アオレオーレの縛鎖
「お前が……メイを……!?」
「いやいや、例えばの話さ。私だって人間世界の面倒事に巻き込まれるのは御免だし、キミたちの恨みなんか買いたくない。だからこそ大接界と、あの魔造生物はキミたちの手で決着をつけるべきだと……」
シュンの緑の左目がギラリと輝き、彼の眼前で優美に微笑む魔王アオレオーレを見据えた。
怒りに歪んだシュンの顏に怯む様子も無く、純白の髪を揺らした美貌の少年は、滔々とシュンにそう語り掛けるが、次の瞬間、
「ふざけるな!」
「……グッ!」
悲鳴にも似たシュンの怒号が玉座の間に響き渡った。
白銀の鱗に覆われたシュンの左腕が、アオレオーレの喉首を掴み上げていた。
都庁舎での戦いで刹那の灰刃をレイカに奪われ、常人の力しか持たないはずのシュンの片腕がいとも軽々と、アオレオーレの身体を空中に吊り上げる。
「シュン、やめて!」
「なりませぬシュン様!」
リートとヤギョウが、慌ててシュンを制止しようとするが、その声はシュンには届いていなかった。
「メイを殺す? お前らが……お前らが……お前らが……!?」
空中のアオレオーレを締め上げながら、シュンは憤懣やる方ない顏で、ブツブツそう呟いていた。
頭がクラクラする。怒りで気が変になりそうだった。
シュンの視界を、何度も何度も、メイの貌が過っていた。
登校中のグダグダなシュンを、困り貌でしかりつけてくる、おせっかいなメイ。
少し照れくさそうに、三段重ねのゴッツイ弁当箱をシュンに突き出す、世話焼きなメイ。
シーナとくっつくシュンを凄い目で睨みつけて来る、やきもち焼きのメイ。
運動会や作品展、学校での催事があるたびに、どこか所在無げで寂しげだった緑の瞳。
黒い氷で怪物を引き裂いて恍惚とする、艶めいたメイの貌。
比良坂の庭園の片隅でかわしたメイとのキス。
柔らかいメイの唇。はにかんだメイの貌。
この事件が終われば、これから何もかも、うまく行く。
そう思っていたのに……!
シュンの脳裏にまざまざと甦る、あの時の光景。
忘れられるはずがない。
夜白レイカの牙にかかって、奇怪な黒蝶の精へと姿を変じたメイ。
メイの身体から湧き上がる緑の蔓。
薔薇の蔓に飲まれてゆくメイ。その刹那。
黒い瞳から涙を流してシュンを見つめていたメイ。
悲しそうなメイの……あの貌。
――惹かれ合うのも当然よ……
シュンの耳元に甦る、夜白レイカの忌まわしい声。
――あなたたち二人は、共に魔王シュライエの身の内より生じた者……
――ともに魔王の力を帯びし肉体。奇妙な姉弟といってもいい……
「やめろ! ああくそ!」
我知らず、シュンは絶叫していた。
その声は眼前のアオレオーレに向かってではなく、ヤギョウにも、リートに向かって発せられたものでもなかった。
シュンの両の目からは、憤怒と無念の涙が流れていた。
次の瞬間……
キシキシキシキシ……
玉座の間全体の気温が急速に下がって行った。
黒曜石の壁や床面に白い霜が降りていた。
「シュン!」
「シュン様!」
異変に気付いたリートとヤギョウが、驚きの声を上げた。
アオレオーレを掴み上げたシュンの手から生じた黒い氷が、徐々に徐々にその大きさを増しながら、美貌の少年の喉元に食い込んでゆく。
「グッ……! 成る程。その魔氷、その魔気の格。たしかにキミは魔王シュライエの子。だが……!」
氷の覆われてゆくアオレオーレの顏から、優美な笑みが消えていた。
少年の琥珀色の瞳が、狼狽したように見開かれた、だが次の瞬間、
ズドン!
