リートの決断
「リートさん……!」
空から降り立った翼の少女の姿。
彼女を見てバルグルを差すメイの指先が微かに揺らいだ。
とたん、
「ぬうん!」
バルグルが握った斧に力を込める。
ゴオオ……。
戦斧から噴き上がった蒼黒い炎が一際勢いを増した。
獣王の右腕に食い込んでいたメイの黒氷は砕けて、溶けて、蒸発した。
「リート! どうしてココに!」
「メイが呼んだの、その笛で。だから来た、メイを助けに!」
突然現れたリートに驚きの声を上げるシュン。
リートはメイの方を向いてそう答えた。
メイのまとったブレザーの右ポケットにささっていたもの。
それは夕暮れの九頭竜神社でリートがメイに手渡した、小さな横笛だった。
『翼人の笛』。
先ほど空を渡った鳥の声ような音色は、教室でメイが吹いた笛の音だったのだ。
「本当に来てくれたのね、リートさん……でも、ごめん。さっきとは事情が変わったの。この人は…母さんを殺した!」
メイは、複雑な表情でリートにそう答えた、
次いで緑の目でバルグルをキッとにらみつけた。
「あなたの助けは要らない。私が、ココで、みんな終わらせる!」
「だめよ、メイ!」
再び白魚のような指先の照準をバルグルに向けるメイ。
リートは両手を広げて必死の表情でメイを遮った。
「退け、リート!」
「下がって、リートさん……!」
バルグルとメイが、リートに同時にそう叫ぶが。
「退かない。下がらない。2人とも、やめて!」
バルグルとメイの間に立って。
リートはやるせない表情で2人にそう呼びかけた。
「バルグル様、獣の谷の戦士一同に成り代わり、ゲブリュル兄弟と共この地に馳せ参じました。さあ我らと共に黒獅子城までお戻りください。谷の皆が待ちわびております。獣王のご帰還を!」
「バルグル様!」「バルグル様!」「バルグル様!」
リートは、鈴を振るような声で、切々とバルグルにそう訴えた。
バルグルを取り囲んだ3匹の黒犬も同じだった。
次々に彼の名を呼びながら黒い尾を振って、獣王に恭順の意を示した。
「リート、3兄弟……! こんな所まで俺を……いや……!」
バルグルを慕うようにグルグルと彼の周囲を駆けまわる黒犬たちを見回し、獣王の表情が一瞬ゆるんだかに見えた。
だが、すぐに。
「リート、俺を獣の谷に連れ戻しに来たなら、すまねえが無理な話だ、俺はこちらの世界でやることがあるんだ。さあ、兄弟と共に向こう側に戻れ!」
バルグルの目に鋭い光が戻った。
獣王は厳しい声で、リートと黒犬にそう答えた。
「それは叶いませんバルグル様、あなたをお連れするまでは。今のあなたは吸血鬼にたぶらかされています。自分を見失っておいでです! 二界の秩序を重んじ、人間を無用に傷つけてはならぬと私に教えたのは、あなたではありませんかバルグル様!」
「リート、俺はもう王じゃねえ。解ってもらおうとは思わねえが、だが頼む。ここは、退くんだ。でねえと……」
リートは尚もその場を動かない。
バルグルは苦々しい表情でリートに斧を向ける。
「退きません! 何をしているの兄弟、バルグル様を引き止めて!」
「そんな、でもリート……」
「ファング、クラーレ、ナーゼ……」
リートの訴えに戸惑いの声を上げる黒犬の兄弟を、バルグルはゆっくりと見回した。
獣王は3匹に呼びかけた。
「お前らの面を見られて、嬉しかったぜ。だが俺は、お前らに求められる価値なんて無い男だ。黙ってここは退いてくれ、でねえと……俺はお前らと戦わなきゃならねえ……!」
「「「……バルグル様!」」」
バルグルの切実な声に、黒犬たちもまた感極まったように同時に獣王の名を呼んだ。
そして……ザッ!
犬たちが次々と、獣王の前衛に集った。
「リート! バルグル様が戻らぬと言うのなら、俺たちはバルグル様に従おう!」「俺も!」「俺もだ!」
「……だめよ! 何を言っているの兄弟!」
黒犬たちの転身に、リートは愕然として叫んだ。
「俺たち兄弟はバルグル様に命を救われた。石鰐の一族に村を焼かれ家族を殺され、行くあての無い俺たちを拾い、取り立ててくれたのはこの方だ!」
「だから、何処までだってバルグル様についていく。たとえ王が、何を望まれようと!」
「そんな、どうして……」
リートの輝く様な金色の髪が震えている。
リートの紺碧の瞳は、絶望に見開かれていた。
「……すまねえ、ゲブリュル兄弟……!」
面目なさげに犬たちに呼びかけるバルグル。
「ううう……」
リートは呻く。
「リート、退け! 獣王に刃向うのなら、例えお前でも!」
バルグルの前衛、リートの正面には牙を剥き唸りを上げる黒犬たち。
そしてリート背面には……。
ヒィィィィィイイン…………
掠れるような音と共に、辺りの温度が再び急速に下がり始めた。
秋尽メイが冷たく燃える目でバルグルと犬たちを見据えている。
メイの白魚のような指先が、再びピタリと獣王を差していた。
そして。
「……砕」
メイの濡れた唇が開きかけ、その口から息吹と声が同時に漏れた、正にその瞬間!
「だめ!」
バサリ。
リートは純白の翼をしならせた。
次の瞬間、校庭から浮かび上がったリートの身体は、メイに向かって滑空していた。
「やめて、メイ!」
「リート!」
リートの突如の行動に、メイが指先を逸らそうとするがもう遅い。
バキン!
