩れ落ちようとしている。
災禍はそれだけにとどまらなかった
ズズーン……。
再び大きな地鳴りと共に、空気が震えた。
と同時に、校庭に立ち込めた黒煙の向こうから、蒼黒い炎の噴き上がるの見えた。
炎が地面を走り、校庭の外まで達すると、学校の周囲の民家を次々に吹き飛ばし崩壊させていく!
「あいつだ……! バルグルの斧だ!」
炎の正体に気づいたシュンは、激怒して叫んだ。
疑いようがなかった。
校舎を燃やし、今学校の周囲まで破壊の手を広げているのは、バルグルだった。
校庭での戦いでシュンを倒した獣王の斧が、シュンの時とは比較にならない力で地面を割り、周囲を破壊しているのだ。
「バルグル……どうして!」
蒼ざめた顔で継ぐ言葉も出てこないシュンだったが、次の瞬間……。
「シーナ……わるい、メイのこと頼む……」
ス……。
シュンの手がシーナの身体から離れた。
「なんや……シュン!?」
驚いてシュンの方を向くシーナだったが、その時には既に、
ザワザワザワ……
シュンの全身を、緑色の薔薇の蔓が覆っていた。
シュンの右手の水晶刀が、これまで見たことがないほどの輝きを放っていた。
シュンはマツカゼのステップに足をかけ、後部座席から立ち上がる。
「俺、あいつを……止めなきゃ! おまえはメイとリートを見つけて……守ってくれ!」
「そんな……駄目や、シュン! 危険すぎるで!」
凍てついた表情でシーナにそう告げるシュンを、シーナは必死の表情で止めようとするが、次の瞬間には、
ファサ……。
シュンの身体は、マツカゼから離れて空中に躍り出ていた。
「そんな……シューン!」
愕然としてシーナは叫ぶ。
今、マツカゼの高度はおよそ60メートル。
何の足がかりも命綱もない状態で20階建てのビル程の高さから落下したら、いくら変身したシュンでも……。
だが、その時。
「…………!」
シーナは息を飲んだ。
シュンの背中から、いく筋もの薔薇の蔓が、広がって行った。
まるで葉脈のように空中に形成された、その薔薇の網目を覆うように、スウウウウ……
紫色の光の被膜が広がっていく。
「光の……翼!」
シーナは叫んだ。
薔薇の蔓を支柱にしてシュンの背中に形作られたのは、大きな2対の、まるで輝く昆虫の翅だった。
ス……光の翼が羽ばたいて、シュンの身体が浮き上がった。
「これは……剣の力なのか!?」
まるで、剣に突き動かされるように我知らずマツカゼから飛び降りたシュン自身も、身体に生じた変化に驚きの声を上げていた。
今のシュンは、飛べる。この力で学校まで戻って、母親を、ラインハルトを、みんなの命を守らないと。
あいつ、バルグルを止めなければ!
「くっ……! しゃあないか……シュン、絶対生きて戻るんやで!」
「ああ。お前もなシーナ!」
シーナの叫びに、離れてゆくシュンが応える。
シュンを止めることは叶わないと悟ったシーナは。
彼女は炎の様な紅髪を揺らし、厳しい表情でハンドルを切った。
シーナの目標は目標はメイ。
墜落したリート。
バルグルの手先より先に2人を探し出し、保護しなければ。
#
「くそ、あいつ、あいつ、あいつ!」
学校目指して一直線。
光の翼で風を切りながら、空中のシュンはやり場のない怒りを1人吐き出していた。
校庭での戦いはバルグルにとっては子供の遊びのようなものだったのだ。
魔影世界の魔王の力が、あれ程とは。
だが、シュンの激しい怒りと失望は、もっと別の理由によるものだった。
さっきバルグルとの戦いで、シュンを打ちのめしたのは、バルグルの強さだけではなかった。
シュンの全身を叩きつけるような、獣王の強烈な気魄と、気高さだった。
自分に挑む者以外には手を出さない。
メイを狙う恐ろしい魔物であるはずのその男から、何か自身を律する厳しさや業の様なものを、シュンは無意識のうちに感じ取っていたのだ。
それなのに……!
