異界への揺らぎ
「香り……?」
ふと頭をもたげた微かな違和感に、シュンはメイから顏を離した。
「んぅ……どうしたのシュン? もっと、ほら……」
頭が痺れるような甘い香りの立ち込めた神社の境内。
シュンに押し倒されたメイが、甘えるような声で彼にそう囁いてくる。
メイの胸に添えられたシュンの手に、彼女の右手が添えられた。
ジットリと汗ばんだメイの掌が、もどかしそうにシュンの手をさする。
そして……メイのもう片方の手は、フワリとした自分のスカートに伸びていった。
メイが自分から、スカートの裾をゆっくりとたくり上げてゆく。
メイのスラリとした脚が、ついで白いふとももが露わになってゆく。
メイの手が止まらない、さらにその上まで、シュンの身体の下で……
「何か……おかしい!」
メイの姿から目が離せない。
滾り出そうな熱さに全身を支配されながら、シュンはハッキリそう気づいた。
「ねえシュン……」
シュンを見つめるメイの緑の瞳が、トロリとうるんでいた。
メイの赤い舌先が、何かを欲しがるようにペロリと桜色の唇を舐めまわす……
「違う! やっぱりこれは……違う!」
シュンは強烈な違和感に襲われてメイから身体を起す。
こんなのメイじゃない。
俺もメイもおかしくなってる。
まるで、誰かにいいように動かされているような……!
「あぅ……シュン……!」
メイが何かに堪えかねたように、甘えた声を上げてシュンの脚にすがってきた。
メイの顏が、丁度シュンの腰のあたりに来た。
「わっ!」
足を取られて再び石畳に仰向けになるシュン。
「ふううぅ……シュン!」
メイの人差指が、ス……と愛おしげにシュンのズボンをなぞった。
彼女の手が、細やかな指先が、シュンのズボンのある一点に伸びてゆく。
そして……
「駄目だメイ!」
メイの手をどうにか振り払いながら、シュンは痺れた頭で辺りを見回す。
もうこれ以上、理性を保てそうにない。
このままじゃ俺、メイに……
「ん……」
その時だ。
シュンは唐突に、目の前の景色のある違和感に気づいた。
風に揺れている草むらの一角だけが、まるで張り付いたように動かないのだ。
「……」
シュンは黙って上体を起こすと、腰から下げた黒剣の柄に手をかけた。
ビュルン……!
左腕から伸びた緑の蔓が境内の一角に伸びて行き何かに絡みつくと……
「わああ!」
悲鳴と共に、境内に伸びた草むらの一角を突き破って、一人の少女が石畳に転がり出てきた。
黒装束に身を包み、紫紺の髪を三つ編みに結わえた少女。
箕面森ホタルの姿だった。
「ホタル……! お前、シーナと一緒じゃなかったのか!?」
「シュン殿! どうしてホタルの隠れ身を……!」
呆れた顏で呟くシュンに、ホタルは愕然とした様子。
ホタルの全身からは桃色の霧のようなモノが漂って、境内を甘い香りで満たしていた。
「いいから、その匂いを止めろ!」
「わかりました。わかったですぅ! 苦しい! やめて!」
薔薇の蔓でギリギリとホタルを締め上げるシュンに、彼女がたまらずそう答えると、
「フレーバー・スッキリ!」
シュー……。
ホタルの叫びと同時に、彼女の全身から今度は薄緑色の霧のようなものが噴き出した。
境内が爽やかなミントの香りで満たされて行った。
と、同時に、
「うん?」
シュンの脚に縋って、彼のズボンのジッパーを下ろそうとしていたメイがおかしな声を上げる。
「わー! 何よ、なんなのよ!」
そして顏を真っ赤にしながら、慌ててシュンから離れた。
「ホタル……おぉまぁえぇ!」
「ホタルちゃん……なななな何やってるのよぉ!」
「あえへへへへへ……。シュン殿、メイ殿、ひょっとして、怒ってます?」
憤怒の形相で目の前の忍者をにらむむシュンとメイ。
ホタルは頬をヒクつかせながら頭をかいた。
シュンとメイをおかしな気分にさせたのは、ホタルが自身の身体から放たれて境内に充満した『匂い』のだったのだ。
「うそよ! うそうそ! この私があんな事を……あの痴女みたいな真似を……! いやあ!」
よほど恥ずかしいのだろう。
メイは顔を紅くしたり蒼くしたりしながら、自分の肩を抱いて身悶えしていた。
#
「で、ハルさんの命令で妖気のスポットの見回りに行ったら、たまたま俺たちがいたから、あんな事をしたと……!」
「うううう……。すいません悪気はなかったんですぅ。その、ちょっと2人をお手伝いしようかと思って……」
神社の境内。
不機嫌な顔で忍者を問い正すシュンに、ホタルは済まなそうにそう答えた。
並んでおにぎりを食べている2人の姿に、なんとなく煮え切らないものを感じたホタルが、自身の術を使い2人を『促した』というのだ。
箕面森流香気術・フレーバー『ムラムラ』。
古代よりイランイランノキの精油やチョコレート、ジャスミン、ハチミツなどの成分や香りには男女を興奮させ、陶酔させ、事に及ばせる「媚薬効果」があることが知られているが、ホタルが自身の体内で生成した芳香化合物は、それらの数百倍にも達する催淫作用で、シュンとメイをイケナイ気持ちにさせてしまったのだ。
いや待て、そんな匂いを発したら、ホタル自身もエッチな気分になってしまい、色々大変なのでは?
