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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第4章 集う獣、集う戦士
34/144

メイの凶宴

「ガァアアアアアア!」

 大鰐ズィッヒェルの苦悶の咆哮が、辺りの空気をビリビリと震わせた。

 突然、怪物の腕から現れた黒い氷が、鰐の右腕を内側から引き裂いたのだ。


 ザクリ。


 白銀の三日月杖が右手からこぼれ落ち、地面に突き刺さった。


「一体……?」

「何が?」

 シュンもカナタも一瞬、目の前で起きていることが理解できなかった。

 メイの身体を叩き潰そうと、自身の武器を振り上げた怪物ズィッヒェルに生じた、突然の凄惨。


「あれは……魔氷!?」

「魔氷って!? メイの母さんの……!?」

 シュンのリュックにしがみ付いたタヌキのヤギョウが、大鰐を襲った異変に目を見開いた。

 背中のタヌキを振り向くシュン。


「そうじゃ小僧、間違いない。あれは魔王シュライエ様の技……やはり姫様も、シュライエ様の御力(おちから)を……!」

 怪物の前に立ったメイの背中を見つめ、タヌキが感嘆の声。


 そして……、


「左手!」


 ピタリ。


 メイがズィッヒェルの左の腕を指し、冷たい声でそう言い放った。


 バキン。


 上腕から突き出す氷塊。引きちぎられ、皮一枚で繋がって垂れ下がる大鰐の左腕。


「ギッ」

 うなる怪物。


「右足!」

 再びメイの一声。


 バキン。


 鰐の丸太の様な右脚が、ザクロの様に爆ぜる。

 怪物のピンク色の筋繊維が剥き出しになる。


「左足!」


 バキン。


 鰐の左の脛が拉げる。

 膨れ上がった氷が、岩の様な鰐の鱗を辺りに撒き散らす。


「グギャアアアアアアア!」


 ズズン。


 四肢を失い、たまらず鰐の巨体が庭の地面に転倒した。


「ううう……」

 シュンは、眼の前の惨状に吐き気を覚えた。

 鰐は氷に裂かれ、巨体の各所から紫の燐光を放つ奇怪な氷塊を突き出していた。

 緑色の血を噴きあげながら絶叫する、まるで巨大な、生きた丸太。


 そしてもう、疑いようがなかった。

 奇怪な氷はメイの声に呼応していた。

 黒い氷を放ち、大鰐の身体を内側から引き裂いたは、間違いなくメイの意志なのだ。


「メイ、どうしたんだよ……? もういいって、やめろよ!」

 矢継ぎ早に氷を放ち、怪物を仕留めたメイの只ならぬ様子に、シュンは不安になってきた。


 彼女を……止めないと!


 メイの肩に手をかけて、シュンはメイの前に立った。


「シュンくぅん……」

 メイが、今やっとシュンの事に気づいたようだった。


「あぁ!」

 そして彼を向いたメイの顏を覗き込み、シュンは思わず息を飲んだ。


 メイの白磁の様な頬は、うっすらと薔薇色に上気していた。

 桜の花弁のようだった薄桃の唇が、今は朱に染まりヌラヌラと妖しく濡れていた。

 エメラルドの様な緑の瞳が散大して、冷たい光を放っていた。

 その口許が、嗜虐の笑みに歪んでいた。


 周囲の気温が急速に低下し、すでに凍えるような寒さの中で、怪物を差す指先が、首筋が、滑らかなその肌がジットリと汗ばんでいた。

 シュンが、これまで見たことも無い幼馴染の顏。

 何か、身の内から湧き上がる欲望に抗しきれず、奇怪な悦びに身を委ねてしまったような……

 

 妖しく艶めいたメイのその顏!


