うなる旋風拳
「シーナ! ホタル! 大丈夫か?」
車の窓から半身を乗り出してシュンが叫ぶ。
カナタの運転するバンが峠道を下っていた。
シーナとホタル、大豚エッゲの方へと突入してゆく。
「シュン、戻るんや! アイツが……レイカが屋敷に向かっとる!」
シーナが慌てて手を振って、シュンにそう叫んだ。
と同時に、
「ブゴ……」
車に気づいた大豚が、真っ赤に燃える目でシュンたちを睨んだ。
そして、コオオオ……。
エッゲが大きく息を吸った。
大豚の胸部が倍ほどに膨れ上がり、開かれた乱杭歯の合間から赤い炎が漏れ出した。
そして次の瞬間。
ボンッ!
エッゲの口内から、ビーチボールほどもある燃え盛る火の球が放たれた。
火球がシュンとカナタの乗ったバンに飛んできた。
「ううあ!」
眼前に迫った真っ赤な火球に、カナタが慌ててハンドルを切ろうとするものの……
ボンッ!
火球はそのまま車の正面に命中した。ボンネットが吹き飛んで、エンジンが火を噴いた。
「シュン! 降りて!」
熱気から顏を背けてカナタが叫ぶ。
「姉ちゃん!」
シュンが右手の剣を振る。
シュルル……。
シュンの左手から伸びた薔薇の蔓がカナタの身体に絡まり、シートベルトを引き裂いていく。
次の瞬間、タッ!
開け放たれたサイドドアから、シュンと、蔓に繋がれたカナタの身体が路面に飛び出した。
「ぐうう!」
アスファルトに転がるシュンとカナタ。
2人の全身を覆った蔓がクッションになってはいるが、全身を襲った衝撃は相当の物だった。
「きゃああ!」
「ホタルちゃん、避けるんや!」
乗り手を失った燃える車が、シーナとホタルの方に突っ込んでくる。
とっさにに車をかわす2人。
「ブガアア!」
大豚エッゲが唸りを上げた。
豚の構えた巨大な馬鍬の刃先に、燃える車が迫って来ると、
ブンッ!
大豚が、車向かって馬鍬を薙いだ。
ズガッ!
豚に払われた燃える車体が、空中を舞い、そのまま峠の麓へと落下していく。
「ああ痛つつつつつ……」
路面に転がったシュンが、痛みを堪えてようやく立ち上がる。
「ん? 姉ちゃん?」
シュンは不審げに辺りを見回した。
シュンと一緒に道路に転がり出たはずのカナタの姿は、もうシュンの傍らには無かったのだ。
「ずああああああああ!」
シュンよりも数秒早く路面から跳ね上がったカナタは、既に坂道を大豚めがけて疾走していた。
「あたしにも、一発殴らせなさい!」
獰猛な笑みを浮かべて、姉が叫んだ。
彼方の両手には、ユウコから受けとった手甲がはめられていた。
降りた畳み式の鉤爪を備えた、青光りする『疾風の手甲』だ。
「ブゴォ……」
豚が、再び大きく息を吸った。
膨れ上がる上体。
豚の口中から炎が漏れる。
エッゲ向かって一直線に走って来るカナタに、再び火球を放とうというのだ。
「駄目ですわ! お姉さん!」
「カナタ殿! 避けて!」
「姉ちゃあああああん!」
シーナとホタル、そして背後のシュンが、必死でカナタにそう叫ぶ。
だが、ボンッ!
無情に放たれた大豚の火球。
真っ赤な火の玉が夜の闇を切り裂きながら、剥き出しになったカナタの生身に迫る。
危ないカナタ! だが、その時だ!
