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零章「ヌル」

 長い黒髪を一つにまとめ、部屋に備え付けた姿見で身だしなみをチェックする少女がいる。今日も人懐っこい笑みを鏡に向けるのは東野由利香(とうのゆりか)、女子大生だ。彼女はいつもの様に、鞄と二人分の弁当箱が入った袋を持って家を出た。

 しかし向かう先は学校ではない。日課となってしまっている、幼馴染みの西川麻里(にしかわまり)を起こしに向かったのだ。幼馴染みと言っても、麻里の方が一つ年上だが。


「せんぱーい! 遅刻しちゃいますよー?」


 返事の代わりに聞こえてくるのは騒音で、近所の人たちにとっては日常と化している。もしかしたら、目覚まし代わりにしてる人もいるかもしれない。しばらくすると、焦げ茶色の髪を肩まで伸ばした少女が、玄関のドアを開けて姿を見せた。病気とは無縁な存在だと、友人達の間で言われる彼女がマスクを付けているではないか。


「由利香、悪いけど今日休むよ。ちょっと調子悪いんだ」


 そういうと、彼女は由利香の返事を待たずにドアを閉めてしまう。数秒後には、鍵をかける音がする始末だ。二人分の弁当箱が入った袋を見て落胆する由利香は、一人で学校へと足を進めるしかない。

 学校へ向かう最中で、同級生が挨拶してくれたが先に行ってしまう。通っている学校の生徒達は、大半がバスや自転車で通学しているからだ。あの同級生も、その例から漏れない。


「それにしても、先輩が休むだなんて。誰かから悪い病気貰ったのかな?」


 由利香は麻里の身を案じながら歩いていると、気付けば学校前まで辿り着いてしまっていた。校舎は黒いペンキで塗られたように黒く、異質な雰囲気を醸し出している。だがそれも、学校に通い始めてから二年も経つ由利香にしてみれば、嫌でも慣れるというものだ。彼女が通う学校の正門にある表札は、『魔導大学』の四文字が刻まれていた。


 由利香が真っ先に向かうのは、彼女自身が所属している部室のようだ。この大学はクラスがない代わりに、部活動に所属する事が義務付けられている。別の部活動に興味が湧けば、学年が上がる度に一回だけ変更する事も認められている。実際、彼女も一年前は別の所に所属していた。

 現在は魔術導入部、略称『魔導部』に身を置いている彼女が、その部室の戸を開く。


「おはようございます」

「おお、おはよう。若いもんは元気じゃのう」

「私より早く来ている人が何言ってるんですか」

「偶然じゃよ」


 既に来ていた部員が由利香に挨拶を返してくれた。部員不足で廃部寸前だったが、年上の留学生と東野のおかげでなんとか危機を免れている。

 留学生の名は、リカンス・ロポスと言う。白髪オールバックの五十代男性だが、意気軒昂な人だ。本人曰く、いくつになっても勉強は大事だそうだ。


「おや、西川お嬢ちゃんと一緒じゃないとは。珍しい事もあるんじゃな」

「先輩は今日体調不良で休むそうですよ」

「ほほう。明日は魔装された槍が降るかもしれんな」

「あはは、そこまで酷くないと思いますよ? たぶん」


 リカンスの言葉に対して、なんとなく視線を逸らす。彼女がそうするのには理由があった。まだ来てないようだが、魔導部の部長が原因である。

 魔装というのは、魔術が付与された物の事だ。言うだけなら容易いが、実際は非常に難度が高く、簡単に付与できる訳ではない。そんな魔装に長けた人材が魔装士と呼ばれ、部長もそれに該当している。

 そんな人物が麻里に依存している為、彼女がいない事が理由で癇癪を起こされてしまうと、非常に面倒なのだ。


「まあ、副部長がなんとかしてくれるじゃろ。部長を止めれるのは、あやつだけだからのう」

「そうですね。あの人なら、なんとかしてくれますよね」


 リカンスは些細な事では動じず、その姿勢に由利香は憧れている。彼女自身は悪化しないことをひたすら祈るしかないからだ。そんな時だ、話の渦中にいた人物が入室してきたのは。


 鮮やかな金髪をサイドポニーテールにし、スーツを着こなした長身の女性だ。彼女は体の一部が強調されるのも気にせず、少しだけ上体を反らし、息を吸い込む。彼女こそ魔導部の現部長である、三年生のセレーネ・テアーが声を大きく張り上げた。


