祖父と古武術
「じっちゃん、遅くなって御免」
竜斗とトオルが道着に着替え、祖父が待つ道場にやって来る。
「竜斗、さっきカラスが来ておったのを知っておるか?」
「あ、何となく変な気配が後ろの上の方から・・」
「少々邪気を帯びておったので、軽く祓っておいた」
「邪気って・・」
「まあ、そこへ座れ」
板張りの床に腰をおろす竜斗とトオル。
「前にも話したことがあるが、古い時代、刀とかの武器は邪気を祓う呪いに使われておった。優れた武器は神が宿るものと信じられ、優れた武人は神として崇められておった」
(なんか中二病みたいだ)
「古代、武術は呪術でもあった。うちの柔術も呪いの技が伝わっておる。悪霊退散とか、祓い清めの儀式用じゃが、後で教えてやる。」
(精神障害者で憑依妄想とかに効いたかも。やり方が厨二っぽいけど)
「その前に稽古じゃ。トオル、竜斗の背中は触れたか?」
「ンノゥ!」
トオルは首を横に振り、NGのジェスチャーを見せる。
「竜斗、今度は御前が儂の背中に触ってみろ。まあ、無理じゃろうがな」
竜斗の祖父、押門辰造は、空手の段位を持っていて、空手道場の看板を預かってはいるが、本来は古流柔術の継承者である。
竜斗は立ち上がり、辰造と向き合い、一礼。
辰造は腕をくんで立ったまま、竜斗の手が届くギリギリまで動かない。柔術の達人は下手に触ると容易に転がされる。襟でも袖でも掴むと、巧妙にバランスを崩され、何かに躓いたようになり、掴んだ手が離せずに振り回される。離せば受け身の取れない倒れ方をするように誘導されてしまっている。
突き蹴りの攻撃で倒そうとしても、間一髪で躱され、見事なカウンターの当て身をくらって視界が天井に変わる。空手の技で攻め返されたら一撃で沈んでいるところだが、怪我が無い程度に手加減してもらっている。
気がつけば、腕を組んだまま笑顔を崩さない祖父の周りを竜斗ばかり転げ回っている。肩で息をしている竜斗を涼しい顔で眺めながら祖父が呟く。
「そろそろ頃合いかな」
初めて祖父の方から動いたかと思うと突然、視界から消えた。一瞬の隙をついて半回転しながら竜斗の脇の下を潜り、背後に回り込んでいる。後ろだと気づくより先に、祖父の当て身が竜斗の背中に入った。
自分の身体が前のめりに倒れている・・・のが見えた。
「これって幽体離脱?え?俺って今もしかして死んだのか?」
祖父が近寄ってきて竜斗の体を後ろから抱え上げ、活を入れる・・・のが見えた。
気がつくと死んでいなかった。が、意識が朦朧としている。
「なんだ、死んで異世界に転生でもするのかと期待したのに・・・」
寝言のように呟く竜斗とトオルが、また道場の床に座っている。
「人間を含めて生き物とは息をするもので、息を吐くとき体が締まり、吸うとき緩む。力を出すときは声を出して息を吐くのが基本じゃ。息を吐き終わるときに力が一番ゆるむから攻められ易い。じゃから、武芸者は己の息を治めようとし、相手に息を読まれまいとする。こんなことは武道の常識じゃが・・・」
「息を吐くときの中心になるのが臍の下、臍下丹田これも常識じゃが、息を吸うときの中心というのもある。背中の、肩甲骨の間あたりの・・・」
祖父の声が遠くなる。まだ意識朦朧状態から脱しきれない竜斗。
「呼吸に合わせて体が絞まったり緩んだりするように、心も息をしておる。息を吸い始める直前の、吐き終わる瞬間を狙ってじゃな、背中の・・・」
(俺の耳も息をしていて、声が近くなったり、遠くなったりする。。。)
「・・・そうやって、竜斗の心を一度、わざと体から外してやった。すぐ戻ったから死ぬことはないが、暫く心と体のバランスが不安定になる。そういうときほど感覚が敏感になって、日頃気付かないものに気付くこともある。たまに霊みたいなのが見えたり・・・」
(俺の精神を壊すつもりか?じっちゃん!)
「・・・そのうち慣れる。見えない相手をいち早く察知できるようになるための方便じゃ。その、見えない奴の中には、邪気を帯びたのもいる。九割は偽物で、妄想と見なしてよいんじゃが、残りの一割も大概は雑魚で、本物の悪霊とかは滅多に無い」
(本物が出ることもあるのかよ)
「本物か偽物か区別がつかんとき、気になるときは、練習のつもりで結界でも張っておけ」
(どうやるんだよ)
「お前らが毎日やっておる型練習じゃ。うちの流派オリジナルで『六面八臂の陣』、上下前後左右の六面に壁をイメージするだけで結界が出来る。というか、元々あれは結界を張るための技じゃ」
(六面壁の結界って、昔そんな漫画あったような気が・・・)
「六面八臂より八面六臂の陣のほうが防御は固いのじゃが、上下ピラミッドの八面より六面のほうが簡単・・・」
(やっぱ厨二っぽい・・・あ、また声が遠くなる・・・)
「・・・さっきカラスを祓ったのは、昔からある『九字』の短縮版で、儂のオリジナルじゃ。右手を四にして縦、左が五で横・・・」
竜斗が祖父の講釈を聞いたのは夢か現か分からない。祖父は孫が居眠りするのも構わず、もう一人の孫であるトオルに語りかける。
「トオル、お前に頼みがある。竜斗に隙が出来たら今までどおり背中を叩いてやってくれ。心が体から外れるのを防ぐ訓練になる」
トオルが右手の親指を立ててOKサインを出し、早速、横でウトウトしている竜斗の背中を狙う。トオルの掌が命中するかに見えた直前、竜斗の上体が前屈する。それが切欠で、うたた寝から覚めた竜斗だが、寝ぼけながら間一髪でトオルの腕を空振りさせたことに気付かなかった。
「トオルは天才的に霊感とか無いもんじゃから、霊的世界から竜斗を現実に引き戻す役に向いておる」
トオルは誉められたと思ってか嬉しそうにしていた。