ユウコの回想
「ユウコさん……!」
「起きていたんですか……」
カナタとシュンが驚きの声を上げた。
襖のそばに立ったメイの祖母、ユウコの姿に気づいたのだ。
「この方が……姫様の育ての親、ユウコ殿か……」
畳からユウコを見上げて、タヌキのヤギョウが複雑な面持ちだ。
「カナタさん、シュンくん。大変な事に巻き込んでしまって、ごめんなさい……」
菖蒲柄の寝間着に身を包み、頭に包帯を巻かれたユウコ。
彼女は目に涙をうかべながらそう言って頭を下げた。
「ここは、『お山の御屋敷』? じゃあ、あなたたちは……」
「はじめまして、ユウコさん。ウチは比良坂シーナ。こっちは、御庭番のホタルちゃんです!」
「よろしくお願い致します!」
『おばけ屋敷』の広間を見回してシーナとホタルを不思議そうに見つめるユウコに、シーナとホタルが挨拶する。
「まあ、あなたが比良坂の跡取り……シーナさん。随分大きくなって!」
ユウコは、驚いて目を丸くした。
「こいつの事、知ってるんですか? メ……おば……ユウコさん?」
少しギクシャクした感じで、シュンはユウコにそう尋ねた。
自分よりもずっと年上の女性で、両親でも祖父母でも親戚でも教師でもない人間と話すのには慣れていなかった。
「ええ、シュンくん。西の比良坂家と秋尽の家はね、ずっと交流があったのよ。昔は反目しあっていたと聞くけれど私の祖父の頃にはもう、互いの術を伝え合ったり、魔装の技を研鑽したりと随分とオープンな関係だったわ。でもまさか、この『時期』に跡取りのシーナさんが、ここまで来ていたなんて……」
ユウコは、シュンとシーナを交互に見てそう答えた。
「それもこれも、メイくんの身を守るための、キョウヤさんの言伝なんですわ。14年前に比良坂の家にやってきたキョウヤさんが、ウチの祖父ちゃんにそう依頼してきたんですわ……」
「キョウヤが? そう、あの子がハルくんに、そんな事を……」
シーナが、神妙な顏でユウコにそう言った。
シーナを見つめて呟くユウコ。
「ユウコさんも、知らなかったんですか?」
カナタが意外な様子でユウコに尋ねた。
「ええカナタさん。キョウヤは、私にも何も言わずに行ってしまったの。『夜見の衆』としての秋尽の血は自分で終わりだと。メイには何も知らせず、普通の人間として幸せになって欲しい。ただ、それだけ言い残して……」
ユウコはそう言って、いたましい顏で寝所に横たわるメイを向いた。
「教えてくださいユウコさん。15年前の『大接界』……あの時、コッチで一体、何があったんです?」
「わかった、シーナさん。私に判るだけのことは……。『あの人』、コダマさんがただの人間ではない事は、会った時からわかっていたわ……」
シーナが真剣な顏で、ユウコにそう訊いた。
ポツリ、ポツリ、ユウコが当時の事を話し始めた。
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ユウコの息子、メイの父親である秋尽キョウヤ。
彼は人に仇なすモノノケの討伐を生業とする『夜見の衆』の間でも、こと斬魔の技に関しては当代に並ぶ者なしと言われた凄腕の魔装師だった。
当時から、既に魔装師としては一線を退いていたユウコに替わって、秋尽の家長の名を継いだキョウヤは、接界に乗じて人の世に彷徨い出て来る妖怪に、日々激しい刃を振っていた。
秋尽家は人間のエネルギーを受け皿としてその威力を増す滅魔の武器、『魔器』の鋳造技術を代々発展させてきた一族だった。
キョウヤもまた自らが鍛え上げた斬魔刀『鬼哭月』を携えて、どんな凶悪な妖怪にも決して遅れを取ることは無かった。
15年前、突如新宿を覆った黒い森、『幻の森』事件の時。
『夜見の衆』一党を率先して新宿に駆けつけ、混乱し暴れ回る妖魔を狩ったのはキョウヤだった。
やがて新宿に出現した巨大な『接界点』は閉じた。
街を覆った森も消え、あふれ出した魔影世界の次々自分の世界へと姿を消し、『夜見の衆』の務めも終わった。
そんな時だった。キョウヤが『その女』に出会ったのは。
秋尽の家に連れて来たのは。
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「キョウヤさん。その人……いえ、そのモノノケは一体……!」
聖ヶ丘の丘陵地帯の一角に建てられた洋館。
秋月の本宅と魔器の工房を兼ね、東の夜見の衆の間では『工房館』と呼ばれているその館に帰って来たキョウヤを見て、ユウコは驚きの声を上げた。
「母さん……今は、なにも訊かないでくれ。この人に、休む場所を……」
キョウヤが抱きかかえているのは、気を失った、一人の若い女だった。
整った顏立ち、真っ黒な髪。齢は二十歳そこそこだろうか。
身に纏っているのは、どこかの量販店で慌ててあつらえたのだろうか。ブカブカのフリースと、男物のチノパンだった。、
だが、長年モノノケと関わって来たユウコの勘が彼女に告げていた。
妖気は感じずとも、気を失っていてもなお、女から放たれる、ユウコの全身を叩く様な凄味。
この女は人間ではない。まるで、強大な妖魔が、何か周囲を欺くためにとった完璧な『擬態』……!
