災禍の傷痕
「ねえねえ、あの子テレビに出てたよね。たしか2年生の……『如月シュン』!」
「やっぱり。うちの学校だったんだ……すごーい!」
「隣にいる子は? 知らない顏だけど?」
「転校生の『比良坂シーナ』……あの『比良坂財閥』のお嬢様なんだって!」
「マジで! スーパーセレブじゃない。そんな子が、なんでうちの学校に……?」
「わからないけど、如月シュンをスポンサードしてて、今は一緒に住んでるらしいよ!」
「なにそれヤバイ!」
ザワザワザワ……
校庭中に、どこか浮ついたどよめきが広がって行く。
月曜日の朝だった。
「うぅうぅうぅう……やっぱり、落ち着かない……」
校庭をくぐったシュンは、キョドキョドと辺りを見回しながら校舎に歩いていく。
シュンとシーナを見る周囲の生徒たちの目が、先週とは一変していたのだ。
全国ネットで放送された赤猿シュタンゲとの戦いの。
おかげでもう、学校中で、いや日本中でシュンの顔を知らない者はいなかった。
加えて先日から放送されているラインハルトの記者会見。
異世界からやって来た怪物と戦う『能力者』として、シュンはすっかり『時の人』だったのだ。
「大丈夫やシュン。当然って顏してれば、問題ないで!」
「シーナ、お前、よく落ち着いてられるな……!」
シュンの隣では、燃え立つ炎のような紅髪を揺らして、比良坂シーナが涼しい顔をしていた。
あのラインハルトの孫、比良坂財閥のお嬢様であることに加えて、痴女行為をせずに黙ってさえいれば、充分美しいと言っていい顔立ちなのだ。
昔から、注目されることには慣れているのだろう。
これまで気にもしていなかったが、傍らを歩くこの痴女のセレブリティぶりに、シュンは改めて感嘆のため息を漏らした。
と、その時、
「あ……あの! 如月先輩!」
遠巻きにシュンを眺めていた女子生徒の1人が、意を決したようにシュンのもとに駆け寄って来た。
「この前の戦い、テレビで見てました。すごく……かっこよかったです!」
「うん……? ああ、ありがとな!」
どうやら一年生らしい。
ポニーテールを揺らしながらモジモジしている少女に、シュンがそう答えると、
「あの、サ、サイン貰っていいですか!」
少女がそう言って、シュンに色紙を差し出してきた。
「な……サイン!」
「えーでえーで。そういうのは全部、ウチを通して頼んでな!」
突然の申し出に固まるシュン。
シュンに替わって、シーナが笑顔で色紙を受け取った。
「あ……」
シャシャリ出て来たシーナを、少女が止める間もなく、サラサラサラ……
シーナは手慣れた様子で、サインペンで色紙に何かを書き込んでいった。
「ほれ、書けたで!」
「うう……あ、ありがとうございます……」
『モンスターブレイカー☆シーナ&シュン』
シーナが少女に返した色紙には、流暢な字でそう書かれていた。
「な、何やってるんだよシーナ……」
「シュン、こういうのにも、色々馴れとかなあかんで。ウチとシュンは、もう有名人なんやからね!」
納得いかない様子でスゴスゴと引き下がる少女の背中を見るシュンに、シーナは笑顔でそう答える。
「ほらシュン。ファンサービスや!」
シーナは歩きながらシュンに身体を寄せると、シュンに腕組みしてきた。
「おおおおおおおおお……!」
校庭に、更なるどよめきが広がった。
「腕を組んだ!」
「比良坂のセレブと!」
「やっぱり、付き合って同棲してるって、本当だったんだ!」
周囲から聞こえて来るヒソヒソ声。
「ちょ……! なにするんだシーナ! やめろって!」
「大丈夫やシュン。当然って顏してれば、問題ないで!」
慌ててシーナから離れようとするシュンの腕に、シーナは笑顔で抱きついた。
「うぅうぅうぅう……」
シュンの顏が、恐怖でこわばって行った。
シュンが恐れているのは、いまや周囲の好奇の目ではなかった。
