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弐章「ツヴァイ」

 その者は、這い寄る混沌と呼ばれる存在の天敵だ。気に入らない奴というのは、恐らくその者だろうとセレーネは想像する。彼女は炎の精の事を調べる際に、クトゥグアの事も知ったが、それが実在するとは夢にも思わなかった。

 由利香が変な病気を発症したという訳でないなら、彼女はクトゥグアに取り憑かれているという事になる。何がきっかけでそうなったのかは解らないが、クトゥグアの発言通りならば部員達と敵対する意志がないのは確かだろう。敵対してるならば、既に由利香の肉体は燃え尽きてしまっているし、部員全員も生き残っていない。


「なんだ、君は私を理解出来ているのかい? 長生きしたいなら、その無駄な好奇心を減らしたほうがいい」

「炎の精について調べてたら偶然、ね。あくまで副産物に過ぎないわ。それに、由利香がふざけてる場合もあるしね」


 セレーネの言葉に、由利香の身体で取り憑くクトゥグアは微笑む。吐息の代わりに口から漏れるのは黒い炎で、それは身に纏う炎と同じに見える。大学側が召喚した炎の精であっても、本来の主としての主導権があるということか。

 炎を司るクトゥグアは顎に手をやり、由利香の身体を眺める。黒い炎の精が守るように身を包んでいる以外は、何も変わらない。


「この体の持ち主がふざけていると? なるほど、それはそれで面白い考えじゃないか。では、持ち主は炎の精を全身に纏わせる事が出来たのかい?」

「それは……出来ないと思うわ。けど、貴方のような神格が現れた理由も、由利香に取り憑いた理由も解らないのだけれど」


 神格という言葉に、龍馬とリカンスは首を傾げる。二人はクトゥグアはおろか、神格という言葉も知らなかったようだ。ただ、二人も由利香に取り憑いている者が自分たちの知り得ない存在だという事は認識する。


「現れた理由はさっきも言った通り、気に入らない奴……まぁ、同じ神格なんだがな。私の嫌いな這い寄るアイツが、この地で何かしようとしてるから退散してほしい。」

「神格だとか、這い寄るアイツとか、そんな事はどうでもいい。お前はどうしたら東野から出て行ってくれるんだ」


 クトゥグアの頼みを一蹴し、龍馬はクトゥグアを睨む。傍にいるリカンスは言葉を発しないが、表情は兵士のそれだった。クトゥグアは何度か瞬きすると、落胆するように息を吐き出す。


「ならば交換条件だ。君たちが這い寄るアイツを退散させてくれるのならば、彼女から出て行こう。それ以外で出て行くつもりはない」

「ふむ……。しかし、わしらは探しだす手段も退散の仕方もわからんぞ? 同じ神格というならば、自分でなんとかしたらどうなんじゃ」

「ははは、私もそう言えたら人間の手を借りなくて済むんだけど。今回ばかしは直接手を下せない状況でね、けれども助力はするよ。例えば……」


 気怠そうに炎の精が入っていた瓶と、その蓋を全員に見せた。蓋の内側には、中心に目をもった五芒星が描かれている。


「これは旧き印と言ってね、配下の炎の精が自力で瓶から出れなくなっていた原因だよ。言い方を変えてしまえば、これで大抵の奴は封じ込める事ができる。神格とか、そういうのは難しいだろうけど。こういう特殊な物を君達に渡したり、必要な知識があれば答えられる範囲で応えよう」


 そこで一度区切ったクトゥグアは、悪戯が浮かんだ子供のような表情を浮かべ、旧き印をリカンスに投げ渡した。それを受け取ったのを確認したと同時に、語りかける。


「さて、君たちの答えは決まったかな?」




 セレーネは頭に手をやる。知らない事が多過ぎたのだ。旧き印にしてもだが、這い寄る混沌なんて言われるまで知らなかった。ましてや、自分の大事な人である西川麻里がそれに狙われているだなんて。もう少し、クトゥグアに問い詰めたい所なのだが、肝心のクトゥグアは慣れない肉体に疲れ、眠ってしまった。

 彼女は部員達をちらりと見る。それぞれが、難しい表情のまま動かない。龍馬は、何がなんでも由利香を助け出そうとするはずだ。彼はクトゥグアが取り憑いている由利香に好意を寄せているのだ。彼の性格上、そのまま黙っている事はない。


