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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第11章 牙蜘蛛の治世
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牙蜘蛛の治世

 日が昇ろうとしていた。

 白々と明けてゆく夜の闇が、東京は新宿一帯に展開された、荒涼たる異郷の景色を露わにしてゆく。

 都心の空を幾重にも覆った、幾何学模様の異様な影が在った。

 縒り合された、白くて図太い綱のような粘つく糸が、林立する高層ビル群の間を、縦横無尽に張り巡らされている。

 今、この街を包んでいるのは、巨大な蜘蛛の巣なのだ。

 その巣を構成する糸の、いたるところに吊り下げられた、いたましい人影が見える。


「ううう……」

「誰か、誰か助けて……!」

 白い蜘蛛糸でグルグル巻きにされ、巣の端々で苦しげな声を漏らしているのは、買い物に出掛けていた老婦人、近隣のオフィスに勤めるOL、若い学生たち……。

 中にはまだ、学校に上がる前の小さな少女の姿さえ交じっている。

 蜘蛛たちに生きたまま捕えられ、身体の自由を奪われた、老若を問わない何百人もの人間の女だった。


「ふふふ……。良いぞ、全てはこの我の思うがまま……」

 幾重にも巡らされた蜘蛛の巣の中心。巨大な黒蜘蛛に乗った灰色の肌の奇怪な老人が、悲痛な呻きを上げる女たちを見回しながら、満足そうに頷いていた。

 牙蜘蛛一族の長。魔王マガツのおぞましい姿だった。

 節くれだった左手には、レイカから奪った『刹那の灰刃』、右手には黒曜石の刃を光らせた『フリーゲの槍』が携えられている。

 

「キキキ……父上。男ドモノ肉ダケジャ、マダマダ全然食イ足リネエ……」

「俺達ニモ、ソノ女ドモヲ食ワセテクレヨォ……」

 そのマガツの周囲に集った何十匹もの毛むくじゃらの黒蜘蛛たちが、銀色の牙をカチカチ鳴らしながら物欲しそうな声を上げている。


「それはならぬ、息子たちよ……」

 足もとで牙を鳴らす「息子」たちを睥睨しながら、しわがれた声でマガツはそう答える。


「我が身の内に十分な『精髄』が満ちた時、この者たちは我が王国の礎……新たな牙蜘蛛の命を宿す『子産み女』となるのだ。それまで、女の肉を食うことはまかりならぬ。お前たちは地に広がり、新たな獲物を探すのだ。男は喰らい、女は我がもとに連れてこい……」

「キキキ……足リネエ……マダ足リネエ……」

「肉! 肉! 肉!」

 マガツの言葉に、蜘蛛たちが一斉にざわめき出すと、真っ黒な剛毛を震わせながら魔王の足元を離れて、糸を伝い次々に市街へと広がってゆく。

 その時だった。


 パラパラパラ……。急速に接近してくるプロペラ音。と同時に、

 タン! タン!

 乾いた音が辺りの空気を震わせ、マガツの身体の傍らを何かが掠めた。


「ギシャアーーー!」

 糸を伝い市街に下りようとしていた牙蜘蛛の数匹が、汚らしい体液を撒き散らしながら地上に落下していく。

 マガツの巣に接近してきたのは、その機体をウッドランドの迷彩色に覆われた、三機の自衛隊ヘリだった。

 機体の側面から、マークスマンライフルを構えたスナイパーが、次々に蜘蛛たちを狙撃してゆくのだ。

 だが……

 

「ふん。人間の軍隊か。何度来ても無駄な事……」

 マガツは鼻を鳴らして、巣の上から自衛隊機を見回すと、

 ビュッ! 目にも止まらぬ速さで、右手に構えた『フリーゲの槍』を一薙ぎした。

 途端、ギン! ギン! ギン!