ジーーーーーーー……………。
背中に突き刺さって来る、恐ろしい視線。
そしてプレッシャーだった。
振り向かなくてもわかる。
ショートレイヤーの髪を弾ませながら、シュンとシーナの数メートル後ろを歩くメイが、ジットリした目で2人を睨んでいるのだ。
「仕方ないだろメイ。勘弁してくれ……!」
シュンは心の中で何度もそう呟きながら、背後のメイから発せられる殺意の波動に必死で耐えていた。
シュンとシーナに世間の目が集まったのは、偶然とはいえ怪我の功名でもあった。
魔物たちが狙っているのが幼馴染のメイであること。
メイを追う魔物が街中で暴れ、街を破壊したこと。
その事実が知られたら、メイ自身と秋尽の家にも世間の耳目、そして必ず非難の声が浴びせられることだろう。
そしてメイと、祖母のユウコのためにラインハルトは一計を案じたのだ。
今回の事件を15年前の接界期と同様、人間世界に『ゲート』を通じて入り込んで来た『来訪者』のテロ行為と、日本政府と比良坂インダストリーの提携した来訪者撲滅作戦『V計画』のメンバーによる応戦という形で事件を収束させ、秋尽メイの存在を世間から隠ぺいしてのけたのだ。
だから特に学校では、シュンとシーナの二人組が目立つのは大いに結構だし、メイはその影でひっそり佇んでいるのが望ましい。
メイだって、そのことは十分承知しているはずなのに……。
「わかってる……わかってる……! シュンは私のためにやってるの……私のため私のため私のため私のため……!」
前方を行くシュンとシーナの背中をにらむメイ。
メイの方も肩で息をしながら緑の瞳を光らせ、何度も自分にそう言い聞かせていた。
#
「シュン……お前! どうしてメールよこさなかったんだよ!」
廊下をすれ違う女子生徒たちの黄色い声をやりすごしながら、どうにか2年C組の教室に駆けこんだシュン。
その彼に、今度は親友の時河コウが興奮の面持ちでそう声をかけてきた。
「すげーよテレビ見たぜ、何だよ『能力者』って? いつからあんな『組織』に? ヒデーよどうしてあんな大事なこと、俺に黙ってたんだよ~!」
「わ……悪かったよコウ。昨日は色々バタバタしてたし、それに、事件が発表されるまで、秘密にしてなきゃいけなかったんだよ……」
矢継ぎ早に質問と非難の言葉を投げかけて来るコウ。
シュンはオロオロしながら彼にそう答える。
秘密も何も、シュン自身だって事件に巻き込まれるつい一週間前まで、何も知らなかったのだから、適当な答えを返すしかない。
「ま、そういうこっちゃコウくん。なんや迷惑なバケモンや怪獣みたら、これからはウチとシュンに連絡するんやで。すぐに何とかしたるからな!」
間に割って入ったシーナが得意満面に胸を張りながら、シュンの腕に自分の腕を絡ませる。
「な……! シュン、いつのまに転校生と……! おぉまぁえぇ……!」
「だから、違うってコウ……!」
「ググググ……我慢、我慢よ私……!」
シーナの態度に想像を逞しくしてシュンを怒りの目で見るコウに、シュンはウンザリ顏で弁明。
後ろの席ではメイがシーナを睨みながら、緑の瞳を光らせて歯ぎしりしていた。
その時だった。
ガラリ。教室の引き戸が開いた。
「「ルナ……!」」
教室に入って来た者の姿を見て、シュンとコウは同時に声を上げた。
やってきたのは藤枝ルナ。長い黒髪をツインテールに結わえ上げ、眼鏡をかけたクラス委員長。
先週末から姿を見せなかったの彼女、どうやら今日は登校してきたらしい。
「ルナちゃん……」
メイもまた、微妙な表情で彼女の名を呼んだ。
そしてルナが、無言でシュンの方を向いた。
「あ、ル……」
再びルナの名を口にしかけて、シュンは息を飲んだ。
無表情なルナ。
眼鏡の奥の瞳からは、どんな感情も読み取れなかった。
ルナはそのまま、ツカツカとシュンの席の前に歩いて来た。
そして……
パンッ!