耳を劈く様な爆音と同時に、玉座の間全体の空気が震えた。
「うああああ!」
悲鳴と同時に、一瞬にしてシュンの身体が10メートル近く後方まで弾き飛ばされていた。
アオレオーレを覆わんとしていたシュンの氷は微塵に砕けていた。
美貌の少年はその場から微動だにしていない。
手足を動かした素振りもなかった。
だが少年の放った、何か目に見えない力が、シュンを叩きつけ、彼の身体を遥か後方まで弾いたのだ。
「『ブリントの衝壁』……!」
「あれが、白竜の上主の『力』……!」
リートとヤギョウが、アオレオーレの業に目を瞠る。
「まったく聞き分けのない子だ。人の話は最後まで……」
「うっ! うおおおおお!」
呆れた様子でシュンにそう告げるアオレオーレだったが、怒りに我を忘れたシュンは、倒れた床から跳ね上がった。
シュンが再びアオレオーレを睨みつける。
常人ではありえないような脚力とスピードで、アオレオーレのもとに突進するシュンだったが、次の瞬間、
フ……
シュンの視界の中で、アオレオーレの身体が不意に、霞んだ。
「……!」
何が起きたか分からずに息を飲むシュン。
少年の身体が、一瞬にして白い霧のようなものに変じて玉座の間に四散して消滅したのだ。
「何が……!」
混乱して静止したシュンが、焦燥した顏で辺りを見回した、その時だ。
「ここだよ……」
シュンの背後から、少年の囁き声、と同時に、
ズドン! ズドン! ズドン!
先ほどシュンの身体を吹き飛ばしたアオレオーレの衝撃波が、矢継ぎ早にシュンの背面に炸裂した!
霧に変じて消滅したはずのアオレオーレの身体は、一瞬にしてシュンの背後に移動していたのだ。
「がああ!」
堪らず弾き飛ばされた
「あれは『虚空の霧』……!? 戦いで用いるか!」
「なんて力なの……」
アオレオーレの振った魔王の力に、ヤギョウとリートは慄然とした表情で、その場から動けない。
「やれやれ、これだけ痛めつければ、少しは頭も冷えたかな? それにしても、この程度の力であの獣王バルグルと互角に仕合ったとは、ちょっと信じられないね……?」
「ぐ……ぐぅう……!」
足元で苦しげな声を漏らすシュンを見下ろして、アオレオーレは首を傾げた。
全身を貫く痛みに、シュンはその場から動くことが出来ない。
「やはりヤギョウ将軍の言っていた『人の世の剣』とやらの助けか……。聞けば大接界の折、牙蜘蛛マガツに奪われたと言うが……面白くないな。何か手を講じる必要が……いずれにしても……」
眼下のシュンに興味を失ったのか、しきりにブツブツ何かを呟く少年。
そして、ジャラン……ジャラン……
アオレオーレの纏った純白のローブの内から何かが伸びて来た。
床に零れ出たそれが、シュンの両手と両足に巻き付き、シュンの手足を縛り上げてゆく……!
動けぬシュンの手足を緊縛しているのは、魔王の身の内から生じた、銀色に輝く鎖だった。
「シュン!」
「シュン様!」
シュンに駆け寄ったリートが、倒れたシュンの上体を抱え上げる。
ヤギョウもまた不安そうにシュンを見あげた。
「アオレオーレ! いったい何を!?」
「ふん……。それは『白竜の縛鎖』。この私の手以外では、絶対に解けない封魔の鎖……」
怒りに燃える目でアオレオーレを睨むリートに、美貌の少年は琥珀色の目を冷たく光らせながらそう答えた。
「シュン。吹雪の国の新米魔王。未熟な成り上がりよ。この城で今一度、自分の成すべき事をじっくりと吟味するといい。考えが変わったら教えてくれ。その鎖も喜んで外そう……」
動けぬシュンを一瞥してそう告げると、アオレオーレはシュンから踵を返した。
「いずれにせよ、もうあまり時間はない。接界の頂きまであと4日……。ヤギョウ将軍。今一度、吹雪の城まで飛ぶぞ。魔王シュライエの残した『氷の騎士』たちを起動させろ。戦に備えるのだ……」
「ぐうう! シュン様……! 翼人、シュン様の事を頼んだ……」
ツカツカと何処かに玉座の間の奥に向かって歩みを進めて行くアオレオーレと残されたシュンの間を右往左往しながら、ヤギョウはやがて意を決したのか、アオレオーレを追って、玉座の向こうの闇に消えて行った。
「シュン……! シュン……! 大丈夫……あっ!」
「ぐうう……ひぐっ……」
床から抱え上げたシュンの顏を覗き込んで、リートは息を飲んだ。
