Act 36
がちゃ、と扉が開けられる音で、ふとスピネルは意識を浮上させた。
軽く体を動かしたことで、体をくっつけていたシバも身じろぎをする。
どうやらいつのまにか二人して眠ってしまっていたようだった。
「起きたか」
扉のところで二人を伺っていたハルタチは、寝てていいんだぞ、と優しく続けて静かに扉を閉める。
「うにゅ。エトさんは?」
「一度帰ってきたよ。でもまたどっか出たっぽい。実のところ俺も結構出たり入ったりしてたし」
ほら、とハルタチが机を指す。そこにはエトが買ってきたのであろうペンと紙束が置かれていた。その他にも回復アイテムやら素材アイテムやら、必要そうなものもぎっしり積まれている。
「あの二人は新しくとった部屋にいることにしたみたいだ。んで、俺らは必然的にここに固まることになった。生憎どいつもこいつも考えることは一緒らしく、余計な部屋が空いてないんだと」
参っちゃうね、とハルタチは軽く肩を竦めて見せる。
それを聞き流し、ふあ、とスピネルは気の抜けたようなあくびをする。
そして相変わらずくっついているシバを見下ろす。
「起きませんねえ」
「だな。よく寝てる」
ハルタチが僅かばかり表情を優しく緩める。
気だるげに歩いて、ハルタチはスピネルたちの向かいのソファーにそっと腰を下ろした。
「なあスッピー。俺、聞いてきたよ」
その主語は言われなくてもわかっていた。スピネルは身構え、次にどんな言葉が来るのかハルタチの一挙手一投足を注視している。
「それで分かったのは、あの異常者には今の俺たちじゃ手も足も出ない。ただ獲物にされるだけだ、ってことぐらいだ」
それは、余りにもはっきりとした宣告だった。
薄々感づいてはいたが、きちんと言葉にされると、もうどうしようもない絶望感が改めて襲い掛かってくる。
スピネルは苦い表情であのふざけた襲撃者を思い返していた。
「少なくとも相手はサイレス、沈黙を使ってくる。この時点で詠唱を必要とする魔法職は手足をもがれたようなものだ。そのうえ、恐ろしいほどのAgi極振りだろうことは想像できる」
確かに。スピネルは頷いた。あの素早さは尋常ではない。さらにはStrがいくら低かろうとも、麻痺属性の付いた武器で戦いを挑んでくるわけだから、一撃でも当てられたらその時点でこちらの負けが確定する。
「それに、姿を隠すスキルも」
「ああ、それ。自分だけ姿を隠せるスキルじゃないみたいだな。一定範囲内の物なら隠せるみたいだぞ」
スピネルは目を見張った。自分以外にも透明化を広げられるのだとしたら、それは何と恐ろしい暗殺用スキルだろうか。
「まさにPK特化だ。嫌になる。どんな性格だったらあそこまで歪んだキャラメイクになるのか‥‥‥」
頭痛でもするのだろうか、しきりにこめかみをもみしだきながらハルタチは続ける。
「とにかく、今のままじゃ、俺たちはダメだ」
熱のこもった言葉。スピネルは、ハルタチの中に静かに燻る熾火が、今まさに燃え上がろうとしているような錯覚を覚えた。
「スッピー。――俺は、強くなりたい」
様々な感情が混ざり合って、結果として平坦な口調になってしまってはいるが、とても強い思いだけは突き刺さるようにスピネルの心まで染み透ってゆく。
「誰にも脅かされない存在になりたい。みんなで笑っていたい。楽しい日々を送りたい。誰かが苦しんだり、泣いたり、そういうの、スゲー嫌なんだ。見ていたくないんだ」
分かる、とスピネルは思った。自分もそれに近い感情を抱いているからこそ、スピネルはハルタチに共感を示した。
「そう、ですよね。私も、嫌です。誰かが泣くのは見たくない」
だよな、とハルタチは頷く。
「俺は、できることなら今すぐにでもログアウトして元の世界に帰りてぇと思ってるよ。でも現状それが出来ないから、今できる最善の手段を考えたら――強くなって、自分の身を守る、ってことぐらいしか思いつかなかったんだ」