「いけません! キョウヤさん。その者を此処に入れるのは……!」
得体の知れない恐怖に駆られて、息子のキョウヤを制そうとするユウコだったが……
「お願いです……お慈悲を、お慈悲を下さりませ!」
キョウヤの背後から顏をのぞかせ、哀れっぽい声でユウコにそう懇願する者がいた。
華奢な身体に纏った真っ赤なワンピース。
長い黒髪。
まるで人形のような顏。
キョウヤの背後から姿を現したのは、一人の美貌の少女だった。
「母さん、言いたいことはわかる! 秋尽の者として、夜見の衆として、あるまじき行いなのは、重々承知している。そこを曲げて頼みたいんだ。この人と、この娘を、ここで休ませてくれ!」
そう言って、キョウヤがユウコに頭を下げた。
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「『一目惚れ』だったんですか!」
「えーわー。ロマンスやわあ~!」
ユウコの回想を聞き、カナタとシーナがウットリとした顏。
「ええ……最初は面食らったわ……」
ユウコが少し苦笑しながら話を続けた。
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仕方なしに女と少女を館で休ませて、ユウコはキョウヤの弁明を聞いた。
キョウヤが、彼女たちと出会った経緯はこうだった。
「誰か、誰か、お助けを!」
新宿の街並み。
消えゆく森の中。
なおも用心深く辺りの妖魔を探っていたキョウヤの耳に、そんな声が飛び込んで来た。
「あれは……!?」
悲鳴の元に駆けつけたキョウヤが見たのは、雪のような純白の、奇妙なローブをまとった姿で路面に横たわった一人の女。
それを庇うように彼女の身体にすがりながら助けを求める少女。
そして二人に迫って巨大な戦斧をふりかざす、銀色の蓬髪をして黒いロングコートに身を包んだ長身の男だった。
「やめろ!」
男と二人の間に割って入り、キョウヤは自身の剣『鬼哭月』を振った。
バキン。
男の振り下ろした戦斧の刃が砕けた。剣が男の額を割った。
「ぐうあ!」
蓬髪の男が、たまらず地に伏した。
「ああ! あなたは、コチラの世の戦士!? どうか我が主の身をお助けください!」
少女がそう叫んで、キョウヤにすがった。
「この人は……いったい!?」
キョウヤは、気を失って路面に横たわった女の顏をマジマジと眺めた。
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「それが、キョウヤとコダマさんの出会いだったそうよ。それから、あの家で奇妙な共同生活が始まった……」
目を閉じながら、ユウコは当時の事に思いを馳せていた。
キョウヤが連れて来たその女は、過去の記憶の一切を失っていた。
言葉は通じたが、自分が何故、あの場所に居たのか、自分が一体何者なのか、まるで覚えていなかった。
少女の方は自分を女王の侍女、リーリエと名乗った。
女の名はシュライエと云い、接界の向こうの世界……『魔影世界』では、一国の女王の位に就いていた。
だが政争に敗れ、新たな王に記憶を奪われ、国を追われ、なお執拗に命を狙われた。
危機を察した侍女のリーリエは、シュライエを連れ、接界に乗じて、敵の手の及ばない『こちら側』……人間界に逃げ延びて来た……。
リーリエは、ユウコとキョウヤに彼女の境遇をそう説明した。
「もちろん、最初は怖かったわ。『アチラ側』にも私たちに似た社会があることは『夜見の衆』の研究でも薄々わかっていたけれど、それでも素性も、どんな力を持っているかもわからないバケモノを家に置いておくなんて。しかも1度に2人も……」
だが、時を経るに従い、ユウコが彼女らに抱いた印象は変わっていった。
その女。
女王シュライエの放っていた身を切るような凄味や殺気の片鱗は、キョウヤやユウコと共にする食卓を囲んでの食事や、リーリエに手を取られての庭園の散策や、草花を手入れをしていく中で、徐々に薄らぎ消えて行った。
女の緑の瞳に宿っていくのは、安らぎの光だった。
過去の記憶は無いのに、何か長い苦役の果て、大きな重荷を下ろしたような穏やかさが女の顏に戻っていった。
