獣が来る
「敵の……隠れ家!?」
「そうですシーナ様。狼の事はシーナ様たちに任せて、ホタルはホタルで、あの女の足取りを追っていたのです!」
シュンとメイとシーナが、そう声を上げてホタルに身を乗り出した。
自分のヘタレを棚に上げて、紫紺の髪を揺らした少女がそう言って胸を張る。
「あれからホタルは、この地に点在する『スポット』の場所をつぶさに追っていたのです」
ホタルは話しつづけた。
彼女が注目したのは、東京は聖ヶ丘とその近辺の地域に点在する妖気の『溜り場』。
シーナが言うところの『スポット』だった。
ヤギョウやメララ、ウルルといった魔族。
異界から彷徨い出たモノノケたちは、妖気の濃い『スポット』に潜むのを好む。
そのような場所を調べ、常時ではありえないような妖気を突き止めれば、今回の事件の手掛かりが見つかるのではと思ったのだ。
「そして、昨日の晩です。『あの場所』を見つけたのです。尋常ではありえない程の妖気が籠った『あの場所』、比良坂の御屋敷などよりも、はるかに濃く、そして邪悪な気配に満ちた『あの場所』を……!」
ホタルの声が震えていた。
ちょうど昨晩のことだった。彼女は見つけたのだ。
幼少の頃から鍛錬し研ぎ澄ませてきた、モノノケの気配を量る忍びの術、
ホタルが紫紺の髪の内に仕込んだ『探妖の針』が振り切れるほどの、強烈な妖気に満ちたその場所を。
そこに、『あの女』夜白レイカの姿があった。
破れたフェンスを潜り抜け、男を一人付き従えた夜白レイカは、そのままその地の奥へと消えて行った。
ホタルはそこで身を翻した。
その地へ潜入すること、これ以上の探索に身の危険を感じたのだ。
「あの場所?」
「はい、シーナ様。ここから程ない場所です。御珠市、夕日ヶ原にある米軍基地跡……通称『御珠トロポサイト』です!」
いぶかるシーナにホタルはそう答えた。
彼女の紫の瞳が得体の知れない不安に曇っていた。
「あの場所……あの廃墟か……!」
シュンが呻いた。
市内でも有名な心霊スポット。
都内で気軽に訪れることが出来る廃墟地として、廃墟ファンの間では有名だったのだ。
その場所を、夜白レイカが訪れていたというのだ。
「でかした! お手柄やで、ホタルちゃん!」
「えへへ。でしょ? でしょ? ヘタレじゃないでしょ、シーナ様?」
シーナが快哉を上げて、再びホタルをハグした。
ホタルも得意げだった。
「ま、それは置いといて、間違いなくその場所に何かあるわ。夜白レイカと、ひょっとしたら魔王バルグルも……! 行って、調べるしかないか……」
シーナが、再び厳しい表情に戻る。
「調べる? 今から?」
「いや、いずれにしても、今日はもう戻らんとな、時計見てみい……」
不安げにそう訊くメイにシーナが答えた。
「あ……」
一同が声を上げた。
ホタルと話し込んでいるうちに、破れた洋館の窓からも、入り口からも、赤い夕日が差し込んでいた。
時間は、午後5時を回っていたのだ。
「敵が夜も昼も構わん連中ゆうことは分ってるけどな、アヤカシの力が増す夜の内に向こうの陣地に入り込むのは賢いことやない。シュン、メイくん。いったん戻って、仕切り直しや」
「そうだな、シーナ。もう戻らないと……」
「そうね、お祖母ちゃんにも、訊きたいことがあるし……」
シーナの提案に、シュンとメイも頷いた。
「ホタルもお供します。シーナ様!」
そう言って3人についてくるホタルに……
「『お供』って、何処に?」
首を傾げるシュン。
「シーナ様の居候先です。シュン殿のお家です」
当然のような顏をして、ホタルがそう答えた。
「ちょ……ちょっと待てよ、何で俺ん家なんだよ!」
「まーまー。ええやんかシュン。1人増えるも2人増えるも、同じようなモンやで」
「よろしくお願い致します。シュン殿!」
狼狽えるシュンにシーナとホタルが鷹揚にそう答えた。
「ッ……! また変なのが増えた……!」
メイが不機嫌そうな顏で、小さく舌打ちしていた。
その時だった。
ピタリ。
シーナの動きが止まった。
「言ってるそばからコレや。シュン、ホタルちゃん。来おったで……敵や!」
「ええ、そのようです……シーナ様!」
シーナの声が固い。
ホタルの顏からも笑顔が消えていた。
ぴくん。ホタルの紫紺の髪の一房が、彼女の頭から跳ね上がってプルプル震えているのだ。
「ホタルも……わかるのか!?」
ホタルの頭部から飛び出した『アンテナ』に、息を飲むシュン。
ギャアギャアギャア……
洋館の外から、何か獣が鳴く様な声が響いてきて、
ズズズズズズズズズ……
洋館全体が小刻みに揺れ始めた。
「なんや、ヤバイ! みんな、出るで!」
「わかった!」
シーナが叫ぶ。
階段を駆け下りて、洋館の出口に走る一同。
ハッハッハッ……
シュン、メイ、シーナ、ホタル、そしてタヌキのヤギョウ。
みなが息を切らせながら洋館の庭先に駆け出した、その時だった。
ズズーン!