ごめんな、考えが浅いのかもしれない。頭に血が上っているのかもしれない。
ハルタチはそう言い、ふ、と笑う。
「最初から自分の意見を卑下することはないだろう」
すっと音もなく扉を開けたエトが唐突に会話に加わる。いつの間に戻ってきたのだろう、気配すら感じさせなかったのは、流石と言うべきか何というべきか。
「心臓に悪い登場ですね」
「まあな」
疲れきった風情でエトもまた、ハルタチの横に体を沈める。
「真面目な話をしているものだから、入ってくるタイミングを逃したんだよ」
くつくつ、と喉を鳴らしてエトがシニカルな笑いを零した。
ハルタチもどこか脱力してしまったようだ。エトの顔をじっと見つめ、まったく、と言った調子で頭を掻く。
「悪いね。続きをお願いするよ、先生」
「へいへい」
こほん、とハルタチは軽く咳払いをし、再び真面目な表情に戻る。
「こんな言い方をするのも嫌だけど、結局平和を勝ち取るのには力が必要になるんだ、って俺は思うんだよ」
エトが腕を組み、少しばかり思案する。
「そうだろうな。現状この『Cradle』というゲーム内世界から逃れられない状態がいつまで続くかわからない以上、脅かされない存在となるべく強さを求めるというのは最善の選択のような気がする。気はするのだが‥‥‥」
煮え切らない態度で落ち着きなく足を揺らすエト。何処か納得のいかない点があるらしい。
だがそれをうまく言葉に出すことが出来ず、ひたすら考え込んでしまっているようだ。
「んー。むー。‥‥‥んー」
スピネルが何かを思いついたのか、何度か口を開きかける。
しかしその度に黙り込むのを見て、とうとうエトがどうした、と声をかけた。
「呑気な奴だ、って言われるかもしれませんが」
そう断って二人の顔色を伺い、恐る恐るスピネルは続ける。
「私は、どうせなら楽しみたいんです。だってここはゲームだから」
エトとハルタチは言葉を詰まらせた。何を悠長な、という言葉が喉元までせりあがってきたが、スピネルのアクアマリンの瞳があまりにまっすぐに射竦めてくるので、すんでのところでそれを思い止まる。
「追い詰められるように過ごすのは嫌です。結局それはあの男に負けたみたいで。いや実際勝てなかったんですけど、でもずっと影を追いかけるようなことをしたくないんです。強くなる、と言うことを目的にするのではなく、もっと別の過程を設けながら強くなっていきたいです」
「言いたいことはわかった。だが、具体的には?」
ハルタチの鋭い返答にスピネルは一瞬声を詰まらせるが、確かめるようにゆっくりと言うべき言葉を放ってゆく。
「そうですねえ。うん。まだ見てないダンジョンを回りたいです。それに、作ったことのない武器を作りたいです。みんなで笑いながらボス戦に挑みたいです。そうしているうちに、気が付いたらログアウト出来ますよってなるくらい、時間を忘れて、はしゃいで。ついでに強くなってる、みたいな」
「そんなにうまくいくか?」
ハルタチが難しそうな顔をして口をはさむ。ふと時々シバのほうを心配そうに見ているその姿から、あまり楽観的に考えるな、という無言の圧力も感じられた。
「でも、ずっとあんな奴のことを考えてたら、頭がおかしくなる‥‥‥」
ぎゅっと握ったスピネルの拳は、僅かに震えていた。
時に過大な負担に晒された時、自我の崩壊を防ぐために人はどう対処するか?という話です。
エトは己の無力を責めてしまうが故にその場から逃避したがり、
ハルタチは自らの不甲斐なさに憤りを感じて強さを求め、
スピネルは仮面の男の為した事を恐れるが故に真面に向き合わない方法を模索する。
ちなみにストレスを感じた時には考えるのを止めて寝るのが一番だそうです。
これを寝逃げと私は呼んでいます。戦略的撤退とも言います。