「ううう……!」

 シュンは混乱した。

 目前の怪物を引き裂いて、喜悦の笑みを浮かべた、恐ろしいメイのその顏を、それでも……


 綺麗だ。

 

 シュンは、そう感じてしまったからだ。


 ズズウウウ……

 そしてシュンの背中から、何かが這い上がる音。


「あ!」

 シュンは我に返って怪物を向いた。


「小娘ぇええええええ!」

 ズィッヒェルが怒号を上げながら、地面から上半身をもたげて、メイとシュンを睨んでいた。

 怖ろしいことに、四肢の全てを氷に奪われてもなお、この怪物は行動の機能を失っていなかった。


 今や蠢く巨大な長虫と化した大鰐。

 怪物がその全身を大蛇のようにくねらせながら、メイの方に向き直ったのだ。


 グワリ。


 鋸の刃の様な鋭い牙の生え揃った鰐の顎が、大きく開かれた。


 ボオオオオ……。


 鰐の口中から、真っ赤な炎が漏れ出し始めた。


「まずい……!」

 慌てるシュン。


 鰐が、火を吐こうとしていた。

 空中のホタルの凧を襲った時とは、距離が違った。

 今、大鰐とメイとシュンの体は5メートルも離れていない。

 放たれた炎は、メイとシュン、そして背後のカナタの身体を、確実に焼き尽くすだろう。


 だが、その時だ。


「どいて、シュン……」

 ス……メイの細やかな指先が、メイの肩を押えたシュンの手にそえられた。


「お……あ……」

 シュンは言葉に詰まった。

 冷たく濡れたメイの指先がシュンの手を彼女の肩から振り払った。


 そしてメイが、シュンを遮り、怪物の前に立った。

 

「メイ、危ない! 何を……!」

 慌ててシュンがメイを制そうとした、まさにその瞬間、


 ゴオオオ!


 ズィッヒェルの大顎から、炎が噴き出した。

 空中を奔る灼熱。

 シュンとメイに迫る紅蓮。絶体絶命、だがその時だ!


 ス……。


 メイが怪物向かって、その手をかざした。


 ギシギシギシギシギシギシギシギシ……


 そして迸る紅蓮が、空中でそのまま黒氷に覆われていった。


「炎まで!」

 愕然とするシュン。

 炎を凍らせ、まるで黒い氷柱のようになって空中を奔る氷。

 黒氷はその源、火を吐くズィッヒェルの口元まで達していくと……


 ザシュ!


 何かの裂ける音。

 大鰐に達した氷が、ズィッヒェルの顎の内側で急速にその大きさを増した。

 そして怪物の顎を引き裂き、その頭部の右半分を、もぎとったのだ。


「ズッシュウウウウウウウウ!」

 ズィッヒェルの頭部から、奇怪な呼気が漏れだした。

 顎を裂かれ、舌を失い、もはや悲鳴を上げることすらかなわなかったのだ。


 ドドウ。


 再び大鰐の全身が地面に倒れた。


  #


「フゥウゥウゥウウ……」

 メイの唇から陶然と、息吹が漏れた。


 1歩、1歩、自分でも気づかないうちにメイは、ゆっくりと大鰐の残骸に向かって歩きだした。

 メイの右手は何かを求めるように、大鰐に向けて伸ばされていた。

 メイの左手はもどかしげに自身の下腹部を押えつけていた。


 怪物を刺し貫いた黒い氷が、急速に瓦解し、溶け崩れて行った。

 と同時に、怪物の身体の各所に穿たれた傷から、怪物の臓物が漏れ出し、緑色の血液が噴き出し始めた。


 怪物と相対して当初、メイの心を満たしていたのは祖母ユウコを傷つけられたという、激しい怒りだった。

 だが、今や怒りはメイの心の片隅に押しやられていた。

 今、メイの心を満たしているのは、もっと奇怪で根源的な感覚だった。

 頭がボンヤリする。下腹のあたりが妙に熱い。全身を奔ってゆく痛みの様な、ムズ痒さのような、だが心地よい疼き。


 それは、殺戮の悦びだった。


「シュー……シュー……シュー……」

 如月家の庭に無残に転がったズィッヒェルは、それでもまだ絶命に至っていなかった。

 半分になった怪物の頭部から笛のような息吹が漏れるたびに、全身から噴き出した緑の血が、メイの服に、顏に、全身に降りかかり、メイを濡らしていった。


「メイ……!」

 シュンはもう、その場から動くことが出来なかった。

 炎をも凍らせる、メイの凄まじい力。

 黒い『魔氷』。

 朱に染まった唇を真っ赤な舌先で舐め回しながら、まるで血に飢えた獣のように怪物に歩を進めるメイ。


「メイちゃん……一体!?」

 カナタもまた驚愕に呻く。

 素直で礼儀正しい、自分の妹の様に可愛がっていたメイの変わり果てた姿に!