 槍の刃先が、幾重にも別れると、それ自体が高速で空を切る黒曜石の剣となって、自衛隊ヘリの機体を貫いていった。


「うわあああ……!」

 パイロットと狙撃手たちの悲鳴があたりにこだます。

 マガツに貫かれたヘリコプターが、次々に墜落し地上で炎と黒煙を上げてゆく。


「愚かな……そのような貧弱な武器で我に盾突くか。やはり人間など、我の敵ではない……!」

 地上から上る煙を見下ろしマガツは嗤う。


「あと数日……大接界が頂きを迎え、二界が一つになった時、このマガツは無敵になる。他のあらゆる魔王を凌ぐ超王。偉大なる牙蜘蛛の治世が始まるのだ!」

 都庁舎屋上で騒めく薔薇の蔓に目を遣りながら、老人は昂ぶった声を上げた。

 魔影世界においては、ほとんど不死身と言える生命力を誇る牙蜘蛛の長と彼の眷属にも、これまでは大きな弱点があった。

 魔気の及ばない人間世界に出た牙蜘蛛の肉体は、急速に崩壊し、溶け去ってしまうのだ。

 大接界が始まった今もなお、彼の一族の大半が新宿一帯から離れないのも、他の地域の魔気の濃さが、まだ十分でない事をマガツは知っていたからだった。

 だが、それもあと数日の事。

 二界が完全に融合し、牙蜘蛛が生きられるだけの魔気が世に遍く満ちれば……!

 自身の()に覆われた新宿の街並みを見下ろして、牙蜘蛛の長の胸の内を甘美な勝利の喜びが満たしていった。


「それにしても、これが『人の世の剣』の力か。すばらしい、身の内に力が滾る……!」

 右手の内で、水晶製の刀身を光らせた刹那の灰刃を眺めながら、マガツは再びニタリと嗤った。

 レイカから奪った刹那の灰刃は、魔王マガツに、溢れるほどの魔気をもたらしていた。

 貫いた者の魔気と命を吸い、その力を放って敵を葬るマガツの武器『フリーゲの槍』は、いまや力を奪う相手がいなくとも、マガツ自身の力で、その刃を幾重にも増殖させ敵を刺し貫く、恐ろしい遠距離武器に変化していたのだ。


「お美事にございます。魔王マガツ様……」

「……ふん。吸血鬼か……!」

 自身の足元から聞こえる鈴を振るような少女の声に、マガツは忌々しげに鼻を鳴らした。

 一体いつから其処にいたのか。蜘蛛糸の一本の上に立った、人形の様な貌をした緋衣の少女の姿がある。

 夜白レイカの姿だった。


「この裏切者が。大接界の折『人の世の剣』を奪い、己が物にしようとしたな。このマガツの目はごまかせんぞ……」

 老人の眼窩のあたりにある4つの蟲のような目が、キロキロと回転しながらレイカを見据える。


「この場で消し去ってやってもよいが、今の我は機嫌がよい。去ね吸血鬼。お前の望んだ通り、じきに大きな戦が始まる。数多の王を斃し、このマガツを覇道に導く、最後の戦がな……。お前は物陰に隠れて見ているがよい。下賤の者よ……」

「御意に、マガツ様。ですが……」

 眼下の少女にもう何の興味も失った様子で、レイカを一蹴するマガツ。

 マガツの言葉に恭しく一礼しながらも、レイカは人形のような貌を上げて頭上の老人を見据えた。


「人間の力、努々侮らぬことです。ひとたび彼らが一丸となれば、無敵の力を持った魔王とてあるいは……」

 レイカがマガツに言葉を継ごうとした、だがその時だった。


「何だ、アレは?」

 マガツは空を仰いで訝しげな声を上げた。


「この我の制御を離れて、街の『外側』に向かっている息子(・・)がいる……! それに……一緒に居るこの気配は……!」

 蟲のような4つの目をせわしなく動かしながら、マガツはしきりにあたりの空気を嗅いだ。


「微弱だが感じる……! 獣王、生きていたか!」

 大蜘蛛の目が、怒りで真っ赤に燃え上がった。


「逃がさんぞバルグル! 息子たちよ、蚯蚓どもを放て!」

 巨大な巣全体をユサユサと揺さぶりながら、大蜘蛛はレイカをまたぐと、地上の牙蜘蛛たちにそう叫んで、別の巣へとその巨体を移動させていった。


「魔王マガツ……私が出れば少しは時間を稼げるかと思ったが、相変わらず目ざとい蜘蛛だ……!」

 もぬけの空になった巣の上に残されたレイカは、人形の様な貌を微かに歪めてそう呟いていた。

 

