奇妙な思い出
「シュンくん! シュンくん!」
霧に包まれた校庭。
ヤギョウの先導で、シュンの元に駆け寄ったメイが彼に寄りそう。
「メイ……まだ……出てくんな……あいつが、生きてるかも……!」
「何言ってるのよ、シュンくん。さあ一緒に戻ろう……」
校庭に四つ這いになったシュンが、メイにそう言う。
意識が混濁しているのか、もう呂律が回っていない。
メイは涙ぐんでそう答えながら、シュンに肩を貸して、一緒に立ち上がった。
#
「お前、なんでこの場所に……! やっぱり……何かあるな!」
図書室に入り込んだシーナはそう呻いた。
シーナは図書机の傍ら、崩れ落ちた狼の残骸を見下ろす少女、夜白レイカを睨んでいた。
シーナの背後には、校庭での戦いで被っていた剣道の面が脱ぎ捨てられ転がっている。
校内の避難はほぼ終わっていた。
人目も無い限定された屋内。
良好な視野と俊敏さを確保するための選択だった。
まさかこんな場所に人が残っていたとは。
しかも相手は、今朝方会ったばかりのクラスメート。
謎めいた美貌の少女だったのだ。
「あなたは……今朝の……比良坂シーナさん?」
レイカの切れ長の眼が、少し驚いたように見開かれた。
「これはこれは、奇遇でんなぁ『夜白レイカ』さん……」
シーナは用心深く辺りを伺いながら、レイカの方に近づいて行く。
「手負いのバケモン追って此処まで駆けつけてみれば、バケモンの方は既にバラバラ。それでもって、待っていたのがレイカさんと……」
「ええ、私も驚いたわ。図書室で休んでいたら、いきなり避難警報でしょ。校庭の方ではおかしな事が始まるし……怖くて此処から動けなかったの」
床に散らばる人狼の死骸と、レイカの顏とを交互に眺めながら、シーナは少女向かって銀色の錫杖を構えた。
レイカは動じる様子も無く、机から窓際の方にツカツカ歩いていく。
そしてガラス窓をガラリと開けて、階下の校庭に目をやった。
ウルルの放った乳白色の濃霧が、窓から流れ込んでくる。
図書室を白い闇が満たしてゆく。
「すっとぼけるのも大概にせえ! お前も、あのバケモンの仲間やろ! 目的はなんや!? 何企んであんな事する!?」
「その錫杖……じゃあ、校庭で戦っていたのも、あなたなのね。凄い技ね。何処で覚えたの? この学校に何をしに来たの?」
シーナの金色の瞳が、怒りに見開かれた。
シーナの問いに答えず、レイカはシーナの錫杖を眺めながら首を傾げる。
「質問を質問で返すなぁ! 口で答えられんのなら、身体に訊くだけやで!」
激昂したシーナが錫杖を振り上げて、レイカに打ちかかろうとするが……
スウウウ……
図書室に満ちた霧が、レイカの身体を覆っていく。
少女の姿が、霧の向こうに遠ざかっていく。
「この霧……おかしい、ウルルちゃんのやない!」
「喧嘩はやめましょう。シーナちゃん……それに今日は色々あって疲れたわ。また今度、じっくりお話ししましょう……」
シーナが、ようやく異変に気付いた。
室内に、鈴を振るようなレイカの声が鳴り渡った。
「それよりも、一緒に戦った『お友達』の事を心配した方がいいわ。警察にも通報が行ってるはずよ。このまま学校に残っていたら、あなたたちも色々困るんじゃないの?」
少女の声が、徐々にシーナから遠ざかってゆく。
「くっ!」
シーナは窓の方を向く。
何台ものパトカーのサイレン音。
こっちの方に近づいてくる。
「シュンくん! シュンくん!」
階下からは、メイの悲痛な声が此処まで聞こえて来る。
「ふん、わかったで。絶対また会おな……『夜白レイカ』!」
シーナは忌々しげに霧の向こうを睨みながら、そう吐き捨てた。
#
………ジジジ……ジジ……ジジジジ………
「ねえ、あそこに居るのは何?」
「あれは、オキツネ様。この神社に住んでいる、神様のお使いなんだって」
社殿の屋根の上から二人を見下ろした、小さな白い二又の尾をした獣。
獣を指差してそう訊くシュンに、メイが応えた。
夕暮れの神社の境内だった。
山並に落ちて行く夕日が、石畳を、ご神木を、裏山の茂みを、辺りの何もかもを橙色に染め上げている。
鳥居や石塔から伸びた長い影が次第にその濃さを深めて行く。
「じゃあ、あれは?」
「あれは、ツルベ火。暗くなるとあの枝から垂れて燃え始めるの」
「あれは?」
「あれは、井戸の神様。昔あそこに井戸があったんだって。今でもその水を守っているの」
「あれは?」
「あれは、フスマ。うっかり近づくと、目の前が真っ暗になっちゃうの」
夕闇が深さを増すにつれて、次々と二人の目の前にわき出て来るおかしなモノたちの名前を、メイはスラスラとシュンに教えてくれる。
「ふーん……メイちゃんて、何でも知っているんだね?」
「へへ、お祖母ちゃんが教えてくれるの。でも、お祖母ちゃんには見えないんだって。だから、あたしが絵を描いてあげるんだ……」
感心した様子でメイを見つめるシュン。
そのシュンを眺めるもう一人のシュンが、「ああ、俺は今夢をみているんだな」とボンヤリそう思った。
シュンもメイも、まだ学校に上がる前の、小さな子供の姿をしていた。
見渡す景色が、今よりもずっと大きく、広く、のしかかってくるように見える。
あどけない顏のメイが、シュンの方に得意そうにスケッチブックをひろげる。
一つ目小僧、子鬼、河童、豆狸……。
どれもこれも、商店街の片隅や、公園の生垣の陰などでよく見かける。
シュンにもおなじみの顔ぶれだった。
「メイちゃん、メイちゃん、何しているの? もう夕御飯よ?」
石段の下の方から、メイを呼ぶ声が聞こえて来る。
メイの、お祖母ちゃんだ。
「うん、わかったお祖母ちゃん!」
メイが元気よくそう返事をして石畳から跳ね上がる。
「じゃあまたね、シュンちゃん」
鳥居の向こうに広がる赤黒い山並。
沈む日の最後の名残りを背にしてメイの顏が黒い影になる。
「うん、またね。明日もまた、オバケの名前教えてよ!」
「それにしても……」
シュンも立ち上がってメイに挨拶する。
メイが、シュンの方を向いて首を傾げる。
「シュンちゃんて……不思議ね。」
ス……。メイの両手がシュンの頬にそえられる。
メイが、シュンを覗き込む。
「そのお顔も不思議。そのお目々も不思議。なんだか、とても、綺麗……」
「え……」
何を言っているのか解らずに固まるシュン。
メイがシュンに顔を寄せて来る。
シュンは、メイと目を合わす。
メイの瞳を見つめる。
不思議そうな顏をしてシュンをジッと見つめる、まるで吸い込まれそうなメイの黒い瞳を……!