「うァ!」
リートの悲鳴。放たれた氷は、リートの右肩を深く抉っていた。
それでもリートは、飛ぶのをやめなかった。
次の瞬間。
「わ、わっ!」
メイが戸惑いの声を上げた。
リートが自身の両腕でメイを抱きすくめ、そのまま空に舞い上がる。
リートがメイを連れ、校庭から飛翔して行く!
「何をするリート!」
驚愕のバルグル。
「リート、メイ!」
シュンもまた驚きの声。
シュンから、バルグルから、学校から、見る見る遠ざかってゆく白い翼。
バルグルを傷つけたくなかったのだろうか。
それとも他に、何か思うところがあったのだろうか。
手負いのリートはメイを連れ、空の何処かへと消えて行った。
「そんな、メーイ!」
思いもよらぬリートの行動に、ただ空を見上げて叫ぶしかないシュン。
だが一方のバルグルは違った。
「リート……逃がすことはしねぇ!」
獣王は既に空に消えゆてく一点の影となったリートとメイを厳しい形相でにらんだ。
次の瞬間。
ザワザワザワ……
バルグルがその巨躯にまとったロングコートが、風も無いのに波立ち始める。
背中を覆ったコートの一部が盛り上がり、獣王の背面に広がっていくと……
バサァ!
たちまちにしてバルグルの背には、銀色の羽を生やした一対の巨大な翼が生じていた。
「まずい、メイを追う気か!」
「小僧! 止めるんじゃ!」
バルグルの目的に気づいたシュンが剣を構えバルグルにむかって走り出す。
タヌキに戻ったヤギョウも、オロオロして叫んだ。
「3兄弟、この場は任せた!」
シュンの姿を黒犬にそう指示を出したバルグル。
彼が空を仰いで翼をしならせ、今まさに校庭から飛び発とうとした、その時だった。
ボン! ボン! ボン!
校庭の各所から、くぐもった破裂音と共に、幾つもの土煙が上がった。
「な……!」
用心深く辺りを見回すバルグル。
と同時に、シュウウウウウ……。
破裂音の元から土煙とは異なる濛々とした黒煙が噴き上がって来た。
煙は、みるみるうちに校庭に立ち込めていく。
シュンの、バルグルの、校庭に立つ全ての者の視界を真っ黒に覆っていく。
「煙幕弾……って、あれは……マツカゼ!」
シュンは校庭の上空、黒煙の合間を縫うようにして疾走する機影に気づいて、驚きの声を上げた。
学校の上空飛び回りながら黒煙の元であろう煙幕弾を撃ち込んでいるのは、シュンも良く知る高速機動ユニット。
空飛ぶエアバイクに変形した魔進戦馬・マツカゼだったのだ。
#
「目晦ましだと……? 何のマネか知らんが、そんなもので俺を止められると……」
周囲を覆った黒煙に、バルグルは動じる様子も無い。
彼は再び銀翼を羽ばたかせ、校庭から飛び発とうとしていた。
だが、その時だった。
ドロリ。
バルグルの踏みしめた校庭の地面が、突如として液状に変じた。
「なに!?」
足を取られ飛び発てないバルグル。
まるで泥沼のようになった校庭が、獣王の両脚を飲み込んでゆく。
怪事はそれだけにとどまらなかった。
バルグルの周囲の地面が今度は足元と逆に盛り上がってゆくと、
「オオオオオオンン……」
真っ黒な土塊で出来た大きな幾つもの泥人形となって、次々と獣王にのしかかってくる!
「くっ! 小癪なぁ!」
斧を振い泥人形を砕きながら、獣王は怒りの声を上げた。
#
「バルグル……いったい、何を……!?」
黒煙の間から見えるバルグルの振る舞いに、シュンは戸惑いの声を上げていた。
「バルグル様!」「バルグル様!」
戸惑うのは、獣王の周囲の黒犬たちもまた同じようだった。
獣王の振る斧は虚しく空を切るばかりだった。
バルグルはまるで、この場にない何かに足を取られ、この場にない何かと懸命に戦っているようだった。
「シュン、シュン!」
シュンの耳元で彼を呼ぶ声がした。
「おわあ! 母ちゃん!」
いつの間にかシュンの背後に立っていた者の正体に気づいて、シュンはのけぞる。
そこに居たのは、グレイのパンツスーツにその身を包んだシュンの母。
如月ナユタだったのだ。
「危なかった。どうにか間に合ったみたいね……」
黒煙の向こうで斧を振りまわすバルグルの影を見つめながら、ナユタはホッとした様子でそう呟いた。
「シュン。ボスに呼ばれて、コレを届けにきた!」
「あ、マツカゼ!」
ナユタの背後に停車しているマシンの姿に気づいて、シュンが再び驚きの声。
魔進戦馬に乗って学校に駆けつけ、校庭を煙幕で覆ったのはナユタだったのだ。
「シュン、シーナちゃん。これでメイちゃんを追うのよ。ここは私にまかせて!」
「わ、わかりましたナユタさん! 行くで、シュン!」
シュンの声を聞きつけやって来たシーナも、ナユタにうなずく。
「ここはまかせてって……母ちゃんに!?」
「なに、大丈夫よシュン。直にボスの手配した援軍がやって来る。それまであいつを止めるくらい……」
訝し気に首をかしげるシュンに、ナユタは自信たっぷりにニカッと笑った。
「ヨユーっすわ。シュン!」
#
「目晦ましと幻影の技……凄いわ、あの獣王を惑わすなんて……」
一体いつからそこに居たのか、校庭の片隅に佇んだ少女が、猛り立つバルグルの影をジッと見つめている。
「でも駄目よ。いけないわ。彼にその技を使うのは、危険すぎる……」
少女は、少し困ったように首をかしげると、朱をさした様な唇を薄っすらと歪めてそう呟いた。




