ハロウィンの日
たとえ、いつくになっても女というものは恋占いの好きな生き物で、いい歳をしたオバサンが恋占いに夢中になる事も少なくないし、暗くなった校舎の片隅で占い遊びに興じたことの無い女など私の知る限り一人として存在しない。
過去を思い出してみればそんな遊びに夢中になった記憶がいくつも蘇り、私はその恋の記憶の甘さと幼さへの羞恥の混じった苦さに、つい歪んだ笑みを浮かべてしまう。
その数多い思い出の中でも、ひときわ苦いのがハロウィンの思い出。
ご存知だろうか?
ハロウィンに行われる恋占いを。
その中にたった一つ含まれる残念な結末を。
それは4人の乙女が伏せた4つのカップを開くだけという簡単な占い。
用意するものは、4つの同じカップと、花のついた小枝、金貨、そして指輪。
4人の乙女はお互いの目を見ながらカップを伏せたテーブルの周りをグルグルと歩き、自分の目の前にあったカップを開いて予言を受ける。
開いたカップに花のついた小枝が入っていれば、それは彼女が最初に結婚をする人。
開いたカップにコインが入っていれば、それは彼女が一番裕福な人と結婚をする人。
開いたカップに指輪が入っていれば、それは彼女が一番多く深く夫から愛される人。
……では、最後のカップを開いた乙女は?
最後のカップには何も入っていない。
そう、何も入っていないのだ。
高校最後の年のハロウィンに、女4人でやったその恋占いで、私は見事その空のカップを引き当てた。
「……てな事があったのよ、ゴエちゃん。 聞いてる?」
周囲の喧騒にかき消されないよう、彼の肩に顎を乗せ、その耳元で愚痴を吐く。
私が酒で曇った目を凝らすと、眉が太くて厳つい2.5枚目の顔がウンザリした表情で溜息を吐くところだった。
「聞いてるよ、春井。 さっきからその話ばっかり繰り返して、これでもう6度目だぜ?」
嫌そうに返事をしながら隣でコップ酒をあおるのは、五影堂君。
今の会社の同僚で、年が近いせいかよくこうやって二人で飲みに来る。
ちなみに彼の方がちょっとだけ年上だ。
「あーっ、もぅ、わかって無いなぁ。 回数なんてどうでもいいのよ!」
夜になって少し青くなり始めた彼の顎から目を背け、私はあらかた料理の片付いたテーブルの上で、スネたように突っ伏した。
そう、別に同情してくれとか、何かしてほしいわけではない。
ただ、"聞いてほしい"のだ。
なぜか男にはそれが"理由"にならないらしく、上目遣いの視線で甘える私に対し、彼からは不可解な生き物を見るような視線が帰ってくる。
その無理解が余計にはらただしくて、私は突っ伏したまま器用に酒をあおりつづけた。
いや、実際には突っ伏したまま器を口でくわえたまま啜っていたというのが正しい。
我ながらなんとも行儀の悪い姿だと思うが、それがどーした。
こちとらヨッパライよ!
「じゃあ、何が要点なんだよ! わけわかんねぇよ、この酔っ払い!」
そうね。 彼の言うとおり。
言われて見ると、結局何なんだろうね?
たかが占い、されど占い。
ハロウィンの占いで未婚を予言された私は、未だに独身だった。
適齢期も若干過ぎて、付き合った男も一人や二人はいるものの、結婚を意識するような相手とは未だめぐり合えてはいない。
横のゴエちゃんに関しても、友達以上で恋人未満。
たまに熱を帯びた視線を向けられることがあるけれど、なんとなくその気になれなくてズルズルとただの飲み友達の関係を3年以上も続けている。
ゴメンね、ゴエちゃん。
君の事は嫌いじゃないけど、恋人として意識すると大事な飲み友達をなくしそうな気がして怖いのよ。
ちなみに他の面子はといえば、まるであの時の占いがそのまま現実となったかのように、全員結婚を果たして今はそれぞれに家庭を築き上げていた。
それがくやしい?
