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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第3章 闇を蒔く少女
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獣の王バルグル

 ザワザワザワ……


 夜白レイカの前で、黒い蔦がざわめきだした。

 廃屋を覆っていた蔦は、蠢き、のたくりはじめる。

 そして蔦の一角が二つに割れてゆき、建物への入り口が姿を現したのだ。

 夜白レイカは、表情を変えぬまま、黙って廃屋の内へと歩みを進めて行った。


「よう、戻ったか。リーリエ……」

 屋内に入ったレイカに向かって、そう呼びかける者がいた。

 先ほどレイカの呼びかけに応じた、野太く力強い男の声だった。


 廃屋の内部もまた、床も、壁も、鬱蒼した蔦の葉に覆われていた。

 外部からは窺いようも無かったが、屋内の床は、崩れ落ちていた。

 今レイカの居る、かつて集合住宅だったと思われる建物は、2階から4階までの床材(スラブ)が全て瓦解して屋内に散らばっている。

 これまた各所が崩落した屋上の隙間からは、暗い空に上った三日月の、白い光が差し込んでくる。

 レイカが内側から見回すこの場所は、さながら黒い蔦に内貼りされた、方形の巨大な一間のようだった。

 その一間の一角に、男はいた。


「獣王バルグル……」

 レイカが、男を向いた。

 男は屋内の瓦礫を集め、蔦を敷き詰めた、まるで床机台のような物の上に座していた。

 男は鋭い目でレイカを見据えていた。


 一見して、男の容貌は人間と大差ないようだった。

 分厚い胸板を覆った黒銀色の鎧。

 立ち上がれば、2メートルは超えそうな巨躯。

 顔に刻まれた幾つもの爪痕、刀創。

 獰猛な面構え。


 だが、よく見ればやはり、男の身体には通常の人間とは大きくかけ離れた異彩があった。


 男の銀色の蓬髪は、月の光を受けて闇の中で白い輝きを放っている。

 男の頭上に、まるで王冠のように頂かれているのは、蓬髪の間から伸びたヘラジカのような二本の角だった。

 何よりも異様なのは、男の半身だった。

 男の左の半身からは、黒光りした、巨大な岩塊のようなモノが突き出していた。

 異様な塊は、男の胸部を割り、鎧を突き破り、男の左肩から腰にかけてを貫き、引き裂いているのだ。


 塊は、半透明の、異様な冷気を放つ、巨大な黒い氷のようだった。


「申し訳ありません、バルグル。お預かりした魔狼(ワーグ)の血と黒蛇の精髄、魔剣に敗れ、失ってしまいました」

 レイカは男の前にひざまづき、うやうやしく男にそう言った。


「なに、構わねえよリーリエ。お前さんの趣味の悪い遊びに頼るつもりは、元より無かったさ。お前さんには借りがあったからな。そいつを返したまでのことよ……」

 バルグルと呼ばれた男が、灰色の目でレイカを見据えてそう答える。

 此処でのレイカは、リーリエという名で呼ばれているようだった。


「それに、俺はもう王でも何でもねえ。手下を捨て、野に下った、ただの男だ……」

「いいえ、それは違います。バルグル」

 自嘲的に呟くバルグルに、レイカは人形の様な顏を上げて、彼にそう答えた。


「来るべき接界の頂に、成すべき執行が成されれば、あなたは再び獣たちの、いえ、全ての者たちの頂に立つ王として君臨されることでしょう。他のあらゆる魔王を服従させる絶対の力を持った王。魔影世界を、いえ、『新たなる世』を統べる超王として……」

 夜白レイカが、うっとりとした表情でバルグルを仰いだ。

 レイカの白磁のような頬は心なしか薔薇色に上気していた。

 黒珠のような瞳は、何かこの場に無いものを見据えて潤んでいるようだった。


「ふん。能書きはいいリーリエ。今更そんなものに興味はねえよ。それよりも……」

 バルグルは興味なさげにそう吐き捨てたが、次に放った一語には、切羽詰まったような真剣さがこもっていた。


「本当に在るんだなリーリエ? その、『新たなる世』というのは……」

「嘘は申しませぬ、獣王よ」

 バルグルがレイカを睨んで、そう念を押した。

 レイカはバルグルに向き直った。


「二つの世界の溶け合った『新たなる世』。そこでは、創世の神がこの世に定めた下らぬ条理も容易く覆りましょう、時が逆さに流れます。死者さえ望めば甦ります。そう、かの『裂花(れっか)晶剣(しょうけん)』を手にした『新たなる世の王』が、それを望みさえすれば……」

