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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第6章 魔瞳の煌めく時
48/144

屍の洞の蜘蛛

「りーりえ……闇ノ森ノりーりえ……『吸血鬼』カ……!」

 茂みの向こうからレイカを取り囲んだ影たち。

 彼らの声に、落胆と蔑みの色が広がっていった。


 ガサリ……ガサリ……


 洞を覆った、赤や紫の蔦の茂みを割って、影たちがその姿を現す。

 レイカの周囲に潜んで彼女を窺っていた者たちは、真っ黒な剛毛に覆われていた。

 それは仔牛ほどもある、何体もの巨大な……蜘蛛だった。


「吸血鬼……確カニ喰ッテモ、糞ニモナラヌ……」

「下賤ノ者ガ……我ラノ洞マデ、一体何ヲシニ来タ!?」

 口部の両端から伸びた銀色の牙をカチカチと鳴らしながら、蜘蛛たちの頭部の複眼が赤く瞬き始めた。


 レイカには、彼らの感情が食欲から落胆に……そしてはっきりした殺意へと変じていくのが感じられた。


「おやめください……。主の許まで、お目通りをお許しください!」

 レイカは、牙を鳴らし迫って来る蜘蛛たちに、鈴を振るような声でそう懇願した。


 そして、その時だった。


 ズーン……。

 突然の地響きが、壁面の蔦の葉や苔に覆われた地面を震わせた。


「下がれ……息子たちよ。ソレ(・・)を我が玉座まで通すのだ……」

「父上……!?」

 そして洞全体に伝わるようなしわがれ声が空気を震わせた。

 蜘蛛たちが辺りを見回しながら戸惑いの声を上げた。


ソレ(・・)は我が間者。手出しは許さぬ。吸血鬼。通れ……」

 声が蜘蛛たちを止め、レイカにそう語り掛けて来る。


「キ……!」

 蜘蛛たちが忌々しげな鳴き声を上げて、レイカの周囲を離れてゆく。


 夜白レイカは無表情のまま。

 冷たく生臭い風の吹きつける洞の前方、闇の奥へと歩みを進めて行った。


  #

 

 毒々しい蔦の葉と燐光を放つ苔に覆われた洞の道が突然開けた。

 レイカの眼の前に、暗黒が広がった。

 レイカの踊り出たそこは、灯ひとつない巨大な空洞の様だった。


 チリーン……チリーン……。

 か細い鈴の音が辺りを渡った。

 音色の源は、レイカが右手に携えた赤銅色の炉にあしらわれた小さな銀色の鈴だった。


 ボオオオ……。

 その炉の内で燃えていた火が、徐々にその強さを増していった。

 同時に炉の内から漏れ出る明かりが、洞の内を赤く照らし出していった。


 そこは奇怪な場所だった。

 ゴツゴツと剥き出しになった黒い岩肌が、炉の火の照らす限り何処までも何処までも広がっている。

 空洞の上辺は、どれほどの高さに在るのだろう。

 炉の火の明かりも及ばない闇の中だ。


 ここが何処か地中に広がった巨大な洞窟の内側であることは間違いないが、何よりも異様なのは、その洞窟中に張り巡らされ不気味にしなった灰色の……『糸』だった。

 黒い岩肌のそこかしこに張り付いて、洞窟の壁面に、そしておそらく天井まで、縦横無尽に走った糸。

 いや、それは糸と呼ぶには、あまりにも図太く禍々しかった。


 おそらく何十本も、何百本もより合わされているのだろう。

 岩肌に張り付いたそれらは、大人でも1抱えか、時には2抱えはありそうな灰色の縄を形づくって、洞窟の内に伸びているのだ。


 その縄の中に、さらにおぞましいものが垣間見えた。

 粘つく縄に絡め取られ、巻き取られた、無数の(むくろ)だった。


 獣がいた。ウサギ、ネコ、イヌ、オオカミ、ヤギ、ヒツジ、ウシ……。

 鳥もいた。カラス、フクロウ、ハヤブサ、そして巨大なオオワシまで……。


 そして、骸の内で最も数の多いのは、人だった。

 縄に絡められた人の骸は、皆一様にその肉を食いちぎられていた。

 ほとんど白骨と化した骸の各所に、食い残された肉片や目玉や臓物が無残に張り付いているのだ。


 ガサリ、ガサリ。

 何かの擦れるような音が、レイカの頭上から聞こえて来た。


「主よ。謁見を賜りたく……」

 レイカは、肉の腐ったような匂いが鼻をつく奇怪な洞窟の内を見回しながら、音の源、闇に潜んだ何者かにそう語りかけた。


「これなるは闇の森のリーリエ。地に棲む虫たちを束ねる牙蜘蛛一族の(おさ)にして(なばり)の大洞の主、偉大なる魔王マガツ様にお伝えしたき事があり、この宮に参りました……」

