乱戦
「黒い髪の娘と、剣を持った小僧は、ちょいと痛めつけて『アイツ』に差し出す。あとは好きにしていい。そういう手はずだっただろ? エッゲ……」
シュンたちの前に立った者。
全身を赤毛に覆われた猿のような怪物が自分に言い聞かすようにそう呟く。
猿が、地面にそそり立った赤錆色の棒に手をかけた。
樹上から飛び降りた猿の持っていた武器。
豚の振り下ろした馬鍬を制した棒だった。
「あ!」
シュンは目を瞠った。
シュルルルル……。
猿の右手が掴んだ棒が、見る見るその尺を縮めてゆく。
地面と馬鍬の刃の間に挟まっていた3メートルほどの棒。
それが今では半分ほどの長さとなって猿の手に収まっているのだ。
ズズン。
と同時に、豚の馬鍬が土煙を上げながら猿の右脇の地面を抉った。
棒は、猿の手の内で伸縮自在の様だった。
「だがその前に……」
猿が、再びシュンの方を向いてニタリと嗤った。
「小僧、結構面白い技使うじゃねえか。もう少し見せてくれよ」
「まてよ。いきなり何だよ。お前ら……どうして俺たちの事を……!」
右手の棒状の武器をクルクルと回転させながら、そう言ってシュンとメイの方に近づいてくる猿。
地面から立ち上がって、どうにか体勢を整えたシュンが、猿に向かってそう訊くが、
「ふん。『どうしてか』なんて、どうでもいいんだよ。一暴れ出来ればさぁ……」
猿は、投げやりな様子でそう答えて、右手の棒をピタリとシュンに向ける。
「ううう……。下がってろ、メイ!」
シュンは、両手で刹那の灰刃を構えた。
ザワザワザワ……。
シュンの左腕から伸び上がる緑の蔓が、蠢く生きた鎧になってシュンの全身を覆っていく。
「いかん小僧! 奴と戦ってはならぬ!」
シュンの背中から、タヌキのヤギョウが切羽詰まった声でシュンにそう叫ぶ。
だがもう遅かった。
「キャーーーー!」
奇声を上げて、赤毛の猿がシュンに飛びかかって来た。
ビュッ!
目にも止まらぬ速さ。
猿の棒の一撃が、シュンの頭上に振り下ろされる
「くっ!」
ガキン。
シュンが必死で振った剣が、猿の棒をどうにか打ち払うも、
ガキン。ガキン。ガキン。
続けて放たれる容赦ない猿の連打が、シュンの反撃を許さない。
「少しは出来るじゃないか小僧。だが……」
シュンに打ちかかった猿が、ニタリ。
スカッ……
次の瞬間、シュンの手におかしな手応え。
「え?」
猿の次の一撃を防ごうと彼が振った剣先が、空を切ったのだ。
棒は猿の手の内で、更にその尺を縮めていたのだ。
そして、ズン。
蠢く蔓の鎧の合間を縫って、シュンの腹部に何かがめり込んでいた。
「グッ」
そう呻いて、シュンの動きが止まった。
猿の放った次の一撃。
棒状の武器の柄頭が、シュンの鳩尾を直撃したのだ。
「伸びろ!」
間髪入れず、赤毛の猿がそう言い放つ。
グン。
猿の手の内の棒が、一瞬にしてその尺を、2倍……3倍……4倍へと長大させていく!
