王太子の婚約破棄を監査した結果、国家損失三万枚と隣国皇帝の招聘を受けました
――カリッ。
祝宴に似つかわしくない音が、静寂を裂いた。
王太子エドワルドが七度目の婚約破棄を宣言した、その瞬間である。
エクスペディ王国王城・大広間。
本来なら同盟誕生を祝う夜だった。
「私は――真実の愛を選ぶ!」
音楽が止む。
「愛なき政略結婚を拒絶する。王族の婚姻が、ただの取引であってよいはずがない!」
「私は愛を選んだだけだ。民が笑っていれば、それで国は栄える!」
その声はわずかに震えていた。
理想を信じたい幼さが滲む。
ざわめきの中、ただ一人。
王宮内部監査局次席監査官、レティシア・ヴァルハルトは手帳に数字を書き込む。
「承知いたしました。損失計上、金貨四千五百枚」
「……何だと?」
「違約金、関税優遇撤回、防衛協定再交渉の概算を含みます。本件により――累計七件目です」
七件。
それは恋の回数ではない。
国庫の出血だった。
祝宴の喧騒を背に、彼女は監査局へ戻った。
二件目の破棄により、東部街道の橋梁補修計画は凍結された。
春の増水を前に、今も仮設足場のままだ。
三件目では小麦価格が二割上昇。
五件目では港湾使用権を失った。
これまでの損失総額――金貨三万枚。
翌週、御前会議。
痩せた国王が、病身を押して玉座に座る。
そして、監査局の報告する順番になる。
「今期の監査結果をご報告いたします」
「また数字か」
「殿下の理想は否定いたしません。しかし防衛協定は失効、小麦価格は二割上昇。国庫損失は金貨三万枚に達しております」
「それがどうした。国は愛で豊かになる!」
ほんの一瞬、喉が乾く。
だが、声は揺れない。
「その愛は、民の食卓と兵士の剣を代価としております。これは恋愛ではなく、国家的債務不履行でございます」
沈黙。
「……国家の正しさとは何だ」
「国家とは、継続でございます」
静かな声。
「感情は瞬間です。しかし国家は明日も、百年後も続かねばなりません。王族の婚姻は、その継続を支える公的契約にございます」
国王は目を閉じた。
「理想だけでは国は守れぬ」
評定の木槌が打たれる。
「婚姻決裁権は評議会管理下とする」
その翌日、王都では臨時税の布告が出された。
名目は「国庫健全化」。
署名は、王太子エドワルド。
城門を出ると、黒い騎馬隊が道を塞いでいた。
中央の馬車から、黒衣の男が自ら降り立つ。
「皇帝カイルだ」
「あなたが婚約破棄七件で、金貨三万枚を“損失”と呼んだ監査官か」
「事実でございます」
皇帝の視線は帳簿に落ちる。
「我が国の決裁は三重承認制だ。王族であろうと例外はない。情は議場に持ち込まぬ」
淡々とした声。
「我が国にこい。条件は一つ。我が国の資産を一銭たりとも無駄にさせぬこと」
甘言はない。
「承知いたしました」
「来い。国家を守る者として」
馬車が動き出す。
(愛を語ることは自由だ)
だが自由は、責任の上にしか成立しない。
帳簿を開く。
ここでは理想に価格を付ける必要がない。
国家が続く限り、それでいい。