「吸血鬼……久しいな……」

 レイカの頭上の闇から、しわがれた声が響いて彼女の呼びかけに答えた。


 と同時に、ズーン…… ズーン……

 洞窟全体を揺らす不気味な振動とともに、レイカの周囲の灰色の縄が、ユサユサと大きく揺れた。

 洞の中に張り巡らされた糸を伝って、レイカの頭上にその声の主が近づいてくるのだ。


 そして、ズシン。


 地響きを立てて、レイカの眼の前に巨大な塊が降り立った。

 黒い剛毛に覆われたの頭部にチカチカと紫に瞬く複眼が、人形の様なレイカの顏を覗き込んでいる。

 節くれだった毛むくじゃらの脚先から伸びた鋭い爪がガリリと岩肌に食い込んでいる。

 今、レイカの前にその身を晒して彼女を見下ろしている者。

 それは先程レイカを取り囲んだ者達とは比べ物にならない大きさ。

 体長10メートルは超えているだろう、巨大な黒蜘蛛だった。


「マガツ様。全ては計画通りに進んでおります。接界は進み、獣たちの爪が刻んだ(キズ)によって『器』はその力を解放させつつあります。接界の頂、人の世に潜んだ獣の王が復活すれば、『器』は容易に(こわ)れることでしょう」

「ふん。ご苦労だったな吸血鬼。全てが成就した暁には、先の『大接界』の失態も帳消しにしてやろう。下賤の者にしては、なかなかの働きをした。このマガツの築く新たな王国では、相応の官職を用意してやってもよいぞ。あとは、愚かな獣王が動き出すのを待つのみか……!」

 大蜘蛛を仰ぎ状況を告げるレイカ。

 マガツと呼ばれたその蜘蛛は、ギチギチと銀色の牙を擦り合わせながらそう答えた。


「ですがマガツ様。一つだけ気掛かりがございます」

「気掛かり?」

 マガツにそう告げるレイカの顏を、蜘蛛の紫の複眼がキョロリと睨んだ。

 

「はい、マガツ様。かの『裂花(れっか)晶剣(しょうけん)』と対になる、『人の世の剣』が、人の手に渡り、『器』を守り、獣王の手勢を討ち取りました。剣の力は計り知れませんが、既に私の力は尽き、獣王の魔気は頼れませぬ。万が一、復活の時を迎える前に人の手が獣王に及べば、計画に大きな狂いが生じることもありましょう……」

 形の良い眉を寄せて、レイカはマガツにそう訴える。


「なるほど。それで、このマガツに『力』を請いに来たか……」

「はい、御明察にございます。接界の頂までの今しばしの間、このリーリエに、人の世の(つわもの)を止める『力』を……偉大なるマガツ様の御力を賜りくださりま……」

 レイカを見おろし、大蜘蛛マガツはしわがれ声でボソリとそう呟いた。

 彼女が大蜘蛛にひざまづいて、恭しく言葉を継ごうとした。


 だがその時だった。


 スルリ……スルリ……

 レイカの手に、足に、何かが絡みついていた。


「これは……糸?」

 自身に起きた異変にレイカが訝しげに小首を傾げた、その瞬間、


「ああっ!」

 レイカのか細い悲鳴と共に、彼女の身体が糸に取られて巻き上げられて、闇の中で宙吊りになった。


「お止めくださいませ。何をなさりますマガツ様!」

「下賤の吸血鬼が。我をあの暗愚な獣の王と同じだと思うなよ……!」

 蜘蛛の紫の複眼がレイカを見据えて、今は真っ赤に瞬いていた。

 その尻から噴いた糸を毛むくじゃらの脚で繰り、レイカを宙吊りにしたのは大蜘蛛マガツだったのだ。

 

「我に近づき戦を焚きつけ、かと思えば獣の王を手の内で転がし、吹雪の女王ともども人の世に追いやったな……! 言え。一体何を企んでおる吸血鬼。権勢など……我が王国での官職など、貴様の望みではあるまい……何が目的だ。何を考えておる、吸血鬼……!」

 レイカの手足を、マガツの糸がギリギリと締め上げた。


 ジュ……。

 糸から滴る粘つく液が煙を立てながらレイカの皮膚を溶かし肉を裂いていく。


「私の望み……それは……」

 そして、レイカの腐った果実に様な血の香が、洞の内を満たして行った。

 先ほどの悲鳴とは一転、落ち着き払った声でレイカはマガツにそう答える。


(いくさ)でございます」

 マガツを見据えて一言。

 レイカは真っ赤な唇を歪めてニタリと嗤った。

 人形の様なその顏に笑みが浮かんでいた。

 それは獣王バルグルと対した時には決して見せなかった、亀裂の様な笑みだった。


(いくさ)……?」

「はい。そしてそれが、マガツ様の、主の望みでもございましょう……?」

 チカチカと複眼を瞬かせながら訝しげに呟くマガツに、レイカはそう答えた。


「マガツ様。今のこの世は詰まりませぬ。強き者と弱きものがハッキリに分け隔てられていて変化がない。私のような吸血鬼として生まれた者は、下賤の者として未来永劫バカにされ続けるしかない……ならばいっそ……!」

