悪に喰われた男
ミーレンス大陸
ブラックアウト後〜現在
エドワード・レイナーは昔、軍人だった。
彼は数々の国と地域で活躍し、国王から名誉勲章をもらったこともある。部下からは慕われ、仲間からは信頼されている、言わば順風満帆の生活をしていたのだ。だが、あの日、全てが変わった。ブラックアウトが起きた直後、エドワード達軍人は、住民のパニックを抑えるため、街に駆り出された。そこからは毎日が地獄だった。
食糧配給テントに並ぶ人々を、暴動が起きないように、ライフルで狙わなければならなかった。人々は彼らを軽蔑の目で見つめ、ひどく毛嫌いした。誰も、好きでこんなことをしているわけではなかったのに。
食糧の配給が無くなると、暴徒と化した住民を撃ち殺さなければならなかった。
その時既に、彼は名誉ある軍人ではなくなっていた。
大規模なデモが起きると、降り注ぐ火炎瓶の中を駆け回り、必死にアサルトライフルを打ち続けなければならなかった。国のため。平和のため。ただひたすら、無実の人々を殺した。
暴動が落ち着いてきたある日、エドワードが仲間と街をパトロールしていると、突然物陰から武器を持った集団に襲われ、エドワードは命がけで逃げ出したが、仲間たちは殺され、壁に吊るされた。壁には、こう書かれていた。「俺たちは、人肉を食わなくてはならない」と。
エドワードの精神は崩壊寸前だった。仲間たちがどんどん死んでいくなか、彼は軍人を辞めるべきかどうかの決断に迫られていた。もし軍を抜ければ、路頭に迷い、物資を奪いあう生活になる。今とたいして変わらない、地獄だ。だが今のまま軍人を続けても、市民に殺されるか、精神が崩壊するかのどちらかだ。ただ、国から配給される食糧でしばらくの間生き延びるだけ。まさに、究極の選択ってやつだ。
そんなことを考えていたある日、エドワードたち軍人に、北部に拠点をおく反政府組織の殲滅命令が下った。どうやらその組織はかなりの過激派で、政府を陥落させようと目論んでいるらしかった。
エドワードは、久しぶりに軍人らしいことができると、意気揚々と大量の軍隊を率いて、北部にある反政府組織の拠点へと向かった。
だが、結果は惨敗だった。
やつらは彼らが来ることを予期していたらしく、待ち伏せをくらい、ほとんどの仲間が殺された。生き残った軍人は、薄暗い空っぽの工場で、剣を手に、仲間どうしで殺し合いをさせられた。まるでグラディエーターだった。昨日まで一緒に暮らしていた仲間と戦い、彼らの手首を切り落とし、ノドをかっ切った。何度も何度も。やがて、エドワードの心に、悪が巣食うのを感じた。悪が彼の心をむしばみ、命令する。もっと殺せ。生きたくば殺せと。エドワードは、悪の命令通り行動した。泣き叫び、殺さないでくれと必死に懇願するティムの首を切り落とし、降伏したジャックの心臓を剣で突き刺した。
そして、エドワードは生き残った。だが、代償として彼は頭部に深い傷を負った。それは、彼がジャックを殺した時に起こった。二人の闘いを見ていた仲間の一人のコールが、エドワードが降伏したジャックを殺した瞬間、兵士から銃を奪って撃ってきたのだ。薄れゆく意識の中、エドワードは確かに聞いた。「裏切り者!」と。そして、銃声と共にコールの頭が吹き飛ぶ音も。
幸い、銃弾は頭皮をえぐっただけで済んだため、エドワードは一命を取り留めた。その日から、彼はハンチング帽を被るようになった。それは、彼にとっての償いの意味もあったのかもしれない。
エドワードは、生き残った軍人、数人の一人だった。組織は、彼らをこころよく受け入れた。反政府組織、アローの一員として、共に戦おうと、手を差し伸べてくれた。もはや、エドワードに迷いはなかった。迷いという気持ちさえなかった。気持ちは既に、心に巣食った悪が食いあさってしまった。
それからは、アローという反政府組織の一員として、政府を没落させるべく、戦った。そして数ヶ月後、アローはついに政府軍を倒し、政府を没落させた。アローは巨大組織となり、あっというまに大陸を支配するようになった。
