工房館の魔器
「メイ……私のメイ! でも、どうして? なぜ私は『此処』で……こんな『姿』を……ああ!」
赤ん坊のメイは消え去っていた。
動転したコダマがベビーベッドに残された便箋を震えながら握りしめていた。
コダマの目が困惑に見開かれていた。
その緑の瞳の中に、たった今何かを取り戻し全てを見出したかの様な驚きの光が宿っていた。
「コダマさん……コダマさん!?」
コダマの様子に不安になったユウコが、彼女に何度もそう呼びかけた。
「『闇の森のリーリエ』……『獣の王』……! ああ、そうだったのね。何もかもが、全てあいつの仕組んだ事……!」
ユウコの声は届いているのだろうか。
コダマは何もない場所を見据えながらブツブツと何かを呟いていた。
夕暮れ時の洋館の寝室。
窓から差し込んだ落ちかかる日の光が、立ち尽くすユウコとコダマ、そして寝室の一角、もぬけの空となったベビーベッドの白い格子とシーツを不吉な茜の色に染めていた。
そして、突然、
ゴオオオオ……
コダマの身体に異変が起こった。
「コダマさん……そんな!」
ユウコは、眼の前で起きたコダマの変容に息を飲んだ。
コダマの身体から、青黒い炎が噴き上がった。
奇怪な炎がコダマの全身を舐めていった。
コダマが身にまとったリンネルのシャツやデニムのパンツ、そして麻のエプロン。
一瞬で炎に覆われると、燃えるではなく糸屑のような氷片と化して砕け、コダマの周囲を白い雪が舞った。
そして、剥き出しになったコダマ自身の身体も、異様な姿に変わっていた。
スラリと伸びたその手足は、白銀色に輝いた美しい鱗に覆われていた。
鱗に覆われていない胸から上の露出した肌は、まるで磨き上げられた氷の様な、滑らかな蒼白だった。
漆黒だったその髪は、今では炎の中心の様な輝く青色に変わっていた。
風も無いのに逆巻く半透明のその髪の間を、パチパチと紫色の火花が散っていた。
その髪を割って額から突き出しているのは、透明な、これまた磨き上げられた氷柱のような一本の角だった。
そして、コダマの背中から広がり、まるでマントの様に彼女の全身を覆って行くもの。
それは水晶柱の様な翼支から放たれた紫色の光の被膜のような、優美な6対の翼だった。
「雪の……女王!?」
自分でも気づかないうちに、ユウコはそう呟いていた。
子供の頃から、絵本や紙芝居で見知っていた童話の登場人物が、一瞬コダマの姿に重なったのだ。
「ユウコ……さん」
コダマは少し困ったように微笑んで、ユウコを向いた。
その瞳の色だけは、ユウコの見知っている変わらぬ緑色だった。
コダマの困惑は、自分に起こった変貌ではなかった。
今取り戻したばかりの自身の過去の記憶と、人間の世界での記憶との落差によるもののようだった。
「コダマ……さん……」
「怖がらないで、ユウコさん。いま全てが解りました。安心して。私とキョウヤさんの子供、そしてあなたの孫のメイは、私が取り戻します……!」
コダマの変貌に驚き、恐怖し、継ぐ言葉が出てこないユウコに彼女はそう呼びかけた。
コダマの緑の瞳には、厳しい決意の光があった。
バサリ。
6対の光の翼が、大きくしなった。
ビシン。
庭園に面した寝室の壁面が、一瞬にして微細な氷の欠片になって庭園に飛び散った。
氷片は夕日を受けて輝く赤や橙のキラキラになって、暮れなずむ雑木林の樹間を舞った。
「さようなら、ユウコさん。こちらの世界で受けた御恩は終生忘れません。キョウヤさんにも、そう伝えてください。そして、決して私の事は追わないでと……」
消失した壁の際に立って、コダマはユウコにそう告げた。
その緑の瞳から流れた涙が、煌めく金平糖のような氷片になって、ポトポトと床に落ちた。
ユウコに背を向け、コダマの身体がフワリと宙に浮いた。
「待って、コダマさん、どうして? 行かないで!」
ようやく声を取り戻したユウコが、コダマに向かってそう叫ぶぶ。
だがコダマはユウコを振り向かなかった。
バサリ。バサリ。
コダマの身体は6対の翼の羽ばたきと共に、夕空の彼方へと消えて行った。
