夜白レイカ
「教えろレイカ。『大接界』の後の世界で、その2本の剣を持っていれば……あいつを……メイを助けることが……!?」
「……それは……無理よ」
レイカの人形の様な貌を仰いで、絞り出すような声で尋ねるシュンに、しばしの沈黙の後、レイカはそう答えた。
「メイちゃんの存在は『裂花の晶剣』と分かち難く結びついている。彼女の魂は、剣の力を縒り合せるための仮初の器にすぎないの。剣の力が解放されて大接界が果たされれば魔造生物の肉体と共にその魂も消滅する。取り戻す事など不可能よ……」
首を振りながらレイカは続けた。
シュンを見据える黒珠のようなレイカの瞳の奥には、シュンがこれまで見たことも無い光が宿っていた。
憐れみの眼差しだった。
「ぐぅう……!」
一縷の望みに縋るように、レイカを見あげていたシュンの瞳が、絶望に濁った。
口からは声にならない呻きが漏れて、レイカを見据えるシュンの顏が再び憎悪に歪んで行った。
「それに……仮にかつてのシュライエの様に、剣の力を封印して大接界を防ぐ事が出来たとしても、もうメイちゃんが人の姿に戻ることはないわ。人の身体は、私が14年間だけ彼女に許した仮初の姿。たとえ助かったとしても、あの姿のまま成長することもなく、残りの人生を送ることになるのよ。魔造生命としての寿命が尽きるまで……。あなたにとってもメイちゃんにとっても、そっちの方がよほど残酷でしょう?」
「レイカ……! 『夜白レイカ』……! 『吸血鬼リーリエ』……!」
淡々とした口調で無情な事実を告げてゆくレイカを睨みながら、シュンは震える声で彼女の名を呼んだ。
「お前は一体、何者なんだ? 何故そんな事を知っている? 何故そんなに酷いことが出来る? お前は、一体……!?」
「……私に決まった名前は無いわ。いいえ、様々な名が有った……」
鈴を振るような声でシュンにそう答えながら、レイカは十日夜を過ぎた月の輝く夜の空を仰いだ。
「世界を外部から管理、観察する『外なる』者の代行者。人々の心を探る『探査針』にして『啓示者』。世界の条理を自在に変えることを許された『調律者』、ヒトを守り、ヒトの世を統べる偉大なる『大天使』!」
背筋を伸ばして、レイカは誇らしげにそう名乗った。
朱を差した様な唇から譫言のような言葉を漏らし、銀色の月に濡れたレイカの貌には、厳かとさえ言える美が宿っていた。
だが次の瞬間には……
「でも、私は『主』に捨てられた。彼らは私ごと世界を闇に閉ざすと、どこか遠くに行ってしまったわ。永遠に……」
「レイカ? 何を……言っている……!?」
寂しげに首を振って、レイカは肩を落とした。
レイカの言葉に、シュンは全身の毛が逆立ってゆくのを感じる。
レイカは確かにシュンの問いかけに答えているようだが、目前の美貌の少女の口にした言葉の意味が、シュンにはまるで理解できないのだ。
「そして、見なさい、今の世界のこのざまを!」
再びシュンを向いたレイカの声は、怒りに軋んでいた。
「シュンくん。あなたも、ユウコさんも、他のみんなも、この世界が如何に異常で狂ったものなのか、まるで気付いていないのね……。今度こそ私がなんとかしなければ。裂かれた世界を一に繋いで、私の力で世界を正さねば……!」
「だから……何を言っているんだ!」
悲鳴にも似た声を上げるシュンを見下ろし、夜白レイカは凄絶に嗤った。
「私はレイカ。『神に挑む者』……!」
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「キョウヤさん……! 本当にあなたなのね!?」
「母さん……母さん……!」
SOS号の船内。病院の一室で目を覚ましたキョウヤを包んだ円筒状のカプセルに縋るようにして、秋尽ユウコは涙交じりに自分の息子の名を呼んだ。
目の前に居るのは秋尽キョウヤ。13年間行方の知れなかった、コダマの夫、メイの父親だった。
「脈拍も正常。意識清明です……」
「キョウヤくん。ようやく目を覚ましたか……」
カプセルを満たした透明な液体の水位が、ゆっくりと下がってゆく。
傍らでキョウヤの容体を確認する意志の声に、ラインハルトも安堵の表情で頷いていた。
「母さん。13年間、メイの事、済まなかった! 俺は、とんでもない間違いを……!」
「キョウヤさん、教えて、一体何があったの……!?」
カプセルから運び出されて、病室のベッドに搬送されてゆくキョウヤの手を握りながら、ユウコは彼にそう尋ねた。
「あれから俺は、世界中を旅してまわった。15年前のあの夜、新宿を覆った怪異の正体を確かめるために。そして、メイのことを守るために……!」
ポツリ、ポツリ、キョウヤが話を始めた。
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14年前、妻のコダマを失いメイを死の危険に晒したトロポサイトの戦いが過ぎてからの数ヶ月、トロポサイトで出会った見知らぬ少女から被った背中の傷は深く、キョウヤは両足の自由を失っていた。
母親のユウコの献身的な看護とメイの存在は、傷付いたキョウヤに再び生きる力を与えようとしていたが。
だがキョウヤの心には拭い難い恐怖と疑念が張り付いたままだった。
それは、メイを失う恐怖だった。
大接界のあの夜、新宿の空を覆っていた奇怪な薔薇の蔓と、トロポサイトで傷付いたメイの身の内から生じていたあれは、同じものではなかったのか。
接界とは、大接界とは一体何か? メイは誰かの恐ろしい企みの、道具にされたのではないだろうか?
