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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第5章 追憶の窓
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忘却の血の炉

「あ。そっちの区画も立入禁止です!」

「みなさん。係の者の指示に従って、落ち着いて避難してください!」

 ザワザワザワ…….

 崩れ落ちら如月家と秋尽家の周辺は、不穏な喧騒に包まれていた。


 駆けつけた何十人もの警察官と消防隊員たちが、現場の検証を行っている。

 辺りには黄色いバリケードテープが張り巡らされていた。

 近所の住民は消防隊の指示に従って、みな不安そうな顔で避難所まで誘導されていく。


 周辺地域はパニックに陥っていた。

 謎の『地鳴り』が通過した地域は、下水道も上水道も壊滅的なダメージを被っていたのだ。

 幸い火災こそ発生しなかったものの、あとどれくらいの家々に被害が及んでいるのか、まだ誰にも把握できていないのだ。


「警部補……これは一体……!?」

「うむう……!?」

 その災禍の発露の場所。

 世帯主『如月琉河』宅の庭先に立った男が戸惑いの顏。

 御珠市中央警察署警備課の一条警部補が、部下の刑事とともに驚愕の呻きを漏らしていた。


 庭に転がった、巨大な生きた『丸太』。

 体長は5メートルを超えている。巨大な鰐のような姿。

 間違いない。何

 処から現れたのかもわからないこの怪物こそが、御珠市街の地下を掘り進み、民家二軒を倒壊させた『地鳴り』の正体だった。


 そして、これはどんな道具によるものだろうか。


 怪物の手足は、何かに引き裂かれ、ねじり取られていた。

 顎は裂け、頭部の半分が失われていた。

 庭のいたる所に、怪物の岩の様な黒い鱗の欠片、千切られた手足の残骸が散らばっている。

 手入れの行き届いた芝生のそこかしこが、汚らしい緑色の血に濡れていた。


 そしておぞましいことに、これ程の損傷を被ってなお、怪物はまだ、生きていた。

 怪物が苦しげな呼吸を漏らすその度に、裂かれた頭部から、傷だらけの全身から、グズグズと緑の血が噴き出してゆくのだ。


「引き続き、住人の安否の確認を急げ!」

 倒壊した家屋の瓦礫を取り払いながら、消防署員たちが懸命の救助活動を行う。


「これは、我々の手には負えないか……科警研……科捜研?」

 想像を絶した事件の『犯人』の正体。

 警部補が頭を振りながら思案に暮れていた……その時だった。


「ズィッヒェル殿……ズィッヒェル殿? 私の声が届いておりますか?」

 鈴を振るような澄んだ声が、辺りを渡った。


「なんだ?」

 喧騒と指令の声の行きかう災害の現場に響いたその声に、警部補と部下たちが不審そうに辺りを見回すと。


 ザザア……。

 庭先を一陣の冷たい風が走った。


「君は……一体!?」

 地面に転がった怪物の方に目を遣った警部補が、戸惑いの声を上げる。


「ズィッヒェル殿……ズィッヒェル殿……」

 いったい何時からそこにいたのか。


 巨大な鰐の傍らに立って、怪物にそう呼びかける1人の少女がいたのだ。

 華奢な体躯に纏っているのは、深紅のワンピース。

 長い黒髪、真っ白な肌、切れ長の目、黒珠のような瞳。まるで人形の様な顏。


 少女は、夜白レイカだった。

 