ビュオオオオオ……
何か、空を切るような音と共に、火の玉が、カナタの正面で四散し、消滅した。
「な……!?」
背後のシュンには、何が起きたのか理解できなかった。
「ブゴ!?」
豚もまた戸惑いの声を上げた。
カナタの右手は、目にも止まらぬ速さで胸の前方で左下方にむけ弧を描きながら火球を切り裂き、一回転して上段に構えられていた。
カナタの左手は、右手の外を上方に顔前を通過しながら炎を払い、一回転して下段に構えられていた。
「回し受け!?」
「炎を払った!?」
シーナとホタルが、驚愕の声を上げた。
魔甲を介して放たれたカナタの受け技が、火球を払って空中に四散させたのだ!
「芋虫! 忍者! 下がっていなさい!」
タッ! タッ! タッ!
火球はカナタの進撃を止められなかった。
自身の武器を封じられて戸惑う大豚の正面に、八の字立ちにカナタが立った。
そして……
「セイ!」
回転する右拳。
裂帛の気合いと共に、カナタの放った正拳突きが、豚の膨れた下腹に炸裂した。
そして、ゴオオ! カナタの拳から、突風が起こった。
「ブギャアアアアア!」
嵐の拳が、豚の巨体を後方に吹き飛ばす。
ズズン。
エッゲの身体は、崩落したトンネルの入り口に激突した。
再びガラガラと崩れてゆくトンネルの天井が、豚の身体を瓦礫で覆っていった。
「すげええ……!」
後方のシュンが感嘆の声。
「あれが……『疾風の手甲』! カナタさんの空手!」
シーナもまた秋尽の魔器とカナタの技に、驚きの色を隠せない。
「これが……ユウコさんの武器の力!」
カナタも両手の手甲を眺めて、満足気に頷いた。
「どうやら間に合ったみたいね。やっぱり、あんたたち2人じゃ危なかったわね!」
「あ……ありがとさんです。それよりもお姉さん!」
後方のシーナとホタルを振り向いて、カナタがニヤリと笑った。
燃え立つ炎のような紅髪を震わせて、シーナがカナタを見上げた。
「すぐに……メイくんとこ戻らないと! 屋敷にアイツが……夜白レイカが向かってるんです!」
シーナがカナタに訴える。
「夜白レイカ……事件の黒幕!?」
カナタの目の色も変わった。
だが、その時だ。
「ブキキキ……」
ガラガラと崩れる瓦礫の中から、黒い影が起き上がる。
大豚エッゲが、トンネルの瓦礫の下から再び立ち上がり、馬鍬を構えてカナタに迫って来たのだ。
「くっ……!」
忌々しげに豚を睨むカナタ、だが次の瞬間。
「シュン!」
後方のシュンにカナタが叫んだ。
「あんたは忍者と一緒に屋敷に戻りなさい! メイちゃんと、ユウコさんを守るのよ!」
カナタはシーナの方を向く。
「芋虫はあたしとここに! 今度こそこいつをぶっ倒すのよ!」
カナタが厳しい顔で大豚をにらむ。
「わ……わかりました。ホタルちゃん! 凧を!」
「はい、シーナ様!」
カナタの号令で、シーナとホタルが動きだす。
「わかった! 姉ちゃん! そっちは頼んだぜ!」
道路から立ち上がって、姉にそう叫ぶシュンに、
「シュン殿、つかまって!」
ホタルの飛ばした凧が近づいて来た。
「ブギギギ……! 舐めるな、ゴミどもぉ!」
大豚エッゲが、怒りに豚面を歪めながら馬鍬を振り上げる。
豚の口中から再び炎が漏れ始めた。
「よくもうちらの街を……無関係な人達まで!」
カナタは何かブツブツと小さな声で呟くと、
「この豚野郎! 今度こそ、挽肉にしてやるわ!」
エッゲを見上げて、凄惨な顏でニタリと嗤った。
#
すぐ数キロ向こうでの死闘が嘘の様な静けさに包まれた、比良坂の屋敷の庭先だった。
