シュンの秘密
「オマエか。もう何日も前から、ボクの『からくり街』に潜り込んでいる人間というのは……」
「ああ、そうさ!」
燃え立つ炎のような紅髪を揺らした美貌の少年が、四方から聞こえてくる嘲笑うような少女の声に、毅然としてそう答える。
ギシギシギシギシ……
金属の擦り合わさる軋んだ音が辺りに鳴り響く。
蠢き絡まり合った無数のチューブ。連動し回転する無数の歯車、伸縮する何万本ものシリンダー。
今、少年が立っている場所は、伸び上がり、絡まり合いながら絶えず変形を繰り返す、機械仕掛けの奇妙な一間の内部だった。
ギギギギ……。突然、その床面を構成していた用途も定かでない機械の合間から何かがせり上がって上がって来た。
「ふん。人間の分際で、よくぞこの魔王マシーネのもとまで辿り付いた。言え。何が望みだ……」
現れたのはシリンダーを寄せ集めたような、銀色の奇怪な玉座。
そして、その玉座にチョコンと腰かけているのは、真珠の様な肌の、あどけない貌をした黒衣の少女の姿だった。
「薬だ! あとは清潔な注射針も、メスも、剪刀も縫合糸も全然足りていない……!」
「薬? 注射針? そんなモノのために……!?」
玉座の上の奇怪な少女に、臆することなくそう叫んだ少年に、少女は戸惑いの声を上げた。
「なにが『そんなもの』だ! 今僕のいる村では、そんなものも用意できない。助けられるはずの命が次々失われていく……!」
少年は苛立たしげに少女に答える。
少年の青い瞳が、まっすぐに少女を見据えていた。
「村の爺様が教えてくれたんだ。15年に一度、『ゆらぎ』の向こうに現れる機械の街では、人間の世界では買えないような薬や道具が手に入るって。だから来たんだ! みんなのために!」
「……うっ!」
少年の瞳の輝きを覗き込んで、黒衣の少女が気押されたように小さく息を飲む。
真珠の様な肌の少女の頬が、心なしか薄桃色に染まっていた。
#
バチン!
「うおあ!」
何かがはじけるような鋭い音と共に、全身を貫いた衝撃に、ラインハルトは悲鳴を上げて目を開けた。
「ここは……! SOS号……?」
ラインハルトは茫然とした表情で、横たわっていた集中治療室のベッドから半身を起した。
バルグルとの戦いで傷を負い昏睡状態に陥っていた老人が、今突然、意識を取り戻したのだ。
戸惑いながら周囲を見回すラインハルト。なんだか、随分昔の夢を見ていたような気がする。
「ハル。やっと目を覚ました……」
「……お前は!」
耳元で囁くようにそう呼びかけてくる声に、老人は驚きの声を上げた。
いつの間に其処に居たのか。ラインハルトの横たわっていたベッドの傍らに、一人の少女が立っていた。
全身を覆った全身が真っ黒な花柄のレース地。真珠の様な艶やかな白い肌。目元を覆った分厚い眼鏡。
そこだけは剥き出しになった少女の右腕は、銀色の機械仕掛け。
そして、その右腕から伸びた無数のチューブやサブアームが、ラインハルトの胸や頭部に接続されていたのだ。
「まったく。これまで何を学んできたんだハル。あれだけ人間世界にボクの業を持ち出しておいて、自分の創ひとつ治せないなんて……」
「マシーネ……。ではお前が……わしを!」
驚き息を飲むラインハルト。
バルグルとの戦いで
そして今、老人の眼前に立つ少女……『マシーネ』の腕から伸びたチューブや機械腕は、人間世界の医療技術では回復困難だったラインハルトの傷を凄まじい速度で癒してゆくのだ。
「マシーネ。わしのためにわざわざ『からくり街』から……。すまん!」
「ハル。キミのためじゃない。蜘蛛どもが動き出した。ヤツらは嫌いだ。だから……」
ベッドから立ち上がり眼前の少女に深々と頭を下げるラインハルトに、マシーネはモジモジしながらそう答える。
「蜘蛛? いったい何を……?」
「ハル。もう人間世界はまっぴらだから、これ以上の手出しはしない。でもこのまま放っておけば。いずれヤツらはキミたち人間を食らい尽くすだろう。そうなる前に、自分たちで始末を付けるんだ……」
首を傾げる老人にそう語り掛ける少女の身体に、ある変化が生じていた。
ピシン……ピシン……。微かな軋みを立てながら、少女の身体が黒変してゆく。
真珠の様な肌が、黒地のレースが、銀色の右腕が、艶の無いくすんだ石炭の塊の様に硬化して亀裂が走ってゆくのだ。
「マシーネ!」
「コレは置いていくよ。じゃあね、しっかりハル。増殖都市の魔王の業が牙蜘蛛に負けたのでは、ボクの名が廃るからね……」
その言葉を最後に、少女の身体は、完全な黒い石の彫像になり果ててその場に静止した。