いいえ、別に今の彼女たちを見る限りそこまで強い感情はわかない。
予言は実に正確だったが……全てではなかったからだ。
花を手に入れた彼女は、結婚の翌年に旦那を事故で亡くしていまや立派なシングルマザー。
残った姑との折り合いが悪いらしく、よく電話で愚痴を言ってくる。
指輪を手に入れた彼女はいわゆるIT長者と呼ばれる男と結婚したが、なんでも浮気の派手な旦那らしくて夫婦喧嘩が絶えないらしい。
指輪を手に入れた彼女は、それこそ王子様のような顔の旦那と結婚をしたものの、今では他の誰かと浮気中。
なんでも、3日とは言わないが3年ほどで顔に飽きてしまい、今の旦那では物足りなくなってしまったらしい。
一方的に愛されるだけってのもなかなか辛いとこぼしているが、私に言わせればただの贅沢だ。
うん。 今ならばほんの少しだけわかる。
あのころ華やかに見えた結婚というゴールラインが、子供時代のゴールであったのは間違いない。
だが、それは人生のゴールラインではなかったのだ。
結婚というものがかならずしも幸せとは結びつかないことを私はいつの間にか理解していた。
人生とは、きっと死ぬ間際まで延々と走り続ける障害物競走なのだ。
――でも。
あ……頭の中がグルグルする。
飲みすぎたかな?
思考がグダグダになった私の耳に、居酒屋のテレビから聴きたくも無いニュースが流れてねじ込まれる。
なんでも、明日は近くの商店街でハロウィンのパレードがあるらしい。
どうしてこんな余計なことばかり目に付くのだろう?
私は特に理由もなく不機嫌になって鼻を鳴らした。
そもそも、あの占いのせいでハロウィンは今でも大嫌いだ。
ついでにニュースキャスターの明るい声がどうにも気に入らなくて、突っ伏したテーブルの木目に爪を立てる。
あぁ……なんで私、こんな機嫌悪いんだろ?
酔っぱらった頭で取りとめも無いことを考え込んでいると、ふいにポツリとこんな言葉が口に出た。
「欲しかったのよ」
「……ん? なんだよ、いきなり」
「花も、コインも、指輪もぜーーーーーんぶ欲しかったのよ!」
酔った勢いでろくでもないことを叫ぶ。
そう、たとえそれがまやかしの幸せだったとしても、私はその一つ一つが羨ましくて仕方がなかったのだ。
きっと酔いが醒めたら恥ずかしくて後悔するのだろうけど、今はそんな事を考えたくもない。
「いい加減にしろ、このワガママ嫁き遅れ! そんなのただの無いものねだりじゃねぇか!!」
そう、彼の言うとおりだ。
私のこのモヤモヤは、結局のところただの無いものねだり。
他人にあって、自分に無いという事実が我慢できないだけなのだ。
「あーん、どっかの王子様が花とコインと指輪もって私をさらいに来てよぉー 白馬に乗ってなくてもいいから!!」
「妥協できるのそこだけかよっ!!」
私の本音100%のボケに、絶妙なタイミングでツッコミが入る。
「うん。 そこだけ」
「ふん。 あんまり欲張りすぎて、目が曇ってもしらねぇぞ。 良く見たら、王子様が平民に化けて横にいるかもしれねぇだろ」
お、来たな、ゴエちゃんの自己アピール。
目線がチラチラと彷徨っている仕草が、何故か可愛いと思えてしまうのは私だけだろうか?