草叢を泳ぐように、這い回る大ナメクジ。
朱い舌を出し入れしながらとぐろを巻く大蛇。
松の木のような木人。池の中を泳ぐ河童……
普通では人間には見えない異形の者たち、見えないモノの見える特別な感覚に長じた者、あるいは接界の迫った一時期にだけ常人に見ることの出来るモノノケ、妖怪たちが静かに集った『おばけ屋敷』のその庭先に……
ハサ……ハサ……ハサ……
何か、掠れるような微かな音がする。
それは小さな翅音だった。
と同時に、石灯籠の周囲を、松の木の間を、庭石の上を、小さな無数の黒い影が瞬いていた。
まるで、夜の闇に溶け込むような、何百頭もの黒翅の蝶だった。
その、夜の空から飛来した蝶たちが庭先の一点に集っていく。
蝶たちが合わさり、重なり、人の身の丈ほどもある黒い影の様な塊を形成すると。
次の瞬間、ザザアアアアアア……
庭先を一陣の冷たい風が走って、影が人の姿へと変わった。
華奢なその身に纏った深紅のワンピース。
長い黒髪、真っ白な肌、切れ長の目、黒珠の瞳、まるで人形の様な顏。
夜白レイカの姿だった。
「ここが比良坂の屋敷……西の夜見の統領。キョウヤさんが、そんな家を頼っていたなんて……」
屋敷を見上げ、興味深げに彼女の足元に寄って来る妖怪たちを見回しながら、レイカはポツリとそう呟いた。
「あの娘は……あそこか……」
レイカの瞳が、屋敷の一点を見据えた。
ス……。
滑るような足取りで、レイカはそのまま屋敷の縁側へと上がっていった。
「世に聞こえた秋尽の魔器……子供たちの持つ『武器』のせいで、だいぶ予定が変わったけれど、でもいいわ。今ならば、私だけでもあの娘を……あとは最後の一匹を『糧』とすればいい……」
鈴を振るような声で、わけの解らない事を小さく呟きながら、夜白レイカは屋敷の一間に向かって歩みを進めて行った。
#
ガラリ。寝所の襖が開け放された。
布団の上で寝間着を着せられ、あどけない顔で眠っているのは、黒い短髪を乱した秋尽メイだった。
「秋尽メイ……」
眠るメイの傍らに立ち、レイカはメイの顏を見下ろしてその名を呼んだ。
レイカはメイの枕元に跪き、メイの顏を覗き込んだ。
「15年待った。お前が器として容を成すのを。いや、その遥か前から、ずうっと昔から、私は待っていた。裂かれた世界の狭間で、堕とされて、貶められて、恥辱に耐えて、何年も、何年も、何年も……!」
メイを見てそう呟くレイカの声が震えていた。
その声には、怒りと、怨嗟。
そして狂おしい渇望の色が滲んでいた。
「でも、それもじきに終わる。二界の交わる刻。来るべき接界の頂で成すべき執行が成されれば、そう、お前さえ有れば……!」
ス……。
レイカの白魚の様な指が、メイの頬を撫でた。
メイを見るレイカの瞳の内には、長い長い旅路の果てに、ようやく目的を果たしつつある歓喜のような色。
そして、何か汚らわしいが不憫なモノを見るような、蔑みと同情の光があった。
それは憐れみの色だった。
そして、その時だった。
スラリ……
メイを見下ろす夜白レイカの背後から、彼女の真っ白な首筋に、一振りの白刃が添えられた。
「ユウコさん……お久しぶりです」
後ろも向かず、表情も変えず、夜白レイカは刃の持ち手の名を呼んだ。
「レイカさん……本当に、あなただったのね?」
レイカを呼ぶ、その声は沈痛だった。
レイカの背後に立ち、彼女の首筋に自身の短刀『鬼刺刀』を添えているのは、菖蒲柄の寝間着に身を包んだ、端正な顏をした白髪の老女の姿だった。
メイの祖母、秋尽ユウコだった。