美貌の少女リーリエは、世界が転じた後もなお、かいがいしく主人に仕えていた。
キョウヤの提案で、こちらの世界ではシュライエはコダマ、リーリエはレイカと名を変えた。
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「じゃあ……夜白レイカの名付けの親は……!」
「キョウヤさんいうことか!?」
シュンとシーナが驚きの声を上げた。
レイカと秋尽の家に、そんな関わりがあったというのだ。
「この写真も、その時の?」
謎めいた洋館の一室に置かれて在ったフォトスタンドの写真を眺めて、シュンは息を飲む。
写真に納まった四人の姿。
赤ん坊を抱いて穏やかに微笑んだ、緑の瞳のコダマ。
隣に立つ、精悍な顔立ちをしたキョウヤ。
キョウヤとコダマの傍ら、縁側に腰掛けて、謎めいた微笑を浮かべたレイカ。
夜白レイカの家として記されていたあの洋館は、かつての秋尽家だったというのだ。
「奇妙だけど、穏やかな日々が続いた。私もこの人たちと、上手くやっていけるんじゃないかしら。そう思い始めたの……」
胸に手を当て、ユウコが続けた。
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異界の住人達との共同生活の中で、最も良い変化を遂げたのは、コダマではなくキョウヤではないかと、ユウコは内心そう思っていた。
夜見の衆随一の魔装師として、以前のキョウヤには、どこか傲岸で猛々しく、自身の才を鼻にかけることがあった。
人の世に彷徨い出たバケモノに振う刃も無情であり、キョウヤと対した妖怪は、人に及ぼす危険の大小を問わず、容赦なく斬り祓われた。
だがコダマと生活を共にするうちに、キョウヤは変わった。
振う刃の鋭さが減じることはなかったが、その振る舞いに、落ち着きと、謙虚さと、慎重さが備わった。
無力な妖怪を無意味に滅することもなくなったという。
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そして、ユウコが気付いた頃、コダマ身の内にはキョウヤの子がいた。3ヶ月だった。
キョウヤとコダマは、その子を産み、二人の子として育てる意志をユウコに伝えた。
もう、ユウコがそれを否定することはなかった。
経過は順調だった。
出産は自宅で行われた。
産婆は、心得のあったユウコが務めた。
生まれて来たのは、珠のような女の子だった。
それが、メイだった。
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「丁度、その頃の写真ね……」
シュンから手渡されたフォトスタンドを眺めて、懐かしげにユウコが呟いた。
「キョウヤも、コダマさんも、幸せだったと思うわ。あの時は、何もかもが上手く行く。私もそんな気がしていた。でも……」
ユウコが、悲しげに首を振った。
幸せな日々は、長くは続かなかったのだ。
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ある日の夕暮れ時のことだった。
「私のメイ、私のメイが、何処にもいない! 何処に行ったの!?」
狼狽したコダマの声が、『工房館』に響き渡った。
「どうしたの、コダマさん?」
外出先から帰って来たユウコが、只ならぬ様子のコダマにそう尋ねた。
「ユウコさん……メイが!」
コダマの緑の瞳に、恐怖と混乱の光が宿っていた。
ほんのわずか、目を離した間に、赤ん坊のメイの姿がベビーベッドから消えていた。
そしていったい何時からだろう。侍女レイカの姿も。
「これは?」
ベッドに目を遣ったコダマが、困惑の声を上げた。
ベビーベッドの上には、一通の封筒が置かれていた。
震える手で封を開け、便箋を広げ、コダマは便箋の中身を見詰めていた。
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「ああっ!」
そして次の瞬間、ユウコは見たのだ。
取り乱したコダマの姿がみるみる内に奇怪な変貌をとげ、その本来の姿を顕現させてゆくのを。




