キョウヤの帰還
「大接界を止める……!? 一体、どうやって?」
「……ユウコ殿。これがドローンが撮影した、今の新宿の映像です……」
悲鳴にも似たユウコの問いかけに、ラインハルトは苦渋の表情でそう答えた。
老人が手元に用意したタブレット端末には、新宿上空からヒラサカのドローンが撮影した映像が送信されていた。
今や新宿の空は、高層ビル群に幾重にも張り巡らされた無数の白い糸に覆いつくされていた。
地上からは火の手が上がっていた。蜘蛛たちと、彼らの巣を駆除するためにやってきた自衛隊の戦闘ヘリは、新宿の空を縦横無尽に移動する蜘蛛たちの放った強酸性の糸に絡み取られ、切断され、その全てが撃墜され、地上から無残な黒煙を立ち上らせている。
そして、蜘蛛たちの糸が一際厳重に張り巡らされた空の一画があった。東京都庁舎だ。
シュンとバルグルの戦った都庁舎屋上で今蠢いているのは、緑色の燐光を放った、薔薇の蔓の塊だった。
その蔓のうねりに呼応するように、急速に地上に生え茂ってゆくのは、本来この場に在り得ないはずの鬱蒼とした樹々。
都庁舎を中心として、徐々に徐々に地上を覆ってゆくのは、黒々とした異界の森だった。
「この光景……もう疑いようが無い。蜘蛛たちが糸を張り守ろうとしているのは、あの屋上の蔓。あれこそが全ての元凶。大接界の呼び水。あの……」
ラインハルトの声が沈痛だった。
「メイくんから生じた蔓が……!」
「そんな……」
「祖父ちゃん!」
ラインハルトの言葉の意味の恐ろしさに、ユウコとシーナは息を飲んだ。
「仮に蜘蛛たちを殲滅できたとしても、大接界の呼び水であるあの蔓の力を消滅させない限り、災禍は終わらない。そのためには……」
「嘘でしょボス……」
「どうにか、どうにかならないんですか? ハルさん……」
ナユタとリュウガも縋るような目でラインハルトを見ているが、老人の表情は厳しいまま。
「もちろん手は尽くす。手は尽くすが……これは我らの世界全体に関わる危機じゃ。最悪の事態も想定せねばならん……」
「ハルくん……」
ラインハルトの言葉に、ユウコの肩が再び震えていた。
言葉こそ濁しているものの、夜見の衆の西の統領たる彼の意志は明白だった。
大接界を防ぐためには、メイから茂った蔓の力を消滅させねばならない。メイの身体ごと!
老人はそう言っているのだ。
「メイ……!」
「お許しくださいユウコ殿。既に情況は、我々の手の及ぶ範囲を超え始めている……。このままでは地上の全人類を危険に晒すことになりかねない。その前に、せめて我々に出来ることをするしかない。それしかないのです」
床に目を伏せて、掠れた声でメイの名を呼ぶユウコに、ラインハルトはそう答えた、その時だった。
プルルルル……
スイートルームの一画に備え付けられた電話が鳴った。
「うん? Bブロックの医療班……こんな時に一体……」
ラインハルトが首を傾げながら電話の受話器を取る。
「わしじゃ」
「ラインハルト様。深夜に失礼します……」
受話器の向こうから聞こえて来る、何かに昂ぶったような早口。
「例の……マルセイユの患者が、『秋尽キョウヤ』様が、意識を取り戻しました!」
「キョウヤくんが!?」
電話からの報せに、思わず驚きの声を上げるラインハルト。
「キョウヤ……! 一体何を言っているの?」
ラインハルトが漏らした自分の息子の名に、ユウコもまた目を瞠った。
「ユウコ殿。みんなも、今からBブロックまで……。キョウヤくんが、目を覚ました!」
「キョウヤが……この船に!」
「メイくんの、お父さんが!」
「ボス! なんで彼が、SOS号に……!?」
「ハルくん、何故それを黙っていたの……!」
「許してくださいユウコ殿……」
次々に驚きの声を上げる一同と詰め寄るユウコに、ラインハルトはそう答えて頭を下げた。
「13年前にキョウヤくんから、この事を頼まれた時、彼自身から固く口止めされていたのです。二度と帰れぬ旅になるかもしれぬからと……! それに……」
ラインハルトは、少し安堵したような表情で頭を上げると一同を見回して続けた。
「接界が始まってからこの一週間、彼の容体は極めて不安定じゃった。SOS号の医療班による慎重なモニタリングが必要。フランス、マルセイユの『O.T.O.魔術院』から日本まで彼を運ぶには、海路を取るしか方法がなかったのです……」
