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破界の魔王と吸血少女  作者: めらめら
第11章 牙蜘蛛の治世
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リートの涙

「リート……? いったい何を……?」

 リートの言葉に、シュンは不審げに首を傾げた。


「シュン……。バルグル様はあの時……!」

 シュンの耳元で、リートは涙交じりの声で話し始めた。


  #


 黒獅子城から漂う白い霧と、強烈な魔気にリートが気付いたのは、『大接界』が始まる数時間前の事だった。

 純白の翼を撓わせて城に降り立ったリートを待っていたのは、オリーブ色の肌をした美貌の少年と小さなタヌキの姿。

 天空城を治める魔王アオレオーレと、吹雪の国のヤギョウ将軍だった。

 そしてアオレオーレとヤギョウの口より、翼の少女に衝撃的な事実が告げられる。

 人間世界で牙蜘蛛が動き出した。15年前の『大接界』の再来が目前に迫っていると。

 リートが獣の谷で出会った人間の少女、『秋尽メイ』こそが全ての元凶、大接界を引き起こす呼び水であった事を。

 そうなる前にメイを見つけ、戦いの場から引き離し、隔離すること。

 そしてシュライエの本当の子であるシュンを回収して、魔影世界まで運ぶこと……。

 それがアオレオーレから翼人のリートに告げられた依頼だった。

 リートは、しばし考え、そして彼の話を承諾した。

 獣たちの王の根城、黒獅子城に身を置いてなお尊大な態度を崩さない、この鼻持ちならない魔王の依頼を。


 もちろんリートも『大接界』など望んでいなかった。

 人間世界と魔影世界の融合を防ぐために自分の翼が役に立つなら、力を尽くすことは厭わない。

 だがそれ以上に、リートを強く駆り立てたのは、自身の胸を突き上げる強い思いだった。

 メイが本当に大接界のトリガーであるならば、何としても彼女を隔離し、その力を封印しなければならない。

 メイを救いたい。あの勇気ある少女を。

 シュンを助けたい。あの優しい少年を。

 だが本当の理由、リートを駆り立てる最も強烈な思いは、バルグルに対するものだった。

 今一度、獣王と会いたい。彼と話して、その真意を確かめたい。


 そんな思いを胸に、リートは飛んだ。

 今や魔影世界の各地で広がりつつある『接界点』。

 聖ヶ丘中学校での戦いの日の夕べ、シーナと共に潜ったあの接界点を抜けて、リートは再び人間世界にやってきたのだ。


 リートは探る。バルグルの魔気を、メイの気配を。

 そして彼らの存在を察知する。人間世界の巨大都市『新宿』の空にそそり立った、二又の巨塔の頂きに。


 だが状況はアオレオーレやリートの予想を遥かに凌ぐ早さで進行していた。


「そんな……バルグル様!」

 御珠市の空から新宿に向かって飛行しながら、リートは青い目を恐怖に見開いた。

 遠目の利くリートには新宿での戦いがはっきりと映し出されていたのだ。

 人間世界に顕現した牙蜘蛛の長マガツ。

 彼の突き立てた『フリーゲの槍』に力を奪われ、瀕死の獣王。

 そして、牙蜘蛛の爪に無残に引き裂かれて、都庁舎の壁面にどうにかしがみ付く、バルグルの無残な姿!

 バルグル様。助けなければ……!

