Act 37
「なるほどな。確かに、スッピーの意見も一理ある」
エトはそう言いながら頷いた。
「急げば強くなれるわけでもない。そうやって自分で自分を追い詰めるのも、辛いことだ。間違いないことは、どちらにせよ動かないと『怖い』と言う気持ちだけが先行するってことだろう」
そうやって一拍置き、エトはスピネルとハルタチを見る。
「確かに、ここはゲームだ。中に人間がいるとしても。そしてゲームとはその設計上、どう進んだって強くなるようになっている」
ありがたいことにな、と言ってエトはなげやりに言い捨てながら、にやりと不敵に笑って見せる。
「つまり、エトさんの意見としては、とりあえず焦るなってことか?」
ハルタチが妙に棘を含んだようなニュアンスでそう吐き捨てる。
「そうだ」
だが、エトも平然とそれを受け流す。まさに柳に風、と言った体である。
「焦らずにいられるのか?」
一触即発の空気が部屋を包む。ピリピリと無言の緊張が走る中、唾を飲む音さえ聞こえてきそうだった。
スピネルも、気のせいと言うことはわかっているものの、妙に喉の奥が干上がったような、奇妙な感覚に囚われてただ二人を見つめている。
「あ、あの」
そうやってどうにか口火を切ろうとしたスピネルだったが、ふとあることに気付いて、不意に黙り込んでしまった。
不完全燃焼のような絶妙の間に、つい胡乱げな目をしてスピネルを注視するエトとハルタチ。
ところが、その二人もスピネルが黙った理由に思い至って、思わず目を見開き、気まずそうな表情になる。
シバが集中する視線に、とうとう苦笑しながらゆっくりと上体を起こし、軽く背筋を伸ばした。
「起きてたのか」
シバは頷く。机の上に置いたペンと紙を手に取り、エトに向かって笑いかけた。
『紙とペン ありがとー』
僅かに丸みを帯びた小さい文字でさらさらと書きつけられたその可愛らしい文字に、スピネルはほんの少し緊張が緩められた気がした。
「あ、ああ。いや、気にするな」
エトは反応に困って、少しどもりながら言う。
それを見たシバは、ふ、と軽く息を吐いて、再び何かを紙にあらわし始める。
『取り乱して悪かったねー。寝たらちょっと落ち着いた。――私、二人の話聞いてて思ったんだけど。まず前提として、私が足を引っ張ることにはなりたくないな、ってのをまず考えたのよ』
眉根を寄せ、首をひねり、何度か書き足したり書き直したりしながら、シバは書き上げた紙をひっくり返してハルタチとエトに見せる。
『だから、身を守るとか、強くなるとか、それが一番したい事ならそれでいいけど、みんなが一番したいことをまず考えるべきなんじゃないかな、と思ったのよね。最低限とりあえずこんなことで喧嘩はやめてください』
喧嘩、とハルタチは眉根を寄せ、一番したいこと、とスピネルが呟く。
『強いて言うなら私はスッピーの意見と近いかも。目の前のことだけやってくしかないよ。現実に帰りたいってのは当然あるけど、今は、やっぱりどうにもならないじゃない』
ふむ、と男性二人が唸る。今のシバの意見を加味し、考え込んでいるようだ。
それを見てだろう、瞬時にシバは畳み掛けるようにして何かを書きなぐり、勝訴、と書かれた紙を持って走り出てきた弁護士のように、思い切りハルタチとエトに突きつける。
そこに書いてあったのは、
『あのねえ。わたくし、か弱い乙女でもありませんので、別に守ってもらわなくてもよくってよ?』
予想から思い切りアウトコースの、まさかの貴族風の文句であった。
紙を突きつけたまま、ふふん、という言葉が似合いそうなほどのしてやったり感を前面に押し出すシバ。
目を丸くしてそれを見つめる三人。
ぶ、と吹き出したのは誰が最初だっただろう。そこからは三人とも笑いの発作に襲われてしばらく悶絶する羽目になった。
どうやら全員どういうわけでかドツボにはまってしまったようだ。
極度の緊張とは、かくも人の精神を不思議なベクトルに動かしていくものらしい。
「いや、いやいや。ちょ‥‥‥うはははは、‥‥‥ひー。おかしい。忘れてたわ。そういえば乙女系被害者キャラって、お前じゃないわ。鉄板落として足にぶつけて獣のようにもだえるのがお前だよな。うん、なんか変なところで過保護スイッチ入ってたわ」
ハルタチがようやく調子を取り戻したようだ。何か吹っ切れたような笑顔でシバを見ては、思い出し笑いに何度も苦闘している。
シバはただ、そんなハルタチに対して生暖かい慈愛のような表情を浮かべているだけだ。
その思い出し笑いに起因する自分の失敗談を遠い目で振り返っているのかもしれない。
『まぁいいけどね。ていうか、私個人としては疲れた人間が繰り言を転がしてぐだぐだやっててもいい答えなんかでないんだから、少し寝たら?って思うけど。うん。寝ろ男共』
ぐ、とエトも笑いをこらえて奇妙な声を上げる。ようやく落ち着いたかと思ったのに、再び呼吸困難寸前である。
「わかった。寝るよ。寝て起きたらこれからどうするかはっきりさせるわ」
そういえば疲れてたよな、とエトは緩くかぶりを振った。
安心したら確かに眠気が来る、とはハルタチの談である。
そうして、男性二人は寝る、と決めたら早かった。ソファーをとりあえずごとごとと移動させ、あっという間に簡易ベッドを作り上げた。
躊躇なく其処に飛び込むと、ハルタチもエトも数十秒後にはぴくりとも身動きせず、微かな寝息を立てるだけになっていたのである。
余りの早業に、スピネルも苦笑するほかない。
「おやおや。シバさん、私たちももう少し寝ますか?」
そうだね、と口を動かしたシバはふと動きを止め、何か思いついたように短く一言書いた。
『一緒に寝てほしいけど、いいかな』
参ったな、と気恥しそうにシバがスピネルを見る。
「え‥‥‥っと」
スピネルも若干照れるが、真摯なまでの可愛らしい上目遣いで無言の『ダメ?』という反応を見ていると、拒否できないような気がしてくる。
「し、仕方ないなっ」
スピネルは両手を広げ、カモン!と言わんばかりのジェスチャーでシバを迎え撃つ。
其処に小さな生き物が転がり込んで、二人はソファーに横倒しになった。
何だこれあったかいな。
スピネルはそんなことを思いながら、幸福をもたらしてくれる微睡にゆっくりと沈んでいった。
全身を満たす重い疲労感さえ、心地よく溶けていくような、そんな気がした。
睡眠と笑いは抗ストレスに最適です。
あと人を落ち着かせるのに最適なのは他人の心音、と言うのも聞いたことがあります。ついでに体を温めるのもいいそうです。