  #


「それにしても……」

 ビルの間に張り巡らされた蜘蛛糸の一本に立ちながら、レイカは不思議そうに首を傾げる。

 レイカの視線の先に在るのは新宿都庁舎の屋上でざわめく、緑の燐光を放つ薔薇の蔓の塊だった。


「ねえ。お願い。助けて……」

「誰か、助けを呼んで来て!」

 レイカの足もとや頭上からは、蜘蛛に捕えられた女たちの悲痛な懇願が響いてくるが、今のレイカにその声は届いていないようだった。


「思ったよりも融合が遅い……。やはり彼女の意志が介在しているのか……」

 レイカは少し苛立つようにそう呟くと、次の瞬間、ザザザア……

 少女の全身が、何百頭もの黒翅の蝶に変じて空を舞った。


  #


「う……! ああっ! 駄目……駄目よ!」

 緑の薔薇の蔓に周囲の一面を覆われた奇怪な空洞の内で、秋尽メイの悲痛な声が響いていた。

 艶やかな闇黒色に変じた全身。背中に広がる黒蝶のような翅。

 漆黒の瞳。魔王の力を使い果たし、奇怪な黒蝶の精のような姿に変じたメイは、自分の肩を両腕で抱きながら、自身の実の内から止めどなく生じてゆく緑の蔓を必死で抑え込もうとしていた。

 

「お祖母ちゃん……みんな……シュン!」

 自分の内から流れ出す、魔王のものとは全く質の異なる強大な『力』に、全身を引き裂かれるような苦痛に耐えながら、メイは目を瞑り、歯を食いしばる。

 瞼の裏に浮かんでくる祖母のユウコや学校の友達……そしてシュンの姿が、徐々に薄らぎ、闇に溶けていく。


「これは……」

 メイは呻く。

 闇の中、彼女の視界に浮かび、広がってゆくのは緑色に輝く蔓を纏った、冷たく輝く一振りの剣の姿だった。

 メイにももう、はっきりわかった。彼女の体を内側から引き裂き、世界中に拡散しようとしている力の正体が。

 メイの耳にリフレインするレイカの言葉。

 メイは器……。大接触の呼び水の。解き放たれるのは剣……。二界を融合する『裂花の晶剣』!


「あの時の景色……。こういう意味だったんだ……!」

 メイの脳裏に、シーナと初めて会ったあの日、夜の『お化け屋敷』で一瞬見た幻が、まざまざと甦っていた。

 薔薇の蔓が夜の空を覆った雪原。獣王バルグルと渡り合いながら、自分の身の内に剣を封じた魔王シュライエ……メイの母コダマの記憶。

 あの夢は、メイに注がれたコダマの魔気が見せた夢なのか。

 あるいはメイの内に封じられた、剣そのもの(・・・・・)の記憶が、彼女に見せたものではなかったか!


