Act 24
一方、その時スピネルは、ある一つのことに気付いていた。
実際気分が悪く、体が言うことを聞かないのは仕方がないとはいえ情けないことなのだが、それに耐えるために体を地面に横たえていたのが気づくことになるきっかけだった。
本当に情けない。自分は何をやっているんだ、と悔しさに涙も流れそうになるのだが、結局できることは現状それしかないので皆の奮闘をただ見つめていると、ふとその戦闘音以外に何か響く音がある、ということに思い至ったのだ。
よくよく耳を澄ましていると、不思議な音が聞こえてくる。それも、土壁の中から。
カリカリ、ガリガリ、と弱く土を掻く音。そして極めつけはどう考えても何かに呼びかけるようなか弱い声。それが、断続的にこちらにまで聞こえてくる。
壁の向こう側にいるとするならば、それはモンスターである確率の方が圧倒的に高い。しかしそれでも、この先にいるのが巻き込まれたプレイヤーでないと断言できはしない。
何か、この事態を打開する、切っ掛けがあれば。
決心したスピネルはぐいと重い体を起こし、自らの武器にすがるようにして立ち上がる。
幸いにして己の得物は戦鎚。もとは岩を砕き、土を避け、鉱石を手にすることを目的として造られた道具。
「スッピー?」
大丈夫?という優しい言葉が投げかけられるが、今のスピネルにその音は、意味を成す言葉としては一向にインストールされてこない。
彼女は純鉄の楔を振り上げた。
そして、重力のままに、振り下ろした。
「何を‥‥‥」
ルインラクナルに群がられ、傷だらけになったエトも困惑してスピネルを伺う。
混乱の状態異常がないか確認するが、どうやらそのような様子はない。
心配していいものか悪いものかわからない、居心地の悪い空気。
対照的に、そんなことには一切頓着しないスピネル。
力強いその腕で通路は少しずつ掘り進められていく。ひとりで作業を行っているのだから、進捗率という言葉でいえば本当に僅かずつ、というところだが、能率という意味で言うならばそれは驚異的な速さだった。
頭ほどもある岩を砕き、掻き出し、土を掘る。がり、という音はどんどん大きくなっていた。
そして、ごとり、とひときわ大きな石が転がり出た時、スピネルはそれを見た。
しかめられた苦しそうな顔、浅い息を吐いて痛みを逃がそうとしている小さな影。
それは残念ながら人ではなかったが、あどけなさを残した丸みを帯びた体から、子供だということを読み取ることが出来た。
ワイズ・ルインホビット
見たことのない名前だった。アースゴブリンの一種だろうか、とも思うが、その姿は今まで見てきたアースゴブリンとはずいぶんかけ離れている。
まず、原始的な腰布一枚の彼らに対して、この子供はそれなりにしっかりとした麻の服を纏っていた。
そしてアースゴブリンと言えば醜悪な皴だらけの顔を持つのだが、この子供は僅かに緑がかった土気色の顔をしているものの、人とそれほど差がない姿かたちをしている。
スピネルは一瞬呆けたが、すぐさま我に返ると、子供のそばの土を避け始めた。まだ、彼の下半身が土の中に埋もれているのだ。
「おい、それNPCならいいけど、MOBじゃないのか‥‥‥?」
ハルタチが遠慮がちにそう問いかけた。
しかしスピネルはそれに対する明確な返答を返さないまま、子供を土の中から引き揚げる作業に没頭している。
たまりかねてエトが少し苛立ったような声で続けた。
「スピネル!何してるんだ。危ないぞ!」
そう、油断しているところを刺されるということはよくあることだ。
特にそれが何者かわからないうちなどは、いくら気を張っていても足りないということはない。
エトははっきりと、ハルタチも暗に、今はそれに構うな、と無言のまま告げた。
もはや彼らはスピネルに構うことをせず、向かいから迫ってくるルインラクナルを捌くことだけに全力を尽くしだしていた。
その時ようやく子供の全身が土の中からあらわになった。スピネルは震える腕で子供を抱きかかえ、そっと壁際におろす。