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「キョウヤ! キョウヤ!」
「うう……母さん……みんな……」
病院の一室だった。
ラインハルトの案内で一同がホテルから辿り付いたその部屋の真ん中には、異様なオブジェが聳えていた。
まるで巨大な水槽の様に、透明な液体で満たされた円筒状のカプセルの中に居たのは、無数の透明なチューブで、チカチカと明滅する機器に繋がれた、一人の人間だった。
「この人が……!」
カプセルの中ので苦しげな声を上げる男の顔に、シーナも見覚えがあった。
精悍な面構え、齢は40に達する頃だろうか。
廃屋となった『工房館』で手に入れた、あの写真と同じ顏。
ユウコの息子、メイの父。
秋尽キョウヤの姿だった。
「キョウヤ……本当に、帰って来たのね!」
「母さん、すまない。俺は、メイを守れなかった。俺は……とんでもない間違いを……!」
涙交じりの声で息子に語り掛けるユウコに、キョウヤは悲痛な面持ちでそう答えた。
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「はじめましてシュン。私はアオレオーレ。『吹雪の国』を治める新たな魔王に、一度お目通り願おうと、そこの翼人に無理を押して、この黒獅子城で待っていました……」
「アオレオーレ? こいつも、魔王なのか?」
黒獅子城の玉座の間だった。
黒曜石の玉座から立ち上がり、シュンのもとまで歩いて来た美貌の少年に、シュンは戸惑いの声を上げていた。
真っ白な髪、オリーブ色の肌、シュンよりも更に小柄な体躯。
バルグルやマガツ、これまでシュンが戦ってきた魔王とは随分様子が違って見える。
「はい、シュン様。あの者はアオレオーレ。空に聳える竜族の城『天空城』を治める白竜の上主。そして……」
シュンの足元から、タヌキの姿をしたヤギョウが忌々しげにシュンにそう告げる。
「シュライエ様の去られた我らが『吹雪の国』を蹂躙し、奪い去った卑劣な魔王……!」
「ハハハ。卑劣とは穏やかでないね。ヤギョウ将軍……」
悔し気に唸りを上げるヤギョウを見下ろし、アオレオーレは鈴の音の様な声で笑った。
「確かに、あの地の吹雪と寒さは、私の白竜の身体を一人休めるのに、なんとも心地良かったのでね。不潔な獣族や、おぞましい牙蜘蛛どもの好きにさせておくのは少し勿体なくてな……」
「ふん。その吹雪の国から再び『大接界』が始まり、慌てて逃げて来たというわけだが……」
純白のローブを揺らしながら笑う美貌の少年を見あげて、ヤギョウは鼻を鳴らす。
「そう腐すな、ヤギョウ将軍。お前にとっても、我らにとっても、『大接界』の再来は由々しき事態。おまけに今回は、例の牙蜘蛛どもが噛んでいるな? 連中がどれだけ人を喰らおうと構ったことではないが、あの魔王マガツがこれ以上増長するのは見過ごして置けないからね……。だから、キミたちと取引をしに来たのさ……」
「取引? どういうことだよヤギョウ?」
アオレオーレの言葉が腑に落ちないシュンは、足元のヤギョウに小声でそう訊く。
「シュン様……。あれからわしは、人間世界で感じた違和感の正体を考え抜いた。そして危険を承知で戻ったのです。アオレオーレの支配する我らが故郷。吹雪の国に……奴と取引をするために!」
相変わらず、以前とは打って変わった様子で恭しく、ヤギョウはシュンにそう答える。
「吸血鬼の計略……。獣王バルグルを人間界に仕向けた目的……。わしの考えが正しければ、遅かれ早かれ、必ず大接界は起きる……そう、今度は吹雪の塔の剣からではなく、姫……『あの者』の身体を起点として……!」
厳しい声でヤギョウは言った。
「『シュン様』、『あの者』って……一体、何言ってんだよヤギョウ……!」
「吹雪の国で再びアレの……『大接界』の兆しを認めた時、わしの疑いは確信に変わりました……わしは事実を見誤っていた。『あの者』はシュライエ様の子供などでは無かった!」
「そこで私の出番というわけです……!」
震える声で問いかけるシュンに、ヤギョウは答えずそう続けた。
アオレオーレがヤギョウの言葉を継いだ。