 だが、その時だった。


 ピタリ。


 メイの歩みが止まった。


「シュンくん……なにこれ……? 私……どうして!?」

 メイの肩が震えていた。


「メイ!」

 シュンはようやく我に返った。

 シュンがメイの背中向かって駆け出した。


「ああ……そんな……」

 血塗られた自身の両手を、全身を見回して、メイの声が、膝が、全身が震えていた。


 口の端から悦びの笑みが消えて、今は恐怖に歪んでいた。

 その緑の瞳からは冷たい憎悪の炎が消えて、理性の光が戻っていた。

 メイが今、我に返ったのだ。

 

「いやああああああああ!」

 メイの悲鳴が、辺りを劈いた。

 次の瞬間、カクン、カクン、ズサ。

 メイの両脚から力が抜けた。

 メイの全身が、まるで糸の切れた操り人形(マリオネット)のようにゆるんで、その体が地面に倒れこんだ。


「メイ! メイ!」

 メイに駆け寄るシュン。


 シュンが、鰐の血に濡れたメイの半身を抱き起す。

 シュンはメイの手首を押える。

 呼吸は正常。脈もあった。

 ショックで、気を失っているようだった。


「シュン! メイちゃんは!?」

「大丈夫みたいだ。姉ちゃん!」

 姉のカナタもシュンの方に駆け寄って来た。

 安堵の面持ちでシュンは姉を見上げた。


「メイちゃんが……あんな力を。それに……さっきのは……」

 カナタは痛ましげな顏で、シュンの腕の中のメイを見た。


 ウゥーーーウゥーーー……


 遠くの方から、サイレンの音が聞こえて来た。

 パトカーと、消防車が近づいているのだ。

 秋尽家と如月家の崩落を、近隣の誰かが通報したのだろう。


「シュン。いつまでも、此処でのんびりしてられないわね」

 カナタが厳しい顏でシュンにそう言った。


「ああ、そうだな姉ちゃん」

「こいつの始末は、警察と消防に任せるしかないか……!」

 カナタは忌々しげな顏で、奇怪な呼気と緑の血を漏らしながら庭に転がった怪物ズィッヒェルに目をやった。


「そうだな。でも大丈夫さ、もうこんな状態じゃあ動けないし、暴れないし、安全だよ……」

 シュンも、自分に言い聞かせるよう姉に頷く。


「シュン、メイちゃんを運んで! 車を出すよ!」

 庭先の車庫に目を遣り、カナタがシュンにそう言った。

 ズィッヒェルの襲撃による崩落をどうにか逃れた如月家の車庫。

 その中には、カナタが自分のアパートから乗って来た彼女の愛車。

 ミニバンの『ルービック』が収まっているのだ。


「わかった、姉ちゃん! 手伝ってくれ。行ってほしい場所があるんだ……」

 気絶したメイの肩を貸して、彼女の身体を支え上げながら、シュンは姉にそう答えた。


  #


 プルルルルルル……


 瀕死の怪物を後に残して、如月家の車庫からカナタの運転するミニバンが車道に飛び出した。

 辺りはすっかり暗くなっていた。

 姉に頼んで、シュンたち一行の向かう先は、シーナと約束した聖ヶ丘の山腹に建ったあの屋敷。


 比良坂シーナが身を寄せる、彼女の一族の別邸。通称『お化け屋敷』だった。


「メイ……」

 ミニバンの助手席から、毛布にくるまれ後部座席に寝かされたメイを見て、シュンは不安げに顔を曇らせた。


 緊張の連続から一時解放された。

 シュンは放心したまま、ボンヤリとこの先に思いを馳せる。


 家を失った。

 これからどこに身を寄せるのか。


 姉のカナタまで戦いに巻き込んだ。

 カナタの性格からして、もう絶対に引き下がることはないだろう。


 メイの祖母、秋尽ユウコは果たして無事だろうか。

 そして、さっきメイが見せた、あの力、あの顏、あの表情、あの悲鳴。


 メイが意識を取り戻した時、シュンは一体メイに、どう接したらいいのだろう……。


「ハァーーーー……」

 シュンは頭を振る。

 つい数日前まで退屈そのものの毎日だったのに。

 ここまで色々な事に頭を悩ませるのは、シュンは生まれてこれまで1度もなかった。


 困惑の溜息を漏らすシュンと、昏倒したメイを乗せて闇の中。

 カナタのバンは一路、シーナの屋敷向かって疾走してゆく。


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