選択教科(芸術)の時間
切なげに竜斗の背中を眺めるアトミ。視線を感じた竜斗が振り返れば、前髪で半分隠れた顔を俯けて更に隠したり、眼鏡を触って恥じらっている表情を誤魔化そうとしたり。
そうやって彼女が悶々としている隣の教室で、妹のミサキは独りボーッと・・・していた訳でもない。
その朝、彼女が校舎に入ろうとする途中、
(いま、彼が私を探そうとしている。そして1秒以内に見つけ出す!)
そう予感したミサキが思わず振り返ると、数十メートル離れた校門の近くで、正に竜斗が彼女を見ているところだった。
彼女は彼が探し出すのを予知したつもりだが、彼は探し出したことを察知されたように感じた。
二人の視線が合った瞬間、ミサキは昨日の幻影が一度に蘇ることを恐れ、反射的に目を逸らせ、逃げるように校舎に駆け込んだ。
ミサキは今まで、誰か異性との幸福な結末を予知したことが無い。
右目で魅力的に思える異性とは、左目で破局しか見えない。
初めて会った途端に失恋なんて嫌だ。交際もしていないのに。
自分と男子とのことでは、悲しい未来しか見えないので、予知能力は使わないようにしよう。そう心掛けてきたが、見たくなくても見えてしまうこともある。最初に彼と目があったとき、幻影が一度に襲って来た。中断できなければ気絶するところだった。
ヤバかった・・・非常に魅惑的な、それ故に耽溺してしまいそうな、中毒性のある、忌避すべき「ヤバさ」だった。
予知した内容は夢とともに忘れ去るのだが、予知とともに味わった喜怒哀楽の感情は漠然とした印象として残る。ドキドキした。ワクワクもした。
彼との未来は最後まで予知したくなかったし、できなかった。最後まで知るのが恐くて、今は彼と顔も合わせられないけれど、逃げたくない。どこまで進んで行けるか解らないけれど。
1限目終了のチャイムが鳴った。次は芸術分野の選択科目の時間である。ミサキとアトミは美術、竜斗やトオルは書道を選択していて、ホームルームを離れて別々の教室へと移動する。
ミサキにとっては姉と接触できる貴重な時間だ。
アトミとっても、竜斗の背後で悶々としていた席から脱出できて有難かった。彼から離れるのが少し寂しくもあったけれど。
竜斗にしても、彼女の視線を背中に感じて落ち着かない状況にブレイクが入って助かったと言える。
トオルは書道で「つんでれ」とか「ようじょ」とか、ウケ狙いか天然か判らない作品で皆を脱力させてくれることだろう。
自分の席を離れようとするアトミにトオルが話しかける。
「ヘェィ、アトォミィ。ジム、きまスか?」
トオルの母がインストラクターをしているというフィットネスのパンフレットを手渡され、それを見るアトミ。
「あぁ、この前お店を出るとき言ってた話ね・・・この『無料体験コース』の次の『小学生クラス』って、・・・」
アトミの問いに竜斗が答える。
「入れ替わりで俺がインストラクターをやってる」
(つまり、行けば竜斗に会うチャンスがあるってことか・・・)
「バイトのシフトもあるから、ミサキと相談してから返事するね」
平静を装いながら教室を出て美術教室へ向かうアトミ。トオルと竜斗は書道教室だ。
美術教室でミサキとアトミは向い合って座り、デッサンに興じる。互いに自身を鏡写しで自画像を描いているような光景だ。
声も出さずに目で語り合うのは姉妹にとって日常である。会話は無言で3倍速、顔を近づければ十倍速、額をつければ一瞬なのだが。
「今朝も彼と目があっちゃった・・・」
「ヤバそうだったけど、大丈夫そうね」
「何とかまぁ・・・まだ平気」
「今回は逃げ切れてないのね」
「姉さんも気になり始めたみたいね、彼のこと」
「悪い人じゃないわ。私も狙っちゃおうかな」
「私がリードしそうな予感なんですけど」
「上から目線かよ。彼の顔も見れないくせに」
「昨日お店じゃ余裕だったのにね」
「せっかくクラスが一緒なのにね」
二人の想いが混然となって渦巻く。姉は妹に同調し、妹は姉の言葉を先取りする。どちらの言葉か分からなくなる。どちらの言葉も同じである。二人で独り言を呟いているようなものである。
それにしても何なんだろう、私達って。
二人協力すれば未来を知ることができるけれど、わざと知らないでおこう。
結果の解ってしまった恋愛なんて、ネタバレした映画みたいで面白さ半減だから。
それにしても何なんだろう、恋愛って。
アトミの恋愛感情はミサキから伝染したもの。これって自分のものじゃない、偽物ってこと?
そもそも恋愛感情に本物とか偽物とか区別があるの?
ミサキの恋愛感情だって、幻影に惑わされて自分勝手に盛り上がっちゃっただけじゃないの?
ほかの人達だって、たまたま眼の前にぶら下がったニンジンに食いついた、みたいな恋愛ばっかりじゃないの?どのニンジン食おうか選んでる奴とか、ニンジン無いからゴボウで我慢するとか、面倒くさいから絵に描いたニンジン(ニジゲン)で満足するとか、色々いるみたいだけど。どれも上等じゃん。自分の感情が何処からどうやって出来たものか一々考えて生きてる訳じゃない。
「行ってみようか。フィットネス」
「きっとまた彼に会うわね」
「もう逃げないのね」
「不思議だわ。恐いけれど、会いたい」
「お母さんも『行ってこい』って言うよね」
「また下品なこと言いそうだわ」
(『しっかり誑し込んでおいで』とかね)
揃って苦笑する姉妹だが、二人とも競って竜斗を攻略する気になっている。落とそうと目論みながら、先に自分達が落ち始めている。
アトミは思う。竜斗の方を見て振り帰る彼の視線を恥ずかしがって俯いたりを繰り返す、元の空気に戻してはいけない。意識過剰だ。
アトミは自分に言い聞かせる。
「リュウト君のことなんか、ぜんぜん意識していないんだからねっ」
こんなことを口走っている自分に気がついたとき、そこはもうホームの教室だった。
(そぅか。さっき選択教科の時間終了のチャイムが鳴って、もう元の教室に戻ってたんだ)
斜め前の席で竜斗がポカンと口をあけてアトミを見ていた。
「ぁ・・・く、倉城さんて面白い人だったんだね」
「いまのがツンデレのデレでスね、アトォミィ、グッジョブ!」
トオルが親指上向きサインを出している。
「そ、そう。予告通り、デレたでしょ」
弱々しく『てへぺろ』。コミックであれば口元だけ笑って瞳は白くなっているところである。