Act 8
「しかし、野性的だな」
そうひとりごちても聞こえるのは目の前にいるステップウォルフ――野犬と評するのが丁度よさそうなそれの威嚇の唸りくらいのものだ。
今までもエトが繰り返してきたのは、爪で裂き、膝蹴りをかまし、足蹴にし、ととにかく肉弾戦の乱舞である。
もともと沢崎は運動能力的にそれほど困っていないタイプの人種であったのだが、ゲーム内ではそれが一段と強化されたようだ。
キレのいい動きと思い通りになる体に若干高揚感を覚え、肉体最高、という感覚に酔いそうである。
飛び込んできたステップウォルフを軽い体捌きだけであしらい、すぐさま爪先を腹部にめり込ませる。ぎゃん、という悲鳴を無視してそのまま力任せに掬い上げると、エトはちょうど正面に来た鼻面に拳をブチ込んだ。
ステップウォルフは悲鳴を上げる間もなくダメージ過多で消滅した。
「大体の動きは様になってきたかな」
首を軽く振ってメニューを開く。
しかしエトが探し求めていたものはそこに見当たらず、軽く肩を落とす。
「もうちょっとだと思うんだけどな」
ため息をつくと、がさり、と後方で茂みが動く音がした。
思わず構えるエト。すぐさま攻撃をとれるようにステップを踏み、振り向くと。
「なんだ、君か」
「え。何だって言われた‥‥‥」
しょぼん、とするスピネルだった。
「いや、敵かと思ったからさ。どうしたの」
「ああ、今チュートリアル報告するところです」
「へえ。そうか、じゃぁ僕も行ったほうがいいのかな」
その言葉に、スピネルは首を傾げる。
「行ったほうがいい、というのは?」
「ああ、一応条件は満たしたらしいんだけど、個人的に納得がいってないから。もうちょっとで新しいスキルを覚えそうなんだよ」
なるほど、とそこでスピネルは得心した。こういう拘るところもある人だった、と思い出したのだ。
「そんなら私もご一緒していいです?帰る途中に敵にえらい一杯囲まれて、相手してたら新スキル覚えちゃって。使いたかったんです」
「おお、いいぞー」
軽く首肯するエトに破顔して、スピネルは腰に差したウォーハンマーを抜き、重心を低くして構える。
刹那、もうスピネルの表情はすっと引き締まり、敵を一瞬たりとも見逃さないと言わんばかりに、微かなざわめきを見せた深い草むらを見据えていた。
其処にはやはりいつの間にかステップウォルフが潜んでいたのだった。ばれてしまったなら仕方ない、と言わんばかりに殺気を振りまき、草原の狼は勢いよくスピネルに飛びかかる。その距離は二歩。
だがそのバネのようなすばらしい脚をもってしても、ステップウォルフの必殺の一撃はスピネルに届かなかった。
――緊張する右腕、踏みしめられる左足。
両腕で握ったウォーハンマーがきしみ、それは見事にステップウォルフの胴体に噛みついた。
そしてステップウォルフの勢いは急激に止められ、その体はスピネルの左前方に飛ばされて落ちていったのだった。
「ほあー。こうなるか‥‥‥力任せだなあ」
「なんていうか、ナイスバッティング?」
「まさにそんな感じですね。‥‥‥『フルスイング』だそうで」
なんとなく途方に暮れた様子のスピネルを見てエトは思わず噴き出した。
「大体いつも全力だし丁度いいだろう。それに、詰めが甘い」
あ、とスピネルは呟いた。確かにまだステップウォルフはとどめを刺し切れてはいなかった。
スピネルがそれに思い至ったとき、エトは瀕死のステップウォルフが再びとびかかってきたのを見切っていた。そして、それを易々とかわすと、なんと後ろ蹴りでスピネルのほうに吹っ飛ばしてきた。
「ちょ、ちょーっ、えぇぇ!」
とっさにスピネルはステップウォルフをたたき落とした。
哀れ狼、光に分解されながら、まさに踏んだり蹴ったりだと思っているに違いない。
「ひどいじゃないですか!」
「終わりよければすべて良し、という。というわけで報告に行こう」
「え、いいんですか」
「うんー、まぁ、なんだ、いい切替のきっかけってことで。またスキルはおいおいとれるだろうし」
