電話の相手
デスミオス島 アミルヤ地区
A.M.1.40
ダイアーはベッドに腰かけ、まだ動揺しているベンに話かけていた。
「この不死身の薬をラットに投与したところ、8体のラットの内、全てのラットに細胞の変化がみられました。8体の内、5体は自己再生能力をつけ、今も正常な状態を保っています。残りの3体は、他の5体と同様、自己再生能力をつけましたが、数時間以内に精神が異様に錯乱したんです。そして、消滅しました」
椅子に座り、下を向いていたベンが、驚いて顔を上げた。
「消滅?」
「ええ。その3体のラットなんですが、薬の投与後、10分以内に、ある精神的な刺激を与えてみたんです。目の前で死を見させたり、猫に襲わせたりね。すると、3体とも実験後、異様な痙攣が起きました。それも長時間。ですが、やがてその痙攣はおさまり、正常な心拍数に戻りましたが、一週間後・・・。これは、口で説明するより、自分の目で見た方がいいですね」
そういうとダイアーは立ち上がり、ベッドの枕もとにある小型空間映写機を起動させた。空間に映しだされた画面の中から、お目当てのファイルを見つけ、そのファイルにあった定点カメラの映像を再生した。
定点カメラが、3体のラットを映しだしている。最初ラットは、ただケースの中を動き回るだけだった。だが数分後、1体が突然激しく痙攣し始めた。映像を見ているベンも、驚いて空間の画面に食い入った。ラットは数十秒痙攣を続けた。ケースがカタカタと音を鳴らすほどだ。そしてなんの前触れもなく、それは起きた。
突然ラットの目の光が消えると、一瞬ケースが内側に凝縮し、次の瞬間、爆音とともに粉々に吹き飛んだのだ。煙が辺りを覆い、何も見えなくなった。ダイアーは、そこで映像を切った。
ベンは口をあんぐりと開けていた。
「こういうことだ。薬を投与後、少なくとも10分間は、なんの刺激も与えてはいけないんだ。私にもね」
ベンが再び口を開きかけた時、携帯電話が鳴り響いた。ベンは口をつぐみ、ちょっと待っててくれと言って家の外に出た。
♢ ♢ ♢ ♢
まだ暗い外に出たベンは、すぐに携帯電話の向こうの相手と会話を始めた。
「お前か。こんな時間になんの様だ」
(ベン、計画はちゃんと進んでいるのか?)
「もちろんだ。それがどうした」
(いや、何か進展があったら、すぐに伝えろと忠告したはずなんだが、貴様は何も言ってこないんでな。)
「仕方ないだろ。あまりにも衝撃的なものを...。え、まさかお前、監視しているのか⁉」
(映像だけな。音声は聞こえない。だが、映像だけでも、貴様の蒼白な顔を見れば、誰だって何かあったと思うだろ?)
「分かった。言う。あんたの言うとおりだった。ダイアーは、不死身の薬を開発していた」
(やはりな。)
「目の前で映像を見させられた。どうやら、あの薬は副作用があるらしい。薬を投与後、10分以内に被検体に刺激を与えると、被検体が死亡するらしい」
(死亡って、どんな風に?)
「痙攣が続き、一週間後に、跡形もなく蒸発する。爆発してな」
(…原因は?)
「分からない。俺が薬について知ってるのはこれぐらいだ。詳しいことは後で話す」
(ああ、わかった)
「それで、どうする。薬は今奪うのか?」
(いや、まだだ。まだやるべきじゃない。計画通りに、決められた時間で奴を襲うんだ。いいか、絶対に時間外に計画を実行してはならない。わかったな)
「...本当にやるんだな?」
(当たり前だ。娘がどうなってもいいのか?)
「私の、娘に、手を出すな」
(大丈夫だ。お前が計画に失敗せずに、薬を持ってここに戻ってくれば、娘は返してやる)
「娘にかすり傷一つでもつけてみろ。その時は、お前らを殺してやる」
(楽しみに待ってるさ。…だが貴様が計画に失敗した場合、娘の命はないと思え)
通話はそこで切れた。ベンは、壁に寄りかかり、携帯電話を顔に押し付け、怒りと悲しみで顔を歪めた。青白く輝く月が、彼の顔を照らし、亡霊のように浮かびあがらせていた。
♢ ♢ ♢ ♢
ベンが玄関から戻ってきた時、ダイアーは薬をスーツケースにしまっているところだった。スーツケースには薬が他に二つあり、どれも同じラベルが貼ってあった。
「大丈夫か?」ダイアーは、ベンの表情が、明らかにさっきと変わっていることに気づき、心配気に話しかけた。「何かあったのか」
ベンは、平凡を装い、作り笑いを浮かべてこう言った。「いや、なんでもないよ」
ダイアーは、ベンの様子がおかしいことに気づいたが、あえてこれ以上何も言わなかった。
「なあ、ダイアー」ベンは深刻の面持ちで言った。
ダイアーはスーツケースを閉じながら答えた。「ん?」
「なんで私を、この極秘実験に呼んだんだ?首の傷が痛むなんて嘘までついて」
ダイアーは、とっくに自分の嘘が見破られていたことに恥ずかしさを覚えたが、顔を上げて笑って言った。「あなたを信頼しているからさ」
ベンは迷っていた。信頼してくれている人を裏切ろうとしている自分が情けなかった。だがそこで、娘の顔が浮かんだ。まだ幼い娘が、奴らの人質になっている。見捨てるわけにはいかない。たとえ何が起ころうと、娘を救い出してみせる。
ベンは決心したように心の中で頷くと、椅子に座って言った。「さ、実験のことについて、もっと聞かせてくれ」
それからダイアーとベンは、今朝の人体実験について、詳しく話し合った。不死身の薬のことや、待ち合わせの場所などを伝えた。
それから数十分後、ベンはダイアーの家を出ていった。