猫と悪夢
いつもように逃げようとする白猫に、アトミが呼びかける。
「待って、未由さん!」
猫はビクリとなって固まり、振り返った。
「アトミ姉ちゃんたら、ミーちゃんに『みーさん』だって」
ミクがクスッと笑った。
幸いというべきか、『ミユサン』が『ミイサン』に聞こえたらしい。言い間違いと思ってくれたようだ。
アトミは、ミクがいつもしているようにミーちゃんの前でしゃがみ込み、その白猫と見つめ合う。瞳が左右金銀の虹彩異色だ。
さっき写真で見た未由の姿を思い浮かべながら心の中で語りかけた。
あなた、ミクちゃんのお母さんでしょ?
ミクちゃんのために命を捨てたのよね?
今まで、ずっと見守ってきたんでしょ?
猫の瞳が大きく開いて閃光が走ったように見えたかと思うと、一瞬でアトミは猫と同調した。
そして、猫というより「中の人」というか、猫に宿った魂の記憶を即座に読み取った。
まぎれもなく、愛おしい娘を切ないまでに慈しむ母親の想いだ。アトミは確信した。
「アトミ姉ちゃんもミーちゃんとお話しできるの?」
アトミにミクの母の想いが伝染していた。
「んにゃ?」
ミクを見ると抱きしめずにはいられない。
「ミクにゃぁ、しゅきにゃぁ」
ついでに、猫とも同調してしまっている。
「私もお姉ちゃん好きにゃぁ」
猫娘が二人に増えてしまった。
抱きしめたミクに背中をネコパンチされながら、アトミがミサキに告げる。
「ニャンコがニュけるミャで、ニャンぷんキャキャキャリそうニャ」
「猫が抜けるまで何分か掛かりそう…って言いたいのね」
どうにか翻訳できたが、姉の目が猫の瞳になっている気がする。
猫の記憶を読もうと意識を集中した結果、猫の脳と同調してしまったアトミは、人間の言葉で考えを上手く纏められニャい。
未由が自身を犠牲にしてミクを産んだことは確認できたが、詳しい経緯は未だ把握できないまま、記憶の断片は散乱し、手の届かない深みに沈んで行く。
アトミが我に返ったとき、白猫の姿は無かった。
見え隠れしていた記憶の欠片は闇の底で、その欠片を掴もうとしても闇に溺れるだけだろうとアトミは直感したが、いま忘れても近いうちに想い出すとミサキは予見した。
気がつくとアトミは未由だった。見えるものは何も無い。
自分は未由の記憶の欠片を探すため、闇の底にダイブしたのだと悟った。
闇の中で声を聞いた。
『汝を産みし者の誓約により、汝もまた女を生むべし。その父は贄となるべし』
「お願い、赤ちゃんのお父さんは生贄にしニャいで!」
『さらば、汝自ら贄とならんや』
「私が生贄でも構わニャいわ」
『さらば己を贄とし子を生むべし。子は奇しき技を得て生まるべし』
「お姉さん、アトミ姉・・・」
「ンニャァ・・・ンニャ?」
ミサキに肩を叩かれ、開いた目に涙が滲んでいるアトミ。寝汗が酷い。息が苦しいほど動機がする。
「随分ウニャされてたわね」
「ミサキまでそんニャ言い方しニャくても・・・」
「昼間みたこと、夢で思い出した?」
「うん・・・」
人間は睡眠中に記憶を整理するのだと言う。重要なデータほどアクセスし易くなるように、記憶のデータベースを最適化し更新する。その過程、レム睡眠と呼ばれる浅い眠りの中で、新旧の記憶が呼び起こされ、夢となって現れる。
忘れかけていたことも夢で思い起こすことになるが、目覚めなければまた忘れてしまう。
未由の魂が宿った猫にアトミが同調して読み取った記憶。混乱して無意識に沈んでいた記憶も眠りの中で再浮上し、夢でリプレイされることを予知したミサキは、眠った姉が夢を見る頃合いを見計らっていた。
実際に夢に魘されているアトミを目撃できたミサキが、姉を目覚めさせたことで記憶の回収に成功した。
「どんな夢だった?」
「真っ暗闇の中で声が聞こえたわ」
『汝を産みし者の誓約』・・・ 未由の母すなわちアトミ達の祖母ミヨが祖父を犠牲にしてミヤと未由を生み、ミヤが父を犠牲にして自分達を生んだのは、その闇の声の主との契約だった。未由だけは自身を犠牲にしたけれど。
「つまりは、私達は悪魔との契約で生まれたということ?」
「父親の魂を売って、頼みもしない変な能力を貰って…?」
「お祖母ちゃん、どうしてそんなことを・・・」
時刻は午前3時。悪夢から覚めても、現実が悪夢のようだ。
夢で終わって欲しいのに、確信は深まる一方だ。
ミサキはカラオケボックスでの幻視を思い出して涙ぐむ。夢見ていた竜斗との恋愛が遠ざかる。
自分達は誰とも恋をしてはいけないのか。それ以前に、自分達は生まれて来てはいけなかったのか。
『妄想』で片付く話なら有難いのだけれど、彼女達が夢や幻で見たものが心身に及ぼす影響は、紛れもない現実だ。
まんじりともせず夜を明かした姉妹は、揃って学校を欠席した。
レム睡眠は猫でも観察されるとか。どんな夢を見るのやら。