「これは……『黒魔石』の塊……!」
老人の眼が驚きに見開かれる。
「これだけ大量の素材があれば……! あるいは『アレ』を動かすことも……!」
黒い彫像となった少女を眺めまわしながら、興奮した面持ちで何かをブツブツ呟くラインハルト。その時だ。
「祖父ちゃん!」
「御屋方様!」
「ハルさん!」
「ボス!」
ガラリ。病室のドアが開いた。
集中治療室に飛び込んで来たのは、ホタルからラインハルトの異変を聞きつけた彼の孫シーナ。
そしてリュウガとナユタだった。
「おおシーナ! みんな!」
「祖父ちゃん! よくなったんか!? ……ん? なんやそれ?」
シーナは元気そうな祖父の姿を見て安堵の息を漏らしながらも、治療室に立った奇怪な黒い塊を見て不審そうに首を傾げる。
「これは……凄い妖気の……残り香!?」
紫紺の髪の一房をピョコピョコ弾ませながら、ホタルもまた訝しげな貌。
「おうおうシーナ。ホタルにも心配かけたな。もうすっかり大丈夫じゃ。アレはまあ……なんじゃ。昔の馴染みの『置き土産』じゃ!」
シーナの紅髪を撫でながら、少女の姿をした黒い彫像に目を遣ると、ラインハルトはニカッと笑った。
「そんなことより祖父ちゃん! メイくんが……シュンが……大変な事に!」
「ハルさん。街に蜘蛛が!」
「ボス。15年前と同じ……新宿から『大接界』が……!」
「ぬうう……! よもやそのような事態に……」
メイを襲った怪事と、新宿から広がりつつある惨禍を矢継ぎ早に老人に告げる一同に、老人は厳しい顏に戻って呻った。
「ナユタ女史。東西の全ての『夜見の衆』に召集を!」
「わかりましたボス!」
「わしは魔甲レギオンの修理と量産に取り掛かる。ラインの調整を手伝ってくれ。それと……」
老人の眼がキラリと光った。
「『レックス』のロールアウトじゃ……!」
「え……? でもアレはもう10年も前から起動すら不可能だってボス自身が……」
謎めいた老人の言葉にナユタが息を飲んだ、その時だった。
「ハルくん……」
治療室の戸口でラインハルトの顔を見据えて、静かに彼の名を呼ぶ人影があった。
整った貌に沈痛な表情を浮かべた、メイの祖母。秋尽ユウコの姿だった。
「ユウコさん……」
「ユウコ殿……。その、ユウコ殿だけでも、御無事で」
ラインハルトの言葉が途切れる。治療室に集った一同に、重い沈黙が訪れた。
ユウコが深い愛情を注いで育てたメイは、彼女の眼前で異様な黒蝶の化身になり果てて、奇怪な薔薇の蔓の中にその身を沈めたのだ。
俯くシーナの脳裏に、鈴を振るような夜白レイカの声が反復する。
メイは、キョウヤとコダマの成した子供ではなかった。
魔王の子でも、人の子でも、天然自然の生命ですらなかったというのだ。
コダマが身の内に封じた剣の力を分離するために、レイカ自身がコダマに宿した魔造生命。
剣の力を解放し、『大接界』を引き起こすためにだけ用意された器。
それがメイに定められた避けがたい運命なのだろうか。
「ハルくん。ナユタさん。リュウガさん。本当の事を教えて……」
ユウコが三人を見回し、静かだが有無を言わさぬ口調で問いかける。
「私があの日、ハルくんに預けた子供……あの子が……シュンくんなのね?」
「……その通りです。ユウコ殿」
「シュンは……俺たちの息子は、ハルさんから預かった子供です……」
しばしの重苦しい沈黙の後、ラインハルトはユウコにそう答え、リュウガがそれに続いた。
メイの生まれたあの日、ユウコの手に秘せられていたもう一人の子供。
銀色の卵から生じた、魔物の姿をした小さな赤ん坊。
ユウコはその子供を、キョウヤが妖怪狩りで拾ったバケモノの孤児であると伝えていた。
ラインハルトを信頼してはいても、他の『夜見の衆』、とりわけ西の統領である立場の彼には、赤ん坊の本当の出自も、コダマの正体も、明かすわけにはいかない。
ユウコは、コダマも、メイも失いたくなかった。
秋尽の家に訪れた幸せな日々を守りたかった。
ラインハルトが当主を務める西の比良坂家は、古くより人間世界に迷い出たバケモノに身を寄せる住処を提供し、人に仇なす妖怪を討つために使役する『放魔術』に長じた家系だった。
人間世界に生まれ落ち、本来の住処だったはずの魔影世界にも戻れない異形の子供。
ならばせめて、比良坂の家で人と共に生きていてくれれば……。
そんな思いを込めて、ユウコはラインハルトにあの赤ん坊を預けたのだ。
「ああ……なんてこと……」
ユウコの声が、小さな肩が震えていた。
