束の間の日常
「学校……!?」
シーナの祖父ラインハルトの言葉に、シュンは驚きの声を上げた。
「でも、昨日のアレで、家があんなことになってしまって、カバンも教科書も……」
「なになに。安心しなさいメイくん。シーナをこっちによこすとき、教科書の一式は購入しておいたからな。制服ともども、あと10セットくらい予備があったはずじゃ」
メイもまた戸惑いの表情だったが、ラインハルトはそう言って彼女に笑いかけた。
「そやな。ウチとメイくんじゃ、背格好も似たようなもんやし、大丈夫やろ。シュンの制服も……」
シーナも当然の様な顏で祖父の言葉を継ぎ、シュンの方を向いた。
「『御庭番衆』の虚死郎くんを学校に潜入させるときのために、男物のブレザーも用意しとったはずや。結局、使わずじまいやったけどな……」
シーナが一瞬、忌々しげに顏を歪めた。
「そんなものまで用意して……!?」
呆れ顔のシュン。
シーナに先んじてこの地にやってきたホタルの同胞が、学校に転入してくる筈だったというのだ。
「く……! コシロウ様!」
狼に倒されて今は亡き同胞に思いを馳せてか。
ホタルの顏が沈痛だった。
「うーん……」
シュンは顔を曇らせる。
確かに、狼の襲来による臨時休校は昨日までだ。
今日からは普通に学校に行くべきなのだが……
昨夜のような事があったばかりだ。
街中に平気でバケモノが現れるような状況で、果たしてメイの身を守りきれるだろうか。
「なになに。安心しなさいシュンくん」
シュンの不安を察したのが、ラインハルトがニカッと笑う。
「これを見たまえ!」
そう言って卓袱台から立ったラインハルトが、縁側の襖をガラリと開け放った。
「あ……!」
シュンは息を飲む。
パラパラパラパラパラ……
細かい翅音をたてながら庭先を飛び回る、大人の握り拳ほどの大きさの青光りした甲虫のような姿。
何十匹、いや、何百匹もの奇妙な……虫たちがいた。
「あれも……マシン?」
唖然とするシュン。
よく目をこらして見れば、彼らは本当の昆虫ではない。
老人が率いて来た軍団と同じだった。
青銀色の装甲に包まれた小さな虫型のロボットのようだ。
「うむ。あれは『魔捜飛行虫』。アチラ側から彷徨い出て来る妖魔たちを探知、追跡するために開発した超小型無人索敵機じゃ!」
ラインハルトは得意げにシュンにそう答えた。
老人が自身の右腕に嵌めた腕時計型の機械の液晶をポチポチと押すと……
ヒューン……ヒューン……ヒューン……
青光りする何百もの機械虫たちが、背中から飛び出した何対もの微細な翅を震わせて、一斉に庭から飛翔して空へと散っていく。
「うむ……これで御珠市内の全域に配置された計1000機のドローンたちが、君たちの座標を随時モニタリングしてくれる。危険な妖魔が君たちに接近する兆候があれば、その時には、こいつらが……」
四散してゆくドローンたちを満足そうに見上げながらそう呟いた老人が、再び庭先に目を遣る。
ジャキ!
青銀色の装甲に全身を包まれた機械兵。
老人の率いて来た12体の『魔甲軍団』達が、一斉に銃を構えた。
「すげえ!」
「うむうむ。ドローンが異常を察知した瞬間に、このレギオンたちが一斉に起動。君たちに近づく間もなく妖魔を殲滅するじゃろう……!」
感嘆の声を上げるシュンに、老人は笑顔でそう答えた。
「うーん……でも、学校かあ……」
シュンは自分の左の瞼に手をやって、困り顏だった。
昨晩の戦い。
夜白レイカの蛇の放った毒に焼かれたシュンの目は、まだ閉ざされたままだった。
左眼の周囲は、白銀色の微細な鱗に覆われている。
こんな顏で学校に行って、教師や周りの友人に何と説明すればいいのだろう。
その時だ。
「大丈夫や、シュン。これで隠しとき!」
「シーナ……これは!」
シーナが笑顔で、懐から何か取り出してシュンに手渡した。
シュンは驚きの声を上げた。シーナから受け取ったのは、大きく真っ黒な……眼帯だった。
「昨日の騒ぎで怪我した言うて、ソレ着けとけば、誰もツッコんでこんやろ。堂々としてれば問題ないで!」
「うーん……そうかなあ?」
自信たっぷりのシーナを見て首を傾げながら、シュンはオズオズと左眼に眼帯をかけた。
鏡で確認しても、なんだかおかしな出で立ちだった。
左腕を覆った白い包帯。左眼には真っ黒な眼帯……
「フクク……似合うでシュン。海賊王みたいや!」
「クス……。シュン。何だか……変!」
燃え立つ炎の様な紅髪を揺らして、シーナが笑った。
メイもまた、シュンの姿にクスリと笑う。
「なんだよ……メイ、シーナ……やめろって!」
シュンが顔を赤らめながら口を尖らせた。
「ハルくん、みんなを屋敷から出して……本当に大丈夫なの?」