 リートは純白の翼を大きく撓わせる。

 一刻でも早く獣王のもとに駆けつけようと、必死の思いで飛び続ける。

 だが次の瞬間……


「ヒグッ!」

 リートは嫌悪の呻きをどうにか飲み込んでいた。

 都庁舎の壁面、引き裂かれたバルグルの傍らに、一人の少女が立っていた。

 風に靡いた長い黒髪。身に纏った深紅のワンピース。人形の様な貌。

 少女は、夜白レイカだった。


「うああ! バルグル様!」

 我知らず、リートは叫んでいた。

 リートの心を激しい怒りが満たしていった。

 バルグルをたぶらかした、忌まわしい吸血鬼。

 獣の谷から……いや、リートから獣王を奪った、あの女への怒りが。


「ちがう! ちがう! 今はそれどころでは……!」

 リートは首を振る、目前の任務をどうにか思い出そうとするが、考えは千々に乱れる。

 これまで、考えまいとしていた事実がリートの胸をドス黒く塗りこめてゆく。

 シュンとメイの話では吸血鬼は、人間世界のならず者に()の力を注いで、狼に変えたという。

 では、その獣の精髄を吸血鬼に注いだのは……!

 そして今まさにバルグルに差し伸べられた、吸血鬼の真っ白な手。

 手首から滴り落ちる。少女の血潮。


「ユルサナイ!」

 リートは憤怒の声を上げた。

 バルグルは、キルシエとの思い出を忘れてしまったのだろうか。

 獣の谷の民を本当に捨ててしまったのだろうか。

 そして……()の事も!