「諸君、おはよう! 皆ちゃんといるかな?」

「おはようございます。いえ、まだ副部長が来てません」

「そっかー。でも副部長だからいいよね! それより、西川はいないの?」


 副部長など興味ないと言わんばかりに、素早く返答したセレーネは目的の人物を探す。何度部室を見回しても、探し人がいない事に彼女は不首を傾げた。道に迷った子供のような表情を見せるセレーネに、リカンスが声をかける。彼でセレーネを抑えられるかと言ったら別の話だが。


「西川お嬢ちゃんは休みらしいぞい。帰りに見舞いでも行ってみたらどうかの」

「本当に休みなの?」

「わしはそう聞いとるぞい」


 リカンスの返答を聞いた瞬間に、セレーネの視線が由利香へと移った。その目はまるで刃物のように鋭く、冷たい。彼女は手を伸ばして、由利香の胸ぐらを掴みかかった。突然の出来事に、由利香はなんの行動も取れない。


「休んだ理由は知ってる?」

「……体調不良です」

「ふーん」


 手を離したセレーネは、息を整える由利香を一瞥して特等席に体を預けた。椅子が衝撃で少し軋むが、決して彼女が重いという訳ではない。あからさまに不機嫌そうな顔を浮かべるセレーネは、上着の内ポケットから小さな瓶を取り出した。中には青白い炎が入っており、意志を持っているように、中でゆらゆらと揺れている。


「学校が終わったら皆でお見舞いに行きましょ」


 その言葉を最後に、彼女は瓶をひたすら眺めるだけの世界へと入り込んでしまった。息を整えた由利香は、普段より酷い癇癪が起きなかった事に内心ほっとする。

 瓶の中には『炎の精』と呼ばれる希少な奉仕種族がいる。大学は各部活ごとに奉仕種族を一体与え、観察記録を取るように指示していた。セレーネは炎の精に見惚れ、部長権限で持ち歩いている。それでも、麻里以上の存在にはならなかったようだが。


 数分後、がらがらと新しく部室に入室する人物がいた。坊主頭で長身の少年が、紙の束を片手で器用に持っている。彼が副部長である南條龍馬(なんじょうりょうま)だ。セレーネと龍馬の両親は学生時代からの付き合いで、幼馴染みのような関係だとか。


「おはようさん。……西川以外は全員集合だな」

「おはようございます、副部長。先輩は体調不良で休むそうです」

「あいつが休むなんて珍しい。だから不貞腐れてるのか……」


 麻里が休みという知らせに南條は驚きつつも、セレーネへと視線を移す。彼女は龍馬が来ても、相変わらず瓶を眺め続けている。そんなセレーネへと近付き、紙の束をテーブルに力強く置いた。その音は思ったより大きく、リカンスが少し不機嫌になるほど。


「その紙の束は何よ。前のレポートは終わらせたでしょ」

「いいや、それとは違う。新しい課題だそうだ。部活全体のな」


 龍馬の言葉に、全員が体を強張らせる。部活全体の課題という事は、部活動の成果を見せなければならないのだ。年に四回起こるこれは、成績に反映されてしまう為に手抜きが出来ない。セレーネは気だるそうに、一枚取って文面を眺める。彼女の表情は徐々に引き攣り、紙を机に叩きつけて南條を睨んだ。


「これ、冗談にしては笑えないんじゃないかしら」

「それは俺もそう思う。奉仕種族を使って新しい物を提出しろと」


 大学の教師連中は一体何を考えているんだと、セレーネは憤慨する。彼女の不機嫌さは部室に来てから右肩上がりだ。リカンスは遠目に部長と副部長を眺めながら、ゆっくりと状況が動くのをひたすらと待つ。彼は相変わらず動じないが、決してセレーネの持つ瓶から視線を外すことはなかった。


「奉仕種族がどういうものか忘れたとしか思えないわ……。大学側が呼び出したモノなのに、人間はなんで利用できるモノは利用するのかしら」


 紙に書かれた文面を見るのを辞めたセレーネは、炎の精が閉じ込められた瓶を頬ずりしながら、悲しみの声をあげる。龍馬は深く息を吐き、瓶を没収した。セレーネは彼を見上げて睨むが、自分よりも背が高い彼が相手では、奪い返すことも出来ない。


「あの、とりあえずこの難解な課題をどうにかしませんか? もしかしたら、何か抜け道があるかもしれないですし」

「そうじゃのう……。老いぼれのわしには、その奇妙な炎が一体何に役立つかさっぱりわからんわい」


 由利香の言葉に同意するリカンスだが、降参していた。今までとは全く違う課題に、頭を抱えてしまう魔導部員だが、やらねばならない。

 課題は一週間後に提出と書かれていた。

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