乾いた音が教室に響いた。
ルナが自分の平手で、シュンの左の頬を打ったのだ。
喧騒に包まれていた教室が、今は静まりかえっていた。
「ルナ、何を!」
「ルナちゃん!」
コウが愕然としてルナを見る。
メイもまた戸惑いの声を上げる。
「シュンに何するんや!」
シーナが声を荒げてルナを向いた。
「如月くん、比良坂さん……あなたたちだったのね……!」
喉元から絞り出すようなルナの声。
シュンの頬を打ったその手が震えていた。
先程まで感情のうかがい知れなかったその目に、涙が滲んでいた。
「なんで街の中で、あんな無茶苦茶な事を……! 母さんはあの事故に巻き込まれて今も病院にいる! 意識が戻るかどうかも分からないし、戻っても全身に麻痺が残るって……!」
「ル……ルナ……!」
目に涙を溜めてシュンに詰め寄るルナ。
シュンは言葉が出てなかった。
ルナの名を繰り返すしかなかった。
街中で大鰐ズィッヒェルの暴走に巻き込まれた彼女の母親は、重傷を負い未だ生死の境にいるのだ。
教室に重苦しい沈黙が広がっていた。
他の生徒もルナの様子に、声を上げることができないようだった。
「全部あなたたちのせいよ! 母さんを返して……元に戻してよぉ!」
「待ちや、ルナちゃん!」
シュンとシーナを交互に見回しながら二人を責めるルナを、シーナが止めた。
「お母さんのことは、お気の毒に思う。でもアレはウチにもシュンにも、どうにも出来なかった事なんや。あんな場所にバケモンが出て来て暴れるなんて、誰に予想できなかったんや……そこは……わかってや!」
「嘘よ! 知っているわ。あの怪物は、如月くんの家を目指していたって。如月くんを狙っていたって! 比良坂さんが来て、如月くんと二人でおかしな事を始めたから……。だから母さんが巻き込まれた……! おかしな言い訳しないで、この人殺し!」
「ルナ、やめろよ!」
コウも堪りかねて、シュンを指さして責めたてるルナを遮ろうとした、その時だった。
ガタリ。
後ろの席にいたメイが、黙って自席から立ち上がった。
「メイ?」
シュンが無表情のメイを不安げに見上げていると……
メイはそのままルナの方に歩いていき、自身の右手を振り上げて、次の瞬間、
バチンッ!
何かを叩く音が、教室に再び。
「うぅ!」
ルナが顏を押えて、くぐもった声を漏らした。
メイがその掌で、ルナの頬を思い切り張ったのだ。
「それ以上は許さない。シュンのことを悪く言ったら、この私が許さない……!」
そう呟いてルナを睨む緑の瞳に、怒りと同時に、ある確信の光が煌めいていた。
メイの形の良い唇が厳しく結ばれていた。
「シュンは何も悪い事はしていない。そう、シュンは戦ってくれた。なりふり構わずに、一生懸命に、この私のために……」
顔を伏せたルナを見おろし、そう呟くメイの声は静かだが、有無を言わさぬ圧力があった。
「そう、シュンは悪くない。シュンは私を守るために戦ってくれたの……」
「お……おいメイ……!?」
ルナにそう言い放つメイを、今のシュンは戸惑いながら見詰めるしかない。
「秋尽さん……なに……? 一体なんなの、どうなっているのよ、あなたたち……!!」
ルナは左の頬を押えながら、メイをにらみ返して呻いた。
眼鏡の奥からメイの顏を見据えたルナ。
その瞳が新たな猜疑と怒りの色に塗り込められていった。




