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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第6章 魔瞳の煌めく時
46/144

廃墟の一幕

 ハサハサハサ……


 崩れかけた建物の窓から、天井の隙間から、黒翅の蝶が舞い込んで来た。

 差し込む月光を遮って、何百頭もの蝶が舞う。

 蝶たちはバルグルと猿の居る一間の内をひとしきり灰色に染め上げる。

 そしておもむろに。

 ザザア……

 獣王の座る机床台の前に集ってきた蝶が、黒い人型の影のようなものを形作った。

 次の瞬間、バルグルの前に跪いていたのは、深紅のワンピースにその身を包んだ1人の少女。


 夜白レイカの姿だった。


「吸血鬼!」

「申し訳ありませんバルグル。『器』を捕えること、適いませんでした。人間の守りは、予想以上です」

 赤猿シュタンゲの顏が、嫌悪に歪んだ。

 シュタンゲを顧みず、レイカは獣王に首を垂れた。


「なに、構わねえよリーリエ。あと3日もすれば、この身の内には魔気が満ちる。シュライエの魔氷も砕けるだろう。そうなれば、もうお前が策を弄する必要もねえ。この俺が直々に討って出る。それだけのことさ……」

 人形の様な顏を伏したレイカを灰色の瞳で見据えながら、バルグルはそう答えた。


「ですが獣王よ。ズィッヒェル殿も、エッゲ殿も、子供らの振る武器に敗れました。この地にもじき、人間の手が及ぶでしょう。この上は……」

 夜白レイカが顏を上げた。

 レイカはシュタンゲを向いた。


「シュタンゲ殿。魔影世界に名の聞こえた火猿の武術。今こそ存分に振われる時。獣王をお護りし、この地に近寄る人間の兵隊を、貴方のその竿で討ち払いなさりませ!」

「ぐ……! もう我慢ならねえ!」

 黒珠の様な瞳で赤猿を見据えて、そう告げるレイカ。

 シュタンゲが忌々しげに歯を剥いた。


「吸血鬼! 俺が貴様の話に乗ってコッチに出て来たのは、そこの獣王と決着をつけるためだ! それが、何で貴様の様な下賤の者の指図で動かなけりゃならねえ!?」

「シュタンゲ殿。武器をお収めください。私の務めは、ただただ獣王の命をお伝えすること……」

 たまりかねたように赤猿は吼えて、レイカに向けて右手の竿を構えた。

 表情を変えずレイカがシュタンゲに言い放つ。


「やめろ。シュタンゲ」

「ふん。あんたもあんただ、獣王。野に下ったとはいえ、仮にもこのシュタンゲの腕を落とした獣の谷の王が、何故こんな下らぬヤツとつるんでいる? 反吐が出るぜ!」

 バルグルも鋭い声で猿を止めた。

 納得いかない様子で、シュタンゲはバルグルをにらむ。


「いま1度だけ言うぞシュタンゲ。リーリエは俺の恩人だ。こいつへの手出しは許さん!」

 バルグルはシュタンゲを見据え、ゆっくりと猿にそう言った。


 だが……


「なるほど……獣王。妃が死んで、気が触れたという噂は(まこと)だったのか……それとも、下賤の吸血鬼に籠絡され色に溺れたのか? いずれにしても、こいつ(・・・)で正気に戻るかなっと……」

 シュタンゲが歯を剥いてニタリと嗤った。

 バルグルを顧みず、シュタンゲはレイカに向かって右手の竿を振り上げた。


「おやめください、シュタンゲ殿!」

 悲鳴にも似たレイカの声。


 ビュッ!


 空を切る音と共にシュタンゲの竿が、人形の様なレイカの顏むけて振り下ろされた……だが、次の瞬間。


「ギャアウ!」

 赤猿の悲鳴が空気を裂いた。

 瓦礫の敷き詰められた屋内の床に猿の身体がもんどりうった。


 竿はシュタンゲの手から落ち、レイカの身体は無傷だった。

 シュタンゲの右の脇腹には、月光を受け白く煌めいた鋭い刃のようなものが食い込んでいた。

 先程、バルグルが自身の白銀の蓬髪を変化させて作った刃が今、獣王の身体から飛び出して猿の脇をえぐったのだ。


「言ったはずだぞシュタンゲ。こいつ(・・・)に手を出すなと……!」

 ザワザワザワ……

 バルグルの蓬髪が、再び禍々しく逆巻いていた。

 怒りに満ちた灰色の目が、猿を睨んでいた。


「死ね!」

 バルグルの髪から猿に向けて、再び刃が放たれようとしていた。

 だが、その時。


「…………!」

 獣王の目が驚きに見開かれた。


 タッ。


 バルグルの前に立ち、猿と彼とを遮る者がいた。

 夜白レイカだった。


「くそ! 止めだ、止めだ!」

 右手に握った竿を杖代わりにして、脇腹を押えながらシュタンゲが瓦礫から立ち上がった。

 猿が憎悪に燃える目でレイカとバルグルをにらんだ。


「俺は降りるぜ獣王。エッゲも、ズィッヒェルも、もういねえ。あんたは俺だけの(・・・・)獲物だ……! 封印が解かれて、あんたが動けるようになるまで、俺は好きにさせてもらうぜ! 今度会った時に……殺してやらあ!」

