凶姉襲来
「すぴー……すぴー……」
廊下を、寝息の音が横切っていった。
シュンも、シーナも、タヌキのヤギョウも、全員がすっかり寝静まった深夜の如月家だった。
その二階の、暗い廊下の真ん中を、大きな芋虫の様な怪しい物体が、寝息をたてながら前進して行くのだ。
クシャクシャになった炎のような紅髪。無邪気な寝顔。
物体の正体は、毛布にくるまったシーナだった。
なんと。先々日、シュンのベッドに潜り込んでいたシーナが、シュンとメイに行ったいいわけは嘘ではなかったのだ。
彼女の夜這いは、本当に「寝相」のせいだったのだ。
痴女の本能だろうか。
人肌が恋しいのだろうか。
眠りながらにして自分の寝床を転がり出たシーナの体は、毛布にくるまったまま、まるで芋虫のようにモゾモゾと蠢きながら、シュンの部屋に向かってゆっくりと前進していくのだった。
だが……むぎゅっ!
そのシーナの身体を、背中から容赦なく踏みつける、黒い影があった。
「うんにゅ……?」
あしげにされて、ようやく目を覚ましかけたシーナ。
寝ぼけ眼で周囲を見回すシーナに、黒い影が、グワリと覆いかぶさって来た。
「みぎゃあああああ! ……むぎゅっ……」
シーナの悲鳴が、一瞬廊下に響いた。
だがすぐに、何かに押しつぶされるような呻きと共に、パタッと途絶えた。
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ジリリリリリリ……
遠くの方から、目覚まし時計の鳴る音がする。
やべ……もう朝か。だりー……
でも、今日は確か休みだよな。
もっと寝てよ……まてよ、誰かと何かの、約束があったような……?
朝が来た。
ベッドの中のシュンは、半覚醒の頭でボンヤリとそんな事を考えていた。
……だが、その時だ。
「シュン! いつまで寝ているの! シュン!」
聞き覚えのある怒号が、シュンの頭上から降って来た。
ゾワワッ!
シュンの全身が総毛立った。
眠気が、一瞬で吹き飛んだ。
この殺気……やばいっ!
なんでアイツが……!?
次の瞬間、ドガッ!
背中から凄まじい衝撃。
シュンの寝たベッドを蹴り上げる、何者かの足。
「おわあああああっ!」
たまらずシュンが、ベッドから跳ね上がった、その鼻先に、
ビュッ!
風を切る音。
何者かの放った拳の一撃が、シュンの顔面に命中した!
「どぶちゃああ!」
鼻血を噴き上げながら、シュンは再びベッドに卒倒した。
だが、そのまま寝ている暇などなかった。
間髪入れず、シュンに振り下ろされる、何者かの拳。
「ひいぃ!」
シュンは鼻を押えて悲鳴を上げながら、ベッドから転がり落ちた。
「い……いきなり何するんだよ!? 姉ちゃん!!!!」
よろめきながら床から立ち上がったシュンが、彼を攻撃してきた者に、そう叫んだ。
「何するんだ……ですって!? 中学生の分際で、家に変な女と動物連れ込んで、あんたこそ、一体何やってんのよ……シュン!」
その攻撃者……
白いタンクトップを着て、ルーズに編み込んだ黒髪を怒りに震わせた若い女が、燃える眼でシュンを睨んでそう言った。
彼女の名前は如月彼方。
如月家から離れて一人暮らしをしているはずの、シュンの5つ年上の姉だった。
「てゆーか、姉ちゃん……なんで此処に……!?」
目の前の姉を見て、唖然とするシュン。
今週は、彼氏と旅行。
今頃は近畿地方を一巡している最中なのではなかったのだろうか。
「あたしの事なんかどうでもいいでしょ! シュン、そこに直りなさい!」
シュンの疑問を一蹴したカナタが、再びシュンに手を上げかけた、その時だった。
「か……カナタさん?」
部屋の戸口から驚きの声。
立っていたのは、朝食を準備するために如月家にやってきた、白いエプロン姿のメイだった。
「あら、メイちゃん。久しぶり!」
カナタが、メイの方を向いてニッコリ笑った。
「んぐー! んぐー!」
廊下には、グルグル巻きに縛り上げられて猿ぐつわをかまされたシーナが転がっている。
傍らでは、タヌキのヤギョウがひっくりかえって気絶していた。
「シュン、一体どういうことなの。説明しなさい!」
カナタは、相変わらずの厳しい目でシュンを睨んで彼にそう言った。
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「まったく……学校のニュースを見て心配して戻ってきたら、あたしの部屋に妙な女が転がり込んでるじゃない。そりゃあ、変な誤解もするわよ……」
如月家の食卓だ。
メイの用意したトーストとスクランブルエッグを口にしながら、カナタはブツブツとシュンに文句を言っていた。
シュンとメイが必死に事情を説明して、カナタもようやくこれまでの経緯をのみこめたらしい。
食卓にはシュンとメイ、タヌキのヤギョウ、そしてカナタの縛めをようやく解かれたシーナが集っていた。
「まったくカナタさんたら……本当に弟くんには厳しいんだから……」
カナタに殴られた鼻先を痛そうに押えるシュンを見て、メイが少し呆れ顔。
「ちょっと信じられない話だけど、学校のニュースと、『あの子たち』を見ると嘘ってわけではなさそうだし……」
カナタが、顏をしかめながらスマホと食卓を交互に見返していた。。
食卓の上には、火の精メララと水の精ウルルが、それぞれランプとペットボトルの蓋にチョコンと腰かけていたのだ。
一昨日の聖ヶ丘中学の事件は、テレビやネットでも大々的に報じられていた。
学校に侵入した狼のような怪物。乱入してきた覆面の薔薇男。剣道の面を被った謎の女。
校庭で繰り広げられた怪物同士の戦い……。
「そうなんですわー、お姉さん。それもこれも全て、シュンを助けて、メイくんの身を守ろういうウチの慮り。ウチのミッションなんですわー」
不審者の誤解を解かれたシーナが、身振り手振り、どうにか自分のプランをカナタにアピールしようとするも、
ゴチッ!