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「それが、コダマさんと私の別れだった。唐突で、一瞬で、あっけなくて……」
ユウコが、声を詰らせた。
当時の気持ちが甦ったのか、その目には再び涙が滲んでいた。
「それから、どうなったんです? メイちゃんは無事だったんですか? それにキョウヤさんとコダマさんは……?」
シュンが暗い顔で呟く。
タヌキのヤギョウの話、メイが眼前で放った魔氷の炸裂。
そしてユウコの話したコダマの過去が、信じたくない事実を裏打ちして行く。
「やっぱり……メイの母さんは『魔王』だったのか……」
カナタの方は、ユウコの方に身を乗り出して彼女にそう尋ねた。
「ええ、それからすぐ、館に帰って来たキョウヤは、コダマさんの後を追ったわ。コダマさんの言葉はキョウヤには伝えなかった。追うなと言ったって、聞くわけないでしょう?」
ユウコが話を続けた。
「前の接界から、既に1年が過ぎていたわ。他のモノノケたちは姿を潜めている。解放されたコダマさんの強烈な妖気の跡を追うのは、そう難しくないでしょう。それでキョウヤはすぐに館を飛び出したわ。コダマさんとメイを連れ戻すために。でも……」
ユウコの顏が悲痛だった。
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その夜遅く。
自宅の工房館でキョウヤとコダマ、メイの帰りを待っていたユウコ。
彼女の元に、創だらけのキョウヤが帰って来た。
その腕には、無傷のメイが抱き抱えられていた。
「キョウヤさん、大丈夫!? メイ……よく無事で!」
キョウヤに駆け寄り、ユウコは涙ながらにメイを抱き上げた。
「キョウヤさん、その……コダマさんは?」
ユウコは恐る恐る、キョウヤにそう尋ねた。
「母さん。コダマは……コダマはもう、この世には……」
キョウヤの喉から嗚咽が漏れ出した。
メイを館まで連れて来て、緊張の糸が切れたのだろうか、
「オオオオオオオオ!」
夜空を仰いで絶叫し、キョウヤはそのまま地面に倒れ込んだ。
「そんな……キョウヤさん!」
ユウコが息子を抱き起した。
キョウヤの傷は、見た目よりも遥かに酷かった。
背中には、大きな斬り創が刻まれていた。
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その後、緊急入院したキョウヤは、3日間生死の境を彷徨った。
背中に刻まれた傷は深く、キョウヤは両脚の運動機能を失った。
退院してからの数週間、キョウヤは生きた屍のようになり、自室に引きこもり、ふさぎ込む日々が続いた。
無理からぬことだろう。
コダマを失い、同時に自身の退魔師としての生命を失ったのだ。
ユウコは、赤ん坊のメイの世話を続けながら、キョウヤの恢復を待った。
ユウコのショックと悲しみもまた大きかったが、今はユウコが家を支える時だった。
時の流れとメイの存在が、息子に再び生きる力を与えるだろう。
そう信じたのだ。
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やがて、ユウコの希望は叶った。
キョウヤは徐々に恢復して行った。
部屋を出て、車椅子で外出をするようになりった。
ユウコと交互で、メイの世話をし、メイと笑顔で接する事まで出来るようになった。
ユウコに、あの夜のコダマの事を話すことはなかったが、時が来れば口を開くだろう。
ユウコはそう信じていた。
その頃からだった。
キョウヤが館の工房に閉じこもり、何かに掛りきりになることが増えたのは。
メイの世話や、外との付き合いは続いていた。
だがそれと同時に、秋尽家に伝わる古文書を熱心に読みあさり、何か考え込むことが増えて来たのだ。
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「そしてある時、キョウヤは私に言ったの……」
ユウコがポツリ、そう呟いた。