「あー ないない。 だって、そんな良い男、いたらとっくに誰かの物だって。 女ってあざといから、そういうの見逃さないし」
彼の劣情を突っ跳ねるように、私はカラカラと笑って陽気さを装う。
「……ちなみに俺は?」
手ひどい切り替えしを受けたゴエちゃんは、半眼の恨めしげな視線をこちらに向けたまま、ボソリと呟いた。
「うーん。 ゴエちゃんは、王子様じゃなくて山賊ってかんじ? そのヒゲの時点で王子は却下よね」
「そりゃ悪かったな!」
うん。 でも、ほんとはその紙ヤスリみたいなヒゲも嫌いじゃないよ。
そのザラザラとした感触を味わうように、酒で曇った視界の中、彼の顎を指でなぞる。
「うん。 悪い。 でも、ゴエちゃんはあたしのキープ君だから、他の女を見ちゃダメよ?」
ちょっとキスをするにはいただけないな。
その気も無いのに、彼のヒゲのチクチクした手触りへの感想を心の中で述べながら、私はふと鼻を掠める男臭い香に眉を寄せる。
……うん。 酔ってるな。
私はいつのまにか、彼の胸にしなだれかかるような体勢になっている事に気付き、冷静にそんな判断を下す。
「言ってろ、この最低女! 帰る!!」
「あー ただのかわいい冗談じゃない。 器の狭い男はモテないぞー」
「あいにくだが、女には不自由してねぇよ! さっさとくだらない夢と酒から醒めろ、この馬鹿女!!」
心無い言葉でからかう私に、傷ついた彼はお決まりの捨て台詞。
椅子から立ち上がった彼の背中に、かまって欲しいだけの寂しい私がさらに傷つく台詞を投げつける。
「ウソばっかり。 この間、年齢=彼女いない歴とか言ってたのは誰でしたっけ?」
「それは俺じゃなくて、この間入ったバイトの話だろ! ほんといい加減だな、お前」
「あれー そうだっけ?」
あー そういえばそうだったかも。
でも、ゴエちゃんの浮いた話って聞いたこと無いよ?
けっこう付き合い長いはずなんだけどねぇ。
「そうなんだよっ! 俺は結構モテるのっ!」
うそうそ。 まーたそんな強がりを。
いや、私が強がりだと信じたいだけなのかも。
やっぱり、ハロウィンは嫌いだ。
人恋しくて、かまって欲しくて、自分を見て欲しいだけのために、他人の心に要らぬ傷をつける。
――あぁ、もっとも惨めな女とは忘れられた女だと詠った詩人は誰だったか?
「そうなんだー? モテないなら、あたしが慰めてあげようかと思ったのにねー。 ざんねんでしたー」
「残念なのはお前の酒癖と頭の中だっ!」
ゴエちゃんの怒鳴り声を聞きながら、私の意識がどんどん遠くなる。
うん。 やっぱり飲みすぎたみたい。
意味も無い自己分析を繰り返しながら、私の瞼がゆっくりと閉じる。
「……お前の器ってさ、何も入っていなかったわけじゃないと思うぞ? もしかしたら、目に見えない素敵なものが入っていたかも知れれないじゃないか」
目を閉じた私の耳に、低い声が優しく囁いた。
そうね、それは素敵なウソね。
「お前の器が空っぽだったなら、俺が変わりに中身を埋めてやるよ」
耳をなぞる言葉はとても甘美で、大人びていて、まるで洋酒の効いた洋菓子のようで……
「Trick or Treat?(悪戯されたい? それとも、受け入れてくれる?) 返事が無いなら、お持ち帰りで悪戯しちまうぞ」
その夜の私の最後の記憶は、グリーンシトラス系の男性用香水と、安い酒と、熱を帯びた雄の匂い。
体の持ち上がる浮遊感に、まるで子供のような期待とざわめき、そして後ろめたさと恥ずかしさ。
全てがないまぜとなった、混沌とした酔いにおぼれ、私の意識は溶けてゆく。
このまま悪戯をされてしまうのだろうか?
でも、彼だったらいいか。
あぁ、私はどうやら魔除けのお菓子を忘れてしまったらしい。
ハロウィンであるにも関わらず。