そんな疑いと恐怖が、キョウヤの心を苛んでいたのだ。
その後、工房館に残された秋尽の文献を調べるにつれキョウヤは、キョウヤの疑いは確信へと変わっていく。
歴史の折々で唐突に起きる異常な接界。巨大な天変地異。その度に記録されているのは、空を覆った異常な蔓の様子と、裏に見え隠れする、一本の『異界の剣』の姿があった。
キョウヤは文献を読み進めるうち、二剣の存在を知る。
一本は人の世の剣。剣に選ばれた者にのみ、絶大な力と薔薇の蔓の鎧を授ける『刹那の灰刃』。今は西の比良坂の物。
一本は魔影世界の剣。15年に1度、接界を引き起こす『裂花の晶剣』。そして、今ある場所は……考えたくもないが……!?
トロポサイトでコダマとメイを襲った者。あの銀髪の妖怪と謎の少女は、彼ら自身の手で大接界を引き起こそうとしていたのだ。
いかなる理由かはわからぬが、おそらくはコダマの身体から娘のメイに引き継がれた『力』を呼び水にして……!
そして『刹那の灰刃』。かつて秋尽より比良坂に渡された謎めいた神剣こそが、裂花の晶剣に対抗しうる唯一の力だというのだ。
キョウヤには確信に近い予感があった。
事件はこれで終わりではない。次の接界が始まる頃には、再び大接界を望む魔物たちが動き出す。メイの身体に秘された力を狙って。
その前に、何としてもメイの身体と『力』とを分かつ必要がある。
キョウヤはラインハルトのもとに足を運ぶ。秋尽の全ての技術、文献と引き換えに、メイとユウコの警護を託す。
そして次なる接界が始まった時には、剣を使いメイを守るよう頼むと、キョウヤはメイを救う方法を求めて、世界を巡った。
麻痺した両足は、ラインハルトから譲り受けた開発中の魔甲至高鎧の一部、機械式の義足を使って補った。
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「やがて知ったんだ。西欧の妖怪ハンターたちの秘術を。接界の時期を選ばず、生きたまま魔影世界に自分の魂を転送する方法があることを……!」
「だが危険な賭けじゃった。試すも者など絶えて久しかった。成功の見込みも、生きて戻って来られる可能性も極めて低い。だがキョウヤ君の決意は固かった……」
病室のベッドからユウコに話を続けるキョウヤに、ラインハルトは溜息をつきながら相づちを打った。
次なる接界を待たずに魔影世界に潜入する術を、キョウヤは西欧の魔術師たちの技に見出した。
魔術師たちが日本の『夜見の衆』よりも長じていたのは、『召喚』そして『転移』の技術だった。
入念な準備と長時間の儀式の果てに魔影世界の住人を一時的にこちら側に呼び出す技術。そして逆に、こちら側の人間の魂を、魔影世界に転送する技術に……。
フランス、マルセイユの魔術結社『O.T.O.魔術院』の地下、『深奥の図書館』と呼ばれる書庫。
その場所で見出した、背徳の魔術師『クロウリー』の失われた魔術を、危険も顧みずにキョウヤは試した。
魔影世界を巡り、メイを救う方法を探るために。
こうしてキョウヤの魂は、かつて魔影世界の探索に人生を捧げた魔術師たちが、かの地で作り上げた魔造生物『奈落の王の使徒』の肉体に転送された。魂を失ったキョウヤの肉体はラインハルトの庇護のもと、パリはサルペトリエール病院で厳重な監視下に置かれる事になった。
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「その魔造生物ゆうのが、あの飛蝗男……。『怪盗シュヴェルト』ゆうわけか!?」
「ああ、シーナ……ちゃん。黙っていて悪かった……」
明かされた事態の真相に息を飲むシーナ。
キョウヤはすまなそうに、ラインハルトの孫シーナにそう答えた。
キョウヤは、あの怪盗シュヴェルトの姿をして、10年以上魔影世界を旅していたというのだ。
「剣の秘密を探るため、俺は魔影世界の様々な場所を巡った。『獣の谷』、『からくり街』、『灰の海』、あの『隠の洞』も……。そして集めた。人間世界では手に入らない、強力な魔器の数々を。魔王たちのもとから『怪盗』として……」