子供はひどく衰弱していた。スピネルは死闘を尽くす二人を見、彼らを援護しながらも時々こちらを気にかけてくれるシバを、じっと見た。
シバはスピネルの視線を受け、一瞬たじろぎ――それでも、仕方ないな、という先輩の顔をして、ふっと笑った。
「ヒール」
ぴくり、と子供の体が跳ねた。
暗闇の中に癒しの柔らかな光が満ちる。
少しばかり血の気の戻った子供の顔を見て、スピネルは思わず安心して軽い息を吐いた。
そして懐からは平癒丸を一つかみ取り出し、子供の手にしっかりと握らせる。
「ゆっくり、一粒ずつ噛みしめて、ちゃんと飲んで」
子供はうっすらと目を開けた。弱々しく、戸惑ったような瞳でスピネルを見上げる。
「苦いけどね。ま、仕方ないさ」
スピネルはにこっと人好きのするような華やかな笑顔を浮かべ、そしてすぐさまきりっと表情を引き締めた。
ぐっと力強く拳を握る。スピネルの両腕には微かに震えがまだ残っており、穏やかな呼吸も取り戻しているとは言い難い。
ぐっと胃からせりあがる吐き気を飲み込み、スピネルは踵を返すと、腰に差したバッシュピックを右手で引き抜き、戦線へと走り出す。
「‥‥‥先輩方、勝手なことしました!すみませんでした!」
フルスイングで懐に飛び込んできたルインラクナルを四体いっぺんに振り払うと、スピネルは大音声で叫んだ。
気分の悪さは相変わらずだ。でも、ここはヴァーチャルリアリティー。
出てくる胃液なんてないはずだ。スピネルはそう言い聞かせる。
「馬鹿。知らんぞ俺は。しかしなんで助けようと思った?」
MPが枯渇しかけたため、滋養丸を口に含んだ状態でハルタチは、苦々しい表情でスピネルに問いかける。表情の所以はおそらくスピネルの行動故ではなく、その口に広がる苦味によるものが大半だろうとは思われるが、それでもスピネルはたじろぐ。
「あの、その‥‥‥痛そうだったし」
はー、と頭を抱えたのはエトだった。
「考えなしめ。そこがいいところでもあるのはわかるんだけどなあ」
参ったなあという文字が露骨に顔面に描かれたような表情のまま、エトはシバにも苦言を呈した。
「シバ。お前も少しは止めようとしろよ」
「あー。すみません」
シバはこともなげに頭を下げ、自分に迫ったルインラクナルをウォートピアスで縫いとめた。
「シバさん、ごめんなさい。ありがとうございます」
「いいって。気にすんなー」
少しばかり意気消沈したスピネルに、シバは軽く答えた。
「でもほんとに、何で?」
シバは純粋な疑問を浮かべて――顔面に飛び込んできたルインラクナルを杖で叩き落とし――スピネルに問う。
「子供なんですよ、あの子。見てられなかった」
獣の爪がスピネルの膝をかすめる。スピネルは狼藉者を過たず打ち据え、しかしそれが分解され光になっていくのには目もくれず続けた。
「自分があそこまで追い込んだわけではないもので、子供で、傷ついていて。そういうものが目の前にいたら、それはたとえ動物でも人でもモンスターでも、放っておけない‥‥‥」
歯切れ悪くスピネルはそう答え、ふと黙り込んだ。
「そかー。優しいね、スッピー」
それはきれいごとだ。
言ったスピネルも、言われたシバも、理解している。
だがそれでもそうする、自分を貫き通す、ということにスピネルは意義を見出し、その心情に沿って行動したことをシバもまた理解したのだ。
だがそれは同時に、あまりに考えが浅いともいえる。衝動的でもある。
自分が傷つくことを考えていても、周りを巻き込むことはおそらく埒外だろう。
「でも、気をつけなきゃダメだよー、後ろから刺されるかもしれないのは私も嫌だしねー」
だからシバはたしなめる。すみません、とスピネルも再び頭を下げた。
ついうっかり勝手をしてしまう後輩と、たしなめる先輩の話。
こうして見ると、散々ふざけているようでいながら、シバもハルタチもエトもきちんと先輩のふるまいをしています。
普段はアレですけどね。でもその辺解ってるから、スピネルはきちんと皆を尊敬しています。シバがエトにはきっちり敬語を使うのもその辺の理由です。
ハルタチに関してはあれです。人柄です。そんなもんです。




