王妃の幻
「『堕天使』……リーリエ!? 一体、どういう事なの?」
「夜白レイカ……。あいつはコダマの侍女でも、ただの魔物でもなかった……。もっと巨大で、もっと恐ろしい……世界そのものを滅茶苦茶にしかねない……怪物だったんだ!」
SOS号の病室、戸惑いの声を上げるユウコに、ベッドから半身を起して肩を震わせたキョウヤはそう答えた。
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魔影世界の内でも最強と呼ばれた魔器。示した相手の時を凍らせると言われる『時の羅針』を手に入れるため、魔造生命にその身をやつしたキョウヤは魔王アオレオーレの居城『天空城』に潜入して、苦難に満ちた冒険の末、天空城の宝物庫からそれを盗み出した。
怒れるアオレオーレと竜たちの執拗な追撃から逃れるさなかに、キョウヤは『時の羅針』の持つ、魔王たちすら知らないもう一つの役目に気付く。
羅針は、時を止めるだけの武器ではなかった。
キョウヤが振った針の先、凍らす相手もいない何も無い空間に『接界点』にも似た不思議な揺らぎが生じていた。
竜たちの目を逃れるべく揺らぎをくぐったキョウヤが辿り付いたのは、暗黒の虚空に聳えた、水晶製の壮麗な城だった。
「いらっしゃいませ、お客様……」
城の広間に躍り出たキョウヤに恭しくお辞儀をしながら彼を出迎えたのは、まっ黒なエプロンドレスにその身を包んだ、小さな少女の姿。
『狭間の城』のメイド、コチョウだった。
戸惑いながらも狭間の城に身を潜め、コチョウの話を聞くうちに、キョウヤの頭でささくれていた数々の疑問の断片が、一つの形に組み合わさってゆく。
時間の感覚に混乱をきたしていると思われるメイドのコチョウが、何度も繰り返し口にする、或る存在。
この城を去って久しいという、コチョウの『主』。彼女が言うところの『大天使』。
世界を自由に変貌させる程の、凄まじい力を持つ者。
いかなる理由かはわからないが、今はその力を『神』に奪われ、城を追われた者。
吸血鬼リーリエ。『裂花の晶剣』の存在をバルグルに伝え、彼の魔気を頼り大接界を引き起こした黒幕。
リーリエ自身は、何の力も持たぬゆえ!
キョウヤの中で、巨大な、恐ろしい『何か』の姿が頭をもたげる。
秋尽家でのあの一年。彼の家に身を寄せ、コダマに傅いていた美貌の少女は、キョウヤやユウコには想像も及ばない存在だったのではないか。
魔王の侍女などではない。ただの吸血鬼でもない。
もっと古く、もっと昏く、もっと巨きな、世界の成り立ちの根幹にかかわるような、そんな存在だったのでは……!
「堕天使……!?」
戦慄きながら、キョウヤは我知らずそう呟いていた。
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キョウヤが身を寄せた『狭間の城』は、彼が魔影世界から集めた数々の宝物を隠す、格好の場所であることにキョウヤは気づいた。
何処かに潜むともわからないリーリエに、彼の存在が知られているかもしれないという懸念はあったが、今のリーリエ自身が何の力も持たない以上、この城に侵入することも、キョウヤに手を出すことも出来ないはずだ。
そうでなければ、あの神出鬼没のリーリエが、天空城の『時の羅針』をこれまで放置しておくわけがない。
キョウヤはそう確信していた。
城に集まる宝物は日毎にその数を増してゆき、キョウヤは数々の強力な魔器の扱いに長じていった。
キョウヤの中で、メイを救う道筋が整いはじめた。
計画は順調に思えた。だがキョウヤの計画の歯車は、思わぬ方面から軋み、狂い出すことになる。
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「ぐ……! くそ、身体が……!?」
魔影世界に身を投じてから4年目、キョウヤは日毎に痛みを増してゆく自身の……魔造生命の肉体の異変に必死の思いで耐えていた。
シュヴェルトの身体の自由が、徐々に徐々に、利かなくなってゆく。
転移の術が人の世から忘れられ、魔術師たちがこの世界に放置して久しい『奈落の王の使徒』の肉体は、すでに寿命を迎えようとしていたのだ。
キョウヤは恐怖する。
次の接界が始まる前に、この肉体が朽ちてしまえば、同時に彼の魂も、この世界で滅びる事になる。
そうなれば、彼の計画も、メイの命も、全てが水泡に帰す!
