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口の中に熱を帯びた煙がゆっくりと充満する。その煙が肺に、やがては脳に侵食するまで深く吸い込む。
美味い飯を食うみたいに煙をジンワリ味わうと、今度はゆっくりと吐き出す。
嫌なことも煙に纏わせ、全部吐き出す。そうすれば悩みも全部白い煙と同様に霧散する。
ボウリングからの帰宅後、タワマンの窓から下市民を見下ろしながら吸うタバコは格別である。
あぁ~マジでニコチンうめぇ~。
「ただいまぁ……ってアンタ!」
上質なスーツを纏った家主こと雪乃が、煙たい室内を察知して声を荒らげる。
「おう、おかえりんこ」
「ちょっと吸わないって約束だったでしょ!」
「色々あったからしゃあないんだよ。吸わなきゃやってらんないの」
「ったくアンタは……だとしても制服着たまま吸うんじゃないわよ。においつくでしょうが」
「雪乃アンタますますオカンみたいになってるな。小ジワ増えるぞ」
「誰のせいよ。一体何処に隠し持ってたわけ? 約束した時に全部捨てたはずなのに」
窓を開け換気をしながら、雪乃はブツクサと文句を垂れる。
「それで? 一体何があったのよ」
「んぅ?」
「凛子が言ったんでしょ、色々あったって」
「あぁそうそう、聞いてくれよ」
と、タバコを吹かしながら私はここ2日間の出来事を語り、彼女は着替えの片手間でそれを聞いた。
「――ふぅ~ん、クラスのイケメンと美少女に板挟みねぇ。いいじゃないモテモテで」
「お前は一体何を聞いてたんだ」
「実際男の方にはモテてんでしょ? 良かったじゃないイケメン彼氏ができるわよ」
「良くねぇよ、私34だぞ。恋愛対象として無理だから」
「今は女子高生だからいいじゃん」
「精神的な問題だよ。肉体的な問題じゃなくて」
「肉体的なんてやらしぃ。アンタ男子高校生相手に何考えてんの?」
「曲解すんな」
「んでそのイケメンくん、遥希くんだっけ。その子にデート誘われたんでしょ。行くの?」
「行かないから」
「まぁだよね。凛子が男子高校生とデートなんて想像つか――」
「代わりに赤嶺くんって子とデートすることになったけど」
「……は?」
雪乃の手からハンガーが零れ落ちる。
「え、ホントに? なんでなんで」
「いやそうするしかもう収集つかない事態になったのよ」
赤嶺くんには悪いことをしたと思っている。
彼の予定もあるから行ったという口裏合わせができるだけでも良かったけど、ちょうど予定が空いてるみたいだったしせっかくなら周りから疑われないようにデートをしておこうと二人で話がついたのだ。
「マジか。ってか凛子、デートなんて何年ぶりよ?」
「さぁ? 100年ぶりくらい?」
「服とか持ってるわけ」
「制服でいいでしょ。学生なんだから」
「冠婚葬祭じゃないのよ。遊ぶなら私服でしょうが」
「えぇ~めんどくさ。じゃあ家から持ってきたやつ着てくわよ」
なんで私は服装一つまでコイツに決めらにゃいかんのだと、唇を尖らせる。
「一応ココで着なさい」
「なんでだよ。別にちゃんとしたの着る――」
「いいから言うこと聞きなさい。私がチェックしてあげるから」
「ったく……わかりましたよ着ればいいんでしょ着れば」
タバコの火を灰皿で揉み消し、隣の部屋から荷物を纏めたダンボールから衣服を取り出す。
服を探して約30分。テキトーに荷造りをしたから何処に服を入れたのかを忘れ、全てのダンボールを開ける羽目になった。
苦労の末ようやく見つけ、乱雑にしまわれ少しシワの着いたそれに着替える。
そして私の服を見て、雪乃が一言。
「死んでるわ」
「生きてるわ。勝手に殺すな」
「いいえ死んでるわ。女として死んでる。よくそれでデートに行くとか言えたわね」
「何が悪いんだよ」
「何もかもよ。まずそのTシャツ何よ」
雪乃は怪訝な目で私の黒Tシャツを指さした。
「ああ、これ? 昔バ先の店長がジャマイカに行ったお土産に買ってくれたヤツ」
「絶対嘘でしょ。なんでジャマイカのお土産なのに平仮名で「じゃまいか」って書いてんのよ」
「日本人に向けたお土産品なんでしょ」
「だとしても現地の言語で書きなさいよ。ジャマイカ語で書きなさいよ」
「ねぇよそんな言語」
「あとそのデニムパンツもダメよ。所々破れてんじゃない」
「いやこれはアレだよ。ダメージ加工ってやつよ」
「アンタ気づいてないでしょうけどお尻のとこに穴空いてたわよ」
「えっヤバ」
咄嗟に尻を触って確認する。ホントだ、ってかめっちゃ下着見えるとこに穴空いてる。マジかよ。え、いつからだ? 私一週間前にこれ着て竹下通り歩いてたんだけど。
「それ10年以上前から履いてるヤツじゃん。よく旧知の私にダメージ加工なんてホラ吹けたわね。こちとらダメージができる過程すら見てたんだから」
「いいじゃん気に入ってるんだから」
「じゃあ着てくわけ? 男子高校生とのデートに? 下着が見えるパンツを?」
「……捨てます」
「他にもうちょっとマトモな服ないわけ? 仕事の時とかどうしてたのよ」
「バーテンの時は制服の上にパーカー羽織って出勤してた」
「つまりデート用の私服はないってわけね。まあアンタと出かける時は大体男みたいな格好してたからわかってたけど」
「やっぱ制服でいいか?」
「服貸してあげるわよ。身長ほぼ一緒だし」
「いやいや無理でしょ。主に胸のサイズ的に」
「サイズが合うまで削ぎ落としてあげましょうか、その贅肉」
殺意の籠った目で睨みつけられた。ちょっとしたお茶目なのに。
「て言っても私貸せるような服持ってたかな」
雪乃は徐ろにクローゼットを探し始める。流石社長様のクローゼットだ、見たことあるハイブランドの服ばかりだ。だからこそ、JKである私が着るには色々と見合わない。
「あっ、これとかいいじゃない」
そう言って取り出したのは丈の長い紺の無地のワンピース。
「ワンピース着ると太って見えるから嫌なんだが。贅肉があるので」
「大丈夫よ。これ腰にベルトあるやつだし」
「でもスカートは好きじゃな――」
「ウダウダ文句言うんじゃないわよ、ジャマイカTシャツの癖に」
抵抗を見せる私に雪乃は一言で一蹴する。
これはまた雪乃の余計なお節介が発動している。こうなるともう何を言っても無駄なので不平不満は静かに飲み込んだ。
「せっかく女子高生なったんだから、ついでに青春も取り戻して起きなさいよ」
「……まさかそれを雪乃に言われることになるとはね」
「複雑?」
「ちょっとな」
ワンピースを私の体に合わせながら、彼女は「ふふっ」と何かを隠すように笑う。
「私が言う方が凛子には後押しになるでしょう」
「ホントお節介だよ」
雪乃のこういう所が嫌いなんだ。して欲しくもないお節介まで焼いてくる。
私の本心を汲み取っているからこそ、彼女のお節介はタチが悪い。
「じゃあちょっと着てみてくれる? サイズ合わせたいから」
「ん、了解」
リビングを離れ、隣の部屋で着替える。
やっぱり、胸が苦しかった。