 チリン……チリン……


 そしてレイカの右手で何かが煙を上げていた。

 それは幾振りもの小さな銀色の鈴をあしらった、赤銅色の壺のようなものだった。

 壺には幾つもの小さな穴があいていた。


 その穴から覗いて見える内側からは赤々と燃えた炎の明かりが漏れ出している。

 壺からは、うっすらと薄紫色の煙が立ち上っていた。

 少女が持っているのは、小さな香炉のようだった。


「おい君、何をしているんだ、此処は立入禁止だぞ!」

 警部補がレイカに駆け寄った。

 レイカの肩に手をかけて、少女にそう問い詰める警部補だったが。


「ご安心ください。この者は我らの徒。この体はまだ動く。この火炉もまだ使える。あなたたちの手を煩わせることも、もう無いでしょう……」

「おい、一体何を言ってるんだ……? その右手の物はなん……だ……あ……」

 警部補を向きもせずに、美顏の少女は彼にそう答えた。

 レイカの言葉に、わけがわからず再び問い詰めようとした警部補。


 だが次の瞬間。


 ドサリ。


 警部補の全身に力が抜けて、その場で地面に転がった。

 いや、警部補だけではなかった。

 部下の警官たちも、救助活動にあたっていた消防隊員たちも……

 ドサリ、ドサリ、ドサリ。

 みな、異変に気付いた様子も無く、その場で昏倒し、地面に路面に、その身を横たえていくではないか。


「これは『忘却の香炉』……闇の森に茂った『ネムリバの葉』に、我が血を含ませ炉で焚いたモノ……」

 いまやこの場に立っているただ一人となったレイカが、右手の香炉を見つめてそう呟いた。


「炉で焚き香とすれば、『力』は薄まりますが、それでもこの世界のヒトを眠らせ、いっとき記憶を書き換えるなどは容易き事。さあズィッヒェル殿。これで邪魔は無くなりました」

 レイカが再び、ズィッヒェルにそう呼びかけた。


「ズィッヒェル殿。魔王シュライエの眷属の力。呼び覚ましたあなたの刃と炎は、まことお美事にございました……ですが、まだ終わりではありませぬ」

 レイカが、ズィッヒェルの裂かれた頭部を優しく撫でた。


「お立ちなさいませ。子供らを追うのです。石鰐の酋長として今一度バルグルと相対し、『魔氷の封』を解かれた獣王を堂々と倒すのが貴方の本望だったはず。この地に倒れ、他の者に獣王を討たれるのは悔しいでしょう……」

 岩の様な鱗に、白魚のような指先を添えて。

 優し気とも聞こえる口調でズィッヒェルに語りかけるレイカに……


「ズシュシュシュ……」

 大鰐の片目が恨めしげにレイカを睨んだ。


 ジュッジュッジュッ……

 ズィッヒェルが苦しげに息を漏らし、その身を動かそうとするたびに、傷口から噴いた血が辺りを緑に濡らす、

 大鰐は、もはや自力で動くことは出来なかった。


「立てませぬか、ズィッヒェル殿。ですが……」

 レイカは、少し残念そうに小首をかしげた。


「あなたが身の内に呑みこんだ、石鰐の勇者の証、『ラーヴァの火炉』の炎はまだ消えておりません。その力、まだまだとても、役に立つ(・・・・)!」

 黒珠のようなレイカの瞳が、冷たく光った。

 と同時に、ズルリ……ズルリ……ズルリ……

 レイカの黒髪の内から、ワンピースの袖口から、スカートの間から、無数の蠢く何かが這い出してきた。

 黒い鱗に覆われた双頭の蛇。


 レイカが人狼黒川キリトに与えた、あの毒蛇だった。


「これなるは『ムルデの黒蛇』。私が獣の王より預かった最後の精髄……ズィッヒェル殿。火炉と貴方の血肉を繋ぎ、貴方を動かす最後の力となるでしょう……」

 ズルズルズル……

 蛇たちがズィッヒェルに集ってゆく。

 ズィッヒェルの傷口に、一斉に潜り込んでいく。


 カッ!