 真っ赤な血を滴らせたレイカの手首が、バルグルの口許に迫っていた。


「ううっ!」

 リートは思わず目を背ける。だが……


「バルグル……様……? バルグル様……?」

 次に目を開けた時……

 バルグルの身体は、吸血鬼の前からも、リートの視界からも消えていた。

 250メートルの塔の壁面から、地上に向かって落下してゆく影がリートの視界を過ぎった。

 リートは掠れた声で何度も、落ち行く獣王の名を呼んだ。


  #


「バルグル様を助けに行かないと。そう思った。本当は、助けに行くべきだった。でも……」

 シュンの耳元で、リートは震える声で呟いた。


「あの時、思ったの。バルグル様が獣の谷に……もう私の元(・・・)に戻ってこないなら……」

 シュンにはリートの声が、何だかドス黒い陰の塊みたいに聞こえた。


「いっそ、あの場で死んでしまえばいいって!」

「リート……!」

 翼の少女の告白に、シュンは返す言葉が見つからなかった。

 牙蜘蛛に引き裂かれたバルグルは、あの後もなお、生きていたというのだ。

 リートの青い目は、その後の一部始終を空から見届けていたのだ。


「あの時なら、間に合ったかもしれない。バルグル様の命を救うことが出来たのに……私……馬鹿だった!」

「リート。お前、やっぱりあいつを……バルグルの事を……!」

 リートが抱き続けて来た思いの正体に気付いても、シュンにはそれ以上の言葉が出てこない。

 少女の金髪が揺れ、小さな肩が戦慄いていた。


「うあああうシュン!」

 何かに耐えかねたように、リートは嗚咽を漏らした。

 シュンを抱くリートの腕に一際強く力が籠り、シュンの肩口をリートの涙が濡らしていた。


「やっぱり悲しい……寂しい……! バルグル様の顏が見たい。声が聞きたい。もう一度、あの方に会いたいよぉ……!」

「リート……リート……」

 胸の内に抑え込んでいた何かを吐き出すように、リートは泣きじゃくっていた。

 シュンは、彼女にかける言葉が見当たらなかった。

 翼人(ジレーネ)の戦士。本人が称して『獣の谷の番人』。

 初めて会った時から、いつも気丈で、人間にも魔物にも常に公正に振る舞おうとしていたリート。

 そんな少女の胸の内には、獣王バルグルへの激しい思いが渦を巻いていたというのだ。


「リ、リート、大丈夫さ……。バルグルは、きっと生きてる……」

 しばし固まっていたシュンは、やがておずおずと、リートにそう声をかけた。

 シュンの言葉、リートには気休めにもならないかも知れない。

 根拠なんか、何もない。

 それでも、今のシュンの胸には、強い思いが、揺るぎ無い確信があった。


「バルグルが……あの獣王が、そう簡単にくたばるもんか。直接戦ったから良く分かるさ……」

「シュン……」

 ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻したのか、リートは貌を上げてシュンを見つめた。


「リート。人間世界に戻って、一緒にバルグルを探そう。お、俺達も、何か力になれるかも!」

「ありがとうね……シュン……!」

 しどろもどろになりながら、どうにかリートを力づけようと言葉を尽くすシュンに、リートもまたクシャクシャの貌を拭って微かに笑った。


「その前に、この鎖を何とかしないと……」

 リートの身体がシュンから離れて、シュンは忌々しげに、自身の手足を縛った銀色の鎖に目を遣った、その時だった。


「シュンくん。白竜の魔王の言葉、受け入れなさい。ヤギョウ将軍と共に、兵を率くの……」

 リートのそれとは異なる、鈴を振るような少女の声が、シュンの名を呼び、そう語りかけてきた。

 

「な……その声は……!」

 聞き覚えのある少女の声に、シュンは顏を上げ、黒獅子城の中庭の一画を睨んだ。

 ザザザアアアアア……。月光に濡れた夜の城を、冷たい風が渡っていた。

 シュンの視線の先に立っていたは、深紅のワンピースを身に纏った一人の少女だった。

 夜に溶けて行くような長い黒髪。真っ白な肌。人形の様な貌。

 そこに居たのは、夜白レイカだった。


「吸血鬼……!」

 レイカの姿を認めて、リートが呻いた。

 シュンの傍らから立ち上がったリートの口許から漏れ出る声は、まるで憎悪の塊だった。


「リ……や……」

 リートの様子に気づいたシュンが、彼女を制そうと声を上げかけた時には、リートの身体はシュンの傍から消えていた。

 タッ! 庭の縁石を蹴る乾いた音が響いて、次の瞬間。

 ズ……。中庭に立ったレイカ……美貌の少女の左胸を、銀色の刺突剣(レイピア)が刺し貫いていた。

 シュンの元から跳躍したリートの抜き放った、彼女の剣が、レイカの心臓の場所を目にも止まらぬ速さで正確に貫いていたのだ。

 だが……


「う……ぐっ!」

「無駄なことですリート殿……」

 苦し気な呻きを漏らしていたのは、レイカでは無かった。

 レイカは動じる様子も無く、リートの右手に自身の手を添えた。

 レイカの胸からリートの剣がゆっくりと引き抜かれてゆく。


「そんな武器で、この私を滅することなど出来ません。知らなかったのですか……?」

「吸血鬼……! 殺す……殺す……!」

 レイカの血を滴らせたリートの剣が、甘く腐った果実の様な匂いで中庭を満たしてゆく。

 血の香を嗅いだリートの頭はぐらつき、身体の自由が奪われてゆく。


「しばらくお眠りなさいリート殿。私は魔王シュンに話がある。それにこれは、あなたにも朗報なのですよ……?」

 堪らず中庭の芝生に膝をついたリートを見下ろして、レイカは朱を差した唇を歪めて妖しく嗤った。


「…………」

「うぁ……!」

 レイカがリートの耳元に口を寄せて、二言三言、小さく何かを囁いた。

 レイカの言葉に、朦朧としたリートの青い目が驚きに見開かれたが、その目もすぐに光を失いう。

 レイカの血の香で眠りに落ちたリートが、芝生にその身を横たえた。


「レイカ……! レイカ……! 何をしに来た!」

 怒りの声を上げてレイカを睨むシュンだったが、今はアオレオーレの鎖で手足の自由が利かない。

 レイカは動じる様子も無く、ツカツカとシュンに近づいて来た。


「シュンくん。争うのはやめましょう。事情が変わったの……」

「事情……? くそっ! 何を言っている。よくもメイを……お前が……お前が……!」

 目の前に立ったレイカが、シュンを見下ろし彼にそう告げるが、シュンには意味が解らない。

 怒りで目の前が真っ赤に塗り込められてゆくようだ。

 夜白レイカ。吸血鬼。シュンを殺そうとした。メイを変容させた。大接界を招いた、全ての災いの源。

 こいつさえいなければ。シュンもメイも、今頃こんな目には遭っていなかった……!