 そう吐き捨てると、シュタンゲはレイカとバルグルに背を向けた。


「お待ちをシュタンゲ殿、お留まりを!」

「吸血鬼! 次に俺の視界に入ったら、それが貴様の死ぬ時だ! せいぜいが獣王の背中にコソコソ隠れているんだな!」

 レイカがシュタンゲの背に手を伸ばし、哀切な声でそう呼びかける。

 だがレイカに向けて放たれた猿の言葉は、憤怒と侮蔑の塊だった。


 タッ。


 次の瞬間、猿の身体が跳躍した。

 開け放たれた戸口から屋外に飛び出して、シュタンゲはバルグルとレイカの前から消えた。


「なぜ庇った、リーリエ?」

 バルグルが、レイカの背にそう訊いた。

 獣王が猿に止めを刺すべく放とうとしていた刃を、レイカは自身の身体で制したのだ。


「……これでよいのです、獣王よ。シュタンゲ殿には、好きに動いていただきます……」

 先ほどの哀切な声とは一転。

 バルグルに答えたレイカの声は冷ややかだった。


「人の世に放たれた手負いの獣は、子供らの注意を一時この地から逸らすことでしょう。格好の撒き餌となります……」

「ふん。何もかも、計算尽くか……まったく食えない奴だ……」

 レイカの返事にバルグルが呆れた顏。


「それもこれも、全てはバルグル、あなたの望みの為……」

 レイカがバルグルを向き、再び彼に跪いた。


「先程の御計らいに、改めてリーリエは打たれました。新たなる世の果てまで、私はあなたにお仕え致しましょう……」

 レイカは涼しい顏をして、恭しくバルグルにそう答えた。


  #


「とは言っても……」

 バルグルを残して、獣王の根城を後にしたレイカは呟く。

 崩れかけた集合住宅の立ち並んだ廃墟。

 夜空に上った月がレイカの白い肌を銀色に濡らし、人形の様な顏の凄絶な美しさを一層際立たす。


「鰐と豚は失われ、猿は野に放たれた。王の復活まで彼の魔気は頼れない。そして私の力は尽きた……」

 赤い唇から譫言(ウワゴト)の様な言葉をこぼしながら、夜白レイカは月を見上げる。


「気は進まぬが、『あの者』の力を請うとするか……」

 そう言って廃墟を歩き出したレイカの唇は厳しく結ばれていた。

 黒珠のような瞳の内には微かな嫌悪の光があった。


  #


「くそっ! くそっ! くそっ! どうしても、奴に勝てねえ……!」

 御珠(みたま)城址公園の人気のない夜の展望広場だった。

 コナラの木の枝に腰かけた赤猿が、憤怒の呻きを漏らしていた。

 獣王とレイカの元を去った赤猿シュタンゲが、えぐられた自身の脇腹を押えながらブツブツと繰り言を言っている。


 魔影世界の各地を巡り、修行と称してはその地で殺戮と姦淫を繰り返していた頃、赤猿シュタンゲに歯向かえる者など何処にもいなかった。

 兵隊にも野盗にも、火猿の武術を修めた彼に勝てる者など誰もいなかったのだ。


 だが、獣の谷の王は違った。

 獣王バルグル自らが、無法の限りを尽くしていたシュタンゲの前に立ち現われた時、初めてシュタンゲは知ったのだ。

 『魔王』の名を頂く者と、自身との桁違いの力の差を。


 本来は偉大な銀色の獅子の姿をしているという獣王は、だがシュタンゲと対した時は黒銀の鎧を纏い、巨大な戦斧を携えた、まるで貧弱な人間の様な姿だった。

 ほとばしる魔気を押える為であろうその姿のままに、獣王は一瞬でシュタンゲを組み伏せ、斧で彼の左腕を落としたのだ。


 以来復讐を誓ったこの猿は、武術の技を研鑽しながら獣王をつけ狙った。

 接界の頂で彼が魔影世界から姿を消した後も、執拗に彼を探し続けていた。

 だが次の接界。

 吸血鬼の言葉に応じ、バルグルの姿を求めて人の世に出た猿は、今再び自身の無力さを味わっていた。


「次は殺してやる!」

 口では大きなことを言っても、内心では分っていた。

 自分の力だけでは、獣王には絶対に及ばないと。


「そういやあいつら、面白いモノを使っていたな……」

 シュタンゲは夕刻の戦いを思い出していた。


 自身の身を縛ったシュンの蔓。

 豚の顏を焼いたシーナの炎。


 そして、あの忌々しい吸血鬼の言葉を信じるならば、大豚のエッゲと石鰐のズィッヒェルは人間の武器に敗れたというのだ。


「人の世の武器……俺たちを倒すためにだけ作られた武器……か」

 ブツブツとそんなことを呟きながら、シュタンゲは街の灯を眺める。