「やっぱり違った。あいつは、バルグルは、ただの人殺しのバケモノだったんだ!」
シュンは歯噛みする。
あの地鳴り。
噴き上がった青黒い炎。
崩れて行く校舎。
全て、バルグルの起こした事だ。
よくも学校を、関係ないみんなを……!
シュンは燃え立つ炎を、濛々たる黒煙の向こうを睨みつける。
光の翼を羽ばたかす。
学校はもう目前。
目標まで、あと数秒……。
#
「グアアアアアアア!」
バルグルが咆哮を上げた。
とつじょ目前に出現した巨大な黒蜘蛛がバルグルに毛むくじゃらの脚を振り上げる。
「よくも、よくもキルシエを!」
獣王は怒りに顏を歪めて斧を構える。
ゴオオオオ……
バルグルが蜘蛛目がけて斧を振るそのたびに。
蒼黒い炎が校庭を割る。
地面を走る。
周囲の建物を燃やし崩落させて行く。
だが、今のバルグルはまるで眼中にない様だった。
すでにココが何処で、誰と戦っているのかすらも、獣王の頭の片隅に追いやられていた。
何か強烈な悔恨と怒りの感情が獣王の心を満たし、彼は怒りに身を任せて何度も、何度も斧を振る。
だが、大蜘蛛はバルグルの斧で何度砕かれても、その炎で何度焼かれても、次の瞬間にはその姿を取り戻し、執拗に獣王に襲い掛かるのだ。
「こいつで、どうだあ!」
業を煮やしたバルグルが両手で斧の柄を掴み、刃を高々と頭上に掲げた。
ボオオオオ……蒼黒い炎が一際その勢いを増した。
校庭から空に向かって、渦巻く火柱が噴き上がった。
その時だった。
「バルグル! やめろおおおおお!」
刹那、バルグルの耳に飛び込んで来た何者かの声。
バルグルの全身を貫く、強烈な気魄と、迫り来る力の気配。
「ううあ!」
息を飲む音、バルグルの眼前から蜘蛛の姿が消えていた。
獣王は我に返る。
「キルシエ……? マガツ……? 俺は、何故!」
破戒し尽くされた周囲と、頭上に在る自身の斧を見て、バルグルは戸惑いの声を上げる。
全ては……幻だったのか。
今、獣王が成すべきこと、彼の敵は……そんな考えが彼の頭を錯綜した、その一瞬だった。
バルグルの頭上。
噴き上がる炎を切り裂いて一直線。
獣王めがけて落下する影がある。
「おまえ!」
バルグルは灰色の瞳を驚きに見開いた。
シュンだった。
噴き上がる炎を輝く剣で切裂きながら。
背に光の翼を負ったシュンが、上空からバルグルめがけて突進してきたのだ。
炎が逆流し、獣王の身体に降りかかる。
「ぐっ!」
バルグルがとっさに斧を下ろし、自身の身を庇おうと構えなおした、その瞬間、
「ずああ!」
シュンの気魄とともに、輝く水晶の刀身が獣王めがけて一直線に迫って来た。
ガキン!
シュンの剣とバルグルの斧の刃が、空中で激突した。
「さっきよりも強い……? おまえ……その力は!」
「バルグル、お前は、ここで終われえ!」
驚きの声を上げるバルグルに、校庭に着地したシュンが間髪入れずに斬りかかった。
ギン! ギン! ギン!
シュンの矢継ぎ早の剣戟を、バルグルの斧が捌いてゆく。だが……
「ぐうう……」
獣王はうめいた。
シュンの剣の力とスピードが、徐々にその勢いを増してゆくのだ。
信じられない!
バルグルは驚嘆する。
魔影世界でも武術の腕では並び立つ者のない彼の力を、獣王の斧を……
ただの人間の、シュンの剣が凌いでゆく!
そしてついに、
「やああ!」
ザッ! シュンの放った斬撃が、獣王の斧をかいくぐった。
「ガアア!」
苦悶の声を上げるバルグル。
水晶の刀身は変えの纏った黒銀の鱗鎧を断ち割って、獣王の胸板に深々と切り込んでいた。
「終わりだバルグル!」
獣王を睨んで怒りの声を上げるシュン。
ザワザワザワ……。
薔薇の蔓が水晶の刀身を伝い獣王の創口に潜り込む。
そのまま蔓がバルグルを内側から引き裂く、そう思われた次の瞬間。
ガッ!