魔影世界で見聞を広め、の強力な魔器を集めるうち、やがてキョウヤは事件の真相に気付き始める。
あの夜、新宿の大接界を引き起こしたのは、獣の谷を統べる『魔王バルグル』。
トロポサイトで『魔王シュライエ』……キョウヤの妻コダマに深手を負わせ、キョウヤに斃されたあの男こそが『裂花の晶剣』に魔気を注ぎ事件を引き起こした張本人だったというのだ。
そして獣の谷の住人たちが忌まわし気に口にしていた『あの名前』……バルグルをそそのかし、暴走させた下賤の吸血鬼……。
「俺はメイを助けようとした。『時の羅針』でメイの時を止め、シーナちゃんが持っているはずの『刹那の灰刃』でメイの身体から何としても『晶剣』の力を分離する。接界が始まるまでにそれだけの事が出来れば、メイを救う事が出来る。そう信じていた。だが……!」
話を続けるキョウヤの顏が、怒りに歪んでいた。
「全ては無駄だった。全ては『あの女』の計画通りだったんだ。あの忌まわしい『吸血鬼』……いや、『堕天使リーリエ』の……!」
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「メイ……あの時の言葉……黒い瞳……」
黒獅子城の中庭の縁石では、アオレオーレの鎖に縛られたシュンが、放心状態でブツブツ何かを呟いていた。
中庭からは、既にレイカの姿は消えていた。
「シュンくん。さっきの話。よく考えてね……。剣を取り新たな世界を治める王と成れば、あなたはあなたが愛する者の多くを守ることが出来る。メイちゃんを失おうとも……」
黒蝶に変じて黒獅子城を去る間際、レイカは再びシュンにそう呼びかけた。
「もうあまり時間がないわ。獣王バルグル。白竜の上主アオレオーレ。そしてキョウヤさんも……。あなたの他にも、剣の力を欲する者は大勢いるわ。あなたは『資格ある者』の一人に過ぎないのだから……」
何百頭もの黒蝶に姿を変えたレイカは、そう言い残して夜の空に消えて行ったのだ。
「メイ……俺……どうすればいいんだ……」
シュンはか細い声で、メイの名を呼んだ。
レイカの血を嗅いで中庭に倒れたリートを介抱しなければと思うが、全身に力が入らない。
指先を動かすのすら億劫だった。
シュンはボンヤリとした頭で、いつかみた奇妙な夢の事を考えていた。
幼い頃、あの夕べ、逢魔が刻。
九頭竜神社の境内で二人きり。
シュンが覗いたメイの瞳は、確かに黒かった。
メイの目にもまた、シュンの瞳は緑色に映っていたのではなかったか。
その肌は氷の様な蒼白に、額には小さな角が。
メイの背中から広がって夕日を遮っていたのは、大きな黒い蝶の翅ではなかったか?
幼かった頃の二人は、その奇妙な生い立ち故に、互いに互いの本質を見抜いていたのではなかったか?
「全てが、最初から決まっていたってことか? こんなのって……こんなのってないよ……」
絶望に光を失ったシュンの目からは、もう一筋の涙すら流れてこなかった。
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「うう……無事なのねシュン! あいつは……あの吸血鬼は!?」
「行っちまった……行っちまったよリート……」
中庭から上体を起こしながら、苦しげなリートの声が聞こえた。
今、ようやく目を覚ましたのだ。
「シュン。お願いがあるの。アオレオーレの話を飲んで……その鎖を解くの。私と一緒に人間世界に行って……」
立ち上がったリートが、シュンの方に歩み寄りながら、彼にそう言った。
「バルグル様……」
口の中で小さく獣王の名を呼んだリートの脳裏には、意識を失う直前に彼女の耳元でレイカが囁いた言葉が、まざまざと甦っていた。
――獣王バルグルは生きています。
――ですが彼は傷つき、力を失っている。今ならまだ、あなたの手で助けられる……!