「ユウコ殿……わかってくだされ。これも考えあっての事。今回の事件……ただ守りを固めるだけでは解決しない……わしは、そう思うのです」
メイの祖母ユウコが、少し心配そうな顏でラインハルトを眺める。
ラインハルトが、真顔に戻ってユウコを向いた。
「妖魔の目的が、メイくんである事は間違いない。ですがその理由も、目的も、我々にはまるで解らない。シーナの話、異界のタヌキが言うところの『魔王バルグル』が、どれほどの力を持ち、どれほどの手勢を揃えているのか、それすらも……。そしてこの屋敷に我々がいることは敵に知られております。だからこそ、先ずこちらから動く必要があるのです!」
老人の目が厳しかった。
「近辺の『スポット』をドローンでつぶさに監視し、妖魔にわずかな動きでもあれば、レギオンで先攻して個別撃破してゆく。シーナとシュンくん、そしてメイくんは、敵の動きを測るための……いわば『釣り餌』。ですがこれが現状とりうる、最も確実な手段なのです。わしと、わしの『魔甲軍団』の力、信じてくだされ……!」
ラインハルトは真剣な表情で、ユウコにそう答えた。
「……わかったわ、ハルくん」
ラインハルトの目を見つめ、ユウコが頷いた。
「シュン、メイくん。心配せんでも大丈夫やで。ウチの祖父ちゃんの科学力は世界イチや! 大船に乗ったつもりでな!」
「その通りじゃシーナ。そしてメイくん、シュンくん。君たちには大変な思いをさせてしまったが、あとの面倒事は全てわしが引き受けるからな。何も心配せず、いつも通り学校に行って来い!」
シーナがメイとシュンを向いて、余裕の笑み。
老人も再びシュンとメイの方を向き、力強く2人にそう言った。
「そうね……シュン。行ってきなさい、学校。いつまでも此処で腐ってたって仕方ないわ。何かあったら……またバケモノが出たら、あたしも駆け着けてブッタ斬ってやるから!」
「うーあー。わかった、姉ちゃん……」
シュンの姉、如月カナタも獰猛な顏でニタリと笑ってシュンにそう促した。
姉には口答えできないシュンがキョドりながら彼女に答えた。
「しゃーないな……行くかメイ!」
「うん……そうねシュン!」
シュンとメイが、互いの顔を見合わせコクリと頷いた。
「ホタルは、ホタルは居るか?」
「はい、御屋方様、ホタルはこれに……」
ラインハルトが広間を見回しながら、この場に姿の見えないホタルの名を呼ぶと、
ス……
いつの間にか老人の傍らに跪いていているのは、紫紺の髪を揺らした黒装束。
忍者箕面森ホタルの姿だった。
「ホタルは、わしとここに残れ。ともに『あの場所』を探るのじゃ……!」
「わかりました、御屋方様! 『あの場所』は、此処です!」
老人は、何やら難しい顔をしながら畳の上に御珠市の地図を広げて、ホタルと話し合いを始めた。
#
「あ゛~。昨日の今日で、もう学校かよ。眠みー! だりー!」
朝食を終え制服に着替え、屋敷を出たシュン、メイ、シーナ。
そしてタヌキのヤギョウが、学校への通学路を歩いていた。
「もーシュン。少しはシャキッとしなよ!」
昨日とは打って変わってグダグダなテンションのシュンに、横を歩くメイがショートレイヤーの黒髪をはずませながら呆れ顔でそう呟く。
「そうじゃ小僧。いつまたあの女が姫様に近づいてくるかわからぬ。油断するでない!」
「ああ、わかってるってヤギョウ……。夜白レイカ……あいつはやっぱり、俺たちの『敵』……!」
シュンの足元からを飛ばしてくるタヌキのヤギョウに、シュンは真顔になってそう答えた。
シュンは、ブレザーの内側に下げた黒剣の柄を検める。
昨晩のあの時、クラスメートだったはずのレイカの身の内に潜んでいた蛇は、レイカの姿に戸惑い戸惑い体の竦んだシュンの目をその毒で焼いたのだ。
「ふー。まあ、でも……」
シュンは辺りの景色を見回し溜息をつく。
いつもと変わらない街並みと通学路。
昨日の悪夢の様な戦いが、なんだか全て夢だったようにも思えて来る。
……いや、何も変わらないような景色の中で、それでも確かに変わった事があった。
チカチカチカ……
ガードレールの物陰から、街路樹の枝から、小さなカメラを光らせてシュンたちを監視する虫型の『ドローン』たちの姿があるのだ。
そして何よりも……
「えーとさ、シュン、これ……作っておいたんだ! 今日のお弁当……」
彼女がシュンに、オズオズと弁当箱を手渡した。
なんと、屋敷での朝飯の準備と同時に、メイはシュンの弁当まで用意していたのだ。
「今日のおかずは、青椒肉絲と肉ジャガだから!」
「ん……。ああ、ありがとなメイ……」
愛くるしい笑顔でそう言うメイ。
シュンはモジモジしながら、3段重ねのズッシリした弁当箱をメイから受け取った。