#
「うおわ!」
シュンが、ベッドから跳ね起きた。
「ここは……」
辺りを見回し、自分の身体を検めるシュン。
そこはシュンの自室だった。
着ているパジャマが、寝汗でグチャグチャになっている。
左腕は、包帯でグルグル巻きにされていた。
「シュンくん! やっと目が覚めた!」
「よーやっとお目覚めやね、シュン!」
ベッドの傍らには、メイとシーナがいた。
メイが緑の瞳を潤ませながら、シュンを見つめている。
シーナも燃え立つ炎のような紅髪をかき上げ、安堵した様子だ。
「メイ、シーナ? あ……!」
記憶を整理していたシュンは、ようやくここに至った経路を思い出した。
校庭での戦いのあと、消耗してまともに歩くこともできなかったシュン。
彼はメイとシーナの肩を借り、通報を受けてやってきた警官隊突入のドサクサに紛れて学校を抜け出したのだ。
そしてウルルの放つ霧に紛れて、自宅までたどり着いた。
……ところまでで、シュンの記憶は途切れていた。
「シーナ、メイ! あいつは……黒川キリトは! 学校のみんなは、無事なのか!?」
「安心せえシュン。アイツは……死んだわ!」
居ても立ってもいられず、二人にそう訊くシュンに、シーナが応えた。
だがその表情は、単純な喜びからは程遠い。
どこか苦々しげな顏だった。
「シュンくん。学校のみんなにも怪我は無いって。荒木先生も、命は助かったって……」
シュンを気遣うように、メイも答える。
狼の鉤爪に切り裂かれて倒れた、体育教師の荒木も、搬送先の病院で緊急手術を受けて、どうにか一命は取り留めたそうだ。
だが受けた傷は深く、仕事への復帰は当分先になるらしい。
「そうか、あいつ……死んだのか……」
友人たちの無事と、教師の事を聞いて安堵したシュンは、今度は複雑な顔で自分の右手を見つめた。
怪物に変じて何人もの人間を殺し、メイを手にかけようとした凶悪な男。
そんな男でも、自分の剣で、自分の手で殺めたのだと思うと、シュンもまた単純に喜べなかった。
俺が、人間を、手にかけた……。
「き……気にすることないよ、シュン! シュンは私たちを、守ってくれたんだから!」
「そや。あのまま奴を放っておいたら、メイくんも、いや、その何倍もの人間が死んどった。誰かがやらなあかんかったんや。たまたま、それがシュンだったゆうだけの話や!」
シュンの気持ちを察したのか、メイが精一杯明るい声でシュンを励ます。
シーナもまた、シュンを気遣うようにそう言った。
「ああ、メイ、シーナ、ありがとな……それより今日は一体……?」
シュンは窓の外を見て首を傾げる。
外はまだ明るい。昼時だろうか。あれからどれくらい気を失っていたのだろう。
「昨日のアレから、丸一日眠っとったんやでシュン。心配せんでも、今日、明日は臨時休校や」
「あんな事件が起きたんだもの。警察の捜査やなにかで、何だか騒がしい事になってるし……」
シーナとメイが今の状況をシュンに教える。
「それよりな、シュン。学校の生徒の住所録あるやろ、ウチに見せて欲しいんや!」
シーナが話を変えた。
「住所録? どうすんだよそんなもん?」
首を傾げるシュンに、
「あの戦いの後な、面白いモン見たんや。今日明日で、ちょっと調べたい事があるんや」
シーナが、厳しい顏でシュンに答えた。
「ああ、わかった。探しとくよ」
シュンはそう答えてベッドを降りて立ち上がる。
蛇に咬まれた時に全身を襲った激痛も、不快感も今はすっかり消えている。
左腕も包帯でグルグル巻きだが、痛みは感じない、試してみると手も、指先も普通に動く。
「これ……お前たちが手当てしてくれたのか? ありがとな!」
シュンは、メイとシーナに礼を言う。感極まって声が昂ぶる。
「それが……その」
「あのね、シュンくん……」
メイとシーナの目が泳いだ。何か触れたくない話題に近づいたように。
「シュン……驚かないで、見てほしいんや」
意を決したのか、シーナがシュンを見つめて、話を切り出した。