シュンは泣いていた。シュンの両の頬を再び、滂沱の涙が伝っていた。
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「ウゴゴ……。取ってきました姐さん。今はこんなものしか……」
「ありがとうザック。もう戻っていいわ。あとは私がやるから……」
黒獅子城の中庭だった。
暗い玉座の間から、十日夜を過ぎた銀色の月光の照りかかるこの場所までシュンを運んできたリートは、手足の自由が利かないシュンを庭の縁石に座らせると、トロールのザックが庭から集めて来た何かを、彼の手から受け取っていた。
「シュン。こんなものしか無いけれど……」
「う……ああ……」
リートが自分のポーチから取り出してシュンに見せたのは、黒っぽくて硬そうな、パンの様な食べ物だった。
同じくポーチから取り出した小さな木鉢のようなものに、ザックから渡されたモノを入れたリートが、銀のスプーンでそれらを器用にすり潰してゆく。
彼女がトロールから受け取ったのは、紅色のフサスグリやキイチゴ、コケモモに似た、野生の果物だった。
「ほら、食べてシュン。少し身体を休めないと。ずっと戦ってきたんでしょ……」
すり潰した果物をパンにはさむと、リートはシュンの傍らに腰かけて、パンをシュンの口もとに差し出した。
手足を鎖で縛られたシュンは、自分の手で食べることが出来ないのだ。
「むぐ……」
シュンがリートのパンを頬張った。
最後に静かに飯を食ったのが、もう遥か昔の出来事のように感じる。
ボソボソのパンと酸っぱい果物の実が、今のシュンには堪らなく美味しく感じられた。
ツ……。我知らずシュンの目から、再び一粒、涙が零れ出て来た。
「リート。さっきはごめんな、バルグルの玉座で、あんなことになっちまって……」
「仕方ないわシュン。あの王の間も、主が去ってから久しい。このお城も、誰も居なくなってしまった……それに……」
リートもまたブルーの瞳を潤ませながら、月の光で銀色に濡れた、城の中庭を見渡した。
「さっきアイツと……アオレオーレと戦ったシュンは、立派だと思った」
「……え?」
無我夢中でパンを食べ終えたシュンは、リートの言葉に首を傾げた。
リートとヤギョウの制止も聞かずに、後先も考えずにアオレオーレに挑み、無様に負けた自分が?
「メイの事……。あれだけ大事に思っていたんだって……。なんだか、羨ましいなって……」
「リート……」
リートの言葉に、再びシュンの胸は締め付けられるように痛んだ。
「リート。俺もう、どうすればいいかわからないよ……」
溜息を吐くように、シュンはリートにそう呟いた。
「メイが大接界を引き起こした元凶で、人間と、お前らのためには滅ぼさなきゃいけなくて、俺は母さんの本当の子供じゃなくって、おまけに、俺とメイが、シュライエから生まれた姉弟……!」
頭を振りながら、シュンは呻いた。
一体これからシュンは、誰のために、何のために戦えばいいのだろう。
シュンは再び、足元の地面がガラガラと崩れて底なし沼に引きずり込まれていくような感覚を味わっていた。
その時だった。
「シュン……!」
不意にリートが、自分の両腕でシュンの身体を抱きしめた。
「リート……!?」
「大丈夫よシュン。自分を信じて! メイを助けたいのなら、そのために戦って! 答えなんて無いかもしれない。でも必死で足掻いて、自分の頭で悩んで、自分の気持ちと向きあって、シュンがしたいと思った事……それが、『真実』よ!」
シュンの耳元で、リートは力強くそう言った。
ウェーブのかかったリートの柔らかな金髪が、シュンの頬を撫でた。
「リート……! ありがとな!」
胸にこみあげる熱い何かを吐き出すように、シュンはリートにそう答えた。
「シュン……! 私も出来る限りの手助けをする。だからシュンは、信じたもののために戦って……! でないと、一生、後悔する……!」
「リート? どうしたんだよ?」
シュンを抱くリートの腕が、いや、全身が震えていることにシュンは気づいた。
「私は、後悔している……。私はバルグル様を……信じられなかった。谷に戻られないのなら、もういっそ……死んでしまえばいいって……!」
「バルグル? リート? 何言ってるんだよ?」
リートの言葉に、シュンの身体がこわばった。
瞬を抱く翼の少女の青い目からは、一筋、二筋、涙が溢れ出していた。