斧を捨てたバルグルの右手が、水晶の刀身を掴み止めていた。
バルグルの左手は、シュンの喉首を締め上げていた。
「エグゥ……!」
「シュン……とかいったな小僧!」
息が出来ず苦し気な声を漏らすシュンに、バルグルは自身の顏を寄せて凄絶に笑った。
「いいぜ、勝負だ。お前の剣が俺を壊すか、俺の腕がお前を壊すか……どっちが先か!」
創だらけの顏を苦悶に歪めながらシュンを挑発するバルグル。
シュンも負けじと獣王を睨む。
敗けられない、絶対にこいつを止める!
獣王の手に力が込もるのを感じる、シュンの首がミシミシ軋む。
獣王の創口ではシュンの薔薇が蠢く、緑の蔓が一際不吉な光を増した。
シュンとバルグルが、互いの命を賭して、最後の勝負に出ようとした、その時だった。
ズズウ……。
轟音を上げて、燃える校舎の壁の一部が剥落した。
「きゃあああああ!」
「うああああ!」
校舎の内側から、生徒たちの悲鳴が聞こえる。
「…………!」
声の出せないシュンが、轟音の元に目を遣って、恐怖にその目を見開いた。
校舎が全壊をしようとしている。
まだ中には多くの生徒がいるはずだ。
コウも、ルナも、担任の斐川も、みんなも……!
「お前!」
そして次の瞬間、異変に気付いたバルグルは驚きの声を上げた。
シュルルルルル……。
獣王の創口から、薔薇が引いていくのだ。
「ぐっ!」
次に起きた更なる変事に、バルグルはシュンの首から手を放した。
地面に放り出されたシュンの全身に集った薔薇の蔓が、蠢き、伸び上がりながら、校庭を這い進み、崩れかけた校舎全体を……覆ってゆく!
校庭に顏を伏したシュンの握った水晶の刀身が、一際冷たい輝きを増した。
校舎から燃え立つ炎の熱気が消えた。辺りの気温が、急速に下がって行った。
辺りに白い霜が降りた。
キシキシキシキシ……。
軋んだ音とともに、校舎を覆った薔薇の蔓が、崩落しかけた鉄筋や壁面同士を縫い合わせて、一つ所に留めている。
そして校舎の各所から上がった氷は、シュンの薔薇に覆われ、絡め取られると、そのまま凍りつき、白い氷に姿を変えていた!
「ばかな……お前、その力は!?」
校舎の崩落を止めたシュンの方を向き、バルグルは愕然としてそう叫んだが、シュンはバルグルに答えない。
いや、答えられなかったのだ。
ドサリ。
次の瞬間、シュンの全身の力が抜けて、校庭に転がった。
バルグルとの戦いで消耗したのか、いや、その全身から学校全体を繋ぎ止めるほどの蔓を放って、力尽きたのだろうか。
「こいつ……俺を止め、仲間を助けるために……!?」
倒れたシュンの元に近付いてシュンを見下ろし、バルグルは感嘆の面持ちでそう呟いた。
「それにしても。こいつのこのナリは……」
バルグルはまじまじと校庭に転がるシュンを眺める。
バルグルの斧から放たれた炎で、シュンの衣服は裂け上半身はむき出しになっている。
気を失ってもなおシュンの右手から離れない剣。
シュンのほどけた左手の包帯の下から覗くのは、まるで蛇の様な銀色の鱗。
「バルグルよ。ようやく御心が晴れましたか……」
そしてバルグルの傍らから、鈴を振るような少女の声が彼にそう呼びかけた。
「リーリエか……」
バルグルは苦々しげにそう呟く。
いまだ校庭から晴れない黒煙に紛れて彼に近づいてきたのは、真っ赤なワンピースを纏った人形の様な顏の少女。
夜白レイカの姿だった。
「獣王よ。人間の幻惑に御心を乱された時には一瞬肝を冷やしましたが、ですがこれは怪我の功名でした……」
レイカが校庭のシュンを、冷たく見据えてそう呟く。
「先程の戦いで確信しました。間違いありません。この剣は『人の世の剣』……。あなたの悲願を阻む最大の障壁だったのです。さあ獣王よ、子供を殺し、剣を我が物となさいませ!」
レイカはバルグルを見上げて、彼に囁いた。