 大鰐に残された片目が、大きく見開かれた。

 その目が、不吉な炎をたぎらせて、真っ赤に燃えていた。


「ギャオオオオオオオ!」

 ズィッヒェルが咆哮した。

 ボオオオオ……。

 巨体の各所に穿たれた傷口から、紅蓮の炎が漏れ出し始めた。

 失われた四肢の付け根から、炎と共に無数の黒蛇が這い出してきた。

 その身に力が戻り、蠢く黒蛇の手足をくねらせた大鰐。

 怪物は再び地面からその身をもたげた。


「さあ、お立ちなさい、ズィッヒェル殿。戦士として、最後の働きをなさいませ……!」

 ズィッヒェルを見上げて、レイカが嗤った。


 ズズズウウウウ……


 レイカの背後で、地鳴りがした。

 倒壊した如月家のその瓦礫の下から、もう1体の巨大な何かが姿を現した。


 ズシン……ズシン……


 瓦礫を蹴散らし、昏倒した消防隊員の身体を無残に踏みしだいていく。

 巨大な馬鍬のような武器を携えた怪物が、ズィッヒェルとレイカの方に歩いて来た。

 大豚のエッゲだった。


  #


「シュン! 無事やったか!?」

「ああ、なんとかな。シーナ」

 比良坂シーナの大邸宅、通称『お化け屋敷』の門前に、カナタのバンが止まっていた。

 車から降りて、シーナにそう答えるシュン。

 警察の目を逃れ、シュンとカナタとメイはどうにか集合先であるシーナの屋敷に到着していた。


「シュン。メイちゃんを!」

「わかった姉ちゃん。シーナも、頼む!」

 運転席から降りたカナタが、心配そうに後部座席のメイに目を遣る。

 気絶したメイを後部座席から運び出そうとするシュン……


「メイくん……! な、何があったんや!」

「いいから、早く! あと着替えと、布団もね!」

 シュンを手伝おうとして車の方にやって来たシーナが、血塗れのメイの姿を見て悲鳴を上げた。

 シーナの金色の瞳が驚愕に見開かれていた。

 カナタがテキパキと、シュンとシーナに指示を出していった。


  #


「うーん……。メイくんに、そんなことが……!」

 1時間後。

 大邸宅、比良坂屋敷の大広間の畳に座って、シュンの話を聞き終えたシーナは再び唖然としていた。

 隣接する寝所に敷かれた布団には、メイとユウコが寝かされていた。


 メイの体はカナタの指示で、屋敷の風呂場に運ばれてシーナとホタルの手でその血を洗い流されていた。

 今は清浄な肌着を着せられて、メイは布団の上で静かな寝息を漏らしていた。


「シーナ様。メイ殿のお身体も、異常なしです! ショックと過労で眠っているだけでしょう……」

 メイの脈を測り終えて広間に姿を現した忍者箕面森ホタル。

 彼女は紫の瞳を煌めかせながらシーナにそう告げた。


「そうか。よかったわ。全く、ユウコさんの傷も大したことなかったし、不幸中の幸いやで……」

 シーナがそう言って胸を撫でおろした。


 メイの祖母ユウコは、シーナとホタルと共に、比良坂の屋敷に匿われていた。

 あのまま、怪物に無防備な病院に運ぶのは危険すぎると、シーナは判断したのだ。

 ホタルには、忍者として仕込まれた医術の心得があった。

 ユウコの傷は、額に刻まれた小さな切り傷に留まっていた。

 頭部には打撲の跡も、内出血も無し。

 ショックで気を失っただけ。


 それがホタルの診断だった。


「くそっ! あの時あたしが、もっと早く動けてたら……!」

 ガリリ。

 カナタがやるせない顏でそう言って、広間の畳をひっかいた。


 あの時、シュンの電話を受けたカナタはすぐに行動を起こした。

 隣家の秋尽に足を運び、ユウコを家から連れ出そうとした。


 だが、「探し物があるの。少しだけ待っていて……」

 ユウコはカナタにそう答えて、2階の納戸の奥に引っ込んで行ってしまった。

 そして数分後、あの倒壊が起きたのだ。


 轟音を立てて崩れてゆく秋尽家の2階に駆けつけたカナタは、ユウコから黒いボストンバッグに収まった荷物を預かった。

 ユウコと一緒に、2階の窓から如月家の屋根に飛び移った、まさにその時だった。

 破れた棟木の破片が飛び散った。

 それがユウコの額を裂いたのだ。


「き……気にする事ねーよ、姉ちゃん。こんな事が起こるなんて、誰も予想できないじゃないか。誰が悪いワケでもないさ。悪いのは……あのバケモノどもだろ!」

 シュンがそう言って、必死に姉をなだめる。


 姉と連絡がついたおかげで、ユウコは助かったのだ。

 肉親を怪物との戦いに巻き込んでしまったという引け目もシュンにはあった。

 その時だった。


「いいえ、カナタさん。シュンくん。悪いのは、私よ……」

 寝所の襖の奥から、二人にそう呼びかけてくる者がいた。


「ユウコさん……!」

「メイの祖母ちゃん!」

 シュンとカナタが、声の元を振り向いて驚きの声を上げた。


「私がずっと、メイに、黙っていたから。本当の事を伝えるのが、辛くて、怖くて……だからメイを、あんな目に……」

 寝所の襖を開けて立っていたのは、頭に包帯を巻かれた白髪の老女。

 シャンと伸びた背筋。端正な顏に刻まれたしわ。

 メイの祖母、育ての親。

 秋尽ユウコの姿だった。


 ユウコの目には、涙が滲んでいた。


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