「そうね……メイちゃんのことは気の毒に思うけれど、あれこそが彼女の本来の役目。避けられない運命だったの。そんなことよりシュンくん……」

 レイカは事もなげにシュンの言葉を遮ると、話を続けた。


「魔王マガツに……蜘蛛たちの長に『刹那の灰刃』が奪われた。このままでは彼らを止められなくなるわ。あなたの友達も、家族も、みな蜘蛛たちに食い殺されてしまう。そうなる前に……」

「『刹那の灰刃』が……!?」

 レイカの言葉に、シュンは息を飲んだ。

 シュンの身体を薔薇の蔓で包み、絶大な力をシュンにもたらした魔剣が、今はあのおぞましい大蜘蛛の手にあるというのだ。


「シュンくん。あなたが新たな魔王として兵を牽くの。人間の力だけでは蜘蛛たちは止められない。吹雪の国の軍団と、魔王の力が必要だわ……」

「おい待て……今更……今更なに勝手なこと言ってんだよ!」

 淡々としたレイカの声に、シュンは憤懣やるかたない顏でシュンは叫んだ。


「選ぶのはあなたよ、シュンくん。いずれにしても、アオレオーレの取引を拒めば、彼はあなたを殺す。いえ、今のあなたなら私の手でも……」

「ぐっ!」

 シュンは息を詰まらせた。

 今レイカの手に握られてシュンの首筋に添えられているのは、月の光を反射して銀色に輝いた一振りの短刀だった。

 ユウコから奪った『鬼刺刀』だ。


「それにシュンくん。これはあなたにとってチャンスでもあるの」

「チャンス……?」

 レイカの言葉に、訝しげにシュンは首を傾げる。


「ええ。チャンス。大接界が果たされた後、『刹那の灰刃』と『裂花の晶剣』……残った2本の『大天使の剣』は振る者に絶大な力をもたらす。この世を支配し、この世の条理を覆すほどの力を……。シュンくん。コダマさんから魔王の力を受け継いだあなたには、その剣を取る資格がある……。家族を守り、友達を守り。大接界の後の乱世を治める王たる資格がね……」

「この世を支配する……力!?」

 興奮した面持ちのレイカに、シュンはうなじの毛が微かに逆立つのを感じた。

 夜白レイカ。こいつは、何故そんな事を知っているのだろう。こいつは一体、何者なのだ?


「レイカ……。教えろ……」

 人形のようなレイカの貌を睨み上げて、シュンはボソリとそう呟いた。


「そうやってバルグルに近づいて、あいつをそそのかしたんだな? きっとその……バルグルのお妃を生き返らせることが出来る……。そう、あいつに……」

「……そそのかした、というのは正確な言い方ではないわ。彼は心の底からソレを望んでいた。私は力を貸したに過ぎない。獣王バルグル……彼にもまたこの世の条理を覆す程の渇望が……『資格』があった……!」

 シュンにそう答えるレイカの貌からは、妖艶な笑みが消えていた。

 黒珠のようなレイカの瞳が、まっすぐシュンを見つめていた。


「じゃあ……その……こういうことか?」

 喉の奥から絞り出すような声で、シュンは再びレイカに尋ねた。


「大接界の後にその2本の剣を持っていれば……あいつを……メイを元に戻すことは出来るのか? メイを……メイを……助けることが……!?」

「……シュンくん……」

 シュンの問いかけに、レイカはしばし答えなかった。


「…………!」

 シュンは当惑した。

 憎むべき敵であるはずのレイカの貌に、シュンがこれまで見たことも無いような、悲痛な色が宿っていたのだ。

 それは憐れみの色だった。

 黒獅子城の中庭に、重苦しい沈黙が立ち込めていた。


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