「故あって、自分は旅に出ると。帰るあては無いと。夜見の衆としての秋尽の家は絶えたものと思って欲しいと。全ては、メイの幸せを思っての事だと。本当に勝手だが、メイの事をよろしく頼むと……!」
ユウコの肩が震えていた。
消えた息子、キョウヤの顔と声を、まざまざと思い出しているのだろう。
1筋、2筋、その頬を涙が伝っていた。
「本当に、勝手な子。勝手にオバケのお嫁さんを連れて来て、勝手に逃げられて、勝手に孫の世話を押し付けて、そして、勝手にいなくなってしまうなんて……でもね」
ユウコは背筋を伸ばした。凛とした表情で、寝間に横たわるメイを見つめた。
「恨んでなんかいないわ。いるわけがない。メイは私の宝。こんな素晴らしい宝物を、私に残してくれたのだもの。それに私、キョウヤを信じているの、絶対にまた、帰って来るってね」
そう言って、ユウコは一同を見回し、深々と頭を下げた。
「カナタさん。シュンくん。シーナさん。ホタルさん。そして……タヌキさん。メイのせいで、大変な事に巻き込んでしまい、本当に申し訳ありません。学校であんな事件があった後も、私はまだ信じたくなかった。あのバケモノの目的がメイだと、内心気づいていたのに、自分をごまかしていた。メイを失いたくなかった。メイに本当の事を知らせたくなかった。それでみんなも、メイも、こんな目に……」
「あ、頭を上げてください、ユウコさん!」
「そうや! 人に仇なすバケモンを退治するんは、夜見の衆の当然の務めやないですか! ユウコさんだって、そうだったですやろ?」
カナタが慌てて立ち上がり、息を荒くしてユウコにそう言った。
燃え立つ紅髪を揺らして、シーナもユウコにそう言った。
「悪いのは、全部、バケモンと、陰で糸を引くあの女……夜白レイカや!」
シーナの金色の瞳が、怒りに煌めいていた。
「夜白レイカか……」
シュンの表情が複雑だった。
あの美貌の少女が用意した計画は、想像以上に周到だったようだ。
いったい何の為なのだろうか。
どんな手段を使ったのかは解らないが、まず間違いないだろう。
レイカは15年前、人間界に彷徨い出た魔王シュライエの……コダマの記憶を奪い取り、侍女と偽ってコダマに取り入ったのだ。
そして秋月キョウヤとコダマを引き合わせ、キョウヤとコダマに子供が出来ると、今度はその赤ん坊……メイを奪おうとしたという。
レイカがメイに執着する理由は、何なのだろう。
「そうかも知れない……でもね、おかしな事を言うみたいだけど……」
ユウコがポツリ、一同に言った。
「私にはその……あの子、レイカさんが、そんなに悪いモノのようには見えなかったの」
おずおずとユウコは続けた。
「え?」
みなが意外な声を上げた。
「そう。コダマさんを甲斐甲斐しくお世話するあの様子や、それに、なんていうか時折見せる、どこか寂しそうなあの眼を見ていると……おかしいわよね? 孫を攫われかけて、コダマさんを失って、息子を傷つけられたのに、なぜだか恨む気持ちになれないのよ……」
そう言って首を振るユウコ。
周囲が重苦しい沈黙に包まれかけた。
だが、その時だ。
「ごめんなさいね、変な事言ってしまって。そうだ、カナタさん、預けた荷物は、此処にある?」
そう言って一転、カナタを、ユウコは力強くそう言った。
「え? あ、はい。こっちに……」
カナタがユウコから預かり、シーナとホタルがここまで運んできた黒いボストンバッグを持ってきた。
「中身を……」
ユウコがバッグを指さして、カナタにそう言った。
#
「こ……これは!」
バッグから運び出されて畳に並べられていく品々を見て、一同は驚きの声を上げた。
折り畳み式の真っ赤な『短弓』。
鉤爪の付いた青光りする『手甲』。
革製の鞘に収まった『短刀』。
黒い蛇の様な『鞭』。
そして、おそらくは『猟銃』の部品と弾丸の一式……
「14年前、秋月の鋳造した魔器の一式と秘伝書はすべて、キョウヤが西の比良坂の家に寄贈した。でもね……」
ユウコは床に並べられた武器を満足げに見つめて続けた。
「本当に優れた逸品、選りすぐりの『魔器』たちは、まだこちらに残してあったのよ……」