そう思う方もいるかもしれない。
だが、例えばワキガや足など体臭のキツイ人が、他人からそれを指摘されて初めてそうだと気づく事が多いように、自分の匂いというものに、本人は無頓着なものである。
ホタルもまた、自身の体内で合成された芳香化合物から生じる、悪臭や催淫作用の影響を受けることは、ほとんど無いのである。
「余計な事を……! 余計な事を……! 何してくれてんのよ、この変態忍者!」
「うううう……。すいません。でも、その、何ていいますか、お二人には早急に円満にくっついていただかないと、ホタルは色々困るのですぅ……」
メイもまた憤怒の形相でホタルを責めるが、ホタルは煮え切らない様子で小さくそう答えた。
「「困る?」」
シュンとメイが声を揃えて首を傾げる。
「だ……だって、そうじゃないですか。ホタルはこんなにも頑張ってシーナ様にお尽くししているのに、シーナ様はシュン殿にくっついてばっかり……。ホタルはもう……我慢なりません!」
「あえ……? ホタルは、えーと……そっちの方!?」
「そ……そうだったのね、ホタルちゃん!?」
涙目のホタルを、シュンとメイは唖然として眺めた。
「えへへ……ですからその、シュン殿とメイ殿を結合させてシーナ様の心を折っておけば、後から色々堕としやすいかなーって……」
「そんな事の為に俺たちを……!?」
「なんて汚い忍者……!」
ホタルの計略に、呆れ果てるシュンとメイだったが、
「うん? ということは?」
「はい、その通りです」
何かに気づいて眉をひそめるメイに、ホタルはニッコリ笑った。
ホタルが懐から取り出したテレビのリモコンの様なものを操作した。
プルルルルル……
境内の上空から微かな羽音。
市内を飛行、監視しているはずの昆虫型メカ。
ラインハルトの『魔捜ドローン』の一体がホタルの手元まで降りて来たのだ。
「この1機だけ仕掛けをしておいたのです。オフラインモードで、ホタルが自分で操作できるように……!」
ホタルが涼しい顔で、手の中のドローンのスイッチを押すと……
――んぅ……どうしたのシュン? もっと、ほら……
――あぅ……シュン……!
――んふふふぅ……シュン!
――駄目だメイ!
先ほどのメイの喘ぎ声とシュンの悲鳴。
シュンとメイの姿は、ホタルのドローンに盗撮されていたらしい。
「ふくくく……! これだけ映像素材があれば、あとは『編集』でどうにでも……!」
「ギャーー! 何てことしてんのよ!」
「ななななんじゃそりゃーー!」
ドローンを覗き込んで邪悪に嗤うホタルに、シュンとメイが悲鳴を上げた。
「渡せ! ホタル!」
「渡しなさい! 汚い忍者!」
必死の形相で、ホタルに飛びかかるシュンとメイだったが、
タッ!