「ごめんね、みんな、シュン……。私もう、これ以上……!」

 メイの唇から漏れる絶望の呻き。

 メイの頬を伝うのは、甲虫の体液の様な、白い涙。

 その時だ。


「あ……」

 メイが貌を上げた。

 見開かれたメイの黒い瞳が、何かを探るように、宙を泳いだ。


「この感じ……来た……シュン!」

 辺りを包んだ空気に、微細な変化を感じて、メイの唇から零れたのは、シュンの名前だった。


「無駄な事よ、メイちゃん……」

 突然、メイの耳元で、そう囁きかける聞き覚えのある声があった。

 ハサハサハサ……。掠れた音を立てながら、幾重にも張り巡らされた薔薇の蔓をかいくぐり、メイの周囲を舞う微細な影があった。

 ザワア! メイの前に集った何百頭もの黒蝶が、人形のような貌をした少女の姿に変じる。

 夜白レイカだ。


「夜白……レイカ……!」

 目に涙を溜めながら、メイはレイカの貌をキッと睨んだ。


「メイちゃん。あなたがいくら頑張っても、『裂花の晶剣』の発動は止められないわ。接界が頂きを迎える時、剣は完全に開放される。これ以上苦しむことはない。内なる力に身を委ねなさい。剣の分身、力を満たす器。それがあなたの本来の姿なのだから。自分の運命を受け入れなさい……」

 夜白レイカは、優しげにも聞こえる口調で、メイにそう囁いた。

 だが……


「いいえレイカ。そんなことにはならないわ……」

 黒珠のようなレイカの瞳を見据えて、メイは凄絶な貌でニタリと笑った。


「じきにみんながここに来る。ハルさんが、シーナちゃんが、そしてシュンが……私を止めるために。私の存在を消すために……!」

「……憐れなメイ。あなたを恐れる人間たちの手で滅ぼされて、偉大なる『役目』を捨て去るつもり? そんなことがあなたの望み? あなたは人間ではない。魔物ですらない。この私の精髄が作り上げた歪で不完全な私の分身。ただの魔造生命(ホムンクルス)にすぎない事は、既に二界に知られているのよ。誰もあなたに同情などしない……」

 我儘を言う子供を諄諄と諭すように、メイにそう語り掛けるレイカだったが、もうメイに動じる様子はなかった。


「夜白レイカ……。憐れなのはあなたの方よ(・・・・・・)……!」

「何を……言っている……!?」

 メイの言葉に、少し驚いたようにレイカの切れ長の目が見開かれた。


「お祖母ちゃんが言っていたわ。母さんや父さんと……秋尽の家に居た頃のあなたは、なんだかひどく寂しげに見えたって。お祖母ちゃんが感じた憐れみ(・・・)の理由も、今の私にはよくわかる……。みんなを騙して、自分のいいように動かしたって、結局あなたには友達も、愛する人も何もない(・・・・)のだから……!」

 メイが見上げた夜白レイカの貌から、表情が消えていた。


「父さんと母さんのことを、ずっと見張っていたのだって、ただ目的のためじゃない。心を通わせて……愛し合っている父さんと母さんの姿が……羨ましかったんでしょう?」

「……黙りなさい!」

 パンッ!

 緑に明滅する薔薇の蔓の空洞に、乾いた音が響いた。

 レイカの真っ白な掌が、メイの頬を張っていた。


「『秋尽メイ』……! 私の虚ろな分身に過ぎない魔造生命(ホムンクルス)が、随分と大層な口をきく!」

 輝く鱗粉に覆われたメイの貌を見下ろしたレイカの瞳には、シュンにも、獣王バルグルにも、牙蜘蛛マガツにも見せたことのない、鋭い光が宿っていた。

 それは怒りと狼狽の色だった。


「この14年間で、あなたも色々な力を得てきた様ね。剣のものとも、魔王のものとも異なる『力』を……」

 少し後悔するような口調で、自身が張ったメイの頬を撫でながら、レイカはメイから踵を返した。


「そうまで言うならばいいでしょう。メイちゃん。あなたもまた、自分の望むことを成しなさい。いずれにせよもう時間は無い。頂きは近い……」

 レイカは自分に言い聞かせるように小さくそう呟くと、その身体は再び黒蝶の群れに変じて、薔薇の蔓の檻の外へと散っていった。


「お願いシュン……早く来て……」

 再び蔓の空洞で一人きりになったメイは、中空を見据えると何かに縋るようにそう呟いた。


「早く私を止めにきて。あなたに貫かれるならば、あなたに切り裂かれるならば……私には……後悔なんて……ない……!」


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