魔導書と呪文
竜斗が非日常的な世界の経験値を積み重ねる一方、彼とは違う形で倉城姉妹も非日常の世界に臨もうとしていた。…と言っても、彼女達にとって非日常が日常化するのは珍しくないのだが。
『闇聲會』の灯下事務局長が届けた古書を目にしたミサキは『魔界の門が開くこと』を予感し、それを手にしたアトミも『門を開く鍵』であると直感した。
姉妹の母は存在すら忘れていたようだが、倉城家歴代の魔女達が携え、祖母が懐妊する際にも魔神を召喚する儀式のとき手にしたであろう『魔導書』。この本を調べれば、自分達の秘密についてもっと知ることができる。
魔女の世界に引きずり込もうとする腹黒い祖母の罠かも知れない。母と同じ運命に導こうとする呪いが待ち受けているかも知れないけれども、母とは違う運命を見いだすためにこそ、避けて見過ごす訳には行かない。
呪いの正体を見極め、それに縛られない方法を探るため、魔導書に向き合うことにした。
それまでアトミ達は、『魔女』が関係すると聞けば気になるものの、世界の歴史や宗教に詳しい訳ではなかったが、魔導書を手にして以来、魔女達が生きた時代や地域についても情報を漁るようになった 。
ネット等で得られるのは広く浅い知識もしくは偏った情報なのだけれど、彼女達の特異な能力を駆使すれば知られざる歴史の裏側を垣間見ることも不可能ではない。
アトミは倉城家歴代の魔女達の記憶ばかりではなく、更に時代を遡り、本の読者や筆者の記憶に触れることもできる。その時代その地域の文化を背景とした、読者の情念や筆者の意図が彼女の中で再生される。
ほんの一瞬の、断片的な記憶ばかりなのだけれど、彼女の精神への負荷は小さくはない。自我の崩壊が危ぶまれることもあるので、のめり込み過ぎないように妹に監視してもらいながら読み取る。
妹が予知した遠い未来を自ら記憶できないように、姉の読み取った遠い過去の記憶も失われるのが早い。記憶の主と同調している姉から妹が話を聞き出すことで情報が補完される。
記憶の主との同調とは見かけ上、過去の誰かを憑依させる降霊術みたいな作業となる。もしかしたら、竜斗を呼んで怨霊を祓ってもらうようなことになりかねないので、不穏な兆候が現れれば中断せざるを得ない。
暴走すれば異常者として扱われる事態になるかも知れない危険を冒しながら、魔導書の解読に挑む姉妹である。
その文書に記された文字列をネット検索してみると、冒頭から『闇』『光』『大地』『天空』といったラテン語が出てくることや、それらの多くがラテン語の聖書の冒頭にも見られる単語であることが解った。
アトミの直感とミサキの予感に従って解読してゆくと、その冒頭部分は、聖書が説く『神による天地創造』を『闇』の側からの視点で描いたとでも言うべきものだった。
『光あれ』の言葉より先に『闇』があった。闇が退くことで昼が生まれた・・・あたかも、闇が天地を創造したという考えに読者を導こうとするかのような文章だ。
神の言葉に従わず、闇の声を聞いて禁断の果実を食すことで人間は新たな知識を得た・・・罪悪視されてきたことを正当化するような、背徳的ともとれる文章が続く。
このような書物は恐らく、この本が流布された時代と地域の社会では所持するだけで処罰されかねない禁書であったと想像できる。もしも隠し持っていることを知られたら、異端の魔術師・魔女として処刑されたかも知れない、その時代の緊張感をアトミは読み取った。
ただし、この本を携えた者が日本に漂着した頃には、この種の古書は航海の『御守』と化しており、もはや古典となった原文のラテン語を読み解くものは少なかったようだ。当時の日本で読めたのはポルトガルの宣教師ぐらいだったろうか。
四百年以上、魔導書は専ら魔術のアイテムとして秘かに伝えられてきたが、その原文を読み解こうとする者は現れなかった。
ラテン語のテキストを睨んでいたアトミが不意に呟いた。
「我ハ闇ノ声ヲ聞ク。アウディオヲーケステネブリス・・・」
「それ何の呪文?」
ミサキの問いかけに、ハッとして我に返る姉。
「ぃ今のは、この本を使う時のパスワードみたいな?」
それは、彼女達の先祖が代々、母から娘へと、魔導書とともに伝えて来た呪文だったのだが、『聞く』『声』『闇』を意味するラテン語が並んでいるらしいことが、ネットの自動翻訳を駆使することで確認できた。
恐る恐る、改めて呪文を詠唱してみるアトミ。ミサキも復唱する。
いくつもの記憶が押し寄せて来るのをアトミは感じた。歴代の魔女達の記憶だ。祖母も含めて二十人ほどだろうか…誰の記憶にフォーカスすれば良いのか解らない。御蔭で自我が保たれている自分に気付く。
その一方で、ミサキのほうがヤバいことになっていた。妹は幻を見ていた。黒い装束に身を包んだ魔女の幻。それは魔導書を手にした姉の姿だった。
まもなくミサキは幻から覚めたが、妹の記憶を読み取ったアトミは唖然となっていた。魔女として覚醒した自身の姿に、マジひくわぁ…と言いたいぐらいだったのだが。