ホタルは忍者の身軽さで二人から距離を取る
「渡してもいいですけど、条件があります」
「「条件??」」
すかさず特異満面にシュンとメイにそう告げるホタルに、2人は口を揃えた。
「今日は、お屋敷にシーナ様が帰ってきます。そのシーナ様の前で、お二人が正式に付き合っていて、ラブラブで誰にも付け入るスキがない事を、はっきり態度で示してください。ホタルの前で、シーナ様の心をバキバキのグチョグチョにヘシ折るのです。そうしたらこのドローンは、お2人にプレゼントします」
紫の瞳を煌めかせながら、嗜虐の笑みを浮かべて、ホタルはウットリと2人にそう言った。
「シーナちゃんを……『ヘシ折る』……!?」
ホタルの言葉を反復して、メイの緑の瞳がキラリと輝いた。
「心を折るって……いや、だってシーナにそんな事……!? お前のご主人だろ?」
突然のホタルの申し出に、うろたえるシュンだったが、
「わかった。そうする! そうしたらソレはこっちに渡すのね?」
「メイ!」
間髪入れずにハッキリそう答えて、ホタルのドローンを指差すメイ。
シュンの目は困惑して宙を泳いでいた。
「さすがメイ殿。話が早いですぅ。シュン殿も、それでいいですね?」
「シュン。『いい』って言って……!」
シュンを見据えて、ニタリと嗤うホタル。
傍らのメイは、有無を言わさぬ様子でシュンにそう囁く。
「ううううう……!」
シュンは、なんだか怖くなってきた。
さっきまで、シュンと一緒にホタルを問い詰めていたメイなのに。
今はまるでホタルと結託しているみたいだ。
「俺は……その……!」
シュンがシドロモドロになりながら口を開きかけた、その時だった。
「ん……!?」
ホタルの眉がピクリと動いた。
「妖気……? いやでも、この感じは……?」
そう呟きながら、不審そうに辺りを見回すホタル。
彼女の紫紺の髪の毛の一房が、ピョコピョコと頭から跳ね上がっているのだ。
妖気を察知するホタルの魔器『探妖の針』だった。
「シュン殿、メイ殿。ホタルは仕事が出来ました。今の話は、後でじっくり……」
ホタルは2人にそう言うと、針の指し示す方角に向かってスタスタと歩き始めた。
「あ、おい!」
「待って!」
シュンとメイは、慌ててホタルの後を追った。
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ホタルに続いて、シュンとメイは神社の石段を降りて行く。
探妖の針は、どうやら神社の下を指しているようだった。
「シュン。うそだからね」
「何が?」
「間違いだからね」
「だから、何が?」
突然、シュンの傍らのメイが、口を尖らせながら、彼にそう言ってきた。
「さっきの事……」
「さっきの事って?」
「だから、さっきの事!」
メイが顏を赤らめて語気を強める。
どうやらホタルの術のせいでシュンにシテしまった「あの事」を言っているようだ。
「わかってるって、そんなこと……」
「本当に?」
「本当だって」
シュンも、決まりの悪い顔でメイに答える。
「わ……私だって、べ……別にシュンにあんなコトしたいなんて……思った事ないんだから……!」
「だから、わかってるって!」
たまらなくなって、2人が顏を真っ赤にしながら声を張り上げた、だがその時だった。
「こ……これは!」
2人の前方から、ホタルの驚きの声。
「どうしたんだよホタル……あぁ!?」
「何、あれ?」
シュンとメイも、目前の異様な風景に気づいて息を飲んだ。
石段の下に構えられた朱塗りの鳥居の下度真下。
石畳から揺れ立つ陽炎の様な、なにかおかしなモノが広がっていた。
「これは炎……? いやでも……」
シュンには一瞬、それが燃え立つ炎に見えた。
だが、すぐにそうでないと解った。
確かにそれは、何もない空中に揺らめく炎の様だった。
だがその色は黒から青、紫、赤から橙、白へと絶えず変化して行く。
熱さも感じない。
何よりも奇妙なのは、七色に変化するその揺れ立つモノの、「向こう側」だった。
揺らぎの向こうには、鬱蒼とした木々が見えた。
まだ昼下がり。陽光の振りそそぐこの場で、その揺らぎの中にだけ「森」が見えているのだ。
「これが例の……初めて見るけど、間違いない! これが……『接界点』!」
ホタルがそう呟いて、ゴクリと唾を飲んだ。




