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翌日の登校日。
まだ慣れない学生用制服にむず痒さを感じながら電車に揺られる。
早朝の電車っていうのはやっぱり混むもので、年寄りも子供も男も女も無差別に寿司詰め状態にされる。
だから今現在、こういうことが起きてしまう。
「ハァ……ハァ……」
発情した犬のような呼吸音が耳元で続く。スリスリとスカートの上から虫が這い寄るような不快な感触。
久々に遭ったな、痴漢。
30代になった頃からはメッキリ減ったから油断していた。
相手は40代ほどのサラリーマンか。今のところスカートの上から尻を撫でているだけだが、これは放置するとパンツまで触ってきそうだな。
今捕まえると電車の中で暴れて危ないかもしれない。次の駅で突き出すとしよう。もしそれを待たず中まで手を入れてきたら……うん、指でも折るか。
仕方なしに不快な感触を耐え凌ぐ。それと同時に次の駅がお前の死に場所だと怒りを募らせておく。せいぜいそれまでJKの尻を満喫するといい。せめてもの餞別だ。
「お、おっ、おはよぉう!」
声の裏返った挨拶が電車内に響き渡る。若い男の子の声だ。
電車内は一瞬ピリついた。痴漢野郎も一瞬手が止まる。
声のした方に自然と視線が吸い寄せられた。満員電車の中で、人混みをかき分けながらコチラに近づいてくる長い髪の少年が目に入る。
「あっ、い、井村さん、おはようございます」
「あっ、赤嶺くん」
真っ赤な顔をした彼が、少し早口で私に声をかけてくれた。
「き、奇遇ですね。電車一緒なんて。ぼ、僕いつもこの電車で。えっと、げ、元気ですか?」
話すのが苦手そうな彼が絶えずに言葉をかけた。そして私に近づき、私と痴漢の間に入り込む。
痴漢にはこの状況でも触り続けるほどの胆力などあるはずなく、電車の扉が開くと逃げるように降りていった。
「ありがとね、赤嶺くん」
「あっ、いや、別に」
助けてくれた相手に後ろ向きで感謝するのが忍びなく、体を捩らせ彼と向き合う。
満員電車の中で向き合ったため、ほぼ抱き合っているような距離感になる。そのせいか赤嶺くんは気恥ずかしそうであった。
「謙遜しなくていいって。ちゃんとカッコよかったぞ」
「えっ、あ、ありがとう、ございます」
「なんでそっちがお礼言うのさ。助けられたの私だよ?」
「あ、そうですよね。あはは」
照れくさそうに、それとちょっとバツの悪そうに彼は笑う。私のこと苦手なのか? それなのに助けてくれるなんていい子だな。
『この先電車が揺れますので、お立ちのお客様はつり革にお掴まり下さい』
車内アナウンスの後、電車がカーブに差し掛かりグワンと電車がやや傾く。
私は後ろの人と背中同士が軽く触れるだけだが、赤嶺くんは大きく重心がズレてしまった。
それによる事故だ。咄嗟に手をつり革に向けた彼の手が、間に合わず私の胸へと飛び込んだ。
「おいおい、それはつり革じゃないぞ?」
「わっ!? ご、ごごめんなさいッ!」
わかりきった事故だったし全く気にしてない。だからこそ小粋なジョークで和ませようとしたのだが、どうやら上手くはいかなかったらしい。
「ほ、本当にすいません。わざとじゃ……」
「大丈夫、わかってるから。それにどうせ890円の胸だし」
「え?」
「こっちの話」
JKになってから胸揉まれたり尻触られたり胸掴まれたり、若返ってから変なフェロモンでも出るようになったのか?