「うあああああ!」
棒の伸びるがまま。
シュンの身体が地面を抉り、雑木林を薙ぎ払いながら、一直線に吹き飛ばされた。
「縮め!」
再び猿が号令。棒の長さが見る見る縮少し、再び猿の手に収まった。
「シュンくん!」
「シュン!」
メイとシーナが悲鳴を上げる。
「待っとれシュン! いま助太刀するで!」
「でもシーナ様! こっちも……やばいです!」
燃え立つ炎の紅髪を揺らしながら、そう叫んで、シュンのもとに向かおうとするシーナ。
だがシーナの傍らのホタルが、厳しい表情でシーナを止める。
ズシン……ズシン……
地響きを立てながら、巨大な豚の様な怪物が再び馬鍬を構えて、シーナとホタルの方に向かってきたのだ。
「くっ……! シュン、どうにか持ちこたえてな!」
シーナは、苦渋の表情で豚の方を向くと、銀の錫杖を構えてそう呟いた。
#
「グ……グ……グ……」
猿の棒に突き飛ばされたシュンが、地面に転がり苦悶の呻きを上げる。
全身に広がる痛み。
体が思うように動かない。
息が出来ないくらい苦しい。
「シュンくん! シュンくん!」
崩落した屋敷の方から、メイの悲鳴が聞こえて来る。
「小僧。駄目じゃ、やはりお前では敵わん! どうにか隙を見て、撤退するんじゃ!」
「あいつらの事……知ってるのか? ヤギョウ?」
背中のリュックにしがみ付いたヤギョウが、シュンにそう訴える。
震える足でどうにか立ち上がりながら、タヌキにそう訊くシュン。
「知っておる……あいつは、シュタンゲ!」
ヤギョウの声が暗い。
「強者を求めて、魔影世界の各地を彷徨っていた悪名高い火猿の武術家じゃ。獣の谷で無法を尽くし、多くの兵を殺し、獣王自らにその首を刎ねられたとも、両手を切り落とされたとも聞いておったが……まさか獣王の下に仕えていたとは……」
忌々しげにヤギョウは続ける。
「そして、あの大豚はエッゲ! 獣の谷に巣食った野盗の統領じゃ。度を越した強欲と大食。襲った集落の民を、女子供を問わず皆殺しにして食い尽くすほどの暴虐と聞く。見かねた獣王が、自ら兵を率いて誅戮したと聞いておったが……」
屋敷を破壊した大豚の方を眺めて、タヌキが呻いた。
「よく知ってるじゃないか、タヌキ……」
シュンの方に歩いて来た猿……シュタンゲが、金切声でそう答えた。
「ヤギョウ……ってことは、お前、吹雪の国のヤギョウ将軍か? また随分シケた姿に変化したもんだな……?」
シュタンゲが、不思議そうな顔でシュンの背中のヤギョウを見る。
「やっぱり、人間の小僧相手じゃつまんねーな。闘ろうぜ将軍。接界も進んでいる。そんなチンケな変化を解いて、魔影世界に聞こえたあんたの天剣の業、見せてくれよ……」
「だめじゃ……まだ戦えぬ。この身に秘した魔気はシュライエ様をお救いするためのもの……! 小僧、何とかこの場から逃げるんじゃ!」
右手の棒を回転させながら、シュタンゲがヤギョウを挑発する。
ヤギョウが必死の形相で、シュンの耳元でそう囁く。
「何とかって言ったって、いったいどうすれば……!」
「まだやるつもりか、小僧。威勢がいいのは結構だが、お前じゃ相手にならねーよ」
まだ痛みで朦朧としたシュンが、震える手で剣をシュタンゲに向けた。
そのシュンを見て、猿が嗤う。
「まあいいや。どれ、約束通り手足の2、3本も落として、『アイツ』に持っていくか……」
シュタンゲがそう言って、シュンに右手の棒を構えた。
「うううう……」
自分とほとんど背丈は変わらない。
そんな小柄な猿と相対して、シュンの剣の切っ先は震えていた。
狼と戦った時には感じなかった恐怖と絶望感が、シュンの胸をおおっていたのだ。
つい数日前まで、戦闘経験など全く無かったシュンも、さっきの一撃ですぐに判った。
人狼黒川キリトの様な、力任せの怪物ではない。
この猿は、戦士だった。
たゆまぬ鍛錬と、無数の実戦を重ねて来た武術の技。
そんな戦士の気魄が、武術の心得などまるで無いシュンをたじろがせ、怯えさせたのだ。
今の自分には勝てない。
シュンの握った剣に、どれほど奇怪な力が宿っていても……
だが、こいつらにメイを傷つけさせるわけにはいかない。
なんとか逃げる隙を……つけいる隙を……。
どうする、シュン。
猿から身を引きながら、シュンが必死に頭をしぼっていた。
その時だった。
ブワーーーーーン……
崩落した館の方から、何か異様な音が響いて、
「ブゴォォオオオオオオオオ!」
巨大な豚……エッゲの鳴き声が空気を震わせた。
「何だ!」
「エッゲ、どうした!」
シュンも、シュタンゲも、思わず館の方を向いた。
館の一帯を、モウモウと、何か灰色の霧のようなものが覆っていたのだ。
#
時刻は数秒さかのぼる。
「メララちゃん! バニシング・バーニング・バースト焔!」
「いきます、姉さん!」
大豚に向かって錫杖を振り、シーナが叫ぶ。
ボオオオオオオ……
シーナの左手のランプから放たれた炎、火の精メララが宙を舞い、大豚エッゲの頭部を覆う。
「ブキャアアアア!」
豚が苦悶の声を上げる。
肉の焦げる匂いが辺りに漂うが、次の瞬間、ブボッ!
エッゲの鼻から猛然と噴出した呼気が、炎を散らして空中にまき散らした。
「ウルルちゃん! スプラッシュ・モイスティング・ウォータージェット水刃!」
「いきますわ! お姉さま!」
間髪入れず、腰に下げたペットボトルから躍り出た水の精に、シーナが号令する。
ビシュッ!