「……いいだろう。信じようリーリエ」

 レイカの声は凛然。

 彼女の黒い瞳もまた、獣王をまっすぐに見据えていた。

 バルグルは、重々しくレイカに言った。


「お前さんには借りもある。命も救われた。今しばらく、お前さんの計画にも付き合ってやる。だがな、肝に銘じておけよ。もしもさっきの話が、嘘偽りであったなら……」

 獣王の灰色の目が、ギラリと輝いた。


「リーリエ。もはや『こちら側』にも、『あちら側』にも、お前さんが安住できる場所は永遠に無いものと思え。このバルグルが、何処までもお前さんを追いかけ、引き裂き、すり潰し、獣の餌にしてやるぞ……」

「重ねて、嘘は申しませぬバルグル」

 凄味のある声で、バルグルはレイカにそう言い放った。

 レイカが涼しい顏で獣王に答える。


「それに、元より此処にも、魔影世界にも、私には安住の場所などありませぬ。私が心安んじる地があるとするならば、それは『大接界』を果たしたその先。『新たなる世』の、更なる彼方の世界にございます……」

 レイカの黒い瞳は、何処か遠くを見据えていた。


「バルグルよ。私は誰にも仕えませぬ。この世の条理を肯として生きる者は、誰も私の力など求めませぬ故……」

 レイカの瞳が、再び獣王を見据えた。


「私が貴方に力添えするのは、貴方の御心に打たれたからにございます」

「心?」

「はい。御心にございます。己が国を打ち捨ててなお、この世の条理に逆らってなお、お妃様をお救いしたいという、そのような御心を持つ方にのみ、私は私の力を尽くすのでございます」

 レイカの言葉に、バルグルが訝しげに首を傾げた。

 バルグルの目をまっすぐ見つめて、夜白レイカはそう答えた。


「……ふん。わかったぜ、リーリエ。その言葉も信じよう」

 しばしの沈黙の後、獣王は口を開いた。


「今まで通りだ、リーリエ。俺が動けるようになるまで、お前が望む俺の力の全てをお前に預けよう。お前の望むように事を成すがいい」

「ありがたきお言葉……」

 バルグルの言葉に、再びレイカがひざまづいた。


「ですが、もはや『力』をお預かりするには及びませぬバルグル。一言、口添えをいただければ良いのです」

「口添え?」

 バルグルが不審な表情。


「はいバルグル。『接界』は進んでおります。各所に生じた二界の綻びも、十分な大きさまで広がりました」

 レイカは、辺りの闇夜を見回してそう続ける。


「すでに、獣王をお慕いする剛の者、ズィッヒェル殿、エッゲ殿、シュタンゲ殿のお3方がこの地に集っております。その3方にお口添えをいただきたいのです。この私の下で動いてほしいと……。どうにも気になるのです。あの娘を守った剣。あの子供の振った『剣』について、今一度試したいことがあるのです……」

 そう言って、夜白レイカは床から立ち上がった。


「あの3匹、あのならず者どもか……! まあ、今の俺についてくるような奴は、連中ぐらいのものか……」

 バルグルは、少し苦々しげにそう呻いたが……


「いいだろうリーリエ。『奴ら』を使うがいい。連中を此処に連れてきな!」

 銀色の眦を決して、レイカにそう言った。


「重ねて、ありがたきお言葉……」

 レイカが礼を言い、バルグルに背を向けた、その時だ。


「しかしまあ、お前さんがこんな(わざ)を持っているとは、『あちら側』に居た頃にはついぞ気づかなかったぜ」

 バルグルが、しげしげとレイカの背中を眺めて呟く。

 ピタリ。レイカの歩みが止まった。


「闇の森の吸血鬼……『綻び』も『接界』も関係ねえ……か。二つの世界を自由に行き来する能力……リーリエ。お前は、一体何時からそんな芸当ができたんだい?」

「『行き来する』……というのは正確な言い方ではありませぬ。私は、二界に同時に存在しているのでございます」

 背中から聞こえるバルグルの問いに、レイカはそう答えた。


「それに、これは能力ではありませぬ。言うなればこの身に負わされた忌まわしい業罰のようなものでございます……」

 レイカの声が、心なしかこわばっていた。


「そうかい、まあいい」

 何か思うところがあったのか、獣王はレイカへの詮索を止めた。


「俺も感じるぞリーリエ。世界の綻びが広がっていくのを。魔影世界(シャテンラント)の魔気が、こちら側に流れて来るのを。この身の内の魔気が徐々に増して来るのを……!」

 獣王は辺りの闇を仰いで、昂ぶった様子でレイカに言った。


「あと少しだ。十分に魔気が満ちさえすれば、この忌々しいシュライエの氷、14年もの間、この俺を縛り付けた魔氷の結界も、ただの微塵となり果てるだろう。その時こそ……」

 バルグルが続ける。


「この俺が自ら剣をとる刻。リーリエ、お前の働きに存分に報いる刻だ。それまでの間、頼んだぞ、リーリエ」

「心得ております。獣王よ……あなたの望みが裏切られることは、決してないでしょう……」

 バルグルの言葉を背に受けて、夜白レイカは再び廃屋の外へと歩き出した。


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