クラスの男子から痴漢を助けられ、ついでに乳を揉まれる。少女漫画と少年漫画を混ぜ合わせたような展開が来ても、私にヒロインらしいリアクションは無理だ。
「ムゥちゃんお昼一緒しよぉ~」
しっぽを振りながら駆け寄ってくるピンクの毛をした大型犬。
「このパン知ってる? メロンパンにクリームとカスタード入ってるんだっ。絶対アタリだよねこんなん!」
「聞いただけで胃もたれするわ」
了承を待たず私の前に座る彼女は、菓子パンを更に甘いジュースで流し込む。血糖値爆上がりの子供にしか許されない献立だ。
2日目のお昼休みは、初日よりも圧倒的に平和だ。
お猿さんたちは遠目からこっちを見ているが話しかけてくる様子はない。多分ピンクの大型犬がいい番犬になっているようだ。
嫌われている、というのは寧々の自称ではなく事実だったみたい。
「ねぇねぇムゥちゃんってやっぱり馬鹿なの?」
「藪から棒に失礼な。まぁ馬鹿だけど、なんで?」
「いやまぁこの高校入ってる時点でそうだし、先生に当てられてもほとんどわかってなかったじゃん。だからやっぱり馬鹿なのかなーって」
パックジュースをチュウチュウ吸いながら寧々は質問する。
こっちは女子高生に20年近いブランクがあるんだから高二の問題なんか解けるわけないでしょ。編入試験もほぼ社長様こと雪乃の口添えで何とかなったようなもんなのだから。詳しくは言えないがお金の力というのはやはり素晴らしいと思った。
「そうですよ、私は馬鹿ですよ。だからこうして高校に通って頑張ってんの」
「馬鹿でもいいじゃん、ムゥちゃん可愛いしっ」
「流石に馬鹿のままじゃマズイでしょ」
「えぇ~別に良くない? 馬鹿でもきっと生きていけるってぇ」
「馬鹿が生きれるほど社会は甘くないわよ。寧々も一度フリーターになってみなさい」
「んぅ? ムゥちゃんはなったことあるの?」
「……知人がね、そうなの」
まだ精神年齢が肉体年齢と合致していない。ちゃんと女子高生になりきらないと。
「とにかく社会は大変らしいの。だから勉強はちゃんとできた方がいいってこと」
「ふぅ~ん、じゃあ今度一緒に勉強しよーよ」
「勉強会すんの? なら俺も混ぜてよ」
横から入ってきた爽やかな声。視線を声の方に向けると声に負けない爽やかな顔がそこにあった。
「ああ、遥希くん。どうかした?」
昨日のこともあるから少し身構えて話をする。
「どうかしないと話しかけちゃダメ? ただ凛子ちゃんと喋りたかっただけだけど」
露骨すぎる。下心の有無とか計略とかそういうのがなくても、言葉を額面通りに受け取られるだけで問題の発言だ。
「それ何食べてんの?」
「見ての通り昼食」
「ハハ、じゃなくて何おにぎりって意味だって。やっぱ天然だねっ」
何処からともなく無言の圧力が私を威嚇している。
私と仲良くなりたい遥希くんと、私と遥希くんが仲良くなるのが嫌な女子一行。これは厄介な板挟みに巻き込まれた。
「昼飯俺も一緒していい? 昨日できなかった話とか色々--」
「ダメ」
バッサリと言い終わる前に切り捨てられた。その思いもよらない一刀に、遥希くんは声の主と目を合わせる。
「ダメだよ入ってきちゃ。今ネネとムゥちゃん話してんじゃぁん」
ストローをガジガジしながら寧々も露骨に意志を見せる。
「……ああ、ごめんね磯塚さん」
申し訳なさそうな笑みで返す遥希くんだが、貼り付けた表情の裏には影が落ちていた。
「ってか急に入ってきてネネのこと完全無視ってスゴいねぇ。透明人間になっちゃったのかと思った」
「そんなつもりはないよ。ただ凛子ちゃんと話したかっただけだから」
つまり君には話しかけていないし話したくもない、という意味。遥希くんも中々にトゲのある返しだ。
「あっそぉ、でもムゥちゃんと話しちゃダメ」
「それは磯塚さんが決めることじゃなくない?」
「決めれることだよぉ。ネネとムゥちゃんの仲だもん」
「へぇ、仲良いんだ」
「うん、そぉだよ。おっぱい触った仲だし」
寧々は胸を揉むジェスチャーで牽制する。
勝手に揉んできただけだろうが、という言葉は呑み込んでおこう。このまま追い払ってくれるなら私的にも助かるし。
「……凛子ちゃんとしてはどうなわけ?」
と思ったが、ここに来て私に話を振られた。コイツもなかなか諦めの悪い奴だ。
「私は寧々と2人派かな。胸触られてるし」
しかしここでズバッと断っておく方がむしろいい。女子一行にもちゃんと弁えているというポーズを見せられるし。
寧々は「だよねぇ~」とニコニコな顔で胸に手を伸ばしてくる。触れる前に止めたけど。
「そっか、じゃあ今度磯塚さんが居ない時に食べよ。2人で」
手をヒラヒラさせ彼はその場を離れる。寧々はその離れ行く背中にあっかんべーと敵意を向けた。
今度、か。引いてはくれたが引き下がってはくれないみたい。