 マガツを見据えてレイカは続けた。


「『器』の力が解き放たれて、『大接界』が果たされた暁、やがて魔と人との間に大きな戦が始まりましょう。沢山の血が流れます。数多の王が倒れます。それだけが私の望み。この私を苦しめて来た世界のコトワリが狂うなら、『大接界』の果ての世の行く末など、どうでも良いのです……」

 口元に妖しい笑みをたたえて、レイカは蜘蛛にそう告げた。

 そしてしばしの沈黙の後……


「フハハ……! 面白い。いかにも下賤の者にふさわしい見下げ果てた考えをする奴だが……気に入ったぞ、吸血鬼……!」

 巨体を揺らし、大蜘蛛マガツは嗤った。


 今、レイカの吊られた場所からは、この蜘蛛の全貌がはっきり見て取れた。

 蜘蛛の頭は、1つではなかった。


 大蜘蛛の頭部に座して鋭い眼でレイカを見据えている者がいた。

 枯葉色のローブに包まれ、長い顎鬚を垂らし、灰色の肌をした人間の老人の様な姿だった。


 いや。よく見れば老人は蜘蛛に座しているわけではなかった。

 老人の下半身は大蜘蛛の頭部と一体化していた。

 老人が節くれだった右手に掴んだ杖を振うたび、大蜘蛛の脚が器用に糸を繰り、宙吊りになったレイカを老人の眼の前へと引き寄せていった。


「吸血鬼、お前の言う通り、人の世での戦は、この我も望むところよ……」

 眼前のレイカにそう言って、老人はニタリと嗤った。

 老人の眼窩のあたりから飛び出した虫の様な四つの眼が、キロキロと動きながらレイカを眺めまわした。


「いかなる理由かは解らぬが、遥か昔より我が牙蜘蛛の一族は人の世と(えにし)が深い。この洞の兵……我が息子たちは、人の女の(ハラ)より殖えて、人の肉を喰らい育つ。そして、15年に一度の接界では限りがあるのだ。捕える女の数も喰らう肉の量も! ゆえに……」

 ザラザラとした灰色の手でレイカの髪を撫でながら、奇怪な老人は自分に言い聞かすようにそう呟いた。


「この魔影世界(シャテンラント)に潜む限り、我と我が一族の力は常に他の魔王に一歩及ばぬのだ。愚かな獣王バルグルにも、吹雪の女王シュライエにも、灰の海のヴァールにも、白竜の上主アオレオーレにも、あの傀儡師マシーネにさえ……! このような小さな洞の内に追いやられ、軽んじられる……!」

 老人の肩が屈辱に震えていた。

 マガツの声の内に抑えがたい権勢への渇望が滲んでいた。


「大接界の果て、人の世とこの世が永遠に分かち難いものとなれば、我と我が一族の力は尽きることなく世に溢れよう。忌々しい魔王たちを下し、今度こそ我の力で世界を満たすのだ!」

 そう言って老人が嗤うと、彼の乗った大蜘蛛の脚先がレイカの胸元に添えられた。


 ス……

 蜘蛛の爪先がレイカの深紅のワンピースを切り裂いた。

 老人の眼の前にレイカの真っ白な胸が露わになった。


「くく……よかろう吸血鬼。お前の本心、お前の望み。確かに聞き届けたぞ。我が牙蜘蛛の精髄、魔王の『力』。受け入れるがよい……」

「主よ。御意に……」

 毛むくじゃらのマガツの脚が、レイカの胸元をまさぐった。


 夜白レイカの口許から、笑みが消えていた。

 そして、ズブリ。

 レイカの胸の内に、牙蜘蛛の爪先が潜り込んだ。


「く……!」

 無表情だったレイカの人形の様な顏が、微かに歪んだ。


 と同時に、ゾワゾワゾワゾワ……

 老人の乗った真っ黒な大蜘蛛の剛毛の内から、一斉に『何か』が這い出してくる。

 それは、1匹1匹は小指の先ほどの大きさしかない、黒い蜘蛛の子だった。

 マガツから這い出た何千匹もの蜘蛛の子が、大蜘蛛の全身を伝った。

 そしてレイカの胸に突き立てられた脚を伝い、次々とレイカの胸の創の内に……ズルズルと潜り込んでいく!


「んく……! うあぁ……!」

 何かに堪えかねるように、レイカの唇から息吹が漏れた。

 その人形の様な顏が、苦痛にたえるように歪んでいた。

 白磁の様なその頬が、今はジットリと汗ばんで妖しく上気していた。


「ククク……。どうした吸血鬼、苦しいか? 胸が裂けそうか? この牙蜘蛛の魔王の力、小さなお前のその身には余るのではないか?」

 レイカを見据えて老人が嗤う。


「お気遣い召されますな、マガツ様。あの者が大接界の呼び水を満たした器であるならば、私もまた魔を満たし世に注ぐ器に過ぎませぬ。もっと、もっと、御存分に、賜り下さいませ……!」

 そう答えたレイカは老人の方を向き直り、凄絶な顏で嗤った。


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