透明な少女の姿をしたウルルが、一瞬でその身を水の刃に変じさせて豚の顔面に切りかかる。
ズバッ!
刃がエッゲの顔を切り裂き、ドス黒い血が辺りに飛び散る。
だが、
「しゃらくさい!」
エッゲに怯む様子は無かった。
グワリ。
大豚の振り上げた馬鍬の刃が、シーナとホタルの方に降って来る!
「やばい! 離れるで!」
「シーナ様!」
身を翻して豚から距離をとるシーナとホタル。
ズズーン。
ふりおろされた鍬の刃が館の庭を大きくえぐって、辺りに土煙が舞い上がる。
「くっ! やっぱ無理か! シュンの剣に力を乗せないと」
シーナが無念そうに、手元に戻って来たメララとウルルを交互に見回す。
炎も水も、効いてはいる。
だが、メララの炎は豚の顔を焼き尽くすには至らなかった。
シュンの剣を介さずに放たれたウルルの刃は、豚の顔の皮一枚を切り裂いただけにとどまった。
怪物のサイズに対して、絶対的に「出力」が不足しているのだ。
「ブキキ。どうした小豆ども、もう終わりか? ならすり潰して、食らうとするか……」
大豚が、下品な嗤い声を上げた。
「あんな体格じゃ、こりゃどうにもならんわ……いったん退くしかないか……といっても、簡単には帰してくれそうもない、か……」
再び馬鍬を携えてこちらに近づいてくるエッゲを、シーナは忌々しげに見上げる。
「ホタルちゃん……なんか『プラン』あるか?」
「えへへ……。お任せください、シーナ様!」
シーナが傍らのホタルにそう問うと、ホタルは紫紺の髪を揺らしながら、落ち着き払ってシーナに答えた。
「このホタル……最も得意なのは遁術!」
自身を包んだ黒装束の胸元に目を遣るホタル。
胸元のホルダーに収まっているのは、銀色に輝いた3振りの棒手裏剣だった。
「シーナ様、息を止めていてくださいよ!」
タッ。
一歩跳んで、怪物の前に立ったホタルは、シーナに一言そう言った。
「箕面森流香気術! フレーバー『シュールストレミング』!」
そして胸の前にガッキと印を結んで、少女は叫んだ。
途端、プシューーーー!
ホタルの全身から、何か白い霧の様なモノ。
いや瘴気のようなモノが噴き出して、辺りに充満して行く。
「ブギャーーーー!」
大豚エッゲが、口から涎を噴き出して悲鳴を上げた。
「うぐううううう!」
シーナもまた、目に涙をためながら口を押えて、吐き気をこらえた。
ホタルを中心として、館の庭に、凄まじい悪臭が立ち込めたのだ。
まるで卵と魚が腐ったものに、糞尿を加えたような腐敗臭。
目や粘膜を刺激する、強烈なアンモニア臭。
ホタルが、忍者の家系の特異体質によって自身の体内で生成した芳香化合物。
シーナは知る由も無かったが、その匂いは『シュールストレミング』だった。
主にスウェーデンで生産される、塩漬けのニシンの缶詰であり、日本のクサヤの、実に6倍以上の臭気を放つ。
俗に言う「世界一臭い食べ物」の臭いを、ホタルはこの場で再現したのだ。
「グッガッガ……」
たまらず頭を振り、その場から逃れようとするエッゲ。
刺激臭に耐えかねて、大豚の両目が閉ざされた、その時だった。
「今だ!」
ホタルが胸元から手裏剣を取り出した。
その刃の切っ先を自身の舌でペロリと一舐めした。
「ダッ!」
裂帛の気合をこめて、豚の顔面に手裏剣を放つホタル。
グサリ。
手裏剣が豚の眉間に命中した。
だが、
「ブガアアアアア! 小癪な真似をお!」
エッゲが怒りの声を上げて、ホタルとシーナの方に迫って来る。
ウルルの刃の時と同様だった。
手裏剣は大豚の顔面の分厚い皮に阻まれて、怪物に致命の傷を与えるには及ばないのだ。
「まずい! 余計怒らせたで、ホタルちゃん!」
焦燥の声を上げて、ホタルを見るシーナだったが、
「大丈夫です、シーナ様。これで『仕込み』は完了!」
ホタルの顏に焦りは無かった。
ガシリ、ホタルが再び胸の前に印を結ぶ。
「箕面森流香気術! フレーバー『ホイホイ』!」
紫の瞳を不敵に煌めかせてホタルは叫んだ。