「面白そうじゃねえか。連中の武器を狩り、使いこなせれば、あるいは……!」

 猿は歯を剥いてニタリと嗤った。


  #


 夜が明けた。


「どわー! 何やってんだよシーナ!?」

「うんにゅ? オハヨーや。シュン」

「な……何やってんのよ、この痴女! シュぅぅぅぅぅぅぅうン!」

「ち……違うんだよメイ、朝起きたら、こいつが……勝手に!」

 比良坂の屋敷が、朝から騒がしかった。

 『寝相』のせいでシュンの布団に潜り込んでいたシーナに気づいたシュンが布団から跳びあがった。

 朝食を準備しようと台所を探っていたエプロン姿のメイが嫉妬に燃え狂った目でシュンに迫っていたのだ。


  #


「……ったく何やってんのよ。あんたたち! 昨日の今日なのに、まるで成長が見られないわ!」

 屋敷の広間。朝食のために卓袱台を囲んだ皆の中。

 如月カナタが厳しい目でシュンとシーナをにらみつけていた。


「てへへ……すんません。カナタさん……」

「ぐぐぐ……この痴女! 油断も隙もない……!」

 紅髪を掻きながら照れ笑いを浮かべるシーナ。

 メイがジットリとした目でシーナとシュンを交互に睨む。


「ううううう……」

 朝から修羅場。

 自分の家の時と何一つ変わらない状況に、シュンがゲンナリした顔で朝食に箸をつけていた。


「まあまあ。許してくれみんな。シーナは寂しがり体質なんじゃ!」

「うーん。しばらくは此処にお世話になることだし……少し『部屋割り』や『炊事当番』も考えないとね……」

 皆と食卓を囲んだラインハルトが、禿頭を光らせながらカッカと笑う。

 困った顏で首を傾げながら、ユウコも朝食を口に運んでいた。


「姫様も、お体に障りなく何よりじゃ!」

 畳では皿に置かれたアジの開きをかじりながら、タヌキのヤギョウが安心した様子でメイを見上げていた。


「でもなんだかちょっと……『合宿』みたいで、楽しいね、シュン!」

「ん……。ああ、そうかもなシーナ」

 ようやく機嫌を直したらしいメイが、そう言ってシュンに笑いかけた。

 顏を赤らめ、オズオズとシュンは答える。


 昨夜の一件以来、メイとの距離感は、微妙だが、確実に変わっていた。

 2人の間に、これまで意識していなかった、信頼感と……そしてそれ以上のものが出来上がっていた。


 シュンにも、ハッキリとそれがわかった。

 約束したんだ。メイは、俺が守るって……。

 卓袱台の下で、シュンはギュッと拳を握りしめる。


 強くならなくちゃ……自分のため、そしてメイのためにも……。

 シュンは、自分の顏に手を遣った。

 左眼の創はあいかわらずで、まだ目は開かないが、それでも痛みは完全に消えていた。

 テレビでは、昨晩おきた家屋の倒壊や連続車両衝突……『怪物騒ぎ』が仰々しく報道されていた。


「姉ちゃん……やっぱりさ、昨日の事、警察に知らせないといけないのかな……?」

「そうね、言っても、うちらの家も、メイちゃんの家も、あんな事になってるのに、あたしたちは無事なわけだから、やっぱりね……」

 シュンが不安そうに姉を見る。

 難しい顔で姉がうなずく。


 だが……その時だ。


「なになに。カナタくん、シュンくん、その手の面倒ごとは、このわしが全て片付けておくからな。警察にも役所にも、すでに裏から手を回しておる!」

 シーナの祖父、比良坂ラインハルトが扇子でパタパタと自分を扇ぎながら、そう言ってニカッと笑った。


「警察に……裏から……手を……!」

「あー……。そういうので、OKなんですか……」

 カナタとシュンが唖然とする。

 問題解決の手段が、この老人は馬鹿馬鹿しい程飛躍しているらしい。


「そんな事より、シュンくんも、メイも……」

 メイの祖母ユウコが二人を促した。


「そんなにのんびりご飯を食べていたら、遅刻してしまうでしょ?」

「え……?」

「遅刻……?」

 一瞬、ユウコが何を言っているのか解らない二人に、


「そうじゃぞ、みんな、今日からまた、学校が始まるじゃろ……」

 ラインハルトがそう答えた。


「学校……!?」

「こんな状況で!?」

 シュンとメイが目を丸くした。


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