ふぅん、と呟きながらスピネルはさっさと歩きだしたエトの横をちょこちょことついていった。
*
ちょうどそれぞれ機関の職員に報告を終えた後、二人はどうしただろうね、などと話しているところで、エトが前方からふらふらとよろめきながらこちらへ向かってくるハルタチと、心配そうにハルタチを伺うシバを発見した。
「なにやってんだ。やられたのか。紙防御か」
「紙じゃないけど精神的に疲れたんだよ。魔力回復用のポーション持ってたらくれ」
「ねーよ」
そんなどつきあいをしているが、本当のところは元気なのかそうでないのかよくわからない。
ともかく、途中で寄った薬屋で仕入れたポーションでなんとかハルタチは人心地ついたらしく、生き返った、とかなんとか呟いていた。
「さて、報告も済んだし物資の買い出しもしたな」
「おう」
「うん」
各々が頷く。
「とりあえず俺ら四人でパーティーを組む感じで行こうってのは当初の方針だけど、ここでそれぞれの戦闘スタイルと戦力的な部分の確認をしよう」
「そだね、いったん確認しとこう。『ステータスオープン』」
自分のステータスを他人からも見える状態にし、それぞれが互いの能力値を確認していく。
一先ず四人ともレベルは4になっていた。
スピネルがなるほど、と一人ごちる。
「私とエトさんが近接戦闘型、シバさんとハルタチさんが遠距離戦闘型ですよね。
いざとなればエトさんが壁役になって、シバさんが支援かな‥‥‥ヒーラーあんまりしたくないって言ってたのがちょっと気になりましゅぎゃ……シバしぇんぱいほっぺたいちゃいれす!」
途中からシバがスピネルの頬を引っ張っていたので後半若干発音が不明瞭だが、言いたいことは十全に伝わった。
「むぅ、面倒くさいけど、本当にめんどくさいけど、私がHP管理するしかないか。
最低限ヒールで微量回復ならできるみたいだしなぁ。それなりにちゃんと回復しちゃるよ」
「そんじゃぁま、それで行こう。俺は戦闘向きの魔法しか使えんらしいからなぁ。本来スッピーも戦闘重視じゃないし、スッピー遊撃、うさちゃん壁が妥当だろう」
「うさちゃん言うなよ!」
「うう‥‥‥もう訂正はできませんかあ‥‥‥」
そんな二人の切実な訴えもどこ吹く風、ハルタチは可視化したマップを取り出し、指でなぞる。
「当座の目標は、南側に分布する小規模な森の中にあるダンジョン、『シエンダ洞穴』の攻略ということになるだろ。機関の掲示板の依頼もダンジョン関係が充実してる。それの前の小目標として、レベル上げだけど。ヘイカル湖にちょっと寄った辺りの『クォータリズ』狩りがいいらしい、って他のプレーヤーが言ってた。盗み聞きしてみた」
「え、でもそれって混んでるんじゃないですか」
「いいや、ここのトカゲずいぶん群れて沸くらしい。んで敬遠されがちなんだ。でも人数さえ揃えばリポップ待ちの時間も少ないし、効率がいい、でも友達が少なくて悶々としてる、と」
じゃあそこだ、とエトが行って空中に右手で何かを書き込むようなしぐさをした。恐らく自分の手持ちのマップにマーキングをしたのだろう。
「ようし、それじゃあもう少しだけ休んだらクォータリズ狩りに行こう。もうちょっとしないとMPが全快しないみたいだ」
「暴走の末の自爆なのに偉そう」
「何言ったー?」
「んー?何でもないよ。体調は万全じゃないとね。キャピッ」
あちゃーという顔をしてエトが額を覆った
「シバ。それはアウト」
「チッ。年齢的にだめか」
こいつらだめだ、どうにかしないと、と一瞬スピネルは思ったが、それはすぐに心の奥底にしまいこむことにした。
「スピネルちゃーん。その無言の笑顔で人を憐れむなよー?」
「でゃからほっぺちゃをつみゃみゃにゃ‥‥‥痛いー‥‥‥」
若干弱化されてはいるものも、触覚も痛覚も曖昧だが伝わるのが、このゲームの特徴なのである。
なんとなくまだ少し痛みが残っている気がして、頬を触るスピネルなのだった。
小柴さんの年齢は企業秘密です。
女性は25を過ぎると途端に口が重くなります。
恐ろしいですね。
一応この四人は若手職員の部類に入ります。