「この私の……白竜の業『虚空の霧』の力を使えば、魔影世界の内ならばどんな場所であろうと、一瞬で移動することが出来る。ヤギョウ将軍ともども、大接界の始まった吹雪の国を逃れ、事件に縁の深い、この黒獅子城で羽を休めていたというわけです……。キミの『回収』は、そこの翼人に私が頼みました。キミとも面識があったみたいだし……」
アオレオーレは優美な笑み湛えながら、シュンの背後のリートを指差した。
「リートが……俺を?」
「ええ。誰の頼みであっても、やっぱりあなたの事は放っておけなかった……」
輝く様な金髪を揺らしてリートは答えた。
シュンは曖昧な記憶を辿る。
マツカゼの機上で意識を失った後、空中に放り出されたところまでは覚えている。
あのあと、シュンを抱きとめてこの場所まで運んできたのは、この翼の少女だったのだ。
「そういうことです。事の成り行きでキミがバルグルやマガツに殺されてしまったら、そこのヤギョウ将軍も面目が立たないだろうし、私との約束も反故になってしまうからね……」
純白の髪をかき上げながら、アオレオーレは言った。
「約束……取引って、どういうことだよヤギョウ。あいつと一体何を約束したんだよ……!」
シュンは苛立たしげに髪を掻き毟りながら、ヤギョウにそう問い詰めた。
なんだかさっきから、様子がおかしい。
謎めいた魔王アオレオーレは勿論の事、ヤギョウの態度も、その言葉の端々も。
「シュン様……。わしと吹雪の国の民は、この白竜と約束を交わしたのです……」
重々しくヤギョウは答えた。
「獣王と牙蜘蛛どもの暴走を制して、此度の『大接界』を我らの手で防げたならば……吹雪の国を我らのもとに返すよう事を。新たな魔王の治世に、今後一切の手出しをしない事を……」
「なんだよ、吹雪の国の治世……新たな魔王って……!?」
「そう、それがあなたです。魔王シュン様……!」
戸惑いの声を上げるシュンの顏を、ヤギョウはまっすぐに見上げてそう答えた。
「待てよ! 勝手な事言うなよ! 俺は……そんなんじゃない! それに俺には俺で、やることがあるんだ! 人間世界に戻って、あいつを、メイを……助けないと!」
「シュン様。残念ですが、それは叶いません」
怒号を上げるシュンに、ヤギョウは沈痛な声でそう答えた。
「シュン様、あなたには是が非でも、我ら吹雪の国の軍団を率いて戦ってもらわねばなりません。我らの国の再興と、魔影世界の安定のために。それに……」
意を決したようにヤギョウは続ける。
「このまま『大接界』を止められなければ、あなたが元居た人間世界も大変な事になる。多くの人間が蜘蛛に喰らわれる。蜘蛛たちを斃したところで、争いは終わりませぬ。人の魔との間に、多くの諍いが……戦争が起きる。二界が危うい。そのためにも姫……いや、『あの者』を……」
何度も苦し気に首を振りながら、ヤギョウは吐き出すように言葉を継いだ。
「なんとしても『大接界』を止めるのです。我らが魔王シュライエ様の姿を模した、あの忌まわしい魔造生物。『秋尽メイ』を滅ぼして……!」
「何を……言ってる……!」
ヤギョウの言葉に、シュンの顏から血の気が引いていった。
「メイを……!? 待って、そんな事、聞いていない!」
リートもまた金髪を揺らしながら、愕然として叫んだ。
「仕方ないのじゃ。獣の谷の翼人よ。これも魔影世界の平和のため……!」
「メイを……メイを……! ふ、ふざけるな! メイを滅ぼす……!」
シュンは足元のヤギョウの喉首を掴み上げた。
頭がクラクラする。怒りで目の前が真っ赤に染まっていくような気がした。
「まあまあ、落ちついてシュン。冷静になるんだ。相手は世界を滅ぼそうとする、魔物でも人間ですらないただの魔造生物さ。それに……」
アオレオーレが優雅に笑いながら、ヤギョウを掴み上げたシュンを宥める。
「例え君たちがやらなくても、これは誰かがやらねばならない仕事だ。君が動かなくても、いずれは他の魔王や人間たちが……。私がケリをつけてしまったら、君たち吹雪の国の連中との約束も、もう守れなくなるよ?」
「なん……だと……!」
アオレオーレの言葉に、シュンの顏が憎悪に歪んだ。
シュンの緑の左目が、オリーブ色の肌をした美貌の少年を睨みつけていた。