メイとシュンは、共にコダマの身体から生まれた奇怪な姉弟ともいえる関係だったのだ。
コダマが死に、キョウヤが行くあてもわからぬ旅に立ち、当主の去った『工房館』をユウコが引き払ったのは、メイが生まれてから2年後のことだった。
夜見の衆としての家柄と務めをユウコは捨てた。
ただ、キョウヤとコダマが残したメイを一人前に育て上げることがユウコの務めに、そして喜びになっていた。
ユウコが新たに構えた秋尽の家の隣に、如月家が越して来たのは、その翌年のことだった。
ラインハルトの計らいだった。
彼の部下だった如月ナユタが夜見の衆を退き、夫のリュウガとともに東京に居を移すにあたって、似た境遇同士ユウコも心強いだろうという彼の気遣いと新たな隣人を、ユウコは歓迎した。
如月家の子供は二人。勝ち気でお転婆な長女のカナタ。そして、少し齢の離れた、大人しくて引っ込み思案な長男のシュンはメイと同い年……。
メイが成長し、小学校も高学年、やがて中学校に進学する頃には、彼女がシュンに惹かれていることを、シュンもまたメイを気にかけている事に、ユウコは気づいていた。
秋月の家が倒壊したあの時から、急速にその絆が深まって行ったことも。
バーベキューのあの夜。互いに唇を重ねていたことも。
ユウコがメイとあの赤ん坊の幸せを願って、あの日ラインハルトに秘した事実が、14年後の今、巡り巡ってその二人を……
メイとシュンとを、魔道の苦しみに突き落としたのだ!
「教えてハルくん。シュンくんは、一体何時からあの姿に……」
ユウコは再びラインハルトを向くと、震える声でそう尋ねた。
#
「やめろ人間!」「バルグル様を!」
ボオオオオ……。
新宿中央公園の緑地帯。獣王バルグルの半身を見下ろし、手甲の構えを解いたカナタの眼前に噴き上がったのは、弱々しい炎と黒煙だった。
「ゲブリュル兄弟! 無事だったか……」
地に塗れたバルグルが、安堵の息を漏らす。
カナタとバルグルの前に現れたのは、牙蜘蛛マガツの振った『フリーゲの槍』に払われて空中に四散したはずのバルグルの配下。
傷付き、ボロボロになった姿を晒した、三匹の黒犬兄弟だったのだ。
「ガルルルル……」
「くっ!」
三匹がカナタに牙を剥き唸りを上げる。
カナタも厳しい表情に戻って一瞬手甲を構えようとするが……
「やめましょう。ここで争う気はない!」
呆気なく両手を下ろすと、サバサバとした表情で犬たちを見回しそう言った。
「ルナちゃん。手伝って、こっちの肩を支えて……。犬どもは周りを見張ってなさい!」
「なん……だと……!?」
「えっ? えっ?」
そして、次にカナタのとった行動に、黒犬兄弟とルナは驚きの声を上げた。
犬たちを押しのけてツカツカとバルグルのもとに歩み寄ったカナタが、獣王の半身を抱き起こすと、その腕を肩で支えて持ち上げようとしている!
「だって、こいつは……!」
「いいから、早く! ここからみんなで、安全な場所まで移動するのよ!」
戸惑いがちにカナタに反駁するルナに、カナタは有無を言わさぬ様子でそう答えた。
「ううう……」
カナタのライダーズジャケットを羽織ったルナも、仕方ないといった貌で獣王の左肩を支えた。
「行くわよ!」
「待て!」「バルグル様!」「バルグル様!」
バルグルを支えて歩き出すカナタのルナを、犬たちが慌てた様子で追いかける。
「……どういうつもりだ、嬢ちゃん?」
カナタとルナに支えられたバルグルもまた、呆れた様子でカナタにそう問う。
「弟が……シュンが言ってたわ。あなたは動けないシュンに止めを刺さなかったって。戦士の勝負じゃないって……。だからよ。あたしもそうする……」
「なるほど、お前さん……シュンの姉御か! 道理で……」
バルグルの問いに、彼とは視線を合わせず、少し恥ずかしそうに小さな声でカナタは答える。
カナタの答えに、獣王は何か合点が行ったように、微かに笑った。
「カナタよ。如月カナタ。覚えておいて……」
「カナタ……。答えたくないならそれでいい。どがもし知ってるなら教えてくれ……」
バルグルは少し神妙な顏でカナタの名を呼ぶと、彼女に尋ねた。
「お前さんの弟御のシュンは……あれは人間の生まれじゃないな? おそらくは魔王シュライエの……?」
「……そうよ!」
獣王の問いに、カナタは覚悟を決めたようにそう答えた。
「あたしが最初に会った時、あの子は……シュンは、もっと『別の姿』をしていた……。シュンが如月家に来たのは……あたしの弟になったのは、今から14年前のあの日……あたしが5歳の時だった……」
カナタが話し始めた。