さらに何年かたち、アローのリーダーが死に、新しいリーダーが生まれた。人々は、彼を恐怖の象徴とし、ビーストと呼んだ。ビーストは、新しく軍隊に似たアロースターを作り、大陸の統制などに回した。エドワードも、アロースターに入った。アロースターの仕事は、ブラックアウト後の軍隊とさほど変わらず、つまらないものだった。昔のエドワードだったら、すぐに精神が崩壊していただろう。だが、今のエドワードは違った。生き残ることが全てだった。善悪なんてどうでもよかった。昔とは違うのだ。
さらに数ヶ月後、ビーストの姿が見えない日々が続いた。しばらくの間、彼は姿を消していた。彼が姿を現したのは、それから一ヶ月後だった。姿を見せるなり、ビーストはアロースターを全員集め、ある命令を下した。この大陸のどこかにいる、バックス・アーティという名の人間を見つけよとのことだった。決して一般人に知られてはいけない、緊急対処コード5に指定された。エドワードは、ビーストの言動に違和感を覚えたが、おとなしく彼の命令に従い、一般人に知られずバックスという人間を探すことに決めた。緊急対処コード5に指定されるとは、よっぽどの犯罪者なのだろうと、彼は思っていた。
それから数週間がたち、そして今日も、仲間と共に、パトロールをしながらバックスを探していた。いつものように、怪しい人間を見かけると声をかけ、バックス・アーティという名前かどうか探っていた。だが、緊急対処コード5に指定されるほどの人間が、そうやすやすと、人前に姿を現し、おとなしくアロースターに名前を教えるだろうか。しかも、その人間は、この大陸のどこにいるかもわからない。そんな人間を一般人に知られずに探すのは、まさに無謀というものだった。果たしてバックスは見つかるのだろうか。可能性は無に等しい。
エドワードがそんなことを考えながら、一人の男に声をかけ、身分証を見たときは、目が飛び出すかと思うほど驚いた。夜中刀を持って歩いていた、一見正義感が強そうな男が、バックス・アーティ本人だったのだ。
エドワードと、一緒にパトロールをしているダンは、この後どうするか耳打ちをし、結局適当な罪をきせて、連行することに決めた。
ダンは手錠をバックスにかけようとした。エドワードも、その光景を黙って見つめていた。
その時、エドワードは腹部に激痛が走るのを感じた。燃えるような熱さが体を駆け巡り、彼はばたりと道路に倒れ込んだ。何がおきたのか分からぬまま、痛みに呻いていると、弓矢が飛ぶ音が聞こえ、ダンがエドワードの隣りに倒れた。眉間に矢が突き刺さり、死んでいた。エドワードは、声にならない叫び声をあげ、意識を失った。
目覚めたとき、ダンの死体はまだそこにあり、バックスはエドワードの前に立っていた。どうやら仲間がいるらしく、仲間とこれからどうするか話しあっているようだった。エドワードは、目をつむったまま、彼らの話しに聞き入っていた。これからどこに行くのか、全て聞こえた。そして、待った。奴らが立ち去り、向きを帰るまで。やがて、彼らが歩き出す音が聞こえた。
エドワードは、待ってましたとばかりに立ち上がると、へびのような動きで拳銃を引き抜き、歩き去るバックスに、いや、自分を殺そうとしたバックスの仲間に狙いを定め、引き金を引いた。狙いは正確だった。飛び出した弾丸は、真っ直ぐバックスの仲間の心臓を貫こうとした。だが、立ち上がるエドワードを、バックスは見ていた。エドワードが拳銃を引き抜くのも。狙いが自分の隣りにいるやつだと分かったバックスは、左脚で仲間の脚を蹴飛ばした。弾丸はそれ、心臓を貫かず、夜の闇に消えていった。
エドワードは一瞬呆然としたが、すぐに、走り去るバックスたちに銃弾を何発もおみまいした。ほとんどが外れたが、一発だけ、バックスの仲間の左脚に当たった。それでもなお、彼らは逃げ、路地を曲がっていった。
エドワードが、彼らが消えていった路地を見つめていると、馬に乗ったアロースターの男が、銃声を聞いて駆けつけてきた。男は、エドワードに大丈夫かと声をかけたが、彼はそれに答えず、黙って矢が突き刺さった腹部を見つめていた。不思議なことに、もう痛みは無かった。怒りが、そして悪が、痛みをかき消しているのだ。
エドワードは、腹部から矢を引き抜き、血が吹き出るなか、包帯を取り出し、簡単な応急処置をした。
「ビーストに伝えてくれ」エドワードは、馬に乗った男に言った。「バックス・アーティを見つけたと」
エドワードは、ぞっとするような笑みを浮かべた。そこに、光は存在しなかった。