カナタの拳固がシーナの頭上に命中した。
「あたたー! 何しますのん、お姉さん!」
「何であんたに『お姉さん』呼ばわりされなきゃいけないのよ! この変態! 芋虫女!」
再び、カナタの怒りが炸裂する。
寝相のせいとはいえ、弟のシュンに夜這いをしようとした事が、相当頭に来ているらしかった。
「ち……痴女にも厳しい……!」
メイの顏が蒼ざめた。
「まあでも、こうやってメイちゃんのごはんが毎朝食べられるっていうのも、なんだか悪くないわね。メイちゃん、コーヒーおかわり!」
とはいえ、事情がわかってシュンへの怒りも収まったのか、カナタはメイを向いて笑顔でそう言った。
ものごころがついた頃から両親がいないのに、素直で、礼儀正しく、炊事洗濯もテキパキこなすメイのことを、カナタは随分前から気にかけて可愛がっているのだ。
「はい。カナタさん!」
「そんな事より姉ちゃん、旅行はその……『無事』だったのかな?」
今朝は、こちらも何故だか上機嫌のメイが、カナタのカップにコーヒーを注いでゆく。
シュンが、恐る恐るカナタにそう訊いた。
別に心配しているのは、姉の無事ではない。
「ああ……最低だったわ」
姉が顏をしかめる。
「USJじゃあ調子にのってボートから飛び降りるし、あたしがこっちに帰るっていったら、何を勘違いしたのか急に泣きついてくるし、本当、あんなバカでガキっぽい男だとは思わなかった」
沸々と怒りがこみあげて来たのか、みるみるカナタの顏が歪んでいく。
「頭に来たから、ボコって簀巻きにして琵琶湖に放りこんできてやったわ。あー清々した!」
「うぅうぅうぅうぅう……」
返事に困るシュン。
この姉なら、本当にヤりそうで怖い。
いや、絶対にヤっているに違いない。
聖都大学教育学部一年、如月カナタ。
成績優秀、容姿端麗、そして抜群のプロポーションを誇るシュンの姉だ。
言い寄って来る男は引きも切らないのに、誰と付き合っても全く長続きしない。
理由は炎のような厳しい気性と、子供の頃から鍛錬している拳皇会空手四段の腕っぷしの強さ、そしてフニャけた男には、我慢ならずにすぐに手が出る粗暴な性格が災いしているとシュンは思うのだが、そんなことは、怖くてとても言い出せたものではない。
「だいたい、昔から大阪人て気に食わなかったのよね。お調子者だし、あつかましいし、なにかにつけて変な関西弁で自己主張してくんのがウッザイし……」
シーナをギロリと一瞥して、カナタが唸った。
そういえば、一緒に旅行に出かけた彼氏は、大阪出身だった。
カナタのシーナへの暴行も、多分に八つ当たりに近いモノがありそうだ。
「ちゃ……ちゃいます、ちゃいます! ウチは大阪人とか、そのような怪しいモンではありません!」
シーナが首をブンブン回しながら、必死でカナタに弁明している。
「ふん、まあいいわ。シュン。しばらくは、あたしもこの家にいるからね」
「えー! 姉ちゃんまで……!?」
シュンの顔が、絶望に覆われて行く。
「あたりまえでしょ! 父さんも、母さんもいないのに、男の子と女の子が一つ屋根の下なんて、このあたしが許しません!」
カナタが、再び厳しい顔に戻ってシュンを睨んだ。
「あたしの部屋は、あたしが使うからね。そこのタヌキと芋虫は……そうね、リビングにでも置いておきなさい!」
ヤギョウとシーナを指差してそう言い放つカナタに、
「に……人間扱いされてないし……」
立場が一気に下になったシーナが、ゲッソリした顏でそう呟いた。
「また厄介なことになったなあ……」
ついこの間までは、自由気ままな一人暮らしだったに……。
シュンも下を向いて、暗い顔でそう呟いた。
「ま……それは置いといて……」
気を取りなおしたシーナが、顏を上げてシュンとメイを見た。
「シュン、メイくん。朝飯がおわったら、出掛けるで。タヌキも手伝ってや」
「出かけるって、何処に?」
首を傾げるシュン。
「『夜白レイカ』……、あの女の家や!」
シーナが、学校の住所録を開いてそう答えた。
「あの怪しい女が、素直にそのままここに住んでるとは思えん。でもな、何かが掴めるかもしれん。シュン、メイくん、今日は探偵や!」