洋館の入り口から、濛々たる塵芥が噴き出す。
「なんやー!」
シーナは驚きの声を上げる。
バリバリバリ……。
次いで、洋館の玄関口全体、いや、館を覆った壁そのものが、ひしゃげて、崩落して行く。
まるで巨大な『何か』が館を内側から引き裂き、張り倒そうとしているように。
洋館の正面全体が、土煙と共に崩壊して行った。
「ふん……このガキどもか……獣の王の命令でわざわざやって来てみたら、また随分食いでのなさそうな豆粒どもじゃのお……」
煙の向こうから、まるで地の奥底から轟く様な声で、館を破壊した何者かがそう呻いた。
ズシーン……ズシーン……
巨体に被った木片や土塊を振り落としながら、『そいつ』が、シュンたちの方に近づいて来た。
「う……ウソだろ……!」
シュンは、唖然として『そいつ』を見上げた。
シュンにも徐々に状況が飲み込めてきた。
洋館の裏手、雑木をへし折りながら山を駆け下りて館に激突してきた怪物。
そいつがそのまま館の入り口を突き破り、シュンたちの前に姿を現したのだ。
「まさか、まさかあいつは……」
シュンのリュックにしがみ付いたヤギョウも、茫然として怪物を見上げる。
「ブゴォオオオオ!」
怪物が夕闇に吠えた。
崩れた館の二階まで達していただろう、5メートルはありそうな巨体。
蹄をもった足。
図太い腕。
突き出た腹。
その腰から下をかろうじて覆っているだけのボロ布。
ニュッと突き出した鼻先。
乱杭歯を晒してだらしなく開いた口からは、止めどなく汚い涎が溢れている。
その右肩に担いでいるのは、丁度信号灯くらいの大きさもある、黒光りする馬鍬のような武器だった。
この武器で、洋館の玄関口を引き裂いたのだろう。
「ぶ……豚!」
思わず呻いたシュン。
怪物は、まるで二足歩行する、巨大な豚そのものだった。
「まずい! みんな! 離れるんや!」
狼狽したシーナが叫ぶ。
怪物が、ゆっくりと巨大な馬鍬を振り上げた。
「メイ! 行くぞ!」
シュンがメイの手を握って駆け出す。
シーナとホタルも庭先から門に向かって背後に飛び退った。
「メララちゃん! ウルルちゃん!」
シーナが銀の錫杖を振り、メララとウルルを呼ぶ。
「く!」
シュンも『刹那の灰刃』を振り上げて、戦闘態勢に入った。
ビュビュビュビュビュ……
剣が水晶の刀身を形成し、シュンの左腕から伸び上がった緑の蔓が、シュンの全身を覆っていった。
「シーナ! あの武器を使わせるな!」
「わかったで、シュン!」
シュンが剣を振る。
剣先から伸びた蔓の鞭が、彼の3倍もの巨体をもつ怪物の手の中の馬鍬に絡みついてゆく、だが、その時だった。
「キャアアアアアアア!」
怪物の重声とは異なる、耳をつんざく様な金切声が辺りに響いた。
ザッザッザッ
一同の頭上の木々が、不自然に揺れた。
「何だ?」
辺りを見回すシュン。
そして突然、ブチン。
怪物の馬鍬に絡みついたシュンの蔓が、空中で、その中ほどから引き千切られた。
「うわああ!」
バランスを崩して、地面に尻もちをつくシュン。
間髪入れず、グワリ。
巨大な豚の馬鍬の一撃が、シュンと、メイの方に降って来た。
「きゃああ!」
頭上の馬鍬に悲鳴を上げるメイ。
絶対絶命、だが、その時だ!
ガキン!
空中で、何かのぶつかる音がした。
「うおあ!」
「え!」
シュンとメイが、顔を上げた。
二人はまだ無事だった。
怪物の振り下ろした馬鍬のような武器は、空中で静止していた。
「あ!」
シュンは、武器を静止させたものの正体に気づいて、驚きの声を上げた。
それは馬鍬の刃と地面の間に、丁度つっかえ棒のように挟まって刃を止めていた。
赤さびのような色をした、ポール状のモノ。まるで金属製の棒高跳びの棒だった。
「馬鹿か、エッゲ!」
豚の怪物とは別の、まるで金属音の様なかん高い声が、辺りに響いた。
「潰すんじゃあねえ。食うのもダメだ! 『アイツ』にそう言われただろ!」
ザッ! 樹上から飛び降りてきた『そいつ』が、シュンとメイと、豚の怪物の間に立ってそう叫んだ。
「ああっ!」
そいつの姿に、シュンが再び驚きの声を上げた。
背格好はシュンと大して変わらない。
沈みゆく日に赤黒く染まったその影は、一瞬人のようにも見えた。
だがその影の左の肩口には、あるべきはずの腕がなかった。
逆に異様なのは右腕だった。
長く、節くれだって、地面すれすれまで伸びている。
まるで左腕を補うかのように、異様に長い。
さらにおかしいのは全身だった。
豚同様、上半身には衣服は纏っていない。
その全身を覆っているのは、赤茶色の艶やかな体毛だった。
ゆったりとした赤い布で覆われた下半身の、腰のあたりから生えているのは……
フサフサとした赤毛に覆われた、一本の「尻尾」だった!
「猿!」
シュンが呻く。
豚とシュンの間に割って入り、馬鍬の一撃を制したのは、直立歩行する赤毛の猿のような姿をした怪物だった。
「そうさ。ほんの少し痛めつけるだけでいい。手足の1、2本も引っこ抜いて、動けないようにすりゃあいいんだよ……」
猿が、シュンとメイの方を向いて、ニカッと笑う。
その笑みは獰猛だった。
「ど……『貪食のエッゲ』と『赤髭シュタンゲ』! 何故、やつらが此処に!」
シュンのリュックにしがみ付いたヤギョウが、愕然としてそう叫んだ。