「リカンス」

「む? 何用かの」

「貴方はどうするつもり?」


 問いかけに対し、リカンスは首を傾げる。理解していないのかと、セレーネはもう一度口を開く前に、リカンスは笑った。


「そんな事、解りきっていると思ったんだがのう。わしは人生の後輩を、ましてや友を見捨てると思うてか」

「愚問だったようね、悪かったわ。とりあえずは、今日は解散かしら」

「そうじゃな……。炎の神様も眠ってしまったからのう。東野お嬢ちゃんが実家暮らしなら、言い訳に困っていたところじゃ」


 笑い声が部室内に反響するが、クトゥグアは目を覚まさない。眠り続けているクトゥグアを殺せば、彼等は平穏な日々に戻れるだろう。けれども、彼等はそれを選ぶことなかった。


「その時はその時に考えたらいいわ。じゃ、また明日ね」

「おい、本当に置いていくのか?」

「しょうがないでしょう? 炎の精もいるから大丈夫よ。伊達で炎の神格という訳じゃないでしょうし。じゃあね」


 龍馬に呼び止められたセレーネだが、振り向きもせずに出て行った。リカンスは龍馬の肩を叩き、無言で部室から去る。取り残された龍馬は、眠っている由利香を見て肩を落とす。


「一体俺にどうしろっていうんだ……」


 その言葉に答える者は誰もいない。けれども、反応を示す存在はいた。炎の精の一部が主から離れ、龍馬の腕に貼り付いたのだ。


「うわっ……。ん? なんだこれ、熱くないな」


 黒い炎は小さく揺れ、龍馬をクトゥグアの方へと引っ張る。といっても、炎が人間を引っ張れる訳がなく、引き寄せてるように感じるだけだが。


「連れて帰れという事か……?」


 龍馬の錯覚かもしれないが、炎は同意したように揺れた。恐る恐る、彼は由利香でありクトゥグアである人間を起こし、背中に担ぐ。黒い炎は蠢き、触れ合っている部分に介入して、身を包む。そこにも炎の熱さや痛みはない。

 防御魔術と呼ばれる、通称『防魔』で保護の呪文があった事を龍馬は思い出す。そして、魔装に秀でた家系が他の魔術に染まる事はあってはならないと、両親から叱咤された事も。


「この炎が魔装か防魔か知らんが、一人暮らしで良かったわ……よっと」


 担ぎ直し、鞄を手に持つ。今日に限って荷物を詰めてしまった自身を恨めしく思うが、仕方のない事だ。部室の窓を見ればすっかり暗くなっている。夜は何が起こるかわかったもんじゃない。


「急ぐから揺れるが、我慢してくれよ」


 答えなど帰って来ないのは分かっているが、それでも龍馬は言わずにはいられなかった。

 半刻も歩けば、龍馬の家が見えてきた。小さなアパートの一角であるそこは、一人暮らしには持って来いの場所だ。階段を上がり、三階へと辿り着く。二〇三と書かれた扉の前へと立ち、ポケットから鍵を取り出して扉を開け、無事に帰宅した。

 背中に担いでいた由利香を降ろし、ベッドに寝かせる。ベッドが燃えたら、などと考えていた彼だが杞憂だったようだ。


「とりあえず、あの場所でほったらかしよりは……。さて、どうしたものか」


 龍馬は実家から半ば強引に持ちだした本が敷き詰められた本棚へと移動した。古臭い本や、胡散臭そうな題名の本など様々なものがある。彼は関連性のありそうな作品を探し、本棚から取り出す。クトゥグアの事が的確に分かる内容でなくてもいいのだ。這い寄る混沌や神格、そして憑依についての事など。


 タイトルだけを見て引っ張りだしただけとはいえ、こんなに少ないのかと愕然とする。今テーブルの上にあるのは、たった三冊だ。

 彼はその中でも、一際古い装丁の本を手にする。題は『消えぬ炎』と書かれており、伝承される火の神の紹介のようだ。著者は他の神についての作品も出版しているみたいだが、龍馬はこの本しか持っていない。彼は食事の準備もせず、頁を捲る。

 日本の火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)や、煙の無い火から生まれた種族のイフリート、インドの神話のアグニなど。様々な火の神がある中で、とある頁で手の動きが止まった。


「見つけた……」


 そう呟いた彼の視線の先には『アフーム=ザー』という神性について記された頁である。それは、燐光に似た青白い光を放つ灰色の炎で、クトゥグアによって産み落とされた存在だと書かれていた。クトゥグア自体については詳しく記されてはいないが、フォーマルハウトという場所に関係している事を龍馬は知る。


「あいつを、クトゥグアを何とか出来たとしても、他の存在がいるのか……」


 彼は落胆の声をあげた。それに、クトゥグアへの対策も書かれていない。彼は心のどこかで思ってしまっていた、残りの本を調べてみても同じだろうと。クトゥグアの提案に乗るしか、由利香を助け出す道はないと。

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