「ぐぐぐ……何なんや二人とも……! 昨日からまた急に……!」
シュンとメイの背中から、燃え立つ炎の様な紅髪を震わせながら、シーナがジットリとした目で二人を睨んでいた。
キンコンカンコーン。
道の向こうから、始業を告げる鐘が聞こえてくる。
「やば! 遅刻だ!」
シュンとメイとシーナが、聖ヶ丘中学校の校門むかって走り出した。
#
「シュン……! お前! 何ともなかったんだな? 大丈夫なんだな!」
シュンの親友、ツンツン頭の時河コウが驚きの声を上げた。
3日ぶりに登校し、2年C組の教室に入って来たシュンの顏を、前の席から振り返りつつマジマジ眺めるコウ。
「ああ、コウ。どうにかこうにか……姉ちゃんも何ともないし……」
「でもシュン。今、家はどうしてるんだよ? 狼男の時からいなくなっちまうし、それに、その顏は……!?」
しどろもどろに答えるシュンに、コウは矢継ぎ早に疑問を叩きつけた。
「家はその……今は親戚の家に世話になってるんだ。それにこれは……目の前で家が崩れた時、煙に巻かれてさ……」
「そうか……シュン。とにかく、無事でよかったな!」
左眼を覆う眼帯に手を遣りながら、シュンはどうにかこうにかコウに言い繕った。
納得いかない様子で首を傾げながらも、コウはシュンの顔を見て笑った。
「ああ。ありがとなコウ!」
3日ぶりに見るコウの変わらぬ姿に、シュンもホッとしてそう答えた。
#
午前中の授業を上の空で聞き流して、昼休み。
「それにしてもスゲーよな、シュン。連続殺人があったと思ったら、学校には狼男と謎の薔薇男。それで今度は、怪獣騒ぎだぜ。やっぱり裏に何かあるよな? アメリカ軍の生物兵器の実験にこの場所が選ばれてるとか……? 政府も絶対何か隠してるぜ!」
「うーん……そうかもな、コウ……」
メイの用意した弁当を食べ終えたシュンは、教室でコウとダベっていた。
教師たちはシュンとメイに、一通り気遣いの声をかけてはくるが、それ以上の詮索はして来なかった。
シーナが言うには、彼女の祖父の「代理人」なる人間が、学校の問い合わせ、警察、消防の取り調べに全て応じてくれているらしい。
「ところでさコウ。あいつは、レイカはあれから、見てないよな?」
「レイカ、うん、ああ。あの日来たきりだな……」
何も知らないコウが、少し残念そうにレイカの居た空席に目を遣る。
「やっぱ、そうだよな……」
シュンはボンヤリと窓の外を眺める。
教室から見下ろす校庭も、街並みも、日常の姿を取り戻したかのように見える。
このままもう、何も起こらないまま時が過ぎてくれれば……いや。
いつもと変わらない教室の景色に、ポッカリ開いたもう1つの空白が、シュンの気持ちを微かにささくれさせた。
「そういやコウ。あいつは、委員長は……?」
景色の違和感に気づいてシュンがコウに声を上げた。
いつもうるさいクラス委員長、コウの隣の席の藤枝ルナの姿が、今日は見当たらないのだ。
「うん……あいつは、ルナは……」
コウの顏が曇って、声が暗くなった。
#
ビュウビュウと生臭く冷たい風の吹き抜ける薄暗い洞の内を、一人の少女が歩いていた。
少女の真っ白な素足の踏みしめているその道は、湿った土に見たことも無い苔や茸がそこいら中に生えていて、紫やオレンジ色の毒々しい燐光を放っていた。
巨大な洞の壁面は、これまた赤や、紫、暗緑色をした奇妙な形の葉を生やした蔦の茂みに覆われている。
蔦の葉は時々ドクドクと不気味に脈動していて、まるで少女の歩くこの洞そのものが、なにか巨大な生き物の食道の内側を連想させる。
少女の纏った深紅のワンピースは、冷たい風に晒されて暗い洞の内を流れる、まるで紅薔薇の花弁のように見える。
闇夜に溶け込むような少女の黒髪も、湿った風に濡れて今は少女の顏や首筋にベッタリと張り付いた黒蛇の様に見える。
少女は、夜白レイカだった。
「キキキキ……人ダ、女ダ、餌ダヨォ……」
「一匹ダケカ……マアイイ、此処デ喰ッチマエ……」
「俺ハ、アノ足ヲイタダクカ……」
そのレイカの歩く、何処とも知れない洞の茂みの影から、彼女を取り囲んだ影たちががそう囁く。
毒々しい茂みごしにレイカを包囲しているのは、仔牛くらいもある大きさの、毛むくじゃらの、幾つもの黒い塊だった。
「牙蜘蛛の御方々……私を殺しても糧にはなりませぬ。私はリーリエ……」
レイカは影たちを見回し、鈴を振るような声で影たちに呼び掛けた。
「牙蜘蛛一族の長、魔王マガツ様にお伝えしたきことがあり、この地に参じました。主のおわす館まで、どうか私をお通しくださいませ……」
夜白レイカが影たちに跪き、恭しくそう告げた。