「コチョウ、頼みがあるんだ……」
「あら、どうしましたの、シュヴェルト様?」
キョウヤは窮余の策を講じた。
「次の接界が始まるまでの10サイクル……この広間の『ものみの鏡』が魔影世界の姿を映し出すまで、この『時の羅針』で……おれの時を凍らせておいてくれ!」
キョウヤは賭けに出た、狭間の城のメイド。記憶に混乱をきたした敵とも味方とも知れない少女に、自身の運命を託したのだ。
そしてコチョウは約束を守った。
10年後、接界期が半ばを迎え狭間の城の『ものみの鏡』が魔影世界と人の世界をチラチラと映し始めたころ、『時の羅針』を振い、キョウヤを凍れる時間から開放したのだ。
「時間がない……メイ……!」
『ものみの鏡』が接界を検知するのには、数日のタイムラグがあった。
接界は既に半ばを迎え、動き始めたバルグルの一党は人間世界のメイを追跡していた。
崩壊してゆく肉体を鞭打って、キョウヤは再び魔影世界にその身を投じる。
人の匂いと足跡を辿り、ガングとザックの車に人間の気配を嗅ぎつけ、そして接界点をくぐり、人間世界へ……成長したメイとの邂逅……。
「そ……そんな事情があったんか……!?」
「ああ。俺の手でメイを城にかくまい、どうにかメイを助けられるんじゃ……そう思っていた。だが……!」
14年に及ぶキョウヤの尽力を知り、金色の目を驚愕に見開くシーナ。
だが言葉を継ぐキョウヤの声は、絶望に戦慄いていた。
「あの時、あいつは……リーリエは俺に言った。メイは人間でも魔物でもない……メイこそが剣そのものなのだと……俺がこれまでしてきた事は、全て間違いだったのか……。母さん、俺はこれから、どうすればいいんだ……!」
「キョウヤさん……」
「キョウヤ……! キョウヤ……!」
それからメイの辿った運命と、キョウヤの絶望を思うと、シーナはキョウヤにかける言葉が見つからなかった。
ユウコもただ、キョウヤの名を呼びながら、彼の肩を抱くしか術がなかった。
「ボス……。『西』の方の面子も、次々この船に向かってきている。魔甲の修理と増産も、明朝までには何とか……」
「そうかナユタ女史……」
出ていた電話を切り、『状況』を報告するナユタに、シーナの祖父ラインハルト厳しい顏で頷いた。
「始まるんか……祖父ちゃん……!」
「ああ、シーナ。時は明朝。東西の面子が集結次第、『黄泉の衆』による総攻撃を開始する。目標は新宿を占拠した妖怪どもとその首魁。そして……都庁舎屋上に根を張った『大接界』の、呼び水じゃ!」
シーナの問いに、ラインハルトは決然とそう答えた。
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「キルシエ……逝くな! 逝くな!」
――あなた、そんな顔をしないで……
逞しい腕の中に抱かれて、優美なドレスに身を包んだ美しい女が、少し困ったようにそう呟いて、彼に微笑みかけていた。
綺麗な女性だなあ……。火の粉のまじった熱い風に靡いた女の桃色の髪、炎に照らされた陶器の様な肌を眺めながら、彼はボンヤリそんなことを考えていた。
女の胸に突き立てられて、純白のドレスを真っ赤に濡らしているのは、黒曜石で出来た一振りの短刀。
女の命は、もう終わりを迎えようとしていた。
「お前が……お前がいなくなったら、俺はどうすれば……!」
――大丈夫。此処から私がいなくなっても。春になれば野には花が咲く。風は桜の花弁を散らす。その中に、私は居ます。
――だからほら。もう泣かないで……いつまでも、谷のみんなの事と一緒に……幸せにね……
慟哭する彼の震える蓬髪を、女の指先が優しく撫でる。
女の身体が崩れてゆく。
女の指先が、四肢が、素の身体が、白と薄桃の桜の花弁に変じると、男の手から零れれてゆく。
彼と女を包んだ燃え立つ炎に巻きあげられて、花弁が、夜空に舞ってゆく……!
――サヨウナラ……アナタ……
「キルシエ!」
彼の耳元で花弁の一片がそう囁くと、その声が急速に薄らぎ消えてゆく。
彼は夜空を仰いで絶叫した。
あれ……この声……どこかで……
ボンヤリとした頭で、彼は自身が発した声を頭の中で反復する、野太く威厳に満ちた、この男の声は……
バルグル……!
不意に、何か、引き裂かれそうな悲痛な思い出と共に、男の名前が思い出される。
――お願い。彼を止めて。
――そして……彼を許して……
頭の中に再び響いて来た、あの女の声。
「お前は……!」
そう声を上げて、シュンは目を覚ました。
「シュン……どうしたの……?」
シュンの顏を覗き込んで、不思議そうにそう問う少女がいた。
輝く様な金髪を揺らした、翼人のリート。
「わ! リート! 俺いつの間に……!」
シュンは慌てて上体を起こす。
中庭でその身を横たえ眠っていたシュンの頭の下にあったのは、リートの膝枕だったのだ。
「ごめんなさいシュン。でも……あれから急にグッタリしてしまうんだもの。この城にはもう寝所もないし……」
リートも頬を赤らめてながら、そう答えた。
レイカとのやり取りで精根尽き果てたシュンは、あの後、そのままここで眠ってしまったらしい。
「さっきのは、一体……」
夢の中で見た奇妙な光景。シュンは中庭を見回す。
燃え盛る炎、慟哭する男、男の手の中で最期を遂げた女……。
「あれは……バルグルと、王妃キルシエ……! でもどうして……」
震える声でシュンは呟く。
中庭の真ん中で無残な姿を晒す、燃え落ち、朽ちた巨木。
白々と、夜が明けようとしていた。
その時だった。
「…………!」
厳しい表情で、リートがクンと貌を上げた。
「シュン……。帰って来たわ……!」
中庭から夜明けの空を仰ぎながら、シュンにそう告げるリートの声が、こわばっていた。




